昨日の敵は今日の敵

「すまないね。来ないようにって言づけておいたんだけど」


 バックヤードから店長が少しだけ顔を出す。本当に意味もなくふらっと現れるなんて、みんな暇なのかな。俺も人のこと言える立場じゃないんだけど。


「謝るくらいなら助け舟出してくださいよ」


「無理だよ。何かの拍子に触手出しちゃったら怒られるんだよ」


「最強生物が弱気なこと言わないでくださいよ」


 とはいえ、あの二人はまだ話の通じる方だ。よくわからないけどジーナさんは俺の言うことを聞いてくれるし、秋野さんは命令となれば絶対順守だ。でも一人だけ怖い存在がいる。富良野さんだ。


 俺の言うことを絶対に聞かないに決まっている。それどころか変に勘がいいから、あまのじゃくにまったく逆のことをしでかすかもしれない。

 なにより小木曽さんをいつも連れている。小木曽さんがあの顔色をしていて富良野さんの言うことを何でも聞くとわかれば、絶対に疑われるに決まっているのだ。


「俺一人じゃ手に負えないかもしれないぞ」


 弱音が漏れる。溜息がどこかから漏れて伝わっていったのかもしれない。まるで呼び寄せられたように自動ドアが開いて入店音が鳴る。


「やっほー!」


「……マジで?」


 いったい何をしに来たのか。聞きたいような聞きたくないような。駆け込んできた富良野さんにも聞こえるように、俺はもう一度溜息をつく。でも富良野さんには俺の心労なんて少しも伝わっていないようだった。


「おっつかれー! どしたの、要くん? 顔がトースターの底みたいな色してるよ?」


「それはコゲが溜まってるだけだから掃除しなさい」


「りょーかい! で、なんで要くんはそんな顔色悪いわけ?」


 びしっと手を額に当てて、富良野さんは笑う。いったいこの元気はどこから出てくるのか。今まさに俺の元気が奪われているからなんじゃないだろうか。


「現在進行形で悩み事があるからかなぁ」


「へー、どんなの?」


 まさかこの状況で富良野さんが何かやらかすに決まってるから胃が痛いなんて言えないしなぁ。何か楽しいことが聞けそうだという期待の目で見られていると、下手な嘘なんて通用しそうにない。

 とりあえずぎこちない笑顔だけ返しておいたけど、富良野さんの顔は俺を見つめたまま少しも逸れる様子はない。えっと何かいい話題は。


「ほら、何か買いにきたんじゃないの? いつものやつ」


「そうだった。今日の授業超ダルかったのー」


 よし、なんとか話題が逸れた。相変わらず頭の中がくるくると回っていく。いつもは追いつけなくて大変だけど、今はそれに助けられた。

 店内に広がった黒服の視線が俺に刺さっている。もうこの対応も三人目なのに全然慣れる気がしない。そもそも人生で目立つような舞台に立って生きてきていないから、こんな経験全然ないのだ。


 それに比べて富良野さんは背中に同じだけの視線を浴びているはずだけど、まったく動じる気配がない。

 全身に包帯をぐるぐる巻いた独特のファッション。ゾンビであることを除いても普段から注目の的なのかもしれない。


「よし、決めた。要くん、奢って。ジュースとアイス。いつものやつね」


 いつもの、と言うのは、富良野さんが一番好きな組み合わせ。グレープアイスとレモンティーのことだ。しかもレジにすら持ってくるつもりもないみたいで、その場でレジ台を指でつついている。


「ダメ。ちゃんと自分で買う」


「えー、要くんのケチ!」


 別に俺にとってはいつもの話だ。でもそれだけで黒服がにわかにざわつきはじめる。


 ざわ……ざわ……


 店長のことを知っている人たちなんだから、富良野さんがゾンビだってことも知っているんだろう。俺が感染者なら富良野さんの言うことを絶対に聞くはずだって言うことも。

 っていうか俺が感染するものだと思われてるのか。富良野さんはやっぱり向こうでも信用されていないらしい。

 でも俺は富良野さんのウイルスにはなぜか感染しない。だからどんな命令も断ることができるのだ。


「よし、ちゃんと断ってる!」


 バックヤードから店長が覗き込んでいる。こっちは全然戦力にならない。そもそも今どうにかやり過ごそうとしている相手も本来ならバイト仲間だ。最大の敵が味方っていうのもなんとなく悲しい話だ。


「買うならちゃんと自分のお金で払いなよ。休憩してるだけなのにお給料もらってるんだから」


「えー、あたしみんなに癒しをばら撒いてるじゃない」


「ばら撒いてるのはウイルスだよ!」


 ざわ……ざわ……


 う、いつものノリでついやっちゃった。

 俺のツッコミにまた黒服たちがざわつきはじめる。そんなこと聞き逃してくれるほどMIBは甘くないってことか。


「あたしはちゃんと迷惑にならないところで消化してるもん」


「そうだったね。ゴメン」


「あ、素直。どうしたのー?」


 調子に乗って富良野さんが俺の頬をつつく。でもとにかく今は我慢だ。ここでまた下手なことを言ったら本当にごまかしようがなくなってしまう。

 それにしてもそろそろ胃が重たくなってきたぞ。確かにこれは特別手当をもらわないと割に合わない仕事かもしれないな。


 でもなんとか黒服たちは結局友達同士のたわむれと判断したみたいだった。問題なし、と思ったのか、ぞろぞろと何も買わずにお店から出ていこうとする。これだけ迷惑かけたんだから一品くらい買っていってほしい。

 はぁ、やっとこれで開放してもらえる。そう思ったときだった。目の前の富良野さんに集中していてすっかり忘れていた。富良野さんがいるなら絶対いるに決まっているのだ。


「姫、ジュースとアイスお持ちしました」


「小木曽ォ!」


「なんすか?」


「いや、なんでもないけど」


 そりゃ富良野さんがいて小木曽さんがいないわけないよなぁ。せっかく帰ろうとしていたMIBがまたぞろぞろと店内に戻ってくる。後ろでは店長が触手をぬるぬると動かしている。俺が悪いわけじゃないのになぁ。

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