六話 処女《おとめ》の夜の淫夢《ゆめ》
帰国子女、来日
「帰ってきましたけど、日本の空気は重い、っていうよりも湿度が高いですわね」
空港のゲートを抜けて、少女はにやりとした笑いを浮かべて愚痴をこぼした。
「どうせ私がいなくてみなさま寂しがっていらっしゃるでしょうし、ちょっと顔出してさしあげようかしらね」
赤みがかった髪を振りながら、カートを引いて空港のタクシー乗り場にやってくる。
「百夜街道まで、お願いいたしますわ」
乗り込んだ少女の姿と声のギャップに運転手は思わず振り返る。不遜な態度の少女を乗せて、タクシーは百夜街道を目指して走り出した。
「ありがとうございます。またお越しください」
風邪もすっかり治って気分もよかった。この間の一件からみんな妙に俺のことを警戒しているみたいで、富良野さんは少し静かになったし、秋乃さんもときどき俺を分析しているみたいにこっちを見つめたままぼうっとしていることがある。
いまさらそんなバイト仲間の奇行なんて気にする方が疲れるだけだから、俺はいつものように適当にいなしつつバイトをこなしている。
そんなところに、また変な人が一人。コンビニのガラス窓に顔を張りつけている。多分人じゃない。秋乃さんより小さな背は小学生の女の子くらい。赤みがかった髪に金色の瞳。そして、どう見ても作りものじゃない小さな羊みたいに丸まった角。一目見て、あぁこれは関係者だ、と思わずにいられない。
店長だってもうちょっと隠してるっていうのに、いくらなんでも堂々としすぎでしょ。
「お店にお客さんが入っているし、普通そうな人間がバイトしてるし。もしかしてついに業績不振で店長をクビになったのかしら?」
聞こえてくる声からして、やっぱり関係者らしい。なにか騒ぎを起こす前に早く対処しておこう。
店内のお客さんが全員出ていったところで、俺はバレていないと思っているらしい女の子に声をかける。
「どうかしましたか?」
「えっと、店長さんはいらっしゃいますか?」
「いますけど、お嬢ちゃん。店長って言葉、意味はわかるのかな?」
店長の子供にしては全然似てない。いや、店長はうまく姿をごまかしてるけど、この子はまだ幼いからうまくいかないとか。
とりあえずしゃがみこんで目線を合わせる。店長の知り合いに間違いはないだろうから、あとは誘拐だと思われないようにしないと。
そう思った矢先、女の子が唇を噛む。怒ってる、と思うと同時に大声と衝撃が俺の頭を貫いた。
「子ども扱いするなー!」
しゃがみこんだ俺の頭はハイキックのいい的だ。短いスカートから覗いたのはガード性能ばつぐんの黒いスパッツ。いや、別に見たかったわけじゃないです。
「何事だい!?」
吹き飛ばされた体がガラス窓を叩いて、休憩室から店長が飛び出してくる。いつもちょっと遅いから、こうして俺が被害に遭っている気がする。
「私ですわ。ちょっと無礼な輩を成敗しておりましたの」
「ジーナくん」
店長の呆れたような声が聞こえてくる。
「ジー、ナ?」
くらくらする頭ではなんとか言葉を繰り返すことしかできない。目の前にまだ仁王立ちしている女の子は当然、という顔で俺を見下ろしている。まったくなんでこんな目にばっかり遭うんだろう。こんなコンビニでバイトしてるからか。
「マスター、大丈夫ですか!? 私がいながら申し訳ありません」
「困るよ、ジーナくん。今やうちの稼ぎ頭なんだから」
「そんなこと言われまして、私を子ども扱いするのが悪いんですわ」
なんでもいいから、とりあえず休ませて。俺の声にならない願いはなんとか秋乃さんに届いたみたいで、ひょいっと軽々俺の体を持ち上げると、休憩室へと運び込んでくれた。病人と怪我人はもうちょっと丁寧に扱うように後で教えてあげよう。
タオルを当てて蹴られたこめかみを冷やす。ようやくぐらぐらしていた視界もはっきりしてきて休憩室の様子もわかってくる。キツイ一撃を俺に見舞っても全然ジーナと呼ばれた女の子の機嫌はなおっていないらしく、元気いっぱいに店長に文句をつけていた。
「店長、その女の子は?」
「女の子じゃない! 私は淑女なの!」
「淑女? 淑女とは何でしょう?」
秋乃さんがジーナさんを見ながら不思議そうな声を出す。そういうところが気になってしまうのは今に始まったことじゃないんだけど、そういうことを言い出すと話がこじれるっていうのはまだなかなか理解できないみたいだ。
「大人の女、レディよ」
「大人、レディ。私のデータにあるレディとあなたの身体的特徴、言動は一致しません」
「うるさいうるさい! バカにしないで!」
高い声で喚いている姿には淑女の面影は少しもない。そんなことはまったくジーナさんは気付いていないみたいで、思うままにふるまう姿はまさに子どもそのものだ。秋乃さんはともかく、店長は一切それに言及しないあたり、そういう扱いをしないといけない相手なんだろう。
「えぇと、それじゃ改めて紹介しよう。ジーナくんだ。春の間にご実家の方に帰っていたんだけど、戻ってくるときは連絡くらいほしいものだよ」
「じゃあお店に電話くらい置いていただけます?」
「私は手紙の方が好きでね」
店長はそう言いながら頭を掻く。仮にもコンビニなのに電話がないっていうのもおかしな話だ。今までに問い合わせがありそうな気もしないけど。
この間俺が休みをとるって連絡も急なシフトの変更も秋乃さん内蔵の通信傍受機経由で伝えてもらったのだ。そんなものまで入ってるなんてことはこの際気にしないことにしたけど。
「ジーナ・エピメディウム・グランディフローラムと申します。庶民の方には覚えられないと思いますから、お気軽にジーナとお呼びください」
「本人も庶民だけどねー」
「うるさい、ゆかり!」
また足癖の悪いジーナさんが富良野さんを蹴り上げようとするけど、片足になったところで体を押されて盛大にずっこけた。下は畳だし、そもそも人間じゃないんだから心配する必要もない。
「何するんですの!」
「あははは!」
いいようにおもちゃ扱いされてるな。そしてこれだけ富良野さんと仲がいいとなると、もうなんとなく察しはついてしまう。
「あの、ジーナさんって前にもいたってことは」
店長に耳打ちする。返ってきた答えはまさに予想通りだった。
「うん。レジは打てない。そもそも身長が足りないし、台に立つの嫌がるし。お客さんは子供が遊んでるとしか思わないし」
「やっぱり戦力外ですか」
いや、なんとなくわかってたけどさ。どうしてこう、使えない人材ばかり連れてくるのかなぁ。
痛む頭はさっき蹴られたせいじゃない。また頭痛の種が増えただけだ。まだ言い合いを続けている富良野さんとジーナさんは相当騒がしいことが透けて見えるようにわかった。
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