第8話 道具

私に人間として足りないもの、すなわち『意志』とは何でしょう。


自分では皆目見当がつかないので、私は手当たり次第、何でもやってみることにしました。

引きこもりがちからうってかわってアクティブになりましたから、主は驚いた様子ですが、よい傾向として見てくれているようです。


ペンを握れるようになったところで、まず興味を持ったのは学問でした。

猫だったときから学問という単語は知っていますが、さっぱり理解できなかったので、えそらく人間特有のものなのでしょう。


「主は大学で何を専攻しているのですか?」


夕飯の後、主に尋ねてみました。


「俺は物理学っていうやつ」


「物理学…、何を学ぶ学問なのですか?」


「うーん…、物とか熱とか、あと光、音なんかの性質を理解するための学問かな」


「なるほど…、でしたら私も物理学を学んでみたいです!」


「へえ、鳴も物理学を?

…ああ、でも先に5教科からやりなさい。

世の中には数えきれないほど学問があるから、自分がこれと思うものを見つけるためには広範な知識が必要になるんだ」


中学校か高校までかけて、人間は国数英理社の五教科と、別に数科目を学ぶようです。

五教科について、国英社は文系、数理は理系と別れていて、多くの人はそれぞれに向き不向きがあるみたいです。

主は、私に物理学を学ぶ資質がないことを危惧しているということです。


「ある程度なら俺が教えてあげる。

本もいくらでも買ってこよう」


「でも、あの…、そこまで深くやらなくても大丈夫ですよ…?」


お金がかかりそうな雰囲気があったので控えめに進言しました。

それに、私は主とおそろいの学問を学べればそれでいいのですが…


「いや、お前は少なくとも高校生か大学生くらいの見た目に見えるから、これを機に誰でも知っている中学校の授業内容までは知っておいたほうがいい。

一緒に頑張ろう?」


「…そうですね、分かりました。

よろしくお願いします」


かくして、私の勉強が始まったのです。



・・・



学問の他にもいろいろと始めたのですが、勉強も継続して毎日やっています。

私には見た目相応の理解力が備わっているようで、どの教科も問題なく理解できました。

中でも数学と理科は、主がわかりやすく教えてくれますし、特に頑張って勉強しました。


「鳴は若干理系寄りかな」


「じゃあ主とおそろいですね」


主は大学から帰ってきてから、つきっきりで私に勉強を教えてくれます。

一つの机に主と並んでいるので、体が近くて嬉しいです。


「文系の学問も楽しいと思うがな。

それに鳴は芸術系の学問を知らないし、最近じゃリベラルアーツとかいうのもあるらしいよ。

俺には理系以外よく分からんけどね」


「へぇ…」


私は理系以外に興味はないのです。


「………あれ……?」


数学の問題で、つまづいてしまいました。


「あ、そこ難しいから解けたらすごいぞ。

ちょっと話題になったんだよね、その年の入試問題」


「む…、解けますよ」


こういう難しい問題は、訳あって意地でも解きます。

へたくそな数字が紙の余白を埋めていき、行き詰まり、道を変えて…。

数分後か数十分後か、やがて解法の筋道を見つけ、一気に書き上げます。

数学や物理学の問題が解ける瞬間はたまらなく気持ちがいいです。


「…できました!」


「マジか、すご…

鳴は本当に頭がいいな」


主は私の頭を撫でながら、感心したように言いました。

得意になって、主の胸元に頭を擦りつけます。


「えへへ、もっと褒めてください」


「これは褒めちゃうわ。

すごいよ、鳴」


私の頭を抱きかかえるようにして撫でてくれます。


「…あ、んんぅ…」


難しい問題を解くと、主は抱きしめたりして褒めてくれるのです。

味をしめたので、数学と理科ばかり勉強してしまいます。


「主…、これからも、褒めてくれたら…、もっと頑張れます…」


「はは、ならたくさん褒めてやらないとな」


撫でられて、気持ちよさに恍惚としながら、こうも思うのです。


結局、学問とは何なのだろう、と。


主は、自身の専攻する物理学を崇高なものと捉えているように見えます。

また、社会においても学ある人間が重用されるようです。

しかしながら私には、学問とは主に褒めてもらうためだけの道具です。


学問とは何なのか、必要な知識なのか、五教科の広い見識は何の役に立つのか。

これが分からないうちは、私は人間として足りていないのでしょう。

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