第6話 秘密
「おやすみ、鳴」
「おやすみなさいませ」
主が明かりを落とし、部屋が闇に包まれます。
猫だったときよりも夜目は利きませんが、それでも主の顔はしかと見えます。
主の寝付きは良いようで、数分もしないうちに寝息を立て始めました。
抱きしめられながら、主の寝顔を愛でます。
それに加えて、『秘密の儀式』を行うのが私の最近の日課です。
あえて自身を戒める言い方をすれば、私は主に愛されて当然だと思っていました。
人間になり、それは甘えだったと分かりました。
にゃーにゃー鳴くだけで主に愛されると思ってはいけません。
主に愛してもらえるようなアプローチをするべきなのです。
多くの男性は、女性に好意を示されると、その女性のことを好きになってしまうそうです。
パソコンで知りました。
つまり、愛されるには愛することです。
その点、私は問題ないように思えて、実のところは足りませんでした。
猫だったときと、やっていることが何ら変わらないのです。
主には、人間の好意のサインを送らなければなりません。
そこで思いついたのが、『秘密の儀式』です。
「主、あるじ…?起きていますか?」
小さな声で囁いて、主に確認を取ります。
返事はありません。
緊張から生唾を飲みます。
小さく首を振って、額にかかった髪を振り落としてから……
「……んっ……」
主に口づけをしました。
数秒、唇を合わせます。
そして、ゆっくりと顔を離します。
「………はぁ、ん」
唇を合わせているときは何も考えられないのですが、離れた途端に、様々な感情が私を襲います。
嬉しくて、切なくて、恥ずかしくて、物足りなくて、つらくて。
顔も耳も手足も胸も、じんじんと熱を持ちます。
この『秘密の儀式』は、いつか起きている主にキスで好意を伝えるために、練習のつもりではじめたことでした。
しかし、未だに主に堂々とキスをしたことはありません。
怖いのです。
主が私を女性として愛していないのは、分かっています。
主は、私の中の猫を見て、愛していると言うのです。
人間の女性として愛されているわけではないことくらい分かっていると自分に言い聞かせても、それを主から、キスの拒否という形で宣告されることがたまらなく恐ろしいのです。
私の意義で、目標で、全てである、主に愛されること。
それが、ただ一言で完膚なきまでに破壊されたら、私はきっと人間ではいられないでしょう。
私という猫は、人間になったら主と結ばれる、などと浅はかにも考えていたのでした。
いざ人間になってみて、どうでしょう。
惨めにも主に隠れて、こそこそとキスなどしているではありませんか。
『秘密の儀式』は、一晩に一度のみです。
一度キスをすると、惨めさやむなしさが興奮を上回って、キスをしてしまったことを後悔するからです。
主の安らかな寝顔をもう一度見つめ、火照った体と冷めた心を主の体に埋めて、私も眠りにつきます。
ああ、主。
貴方は、いつか私を女性として愛してくれるのでしょうか。
優しく抱きしめてほしいです。
耳元で愛の言葉を囁いてほしいです。
私のおとがいを支えてキスしてほしいです。
主に愛されるように、頑張ります。
ですから、いつか。
いつか、私のただ一つの願いを、叶えてはくれませんでしょうか。
あるじ………。
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