九話 俺の目を見てゴメンと言え!

富良野ゆかりの憂鬱?

「ここ! また間違ってる」


 マガジンラックを指差して、俺が声を荒げた。怒られた張本人はというと、またか、という顔で退屈そうな顔を少しも引き締めようという気が感じられない。本当に仕事をする気があるんだろうか。


「えー、ちゃんとやったよ」


「ちゃんとやってないよ。入り口から近いところから新聞、週刊誌、マンガ雑誌、ファッション誌だってば。需要が高いものからレジの近くに並べるの」


「でもあたしはファッション誌くらいしか読まないし」


「富良野さんの都合じゃなくて、お客さんの都合に合わせて並べるの。ただでさえここは長距離ドライバーとか幽霊の噂を信じない男性のお客さんが多いんだから」


 それでも休憩室から出てきているだけ成長したと思っていいのかもしれない。商品にウイルスを仕込むような素振りもなく、一応仕事をしようとはしている。成果はともかくとして。


 以前の苦手なことをやろう、という取り組みをしてから、富良野さんはこうしてときどき思いついたように手伝いをするようになった。本当に気まぐれでまったくやらない日もあれば、就業時間の間、ほとんど何かやっているときもある。


「要くんは細かすぎるんだよ」


「富良野さんが気にしなさすぎなの!」


 とはいえ、調子は最悪といっていい。もう数日経つっていうのに、覚えた仕事はほとんどゼロに近い。一通りの流れなんかは覚えてくれているんだけど、指示通りにやってくれるわけじゃないから後でやり直すことになって正直二度手間なだけだ。

 それにしたってなんで急に手伝うなんて言い出したのか。いや、アルバイトなんだからそれが普通なんだけど。


「厳しいなぁ。もっと優しく教えてくれてもいいのに」


「そもそも富良野さんが先輩なんだから俺に教えるべきなんだけど」


「むー、もうしらない!」


 富良野さんはそう言うと並べたばかりのマガジンラックからファッション誌の最新号を一冊つかむと、そのまま休憩室へと逃げ込んだ。今日は九〇分か。まぁまぁかな。

 どうせ追いかけて説得したところで、もう一度やるかは気分次第だ。俺はそのまま富良野さんを放っておいて、順番がめちゃくちゃなラックの並べなおしにとりかかった。


 そこに黒い触手が一本伸びてくる。


「苦労してるみたいだね」


「やる気になっただけ進歩と思うべきですかね」


 変わり者だらけのこのコンビニでもこの手を持っているのは一人しかいない。店長はさらに手を伸ばして、俺の何倍もの早さで雑誌を並べ替えていく。


「そうだろうね」


「それにしたってわかっていたとはいえ、本当に全然仕事覚えてないんですね」


 自分でも忘れそうになるけど、富良野さんは俺より先にここでバイトを始めているはずなのだ。初対面で先輩だと言っていた。それが蓋を開けてみると、基本のレジ打ち、掃除、品出しの一つもできない。これまで働いた姿を見たことなかったんだから当たり前なんだけどさ。


「うかつに表に出せないって言うのもあるけど、彼女はいつも休憩室にいるだけだからね」


「どうして雇おうと思ったんですか」


「そりゃうち以外に引き取り手もないだろうしね」


「それだけで……」


 店長も本当に人がいいんだから。大繁盛しているなら一人くらいそういう人がいても許せるかもしれないけど、ほとんど全員だもんな。


「まぁなんだい。同類相憐どうるいあいあわれむ、ってやつだね。高橋くんはあまり気にしてないみたいだけど、彼女はあくまでゾンビ娘だ。普通のところじゃやっていけないよ」


「あ、そうでしたね」


 俺は手元の雑誌に視線を落とした。ちょうど富良野さんが持っていったのと同じものだ。表紙にはきらびやかな女性モデルと、読んだところでまったくわからないコーディネートや服の名称が並んでいる。たぶん富良野さんのファッションはここには載っていない。


 あの包帯で巻かれた体では露出の多い恰好は絶対に真似できない。それどころか夏のちょっとした薄着でも目立ってしまうだろう。ならとってしまえば、と言いたくなるけど、富良野さんはゾンビなのだ。あの下がどうなっているのかを俺は知らない。

 ファッション誌は富良野さんにとっては流行を追うためじゃなく、自分にできないことを代わりにやってくれる女性を見るものなのだ。


「俺ちょっと富良野さんと話してきますね」


「うん、わかった。こっちは私が片付けておくよ」


 俺が持っていた雑誌を手渡すと、すぐさま所定の位置に雑誌が収まった。俺が休憩室に行くまでには全部きちんと並べ直されていることだろう。ラックを店長に任せ、バックヤードに向かうと、休憩室の前で小木曽さんが仁王立ちしているところだった。


「高橋さん、っすか」


「小木曽さん。富良野さん、怒ってます?」


「いえ。ですが俺、姫に手を出したら許さないって言いましたよね?」


 いや、もう完全に怒ってるよ。なんていうか小木曽さんはただ言うことを聞く以上に富良野さんのことを考えているように見える。ゾンビだけどどのくらい思考しているんだろうか。聞いたところで俺の理解はそこまで到達してくれなさそうだ。


「言ってたけど、手は出してないっていうか、正当な怒りというか」


「何か言ったんですか!」


「言いました」


 気迫に押されて俺はとりあえず頭を下げる。やっぱり怖いよ、この人。胸倉をつかまれないだけ昔よりは優しくなったかもしれない。


「姫は強い方なので高橋さんの言葉ぐらいで崩れ落ちるような方ではありませんが」


「強いどころかものすごく図太いと思うんだけど」


「それでも大切にしていただかなくては困ります」


「じゃあ、これから話してくるから入れてもらっていい?」


「わかりました。俺も今までのことでそれなりに高橋さんのことは信用しているつもりですから」


 そう言って小木曽さんは休憩室の前からよけて道を開けてくれる。それにしても本当に強く出なくなったよなぁ。結構怒ってるように見えたけど、今はちょっと顔が引きつってるし。あのパワーで殴られたりしたら一たまりもないからありがたいけど。

 俺は休憩室の引き戸を開ける。ないとは思うけど、もし泣いてたりなんかしたらどうしようか。普段全然そういうことしないから逆に困ってしまいそうだ。

 どう慰めてあげればいいんだろう。少ない経験からは答えが出ないまま、富良野さんの方へと目を向けた。


 そこにはいつものようにごろごろと畳を転がりながらファッション誌を読んでいる富良野さんがいた。


「全然反省してない!」


「あれ、要くんだ。あたしに謝りに来てくれたの?」


「俺が謝る側なの!?」


 あれだけ言ったのに反省の色なんて少しもない。ここまでそれなりに考えていた俺の時間と使った糖分を返してほしい。


「だってあたしさっき要くんに怒鳴られてとっても傷ついたんだもん」


「ごろごろしながらよく言うよ」


 はぁ、と俺が溜息をつくと、富良野さんはやっと雑誌を閉じて起き上がった。


「でもお店のルールがあるんだから、それを破ったら怒るでしょ」


「あたしのルールブックはあたしだもん」


「またどこかで聞きかじったような言葉を」


 それにだいたいそういうこと言う人は、決まってルールを守ってない悪い人だよ。そこまで富良野さんが考えて喋ってないだろうけど。


「ほら、早く謝って。今なら寛大なあたしは許してあげるよ?」


「まったくもう。わかったよ。その代わり、ちゃんと俺にも謝ってよ? 少し強く言い過ぎました。ごめんなさい」


「よし、許してあげよう」


 富良野さんは満面の笑みでちゃぶ台に置いてあったスナック菓子を一つつまんで俺の口に突っ込んだ。しょっぱい味はウイルスの入っていない普通のお菓子だ。


「むがっ」


「ホラホラ」


 そのまま次々に放り込まれるスナック菓子をなんとか飲み下す。絶対反省なんてしていない。まったくどうしたものか、と俺は富良野さんの手をつかんでとりあえずスナック菓子の動きを止めた。

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