十話 ゾンビ娘のいない日常

富良野ゆかりと賢者の石

 夕暮れの公園に錆びた鎖の音が寂しく響いていた。本来ならば子供たちの居場所であるはずの公園も、今は遊具が撤去され、その役割もゲームに奪われ、ただたばこの臭いが渦巻くだけの空き地と何ら変わりがなくなっている。


「戻りにくいなぁ」


 その中で残った数少ない遊具、ブランコを小さく揺らしながら、富良野ゆかりはつぶやいた。もう夕陽もだいぶ傾いてきた。そろそろバイトも終わりの時間が迫っている。


「でも要くんが悪いんだもん。怒ってばっかりで」


 自分が悪いという自覚は少しくらいあった。要が事情を知らないことだってわかっている。それでも、あの場所はゆかりにとって大切な自分を認めてくれる場所だった。否定されることなど、もう嫌になるくらい受けてきたのだから。


「誰か迎えにきてくれればいいんだけど」


 そうすれば自分は連れてこられただけということにして戻ることもできるのに、とゆかりは辺りを見回した。ちょうど公園の入り口辺り。明らかに子どもではないシルエットが強い夕陽に差されて浮かんでいた。


「要くん? 裕一?」


 やっと来てくれた。自分の迎えだと信じて疑わないゆかりはすぐに立ち上がって影へと走り寄る。


 影が微笑んだ。


「誰?」


 近づいてようやくゆかりは自分の考えていた人間ではなかったことに気付く。しかしもう遅かった。ゆかりの問いに答えることなく影が飛びかかってくる。


「え?」


 夕闇に少女を抱えた影が消えていく。ゆかりはまたか、と半ば諦めたように目を閉じた。




「もったいぶらないで教えてくださいよ、店長」


「うーん、以前別の話題を淡々と話したらつまらないと富良野さんに言われてね。少し間というかタメを作ってみたんだけど、イマイチだったかな?」


「イマイチも何もそんなの求めてないですから」


 そういうのは楽しい話のときにやってくれればいい。今はそれよりも富良野さんが元々人間だったっていう事実だけで充分衝撃的だ。

 店長くらいになると、もう日常と非日常の境目が俺とはまったく違うところにあるから、ゾンビなんて笑い話にできるくらいなのかもしれないけど。


「それでゾンビになったって。それも人間によってですか?」


「彼女はとある研究機関に買い取られて、ある実験の被験者として使われたんだ」


「そんな、日本にそんな研究機関があるとは思えないんですけど」


「目に見えているものだけが真実とは限らないよ。ほら、こういう風にね」


 そう言いながら店長は背中から黒い触手を一本伸ばす。

 もう俺はいちいち驚かなくなったけど、大学の友達が見れば驚いて逃げ出してしまうだろう。この辺りで店長のような異種族がいるということを知っている人はほとんどいないだろう。それと同じように俺がまだ知らない組織や異種族もどこかに隠れているのだ。


「そうでしたね」


「そこで研究されていたのは不老不死。人間の誰もが夢見るという理想郷の研究だ」


「不老不死。それで死んでも生き返るゾンビの研究を?」


「いやいや。もっと純粋なものさ。錬金術とか賢者の石という言葉は聞いたことがあるだろう? あれを化学で突き詰めるという発想から端を発したものだった。もちろん最初だけは、だけどね」


「子供を被験者にするような機関に落ちぶれた、と」


「真理に近づくと人間というものは自分がずいぶんと優秀になったものと勘違いするらしい。天下に二つとないという強さをもってしてもあんなに世界はつまらないものだというのにね」


 それは、店長のことだろうか。そういえば俺は店長のこともよく知らない。あの夢で見た店長の話が本当だとしたら、そう思っても不思議じゃないけど。

 俺が真剣に考えているところで店長はまたクッキーの箱を店頭からくすねてきて、ちゃぶ台の上に置いた。今、結構深刻な話してたよね? もう感覚がわからなくなってくる。


 そんな俺の動揺なんてどこ吹く風、と店長はおいしそうにクッキーをつまんでいる。


「そんなものよりこうして仕事をサボって食べるお菓子の方が何倍も幸せだというのにね」


「それは、同意します」


 勧められるままに俺もクッキーを一枚とって口に入れる。バターと砂糖をこれでもかと使ったお菓子は今の疲れた頭と体にはちょうどいい。


「じゃあその研究機関が見つけた『真理』っていうのは?」


「ふむ、ならその辺りから話をしようか」


 店長はクッキーをとる手を止めて、俺の顔を見据えた。ここからは本当に後戻りできない話ということだ。でも、俺はもう逃げない。無言のまま頷くと、店長はゆっくりと声のトーンを一つ落として話し始めた。


――――


 大きな試験管のような水槽がいくつも並んでいた。薄暗い部屋の中で白衣を着た男が数人、醜悪な笑顔を浮かべている。

 フラスコと試験管の中には得体のしれない液体。点滅するランプがいくつもついた機械はきちんとした大学で研究しているような学者には何をしているのかすらわからないだろう。

 白衣の男たちの中でも一番しわの深い男が、ベッドに横たわった子どもたちの姿を見て、堪えきれない笑みを漏らしている。


「ひひ、金はかかったが、ずいぶんといい被験体が手に入った」


「うまくいきましたね、博士」


「しかし、よいのでしょうか? これは人間の不可侵の領域に踏み込んでいるような」


「何をいまさらためらうことがある? むしろ喜ぶべきではないか? 我々はこれから神へと昇華される。その瞬間に立ち会えるのだから」


 よく眠っている子どもたちを水槽に移し、小さく泡立つ試験管の液体を掲げて、博士と呼ばれた老爺ろうやは水槽へと続くパイプにゆっくりとその液体を流し込んだ。


「結果は明日のお楽しみだ」


「成功すれば、いや間違いなく成功です!」


「人の細胞の寿命、すなわち細胞分裂の終わりをなくす現代の賢者の石が細胞に寄生するウイルスとはな。過去の賢人はいったい何を見ていたのだろうか」


 沸騰したように気泡をあげる紫色の液体の中身は、研究に研究を重ねてついにたどり着いた不老不死への鍵。

 有限であるはずの細胞分裂を永久に繰り返させることができる特性を持った新発見のウイルス。彼らが恥も外聞も捨てて、ようやくたどり着いた一つの結論だった。

 細いパイプを通り、水槽の中に試験管で培養されたウイルスが広がっていく。水槽に入れられえた子どもは七人。


「マウス実験の成功率は三割。さて、いったい何人が生き残るのかな?」


 水槽を見つめながら博士は両手に世界を抱えたように大きく笑っていた。


 翌日、富良野ゆかりは体の熱さで目を覚ました。


「ここ、どこ? 昨日はお家でご飯を食べて、それからぐっすり眠って」


 中学校から帰ったら、いつもはいない母が家で待っていた。一緒に夕ご飯を食べて、一緒の布団で眠った。そこまでははっきり覚えている。しかし、自分の布団はこんな水で満たされてなどいるはずもない。


「それからどうなったんだっけ?」


 声を出そうとして周りが水だったことを思い出した。不思議と意気は苦しくなかった。ただ手足が妙に熱くなってきていて、熱湯の中に入っているのではないかとゆかりは必死になって水をかき分けてもがこうとした。


「動かない」


 動く首を下に向けて自分の手足を見る。確かにそこにあるはずなのに、いつものように力を入れてもピクリとも動かない。まるで水に溶けだしているかのように感覚も薄れ始めている。怖い。自分のものだったはずの手足から何かが近づいてくるようだった。


「お目覚めか。まさか目を開けたのが一人だけとは。一人でもいたことを喜ぶべきなのかもしれないが」


 ゆかりの水槽の前に渋い顔をした博士がゆっくりと歩んでくる。ゆかりの必死の形相にもやや気だるそうな表情のまま、ただ見つめているだけだった。


「助けて! 手が、足が変なの!」


 水の中から何とか動く口だけを頼りに叫ぶ。この声がどれほど届いているのかわからなかったが、水槽の外にいる博士には確かに届いているようだった。


「手足が、変?」


「熱いの。溶けてしまいそうなの!」


「まさか。この子も失敗だというのか?」


 博士の顔に一気に驚愕の色が浮かぶ。しかし、ゆかりにはそんなことなどどうでもいい。それよりも早く助け出してほしかった。死が首筋を撫でているような心地さえする。それでも博士は単に作業が増えたというように、面倒そうな顔をして部下を呼びつけた。


 水槽の水が抜かれ、手足の動かないゆかりはそのまま床へと放り出される。咳をして肺の中に空気が入ってくるが、昨日までとは何かが違った。

 気持ち悪い。それになんだか、空気が重たい感じ。ただそれ以上のことはわからない。

 問いかけても答えは返ってこない。白衣の男は無言のままゆかりをストレッチャーに乗せて手術台へと運んでいった。

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