乙女の気まぐれ、伸るか反るか
「これは、どうしようかな……」
俺の小さなつぶやきには自分でも驚くくらいの諦めの色が残っていた。これはほぼ詰んでる。間違いない。今富良野さんはいつものアイスとジュースを買おうとしている。しかも俺におごらせようとしている。そこにきた小木曽さん。
おごって、って富良野さんが言った瞬間に終わる!
どうしよう、全然いい案なんて思いつかない。この間にも富良野さんが小木曽さんに何か頼んだからおしまいなのだ。
「あ、裕一ありがとう。それじゃあさ」
「ちょ」
富良野さんが小木曽さんから持ってきた商品を受け取ってレジ前に置く。
あ、これは終わった。
もう店長は青い顔で口から泡を吐いている。イカかタコかと思ってたけど、カニの可能性もあるな。
「裕一も何か持ってきなよ。いつもお世話になってるから何か奢ってあげる」
「おぉ!」
今、奇跡が起きた。
「何、要くん。変な声出して?」
富良野さんは眉根を寄せているけど、今はそんな顔も許してしまえる。とにかく起死回生の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランレベルの奇跡が起きた。
「いや、富良野さんの言動に感動してるんだよ」
「えー、そんなにあたしの優しさに心動かされちゃった?」
「まぁね」
あんまり褒めると一週間くらいは自慢しそうな雰囲気だ。でもここで心変わりされても困る。ここは我慢だ。とにかく富良野さんがちゃんとお金を払ってくれるまで油断しちゃいけない。
「じゃあ、要くんが奢ってよ」
「それはダメ」
「えー」
「姫、俺が」
「いいの。あたしが奢るって言ったんだから裕一は早く自分の分取ってくる!」
最初は渋っていた小木曽さんだったけど、富良野さんが心変わりしないので結局同じものを持ってきて富良野さんが二人分お金を払って帰っていった。
恐縮する小木曽さんと並んで富良野さんが出ていったのをしっかり見送ってからようやく納得してくれたようでMIBの黒服たちもお店からぞろぞろと出ていってくれた。
「ふぅー。生き残れた」
誰もいなくなったレジに体を預けて大きく息を吐く。お客さんに見られていたら普通ならクレームものだ。それでも今日くらいはこうやっても許されるくらいの死闘を乗り越えた。
「お疲れさま。迷惑をかけるね」
「まったくです。最後は結局富良野さんの気まぐれのおかげですけどね」
本当に紙一重だった。空気を読めるようなタイプじゃない。本当に完全な気まぐれだったんだろう。それでも助かったことに違いはない。なんだか納得いかないけど。
「あれで結構気が遣える子なんだよ。普段はあえてやらないだけで」
バックヤードからようやく出てきた店長も同じようにほっとしたみたいで、やや額に汗を浮かべながらガッツポーズを作っている。
「それもどうかと思うんですけど」
「今回は富良野くんに助けられたわけだし、よしとしようじゃないか」
本当にいいところだけ持っていくんだから。俺の活躍がかすんでしまう。それにしても店長から来るなって言われたのに三人とも来るなんて。
「そうですね。でも次回からわかったらすぐに言ってくださいね」
「対策でもしてくれるのかい?」
「えぇ。店に来ないようにちゃんとしつけておきますから」
「なかなか怖いこと言うね、高橋くん」
MIBが帰ったら俺の出番は終わりだ。疲れた体を引きずりながらロッカールームに戻る。その背中は丸くなっているのに、やたらと闘志が漏れ出してきているらしかった。
「やっぱり高橋くんが一番化け物じみてるよ」
そんなわけないでしょ、とツッコミたかったけど、もうそんな元気は残っていなかった。
「ねぇねぇ、昨日はなんだったの?」
「確かに昨日の要様の様子はおかしかったですわね」
「はい、マスターもですが、お店に何人も異種族さんがいました。過去このような事態には遭遇していません」
次の日、俺がバックヤードに足を踏み入れると、俺の苦労なんて少しも知らない三人娘がそんな話をしているのが聞こえてきた。
まだ俺の体には疲れが残っているっていうのに。まったく気楽なもんだよ。そう思いながら、もらったお土産を手に休憩室に入る。
「おはようございまーす」
「あ、要くん。ってどうしたのその袋?」
「店長はなんかか仕事で知り合いの会社に行くから、これ差し入れとして置いておくって」
白いビニール袋をちゃぶ台に置く。昨日の俺の頑張りにもらったものなんだからもっと感謝してほしいところだよ。
「へぇ、なんですの?」
「これは、プリンですね。全員分あります」
「プリン? やったー、食べるー!」
「こっちに飛びついてこない!」
富良野さんをかわして、畳にはたき落とす。最近荒事に慣れてきたような気がする。これはちょっと違うけど、とっさの反応はよくなった気がする。
「そうですわよ、ゆかり。はしたないですわ」
「はーい。それにしても店長が差し入れなんて珍しいね」
そりゃ昨日なんでかMIBが帰った後も妙に怯えてたからね。今日のプリンだってコンビニのものじゃなくてわざわざ洋菓子店で買ってきている。
問題はこの空っぽの店舗を経営しながら、どこからそんなお金が出てくるのかってことだ。
「そういえばさ、昨日の要くんなんか変だったよね?」
「そうですわ。何かお悩み事なら私が何でもお聞きしますわよ」
「そうです、マスター。隠し事なんて必要ないのです」
「うーん、そうだね」
心配そうな表情をしながら、少しもその理由を理解していない。まったくどう言い聞かせてあげようか、と考えていると、自然と笑みがこぼれた。
「もう解決はしたんだけど、次があったらその時はよーく相談させてもらうよ」
それを見て、富良野さんと秋野さんが急に立ち上がって背筋を伸ばして、体を直線にする。
「あ、本当にごめんなさい」
「すみませんでした、マスター」
「ん? 俺は何も言ってないけど?」
「そうですわよ。どうしたんですの、って私の頭を押さないでください!」
左右から頭を下げた状態で二人がジーナさんの頭を押しつける。器用なことをしているな。ジーナさんが小さいからっていうのもあるんだけど。
「いいからジーナも謝りなさいって。この要くんは絶対怒ってるんだから」
「そうです、ジーナさん。理由はどうあれ、マスターの逆鱗に触れる何かを我々がした以上、謝っておかなくてはならないのです」
「なんなのよ、いったい」
まだ抵抗しているジーナさんも二人の力と気迫に頭がどんどん下がっていく。それでもこっちの様子を下げた頭から窺っている。そこに俺はさらに満面の笑みを浮かべてみる。
わざとらしい笑顔なのに、富良野さんと秋野さんの目に一気に恐怖の色が浮かぶ。
「やばいよ、これ。どうしよう?」
「もしかして店長はマスターの怒りを静めるためにプリンを?」
俺が休憩室を出てもまだ二人はビクビクとしながら焦っている。まったくそこで焦るくらいならもっと普段から考えてほしいもんだよ。
ロッカーで着替えを済ませて戻ってきてもまだ小声で相談している富良野さんと秋野さん。そしてまだ全然理解が追い付いていないジーナさん。その三人にもう一度視線と微笑みを返しておいて、俺はわざとらしくゆっくりレジに向かった。
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