アルバイト・インポッシブル

 黒服たちはまったく帰る様子はなく、ついでにお客さんも来る気配がなく時間だけが刻々と止まることなく進んでいた。調査だって言っている割には特に何かをするでもなく店内をふらふらとしているだけにも見える。


「それでどうして俺が呼ばれたんですか?」


「一つは君が特に我々から被害を受けていないからだよ」


「だいぶ受けてると思うんですけどね」


 店長から触手で絞めつけられるし、富良野さんにはウイルス入りのお菓子を食べさせられるし、ついこないだもジーナさんに襲われたばかりだ。


「何故か高橋くんは頑丈だからね。それから他のバイトは迷惑を実際にかけるのばっかりだから」


「一応店長もわかってるんですね」


 まぁ、誰も知られないようにとか考えてなさそうだしなぁ。富良野さんはウイルスを撒き散らし、小木曽さんはその被害者だ。ジーナさんも誰かを襲うかもしれない。そんなのがバレたら一発でアウトだ。


「あれ、でも秋乃さんは?」


「彼女は人間にしか見えないのに、君のことマスターって呼んじゃうからね。何かに操られていると思われると困るし」


「結局俺しかいないってわけですね」


 そういえば今日は騒がしい休憩室が水を打ったように静かだった。本当に富良野さんもジーナさんもここには入れていないらしい。そのくらい怖いのか、MIB。


「あとはいつも通り仕事をしてくれればいいから。そのうち帰ると思うよ」


「わかりました」


 そうは言ったものの店内には黒服ばかりでまともなお客さんは一人もいない。必死に隠しているんだろうけど、見慣れている俺からしたら明らかに人間とは違うオーラとかがいろいろだだ洩れになっている。

 こんな状態でお客さんなんて来るわけないしなぁ。


「どうにか無事に終わってくれればいいけど」


 そう思いながら外をぼんやりと眺める。でも俺のこの願いがこのコンビニで叶ったことなんて一度たりともなかった。嵐のど真ん中にいながら平穏に時間が過ぎていくことを願うなんてそもそも無理な注文だったのだ。

 入店音が鳴って、お客さんが入ってくる。本当にお客さんならどれほど嬉しかっただろう。赤みがかった髪に妖艶に視線を流している。どう見ても部屋着のまま出てきた感のある上下ジャージであること以外は頑張ってるんだけどな。


「ごきげんよう」


「いっ!」


 なんでジーナさんがここに!

 今日は店長が店に入れないようにしてたんじゃなかったの?


「どうされましたか、要様」


「いや、なんでも。今日はどうしたの?」


「急にバイトが休みになりまして、暇してましたの」


 いっせいにこちらに視線が向く。どうしようか。俺を誘惑するようなことでも言われたら、一発でアウトだ。


「そうなんだ。ゴメンね、俺にしか出来ない仕事があるらしくてさ」


「要様は優秀でいらっしゃいますからね」


「ははは」


 乾いた笑いを浮かべる俺にどんどん視線が集まってくる。正確には俺じゃなくてジーナさんに集まっているはずなんだけど、目の前のサキュバス娘はまったくそんなこと気にした様子はない。

 もうちょっと周囲に気を配ってよ! とにかくジーナさんに下手なこと言わせないようにしなきゃ。


「それで何か買い物?」


「いえ、要様のお顔が見たくなって」


「そ、そう」


「私、いつも要様のことを考えておりますのよ。あなた様の精を」


「わー! わー!」


 ダメだ、全然空気読めてない! とっさにごまかすセリフなんて出てくるはずもなく、とりあえず大声を出してジーナさんを遮った。

 俺の心労なんて理解してくれるはずもなく、ジーナさんはおかしなものを見るように顔をしかめている。いや、あなたのせいだからね。


「どうしましたの、そんなに騒いで」


「その話はまた明日にしよう。ね?」


「私の気持ちにようやく答えてくださいますの?」


 いや、違うよ! それにようやくってほど時間も経ってないよ。

 なんとか説明しようかと思ったけど、もうジーナさんは全然俺の話なんて聞いてくれそうもない。なんかくるくる回ってるし。もうちょっと場を読んでよ、ここコンビニなんだけど。


「では、明日。私、一日千秋の思いで待ちわびておりますわ」


「セリフだけなら素敵な誘いなんだけどなぁ」


 相手はちんちくりんの上下ジャージのサキュバス。さらに求められているのは俺の愛じゃなくて精力だ。現実は厳しい。

 なんとかジーナさんを追い返して一息つく。あれだけのことをやったけど、なんとかギリギリセーフだったみたいで、MIBたちはまたレジから視線を手元に戻した。

 でもそんな簡単にうまくいくはずもない。また入店音が鳴る。今度は金属製の耳が太陽を受けてキラキラと光っている。


「こんにちは、マス」


「あ、あぁ、秋乃さん」


 たった一人対応しただけでこんなに疲れたっていうのに、まだ続くのか。でも今度は何がダメなのかわかっているだけいいかな。

 小さく首を揺らしながら俺に近づいてくる秋乃さんはかわいいんだけど、同時にすごく怖い。無垢なだけに言うことを聞いてもらうのは簡単なことじゃない。


「どうかしましたか、マス」


「ちょっと静かにしてもらっていいかな?」


 俺のお願いを聞いて、秋乃さんの声がピタリと止まる。でもこれでやり過ごすと今度は秋乃さんが何かされてると思われちゃうかな。


「今はマスターって呼んじゃダメ、いいね?」


 こっそりと耳打ちする。なんとか理解してくれるといいんだけど。


「はい、マス」


「全然わかってなーい!」


 あ、叫んだせいで一気に注目が。せっかく耳打ちでごまかしてたのに。やっぱりMIBの人たちには秋乃さんは普通の人間に見えているらしい。俺に疑いの目が集まってしまったら、もうどうにかして追い返すしかない。


「えぇっと、枡は置いてないかなぁ」


 うぅ、我ながら苦しい。愛想笑いを浮かべて言ってみるけど、むちゃくちゃなこと言ってるなぁ、俺。


「いえ、私は枡を買いに来たわけでは」


「そういうわけだから他のお店を探してもらえるかな?」


「は、はい。わ、わかりました。枡、枡」


 秋乃さんは小声でうわ言のように枡、と繰り返しながらふらふらとお店を出ていった。ちょっと混乱させすぎたかな。明日枡を大量に入荷してこないようにメールを入れておかないと。

 それにしても今のはさすがに苦しかったかな。店内に広がったMIBの様子を窺う。でも秋乃さんが帰った途端にみんな視線を手元に戻してまた一般客を装っている。


 いくらなんでも調査ザル過ぎる! 変装もばれてるよ!


 ツッコミたい気持ちをぐっと堪えて、俺はまた仕事、仕事と秋乃さんのように繰り返していた。

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