十二話 そしてまともな人間もいなくなった

決戦前の騒がしさ

「どうしたんだい? なんなら初手は譲ってあげようか?」


 百の腕を伸ばして構えをとった百手が一本の触手を手招きするように動かして挑発した。

 しかし、自称魔王の息子はそれを見て、ピクリともせず、ただ百手の姿を見つめている。


「どうしたんだい? いまさら怖気づいたとでも?」


「百本の黒い腕。貴様、まさか」


「百の腕を持つ英雄。ひきこもりの君でも聞いたことがあるかい?」


 自慢げに黒い触手を振って百手が答えた。いつもと違って思い切り戦える相手に昔を思い出しているようだった。


「今自分で英雄って言いましたよ。恥ずかしくないのでしょうか?」


「しかも、ひきこもりって。店長もほとんど店から出ないんですから同じようなものですわよね?」


「外野、うるさいよ」


 それに比べて観戦モードに入ったバイトたちは気楽なものだ。他人事のように外からヤジを飛ばしている。店長が負けるわけがない。そう確信しているようだ。

 対して、百手の二つ名を聞いた自称魔王の息子は愕然として百手の姿を見つめていた。


「貴様が」


 強くこぶしを握り締める。その力だけで空気が震えているようだった。


「貴様が、裏切り者!」


「おや、魔王というのは彼のことだったのか。確かに面影があるように見えるね」


「黙れ! 貴様のせいで私の父は……」


「死んだのかい? 本人の行いのせいだろう?」


「私の父は人間に命乞いをしたのだ! そしてあろうことか魔王城を大改装してショッピングモールにした上に、人間たちと共存するなどと」


 そこまで言って怒りが込み上げてきたらしく、側にあった研究室の机を強く叩いた。スポンジケーキのように簡単に崩れたそれは、粉々になって床に散らばった。

 それを見て、少し百手に動揺が走る。


「あ、あれれ、ずいぶんと彼も改心したものだね」


「うちはしがないコンビニですのに」


「実は結構ショック受けていますよ、あれ」


「我は誓った。必ず人間に、そして裏切り者である百の腕を持つ英雄に復讐してやると。そして我は人間の手で異世界へと送ってもらったのだ」


 握りしめたままの拳を突き上げる。言っていることは壮大だが、少し引っかかった。


「結局人間に頭を下げたんですかー!」


 観客からヤジが飛ぶ。やや遅かったが、叫んだのは秋乃だった。


「お、今のツッコミ良かったですわよ」


「いいと思うっす」


「本当ですか!? 私、とても嬉しいです!」


 今まさに魔族の、それも王の息子とそれを超える英雄の戦いが始まろうというのにのん気なものだった。


「そして、我は不老不死のウイルスの存在を知り、こうして研究の準備を進め、そしてついにウイルス感染した少女を見つけたのだ!」


「でもそれがうちの従業員なんだよね」


「知らぬ。我の野望のためにっ!」


「面倒だなぁ」


 聞き飽きたというように百手が触手を一本振り下ろす。それをさっとかわして自称魔王の息子は百手を睨みつけた。


「前口上中に殴りかかるとは卑怯な!」


「だって長いんだもの」


「くっ。さすが裏切り者と呼ぶに相応しい卑劣さよ」


「まぁ、どっちかって言うと店長も悪役っぽいっすね」


「しかも結構下っ端ですわね」


「聞こえてるよ」


 まったくそろそろ仕事に帰ってきてほしいものだ、と今はあの中にいない要の存在を百手は欲していた。せっかくこうして戦いの前の雰囲気を楽しんでいるというのに、いちいち外野にツッコミを入れていては気分が盛り上がらない。


「しかし、貴様は忘れているようだな」


「何をだい?」


「こちらには人質がいるということだ。貴様のいう従業員。富良野ゆかりとそれから名前のわからんガキがな。こいつらの命が惜しければ手は出さないほうがいいぞ」


「それってそこの二人のことかい?」


 百手が自称魔王の息子の息子の後ろを指差す。そこには確かに要とゆかりの姿があった。


「心配か? まだ手は出していない。ただ眠っているだけだ」


「眠って、ねぇ?」


「何?」


 百手の言葉に自称魔王の息子がふたりのいるはずの方へと振り返る。しかし、そこには空っぽのベッドがあるだけだった。


「ど、どこだ?」


 広い研究室の中を見回す。ゆかりのいたはずのベッドにもその姿がない。視界に入り込む黒い触手を目障りだった。


「いや、思ってたよりも眠ってる人をおぶるのって大変だね」


「な、何で貴様ピンピンしている!」


 ようやく二人を見つけたときにはもう要がゆかりをおぶったまま、なんとか観戦モードの三人に合流するところだった。確かにあのとき、眠りに落ちたはずだ。まだ目覚めるには早すぎる。



「いやぁ、いいタイミングで富良野さんを助けて出てこようと思ったんだけど、話が長くて」


「しょうがないですよ、マスター。結構因縁ありげでしたから」


「姫は俺が預かりますんで」


「小木曽さん、目が怖いよ……」


 ここまで担いできた俺をねぎらってくれるわけでもなく、小木曽さんは俺から奪い取るように富良野さんを背中から降ろした。

 さすがの力でひょいと富良野さんの体を抱え上げるけど、俺はここまで運ぶのにかなり苦労した。やっぱり男は筋肉か。


「はぁ、疲れたー。眠ったフリって意外と難しいもんだね」


「バカな!? あれはクロロフォルムだぞ! 人間なら場合によっては死に至る強力な催眠剤なんだ! 高かったんだぞ」


「そんなもの嗅がせたの!?」


 なんでみんな俺に対してそんなに容赦がないんだろう。俺はなんでかそういうのに強いらしいから全然眠くならないんだけど、どうせなら富良野さんのいるところまで連れていってもらった方が楽だと思って寝たふりすることにしたのだ。

 すぐさま解体とか改造とか実験とかされなくて本当によかった。


「私の用意した対猛禽類用の麻酔でも元気でいらっしゃるくらいですもの」


「言っておくけど、俺まだあの時のこと許してないからね」


「そんな、要様ぁ」


「こいつも、もしかして人間じゃないのか!?」


「俺は人間だよ!」


 ちょっと普通の人と違って体が丈夫にできているだけなのだ。あとはこのメンバーに囲まれてもバイトを続けられる順応性もあるかな。


「地上最強の生物より効かないんですけれどね」


「姫のウイルスも発症しませんね」


「私の触手の粘液も効かないね」


「あと、怒るとお店の誰よりも怖いです」


「違ーう! 俺はまともな人間なの!」


 揃いも揃って言いたい放題言ってくれる。まぁでもここまで助けに来てくれたわけだし、大目に見よう、今日のところは。


「そういうわけで店長。思う存分やってください」


 俺はみんなと一緒に観戦していることにしよう。もうくたくたの体を研究室の壁に預けて、俺はようやくほっとしたような気分だった。

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