ジーナの部屋

 普通に百夜街道を歩いていくジーナさんを追いかけて、俺はなんとなく周囲をきょろきょろと見回してみる。


「どうかしまして?」


「いや、執事が迎えにきたりしないかな、って」


「夢と現実の区別がつきませんの?」


「ジーナさんがそれ言う!?」


 ほんの冗談だったのに。お嬢様風なのは言葉だけで、やっぱり富良野さんの言う通り中身は庶民らしい。

 夕暮れは今にも落ちてしまいそうな様子で等間隔に並んだ街灯も誰一人欠けることなくきちんと自分の仕事をまっとうしている。俺は普段なら愛車でかっ飛ばすだけの道を歩きながら、少しずつジーナさんのことを聞いてみた。


「どうしてそんな言葉遣いを?」


「どうして、って大人の女を目指して、いえ、レディのたしなみですわ」


「何か方向性間違ってるような」


 大人の女性を目指していたとして、まず言葉遣いからっていうのもどうなんだ。もう少し他にやることはなかったんだろうか。たとえば初対面の相手を蹴らないとか。


「あなたこそ何か間違っているのではなくて?」


「何を?」


「あんなところでアルバイトなんて正気の沙汰ではありませんわよ」


「だからジーナさんがそれ言うの!?」


 もしかしてこの人、自分が異種族だって自覚がないんじゃ? そういえば今のところ変なところはない。いや、言葉遣いとか幼い外見とか明らかに角とかあるけど。

 俺を触手で絞めつけたり、ゾンビウイルスを吐いたりはしてないし。我ながら変の基準がすっかり毒されてしまってるな。


「あ、ここですわ」


「そしてツッコミはスルー!」


 叩いてもあんまり響かないって結構やり辛いなぁ。富良野さんはなんだかんだ言っても笑ってくれるから俺としても妙なやりがいを感じてしまうんだけど。

 それにしても、と俺はジーナさんの指差したアパートを見上げる。階段は錆びついているし、コンクリートにもひび割れが目立つ。古そうなガス計測器が並んでいて、俺の借りているところより年季が入っているように見えた。


「なんていうか、普通」


「別にいいでしょ!」


「誰も悪くは言ってないよ」


 お嬢様言葉を使っていなければ、それで何も問題はないのだ。ただその口調が妙に俺に期待を持たせてしまうってだけだ。


「まぁ、いいですわ。ちょっと上がっていらっしゃい。お茶くらいは出しますわ」


「別に構わないよ」


「そこで断るな!」


「何で怒られたの、俺?」


「せっかく乙女の部屋に上がれるチャンスだと言うのにそこで引かない! 媚びない! 省みない! 男気見せなさい!」


 正直この後、俺が望むような展開は絶対に起こらないことが目に見えてるし。仮に一男子大学生としての妄想が現実になるとしても、相手がこんな幼い女の子でしかも人間じゃないんだから少しも響かない。


「わかったよ」


 でも俺はそれ以上にもう一度蹴られるのだけはごめん被るところだった。今回は周りに助けてくれそうな人もいない。秋乃さんが俺に何かのセンサーとか発信機をつけている可能性は否定できないけど。

 しかたなくジーナさんの案内に従ってちょっと頼りない階段を上っていく。一歩上がるごとに軋む階段はめちゃくちゃ心臓に悪い。管理体制はどうなってるのか、と聞くこともできないまま、二〇四号室に案内された。


「女の子の部屋って初めてだな」


「そんなに興味がありますの? 男の子ですわね」


「そりゃ、ね」


 あるのは人間の女の子の部屋だけどね。

 あまり広くないワンルームには小さなテーブルとそれを囲むように並べられたクッションたち、年季の入った木机には俺が映画でしか見たことがない羽ペンが刺さっている。ちょっと変わっているけど、外見からして実家はもしかすると海外なのかもしれないな。少し変わっていると思う。


 でも、それだけなら問題はない。問題はないんだけど。


 それよりもまずツッコミたいのは壁一面に張られたグラビアアイドルのポスターの方だった。水着を着た女性ばかり。男の俺でも胸やけを起こしそうなくらいの徹底ぶりだ。


「なんでこんなに。落ち着かないよ」


「それは目標、じゃなくてたまたまですわ」


「たまたまでこんなにポスターは張らないよ!」


「もう文句が多いですわね」


「俺が悪いの?」


 ジーナさんはあんまり広くない部屋からすぐの狭いキッチンでお湯を沸かし始めている。一人暮らし用のアパートのキッチンはとにかく狭くて料理なんてする気分にもならない。俺の部屋もほとんどお湯を沸かす専用の場所になりつつある。


「よく見たらこの本棚にあるのも全部グラビアの写真集だ。見たからって成長するわけでもあるまいし」


 俺も名前の知らないような人までいる。写真の画質からしてちょっと前の人なんだろう。どうやって集めたんだろう。


「お待たせいたしましたわ。紅茶はお嫌いではないですわよね?」


「店長が飲んでるやつじゃなければね」


 差し出された金縁のカップからは俺のよく知っている紅茶の香りがしていてほっとした。富良野さんも嫌いだって言ってたし、やっぱり店長の味覚が特別変わっているんだろう。

 そういえば今日はバイトあがりから何も飲んでいなかった。きれいなカップだからちょっとためらったけど一気に半分飲ませてもらった。


 風流がわからない、とでも言われるかと思ったけど、特別ジーナさんは文句も言うことなく、俺の飲みっぷりに微笑みすら浮かべている。逆にそっちの方が怖い。


「あの、なんでそんなにこっちをずっと見てるの?」


「あ、いえ、なんでもありませんわ」


 そんなこと言って内心怒ってたりするんだろうか。ジーナさんは視線を逸らしながら、自分のカップに口をつける。なんだろう、違和感がある。


「やっぱりその話し方、違和感あるなぁ」


「私の勝手ですわ」


 背伸びしているようにしか見えないからなんだろう。小学生くらいの女の子にしか見えないけど、女性の年齢を聞くな、とか言ってまた蹴られても嫌だ。残り半分もさっと飲んでしまうと、ジーナさんは俺の顔をさらに強く見つめはじめる。何かのまじないでもかけてるんじゃないかと気になってくる。


「そういえば帰ってきたってことはジーナさんは外国の人なの?」


「そうですわ。あとでゆっくりお教えしますわ」


「後で?」


「はい。もう少しで」


「もう少しでどうなるの?」


 いったいなにが始まるんです? 


 普通のアパート、一杯の紅茶。何も起こるはずがなく。


 強いて言うなら目の前にいる女の子が人間じゃないことくらいだ。

 きょとんとして答えた俺に対して、ジーナさんの顔色はどんどんと青ざめていく。そんな顔されたらこっちまで不安になってくるんだけど。

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