バイト後のお誘いは
そういうわけで、ある程度は覚悟してたんだけど、いざ話し声が聞こえてくると結構気になってしまうのはしかたのないことだ。
「うるさいなぁ」
秋乃さんと二人でレジに立っている間も休憩室から富良野さんとジーナさんの笑い声が絶えず聞こえてくる。
「どうしました、マスター?」
「休憩室からの声がね」
「確かに騒がしいですね」
富良野さんが休憩室から出てこないのは今に始まったことじゃないけど、それでもいつもはマンガや雑誌を読んだり、テレビを見たりしているだけでそれほど邪魔になることはない。
でも今日はジーナさんというパーツが増えたことによっていつもと様子が変わっている。
「そうそう。それでねー」
「何ですの、それ? おかしいでしょ!」
「また話し方ブレてるし」
お嬢様キャラで行くならせめて徹底してほしい。ツッコミを入れたくてしかたなくなるから。春に実家に帰っていたって話だから久し振りに会って積もる話もあるんだろう。それはわかるけど、若い女の子が二人。笑い声もだんだんと音量が上がってきて、店先にまで届くほどになっていた。
「普通のお店ならクレームものだよ」
「このお店は例外なのですか?」
「この声が本物か幽霊のものか、お客さんにはわからないからね」
「幽霊のものかもしれないのですか?」
秋乃さんの疑問にちょうど入ってきたお客さんが肩を跳ね上げる。幽霊コンビニに聞こえてくる女の笑い声。誰が考えたって怖いに決まっている。俺だってその理由を知らなければビビってしまうに違いない。
「まったくありがたくないよ」
「マスター、お客さんです」
「あ、いらっしゃいませー!」
「この変わり身、条件反射プログラムが構築されているのでしょうか?」
秋乃さんにツッコミを入れたい気分だけど、今は我慢だ。笑い声に怖がっているお客さんがすぐに目当ての商品を持ってレジにやってくる。まずはこれを終わらせてから存分に説明をしておかなければ。
でも俺の横顔を穴が開きそうなほど見つめている秋乃さんにどう言えば俺が普通の人間だって思ってもらえるんだろうか。俺の悩みとは裏腹に休憩室からはずっとかしましい声が続いていた。
「お疲れさまでした」
うるさい店の中でも冷静さを欠かなかった。今日は自分を褒めてあげたい。それにしたって本当に話が止まらないとは思わなかった。話題が尽きないっていうのは悪いことじゃないけどさ。
「お疲れー」
「お疲れさまですわ」
二人は話してただけだけどね。
溜息をついていると、申し訳なさそうに近づいてきた店長に先に答えを返しておく。
「元々期待してなかったんで気にしてませんよ」
「高橋くんも丈夫になったね」
「なにおう! あたしだってやろうと思えば」
「やらなくていいんでその口から漏れてる煙しまって」
やる気になるのはいいけど、方向性が間違ってるから。変に活動されるよりは確かに休憩室で騒いでいてくれる方がマシなのかもしれない。どっちにしてもアルバイトとしては完全に間違ってるんだけど。
「はーい。それじゃ帰るね。裕一、カバン持ってきて」
「はい、姫」
今日はジーナさんがいたからか、ずっと小説を読んでいたらしい小木曽さんが顔をあげた。いつも虚ろな目をしてるけど、頭は動いてるのかな。そうじゃなきゃ小説なんて読まないだろうし。
「あの、マスター?」
「いや、俺はそんな命令しないからそんな期待した目で見ないで」
「私の思考をパターンから推察するとは。マスター、さすがです」
「はいはい」
こっちはこっちで働く気がありすぎるのも困ったものだ。どうも秋乃さんは俺を仕事上のマスター以上の扱いをしたがる。そりゃ俺以外にマスターがいるって話は聞いたことがないし、いろいろ勉強したいのかもしれないけど、女の子になんでも命令なんてできないし。
そもそも俺の荷物なんて教科書が入ったメッセンジャーバッグくらいで、それも肩から下げるなり自転車の前かごに放り込んでしまうなりすれば気にならないくらいの重さだ。それをわざわざ取りに行かせるほど俺も弱ってるつもりはない。
それよりもまたロッカーで鉢合わせしないように富良野さんが出てくるのをしっかりと確認する。ジーナさんは今日は遊びに来ただけだから着替えはない。よし、大丈夫。
「また蹴られたら大変だからなぁ」
日に二度も負ける奴があるか。今度は絶対に失敗しない。
無事に着替えを済ませて戻ってくる。まだ何かあるかも、と待っていた秋乃さんにさよならを言ってきっちりと送り返す。これで今日も一日無事に過ごせた、と思っていると、休憩室にはまだジーナさんが座っていた。
こうしていると座敷童子みたいだ。見た目はどっちかっていうと西洋人形の方が近いけど。
俺が覗き込んでいるのに気が付いたみたいで、すぐにこっちにずるずるとすり寄ってきた。
「着替え終わりましたのね」
「あぁ、うん。お疲れさま」
「それでは帰りましょうか」
そう言ってジーナさんは当然のように俺の手をとった。
「俺と?」
「はい」
「なんで俺と帰る必要があるの?」
「もうすぐ日も暮れてしまいますのに、こんな可憐な乙女を一人で放つというのですか?」
可憐な乙女は初対面の人にハイキックかましたりしないよ。でも夏が少しずつ近づいてきているとはいえもうすぐ暗くなってしまうのも事実だ。
「小さな女の子を一人で帰すわけにもいかないか」
「だから、子ども扱いするな! あと視線をわざわざ私に合わせるな!」
しゃがみこんだ俺の額をジーナさんが小突く。さっきの一撃よりはだいぶ軽いけど、人間じゃない何かだけあってやっぱり結構痛い。
「とにかく私を家まで送りなさい! これは限りなく義務に近い権利です」
「わかったよ、それじゃほら」
俺はそう言って手を差し出した。不思議そうにジーナさんが『お手』のように手を重ねた。
「何ですの、その手は?」
「途中ではぐれちゃうといけないから。手を繋いであげるよ」
俺が差し出した優しさ百パーセントの手をジーナさんが思い切り払いのける。なんで? これでも昔から小さな子どもには人気あるタイプだったのに。
「痛っ!」
「後で目に物見せてやるわ」
「ふぅ。何か言った?」
手を擦りながらだったから、ジーナさんが今なんて言ったのか、よく聞こえなかった。もう一度聞いてみたけど、結局教えてくれなくて。俺は先を歩き始めた彼女の背中を追って、愛車の鍵を素早く外して追いかけた。
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