異種族よりも怖いもの
「彼女のこと、知りたくなったかい?」
俺の疑問に手を差し伸べるように店長がそう言った。そういえばこっちに全員揃ってしまっている。そろそろレジに戻らないと。
「お店のほうは大丈夫ですか?」
「すっかり空っぽだよ。僕が窓を掃除していた甲斐があるってもんだよ」
「偶然ですよね、それ」
息を吐いた俺に店長は声を漏らして笑っている。俺が落ち込んでいるから励まそうってことなんだろうけど、床の掃除があったとはいえあまり笑えない冗談だ。
「それよりも彼女のこと、教えてあげようか?」
「知ってるんですか?」
「まぁ、店長だからね」
人間じゃないものしかいないコンビニだ。そりゃその長である店長はやっぱりそういった事情にも詳しいんだろう。
でも富良野さん本人すら話したがらないことを勝手に聞いてしまうっていうのはなんだか悪いことをさらに重ねるような気がする。
「もちろん嫌がる人に無理やり教えたりはしないさ」
「では私はもう少し辺りを探してきますわ」
店長の言葉を受けて、ジーナさんはいそいそと逃げるように休憩室を出ていった。富良野さんの秘密を聞くのは悪いと思ったんだろう。その歩みはしっかりと自分の意思が表れているようだった。
俺は、どうしようか。気になるといえばもちろん気になる。でも聞いてしまっていいんだろうかという考えが頭の中で膨らんでいた。
「ゆっくり考えればいいさ。どうせ私は逃げないからね」
「ちょっと上行ってますね」
お風呂を使った二階を抜けてさらにその上、三階を目指す。お風呂もそうだったけど、封鎖していても店長が触手を伸ばして掃除しているからきれいなものだ。
「ソファも当然空、か」
富良野さんなら店の仲間が探している中、ここでごろごろしていてもおかしくないなんて思ってしまう。もしそうだったら、俺はどんなに気楽だろう。でも、これは甘えだ。
エントランスのソファに体を沈めて誰もいない空間をぼんやりと眺めてみる。広い部屋にたった一人。でもそれは今までの俺の人生でよくある光景だった。
「あんまり友達と集まってワイワイ騒ぐことないからなぁ」
二人ならともかく複数人が集まると、いつの間にか端に追いやられて聞き役に回っている。それが普段の自分だ。華やかな生活からは一歩引いたところに自分はいて、そこで傍観者としてふるまっているのが身に染みている。
「そっか。主役になるのか怖いんだ」
誰かの秘密を知って、それを追いかける。そんなことは自分ではない誰かの役割だと勝手に思い込んでいた。たとえば店長や小木曽さんなら身を挺して富良野さんを守ってあげられるんだろう。
ましてや相手は人間じゃない。俺の知らない場所で生まれて、俺の知らないような生き方をしてきているんだ。俺がこのコンビニに入ったのはなりゆきとちょっとした同情心からで、どこまでいっても人間より先には進めない。
富良野さんの事情を聞くっていうことはその限界にまた一歩近づくということでもある。だからジーナさんはすぐに話を聞かないと出ていったのだ。彼女にだってそういう事情はきっと隠されているんだろう。
でも、そんなことを考えるにはもう遅すぎる話だ。
誰も働かない。お客さんもほとんど来ない。でもこのコンビニは俺にとって代わりのない居場所になっている。たとえあれだけ言うことを聞かない富良野さんでも、いや言うことを聞かないからこそ、ここに必要なのだ。
頬を叩いて柔らかいソファから立ち上がる。もう迷う必要はなかった。階段を一段ずつ踏みしめながら下りると、言っていた通り、店長は逃げることなく休憩室で待っていた。
「落ち着いたかな?」
「はい、おかげさまで」
「それじゃ、店の方に戻るかい?」
「どうせ誰もきやしませんよ」
「高橋くんに言われると中々重たいね」
店長はそれだけ聞いて、俺の意思をすぐに理解したみたいだった。休憩室の水屋の中からマグカップを二つ取り出す。なるほど、結構長い話になりそうだ。
「俺はコーヒーにしてください」
「えぇ、紅茶もおいしいよ?」
「紅茶ってラプサンじゃないですか。あれはちょっと」
「そうかなぁ。おいしいと思うんだけど」
これに関しては絶対に譲れない。重要な話をするっていうのにあの味に集中力を持っていかれても困る。店長が首をひねりながら紅茶缶とインスタントコーヒーの瓶を持っていくのを俺は息を飲んで見送った。
「おまたせ」
「ありがとうございます」
手渡されたカップの中身をしっかり確認する。間違って逆を渡されていたらこれから先の話がろくに聞けなくなるかもしれない。
うん。ちゃんとコーヒーだ。香りを確認してから俺はまずは口をつける。
「しかし、私からけしかけたとはいえ本当に聞いてみるのかい?」
「よくないと思いますか?」
「まぁね。多かれ少なかれ普通の人間が知らないところを覗き込むということは逆に言えば、我々の側からも君が覗き込まれる存在になるということだからね」
「それってどういうことですか?」
「これからも我々みたいな存在やそれに興味、あるいは敵意を持つ存在に高橋くんが巻き込まれることになるかもしれないってことだよ」
それは、もう考えていたことだ。ここから先に足を踏み入れるってことは俺に危険が降りかかるかもしれないってことで、それはつまり新しい世界に自分の意思で踏み出すことでもある。
「その時は店長が福利厚生の一環で守ってくださいよ」
「そうだね。ボディガードなら慣れたものさ」
店長はそう笑いながら手元の紅茶に口をつける。ここからでも香ってくる独特の匂いに店長は少しもひるむことはない。そりゃ人の好みにケチをつけるのはよくないとは思うけど、やっぱり趣味が悪いと思ってしまう。
「さて、どこから話せばいいんだろうかね」
「どうせ時間はたっぷりありますよ」
「そうだね。では核心から話してわからないところは補完するということにしよう」
「じゃあまずは彼女がどうしてゾンビになってしまったのか。その辺りから話をしようか」
ちょっと待って。今すごく気になることを聞いたような気がするんだけど。そんな話は初耳だ。いや、今まで聞いてこなかったから今こうして腰を据えて聞かせてもらっているんだけど。
「ちょっと待ってください。富良野さんって最初からゾンビじゃないんですか?」
「そうだよ。だって君たちの知る物語でも生まれたときからゾンビっていうのはないだろう? だから私は彼女のことをゾンビだということにしているんだ」
「つまり、彼女は元々人間だったってことですか?」
俺の頭は早くも混乱していた。でも俺の疑問にイエスと答える代わりに店長ははっきりと頷く。
「そうだよ」
「でも、だったらなんで。あんな腕に包帯巻くようなことまでして」
「彼女自身が望まなくても起きることはあるさ。たとえば映画でゾンビになる原因はたいてい何だと思う?」
「ゾンビに襲われて噛まれたりするとなりますよね?」
ゾンビ映画なんかでは定番のシーンだ。最初は数体しかいなかったゾンビが噛みつくことで仲間を増やし、町中が混乱していく。富良野さんの場合は噛みつかなくてもあの紫色の煙を吸えば感染しちゃうらしいけど。
「そう。まぁ、彼女が襲われたのはゾンビではなく、それよりももっと恐ろしいもの。狂気を持った人間だったわけだけどね」
「人間?」
「君のように僕たちまでも受け容れてくれるような優しい人間もいれば、同種であるはずの人間すらも道具のように扱う人間もいる。彼女が出会ってしまったのは不幸にも後者だったというわけさ」
想像していた以上に重い事実に、俺は空っぽの口の中身を飲み込むことしかできなかった。
こんなことなら聞かなければよかった。そう思うと同時に俺は未知の世界に踏み入れるような不思議な高揚感に駆られていた。
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