慣れないことはするものじゃない

 休憩室に戻ってくるとジーナさんが苦虫を噛み潰したような顔で迎えてくれた。


「お疲れさま。休憩?」


「違うよ。箱が落ちちゃったから、へこんでないか確認するんだって」


「だから落としたんでしょ!」


「そうなんだー。大変ねー」


 そこまで言って、ジーナさんは顔を赤らめながら下を向く。その手はぐっと握りしめられて震えていた。


「って、やっぱりこの話し方嫌ー!」


「できてるじゃん」


「できてるね」


「……今やってるやないかーい!」


 遅い。一つテンポが遅れながら秋乃さんがツッコミを入れる。それが終わると、また休憩室の端で体を小さくして座りながら、ツッコミの瞬間を今か今かと眼光を鋭くしている。

 あれは獣だ。野性の本能を呼び覚まして、ツッコミを入れる瞬間を見定めているのだ。たぶん生まれも育ちも工場か研究室だけど。


「うーん、まだ私には瞬発力が足りません」


「そのうち、慣れ、るよ」


 秋乃さんはツッコミ、ジーナさんはお嬢様言葉をやめる。これが二人の今挑戦していることだ。富良野さんはもちろんバイトをやることになっている。そしてご覧のありさまだ。

 適材適所とは長年に渡って言葉として残っているだけのことはあって、やっぱり的を射ているということか。


「そもそもジーナさんってお嬢様言葉の方が無理して使ってるんじゃないの?」


「日々の努力で身に付けたものは早々簡単に治らないものなの! こんな子供っぽい話し方なんて私には似合わないし」


「今治ってるじゃん」


「それはあんたたちが私を怒らせるからだー!」


 うーん、素晴らしいツッコミ。やっぱり初代クイーンの座はジーナさんがいいかな。


「素晴らしい瞬発力。師匠と呼んでもいいでしょうか?」


「呼ばないでいいわよ!」


 キレのあるツッコミに感心しながら、俺は段ボール箱から出したお菓子の箱をひとつひとつ調べていく。ちゃんと富良野さんも手伝ってくれている。顔はめちゃくちゃ不満そうだけど。


「ちょうどいいじゃん。師匠になっちゃえば?」


「俺だけマスター、って呼ばれるのもなんだし、いいと思うけど」


「なりませんわ!」


「あ、ジーナお嬢様言葉! マイナス一点!」


 いったい何の点数だよ。いや、ツッコミポイント制なんて始めたのは俺だったんだけどさ。失敗して点数が減っていったとして最後には何が待っているんだろうか。富良野さんの罰ゲームなんて容赦なさそうだな。


 さて、なんとか箱のチェックも終わった。軽い箱だから外箱には特に傷らしいものはない。中が割れているかもしれないけど、それは確認のしようがないしなぁ。秋乃さんなら赤外線とかで瞬時に確認できたりするんだろうか。

 ちょうどそのタイミングで入店を知らせる音が鳴る。


「よいしょ、っと」


 レジに出ようと立ち上がる。すると、すぐに三人にズボンの裾をつかまれた。


「ちょっと待った!」


「何?」


 女の子三人とはいえ全員人間ではない。かわいらしく指先でつまんでいるだけなのに急に動けなくなった。たぶんほぼ秋乃さんの力だ。


「今日はいつもと違うことするんだから要くんは出ちゃダメでしょ」


「いや、でも他に出るとしたら秋乃さんだし、秋乃さんもとっさの問題には対応できないし」


「あたしがやる!」


 富良野さんが任せて、といわんばかりに胸に手を当てる。えぇ、正直不安なんだけど。


「私も行く。ゆかりじゃ頼りにならないし」


 さらにものすごく心配なんだけど。


「いいじゃん。要くんっていつも働いてるから休むっていう挑戦!」


「胃が痛くなりそうだよ」


 富良野さんを先頭に三人娘がぞろぞろと休憩室を出ていく。一応秋乃さんがいるから大丈夫だと思うけど、気になるから覗いておこう。

 ちょっと店長の気持ちがわかってきたような気がする。いつもここから店の様子をこっそり覗いているのはやっぱり心配だからなんだろう。


「いらっしゃいませー」


 店の奥からぞろぞろと出てきた三人娘に入ってきたばかりのお客さんがびくりと体を固めた。

 普通のお店なら若い女の子が三人相手をしてくれるんだから、少しラッキーくらいに思えることだ。でもここではその常識なんて通用しない。


「あぁ。あの、いつものお兄さんは?」


 スーツのお客さんが恐る恐る聞いている。俺もだいぶ信頼されるようになったんだなぁ。このコンビニで唯一のまともな人間だと認識してもらっているというだけで嬉しい。


「要様を知ってらっしゃるんですか?」


「か、要様?」


「マスターはただいま別作業中です」


「マスター!?」


「そういうわけなので気にしないでね」


 そこまで言っておいて気にするなっていう方が無理な話だ。また警戒モードに入ったお客さんがレジに並んだ三人を見ながら店内を回っている。

 あぁ、思い出した。いつも営業の途中でサボりに来る常連さんだ。いつもジュースとおつまみを買っていって車で食べると言っていた気がする。

 そんな世間話すらしてくれる常連さんが今はまるで機械のようにおぼつかない足取りで店内を歩いている。


「もしかしてあの方もアンドロイドなのでしょうか?」


「そんなわけないでしょ」


「あーあ、それにしてもじっと立ってるなんてむずむずする」


 富良野さんが早くも文句を言い始める。そりゃ毎日休憩室でごろごろしてたら体もなまってくるだろう。ゾンビの体がなまるのかは知らないけど。


「まだ一分も経ってないけれど」


「不要な稼動部を停止すれば簡単ですよ」


「それはあたしにはできないから」


 そう言いながら富良野さんは少しずつ体が揺れ始める。いったい何がそうさせるのかはわからないけど、その振れ幅がどんどん大きくなっていく。


「ちょっとゆかり。気味悪いからやめなさいよ」


「だってー。ちょっと楽しくなってきたし」


「確かに楽しそうです。私もやりたいです」


「やらなくていいから」


 富良野さんに合わせて秋乃さんまで揺れ始める。一人でも目立つのに二人になったら余計に目立つ。そのうえ、秋乃さんは変な駆動をしているのか揺れ方が明らかに人間離れしているから怖すぎる。


「もう、やっぱり要様がいないと収集がつきませんわ」


 こうなるといくらツッコミがうまいジーナさんでも収集をつけるのは難しい。この二人は怒られないと止まらないのだ。

 さらに揺れが大きくなって今にも倒れてしまいそうな富良野さんから異臭がする。口からもやもやともう見慣れた紫色が立ち込めていた。


「というか、ゆかり! あなた口から煙が出てる!」


「え、嘘。だるいからからなぁ」


「ぼーっとしてないで口閉じなさい!」


 ジーナさんが慌てて富良野さんの口に手を当てるけど、ウイルスが充満した口を押さえるにはジーナさんの小さな手では全然足りない。


「すみません。あの空いている棚のチョコレートのお菓子って、って!」


「あ、それなら今マスターが箱に傷が入ってないか確認を」


「ゆ、幽霊だー!」


 富良野さんの口から漏れる人のものではない毒々しい色に、お客さんが叫ぶ。手に持っていたジュースをその場に置いて、自動ドアの開き切らないうちに肩をぶつけながら出ていった。


「あれ、帰っちゃった」


「あなたが追い返したんですのよ」


「あ、ジーナまた減点だ」


「もうやめにいたしましょう」


 ジーナさんが溜息をついていつもの口調でそう言った。それに俺の溜息も重なる。後ろでいつの間にか見ていた店長が俺の肩をそっと叩いた。


「みんな成長したと思ったけど、まだまだ高橋くんがいないとお店はダメみたいだね」


 結局俺がまとめるしかないのか。楽できる職場じゃないなぁ。


「マスター、ゆらゆらと揺れるのはとても楽しいということがわかりました。お仕事は楽しいですね」


「それ仕事じゃないよ!」


 秋乃さんに後で説明しておかないと。富良野さんと一緒にしているとサボりぐせがついてしまいそうだ。うーん、ここでも手間が増えるのか。仕事を覚えてもらうのって難しい。


「あぁ、やっぱりこれだよ。要くんにはこれが一番の仕事だよ」


「そうですわね。これが一番落ち着きますわ」


「マスターのツッコミが一番です」


 なんか褒められてるのか、面倒ごとを押し付けられているのか微妙なところだ。

 そして見事にお客さんを追い返してくれた三人娘は富士山でも登ってきたみたいに疲れた顔をしながらまたぞろぞろと休憩室に戻ってきて倒れこんだ。

 まったくもう。でも自分のできることがあるっていうのは実はとても幸せなことなのかもしれない。頑張った三人を少しだけ心の中で褒めながら、俺はお菓子の入った段ボール箱を持って店頭へと向かっていった。

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