第7話 意志

「鳴、明日は一緒に外に出てみようか」


「外ですか、しかも明日ですか?」


金曜日の夕食中に、主が唐突な提案をしました。


「うん、そろそろいいだろう。

人間になった以上、ずっとここにいるわけにはいかないしな」


「…そう、ですが……」


「怖いのは分かるけどな。

最初は人気の無い所で慣れような、お前はうちの家族以外の人と会ったことないし」


「んー…、分かりました…」


乗り気ではなかったのは確かです。

主の言う通り、外に出るのは怖いと思います。

ですがそれとは別に、人間として一人前になるのが嫌だというのも理由の一つです。

私の目標は主のお役にたつことと主と添い遂げることであって、それ以外の目標はありません。

それは人間としては半人前の歪な目標だと自分でも感じますし、きっと主はあくまで私のことを思ってそれをよしとしないでしょう。

私の目標と部屋の外に出られることは関係がなく、むしろ部屋から出られるという一人前の人間の要素は、私の半人前の目標から遠ざかるものです。


しかしながら、主のいうこともまた事実ですし、外に興味がないわけでもないのです。

そういうわけで、明日、土曜日に外出することになりました。


「どこか行きたいところとかあれば行くけど…

外に出たことないから特に希望はないか?」


「あ、でしたら、主の大学を見てみたいです」


「…ふむ、なるほど、分かった」



・・・



主の洋服に身を包みます。

ずいぶん男の子っぽい服装ですが、自分の服がないのでどうしようもないです。

お金のことがありますから、主に服をねだるのは抵抗があります。


「確認、人前では俺のことをなんて呼ぶ?」


「京次さんです!」


「俺たちの間柄は?」


「いとこです!」


「よし、行こうか」


「はい!」


主が玄関の扉を押し開きます。

主を見送る時に見える、いつもの景色。

私は今からそこに踏み込んでいくのです。



天気は上々ですが、寒いです。

飼い猫として暮らしていると、夏は涼しく冬は暖かいものと勘違いしてしまいそうです。

身をもって冬の寒さを体感したのははじめてかもしれません。


「寒いな、今日は」


「寒いですね」


主に寄り添いながら歩きます。

住宅街を抜けて、大通りに出ました。


「分かってるとは思うけど、道に飛び出したら駄目だよ」


「大丈夫です、ひゃっ!」


主が私の肩を抱いて、歩道側に押しやりました。


「それでもこっち側を歩きなさい。

転ばないとも限らないんだから」


「…はい」


ほどなくして、主の通う大学につきました。

大通りに面する立派な正門をくぐります。


「えっ、中に入っても大丈夫なのですか?」


「ん?ああ、大学ってのは学生以外もけっこう普通に入れるんだよ。

なんならこっそり講義も受けられる」


「なんか、そんな感じなのですね…」


土曜日ということで、構内には人はそれほどいません。

主に連れられて、大きくて迷路のような講義棟を見学しました。

人が通りかかるたびに、主のお知り合いだったらどうしようと慌てましたが、幸い誰一人主のお知り合いではなかったようです。


「大体見終わったけど…、こんなところ見て楽しかった?」


「はい、とても…、とても興味深かったです。

主は、いつもこのような環境で勉学に励んでいるのですね…」


主が家にいない間、何をしているのか知りたくて、今日は大学を案内してもらいました。

家で主を待っているのは、寂しくて、時おり主や大学を恨めしくさえ思いました。

だから、私から主を奪う大学がどのようなものなのか、知りたかったのです。

目を閉じ、人で賑わう講義室や中庭を想像します。

活気が溢れて、静謐で、楽しくて、便利で…

…主が私をおいて通うのも、分かります。


「鳴、おなか空いたな。

近くにおいしいパン屋があるから行かないか?」


「…パンですか、確かにおなかすいちゃいました」




家から見て大学の向こう側の大通り、そこから一本外れた路地にそのパン屋はありました。

パン屋というよりおしゃれなカフェのような装いです。

主に食べたいパンをとってもらって会計を済ませ、店内の奥まった席で食べることにしました。


「鳴、ちょっと外に出るの嫌がってたよな。

でも、意外と慣れた様子でよかったよ」


主はコロッケパンをかじりながら言います。


「…そうですね、外に出るのは怖かったですが、いざ出てしまうと思っていたのとは違いました」


「これからも、外に出られそう?」


「はい、主と一緒なら」


「…ん、ならよかった。

いつか、一人でも外に出られるようになるさ」


主はコロッケパンの落ちた衣を払い、注文したコーヒーに手を伸ばします。

私は、一人で外に出るつもりはないのに…


「……やはり、外に出たほうがいいのでしょうか」


「うちにいるより、外で見識を広めたほうが、きっと鳴のためになるよ」


「主、私は!…私は、見識なんていりません。

最低限、主のかわりにおつかいに行く程度のことさえできればいいと思うのです。

私は、主のお役に立ちたいのです。

主のお役にだけ、立ちたいのです…」


自分の意志を主にここまで主張したのは初めてです。


今までの主の態度から、私の考えを話したら反対されることは分かっていたので、話さずにいたのです。

なのに、今、一時の感情の高ぶりから、つい漏らしてしまいました。


せっかく人間になったのに、俺に尽くすだけの人生なんてもったいない。

やりたいことはないのか、もう一度よく考え直しなさい。

そう言われるに違いありません。


「………鳴」


「…はい……」


「俺は、まだお前にどう接したらいいのか分からないんだ」


「……」


「だから、お前の嫌なことをさせてしまったかもしれないな。

すまなかった」


「ち、違います!主は私のことを思って…」


「そうだ、俺はお前のことだけを思って行動している。

お前に自分の好きな服を買えるようになってほしい。

お前が髪を切りたいと思ったら切りにいけるようになってほしい。

いつか、お前に海や他の街を見せてやりたい。

お前に、普通の人間の経験をさせてやりたい。

それが俺の願いで、必ず鳴のためになると思っている」


「………主…」


「ごめんな、鳴。

俺は、本当はお前を手放したくないんだ。

ずっと俺のところにいてほしい。

お前は、俺のために生きて、俺の役に立つと言ってくれたな。

正直、すごく嬉しかった。

でも、それだと人間じゃないんだ。

せっかく人間になったのに、ペットみたいな扱いではいけないんだよ。

だから鳴には、俺に影響されない『独立した意志』を持ってほしい。

意志を持って選んだ道なら、俺は鳴を全力で助ける、約束しよう。

もしそれでも、俺のそばにいてくれると言うなら…、すごく嬉しいかな」


主はそこまで語って、さめたコーヒーを煽りました。

私は、考えることが多すぎて、逆に何も考えられなくなっていました。


「うちに帰ろうか。

…鳴、帰ろう?」


主は私の手をとって、店を出ました。

そのまま帰路についたのですが、私は主に何か言いたかったのに、何も言えず、ただ俯きながら手をひかれていました。



主が好きです。

好きであるが故に私は、盲目で、考えることをやめていたのかもしれません。

何につけても、主を理由にしなければ動けなくなっていたような気がします。

そこに、私の『意志』はあったのでしょうか。


主に、本当の愛を。

意志が宿った私から、人間の、本当の愛を主に送りたい。

そうして、主に私の愛を認めて、受け取ってほしい。


でも、意志とは何でしょう。

猫だった私には、やはりと言うべきでしょうか、人間として足りないものがあるのでした。

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