ゾンビ娘は働かない

「それじゃ俺が謝ったんだから、富良野さんも謝って」


「なんで?」


「俺の話聞いてなかったの!?」


 少しでも重く考えていた俺がバカみたいだ。やっぱりもう少し弱いところがあった方が可愛げも出てくるんじゃないかなぁ。


「だってあたしは悪いことなんてしてないもん」


「だからしたんだよ」


「ほら、早く仕事戻らないと店長がいるとお客さん来ないよ」


「まったくもう」


 睨み返してみるけど、富良野さんはどこ吹く風という具合でまた畳に寝転がって雑誌をぱらぱらとめくり始めた。この様子だともう今日は戻ってこないだろう。残りは小木曽さんに任せて、俺はまた店頭に戻る。

 店内では雑誌の整理がもう終わった店長が、触手を伸ばしてガラス窓や床をせっせと掃除している。本当に好きだな、掃除。汚れているとやたらと気になるみたいだ。


「どうだった?」


「少しでも気にした自分がバカでした」


「そうだろうね」


 店長はわかっていた、というように笑い声をあげた。もう俺と同じことを何度も繰り返してきたんだろう。当たり前だ。俺と違って店長はバイトが働かないなんて本来なら死活問題のはずなんだから。


「店長、またお客さん逃げてますよ」


「え?」


 その軽快な笑いが一瞬で止まる。店の外では今まさに駐車場に車を停めようとしていたお客さんがアクセルを踏みなおして急発進しているところだった。

 また貴重なお客さんが逃げてしまった。それにしても定期的に店長や富良野さんがこうしてお客さんを驚かせているのに、まったく来ない日はなくなった。世間には慣れってものがあってだんだん幽霊コンビニも受け入れられつつあるようだ。


「あーあ」


「店長もそろそろ覚えてくださいよ」


「君だって急に利き腕を一切使っちゃダメって言われたら困るだろう?」


「それはそうですけど」


 俺の腕は二本しかなくてそのうち利き腕は一本しかない。店長の腕のうち何本が利き腕なのかはわからないけど、店のためには我慢してほしいところだ。


「彼女も同じなんだよ」


「彼女って富良野さんですか?」


「見た目は普通の人間に見えても彼女は人間とは違う存在だ。それを人間と同じように扱おうとすれば必ずどこかにズレが生じる」


 それは俺にはきっと一生わからない感覚なんだろう。日本には一億人の人間がいて、地方都市とはいえ、この市にも五十万人くらいが住んでいる。

 でも富良野さんと同じような存在はほとんどいないだろう。誰かの後ろをついて歩くことはできないから、全部自分で決めて自分でやらなきゃいけない。その苦労は誰にもわからない。


「でも、このバイトレベルなら本人の意志次第だと思うんですけど」


「それはそうかもしれないけどさ」


 もっともらしいことを言った店長も肩を落とす。ここには俺しか人間がいないんだから、本人のやる気次第でどうだってなるだろうに。


「また残りの仕事は俺がやっておくんで、店長は富良野さんのフォローお願いします」


「そんなに気にしなくてもすぐ立ち直るさ」


「やっぱりきつく怒っておいてください」


 店長がバックヤードに戻って、店内が広く感じられる。黒い触手が店内からすっかり消えたからなんだろうけど、お客さんが入ってくる様子もないし。一度店長を見られたら数時間は来ないからなぁ。それでも前よりは来るようになった方だ。

 さて、何をしようかな、と考えていると、バックヤードからフラフラと富良野さんが出てきた。珍しい。店長に何か言われたのかな。


「はぁ、休憩おしまい」


「休憩じゃなくてサボりでしょ?」


「違うもん。あたしの休憩はあたしが決めるんだから」


「またそうやって」


 富良野さんは俺に持っていたファッション誌を押しつける。もしかして読み切ったから返しに来ただけ? 俺はページの歪みを確認する。少し広がっているけど、立ち読みされたと考えれば問題ない。一番前に置いておけば立ち読み用として活躍してくれるだろう。

 マガジンラックに戻すと、富良野さんはまだそこに立っていて俺のことを待っていたみたいだ。


「それじゃ、次の仕事は何?」


「んと、それじゃ揚げ油を換えちゃおうか」


 普通なら店長が夜にやってくれる作業だけど、この調子だといつものように数時間はお客さんは来ないだろう。面倒ごとを一つでも減らしてあげるのは悪いことじゃない。

 俺の思いつきに近い一言だったけど、富良野さんは露骨に顔をゆがめている。


「えぇ、やだよー。重いし汚いじゃん」


「だから掃除するんでしょ」


「要くんがやればいいじゃん」


 確かに俺がやればできないことはない。でも今の目的は仕事を終わらせることじゃないんだ。


「仕事覚えるんでしょ?」


「それはあたしの仕事じゃないから」


 これじゃいつまで経っても堂々巡りだなぁ。結局本人にやる気がないんじゃ教える俺にだってやりがいがない。


「それじゃあ富良野さんの仕事って何なの?」


「んー、みんなの癒し係?」


「今すぐ掃除にとりかかれ!」


 俺が大声を出したことに珍しく富良野さんが体を跳ね上げる。俺が笑っているときは妙に怖がっているときがあるけど、こういうときはあまり見ない反応だ。


「要くん全然反省してないじゃん」


「反省してないのはお互い様でしょ」


「もういい。今日は手伝ってあげない!」


「さっきから手伝ってもらってないんだけどね」


「もー、要くんは一言多いの!」


 レジの脇に備えつけられた小さな手洗い場。そこにあったうがい用のコップに水を注ぐと、富良野さんは遠慮もなしに俺に投げつけた。

 プラスチックのコップが床に落ちる。それと同時に富良野さんは店の外に飛びだしていった。


「なんだかなぁ」


「おはようございます。ゆかりが今走っていったんですが、って要様っ!?」


「あ、おはよう。ジーナさん」


 びしょ濡れのまま、俺があいさつを返すと、ジーナさんは驚いたまま自分の頬をつねる。人間はこういう予想外のことが起きるとかえって冷静になるものだ。富良野さんを見送ったまま、俺は濡れた髪をかき上げる。後でモップがけをしておかないと。


「何かあったんですか? とにかくそのままでは風邪をひきますから着替えてきてください」


「うん。じゃあちょっと行ってくるよ」


 俺は何も悪いことはしていないはずだ。それなのになんで俺が悪いような気持ちにさせられるんだろう。俺は頬に滴る水を拭いながら、バックヤードへと引っ込んだ。

 立入禁止の二階、ジムに併設されたお風呂で体を温める。一階のでいいって言ったんだけど、店長とジーナさんがしっかり体を温めたほうがいいと言って聞かなかった。自分では気づかなかったけど、結構悲壮感のある顔をしていたらしい。

 乾かした制服にまた袖を通して一階に戻ってくると、店長が手招きをしていた。


「すみません。結局うまくいきませんでした」


「そうかい。彼女自身もなかなか気難しいからね」


「富良野さん見つかりましたか?」


「いいや。でも小木曽くんが探しにいったし、きっと大丈夫だよ」


 休憩室には店長とジーナさんの姿がある。ジーナさんはどうしてこんなことになったのか、まったく知らないみたいでかなり気を揉んでいるようだった。


「要様、おケガはありませんでしたか?」


「ケガも何も。ただ水をかけられただけだよ」


「私も少し辺りを探してみたのですが、あれであの子運動は得意な方ですから」


 普段動かないから全然知らなかった。衝撃の事実だ。とはいえ店長や秋乃さんがいる以上、なかなか生かしきれない特技かもしれないな。


「そっか来て早々迷惑かけたね」


「いえ。またあの子がむちゃくちゃなことを言ったのでしょう? 要様は悪くありませんわ」


「そうだったらいいんだけどね」


 結局わがままを押し通そうとしているのは俺も同じことだ。バイトに来たら働かなきゃいけないなんてこのコンビニでは通用しない。自分の常識の中に富良野さんを押し込めるようなことをしちゃいけなかった。

 濡れた髪をタオルで拭きながら、俺はようやくそんなことに気がつく。少し遅かったのだ。


「でもどうして富良野さんって人に指示されるのが嫌なんだろう?」


「それは、本人に聞いてみないとわかりませんわね」


「ジーナさんも知らないの?」


「ええ。あの子はあまり自分のことは多く語りませんから」


 あんなによくしゃべっているのになぁ。二人が揃うと店内にまで話し声が聞こえてくるくらいなんだから。一度注意してからはずいぶんと治まったけど、あれだけ話していてお互いのことをよく知らないっていうのも不思議なものだ。

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