地下牢のニート

「お客さんかい?」


「誰だ?」


 牢の中にどっしりと座った男の姿はふっくらとしてまるで人質には見えなかった。丸々とした頬を揺らしながら久し振りに人に会った、と笑っている。その余裕がさらに四人の恐怖を誘う。


「もしかして、人質の人ですか?」


「バカ! この魔力に気付かないわけ? 下手に近づかないで」


 勇者がふらりと歩き出したのを魔法使いが杖の先で叩いて止める。不意打ちを食らった勇者は額当ての上から痛みを手で押さえながらその場にうずくまった。

 背筋を凍らせるような魔力の塊。単純であるが、それゆえに誰の目にも強力であることがわかってしまう。


「ものすごく濃い。これは本当にただの魔力なの?」


 賢者の手は震えていた。武者震いは何度も経験した。その手でも武器である杖は簡単に握れそうもない。その怯えを理解したように牢の向こうの男は優しい声で語りかけた。


「これはこれは勇者ご一行。こんなところにまで勇者が来るようになったということは彼もずいぶんと苦労しているらしいね」


「来るか?」


 大きな体を座らせたままの男は少しも動かない。それでもそのまとう魔力に気圧されて、武器を構えたのは勇者たちだった。幾多の戦いの中で命を守ってきた勘。ここで武器を構えなければやられるということを一瞬にして察知した。


「まぁまぁ。そんなに熱くならないで」


 覚悟を決めた勇者一行に対して、男はまったく冷静だった。まだ立ち上がることすらせず、背中から日本の黒い触手を伸ばす。三重の鉄格子が紙くずのように弾け飛び、勇者たちの武器は床に落ちて物悲しい音を立てた。


「え?」


 およそ勇者とも思えない間抜けな声が地下牢に響く。


「見えなかった。いや、攻撃を認識することさえ」


「まったくケンカは相手を選んで売れ、って教えてもらわなかったのかい? いや、これは魔族の考えか。なんにせよ血気盛んだったからこそこうして魔王城なんかにまで乗り込んできたんだろうけど」


 もう自由を縛るものはなくなった。目の前の四人など障害にすらならない。それでも男はどしりと牢の中に座したまま動こうとはしなかった。


「どうして、トドメを刺さなかったの? 今の一瞬でそれがあなたにはできたはず」


「そんな必要なんてないからさ。むしろそうすると私が困るんだ」


「くそっ! バカにしやがって!」


 落ちた剣を拾い上げ、また男に飛びかかろうとした勇者を今度は賢者が足払いで止めた。前のめりに倒れた勇者は、したたかに顔を打つ。


「待って」


「もうちょっと優しい止め方があったんじゃないの?」


「私、聞いたことがあるの」


「知っているのか、賢者!?」


「それより僕の話を聞いてよ……」


 頬の汚れを払いながら立ち上がった勇者の泣き言を無視して、賢者はゆっくりと男の目を見て問いかけるように話し始めた。


「数万いると言われる魔王軍の魔族の中で、ただ一人、人間から英雄と呼ばれる者」


「英雄? 魔族が?」


「そう。圧倒的な魔力で練られた触手を幾本も操り、それでありながら一人の人間も殺したことがない魔族。百の腕を持つ英雄。まさか、本当に存在するなんてね」


 息を飲んだ賢者に向かって、英雄と呼ばれた男は別段気にした様子もなく、微笑みを崩さないまま答える。


「そんな呼び名も、聞いたことがあるね」


 まるで他人事のように。その様子には最強の魔族とうたわれる恐ろしさは微塵も感じられなかった。


「噂じゃ魔王より強いっていうけど、本当なの?」


「試してみるかい?」


 男の言葉に勇者たちの体が震える。ただの声だ。魔法の詠唱でもない。そんなことはわかっているのに、恐怖が体を貫いて、心臓をえぐる。それでも落とされた武器を拾いなおし、それぞれに構えをとった。

 それを見て男は感心したように両手をゆっくりと叩いた。


「冗談さ。さすがに君たち相手には加減もできそうにないしね」


「しかし、何故魔王軍最強と呼ばれる者がこんな地下牢なぞに」


「戦わない仲間というのは時に敵より恐ろしいものさ」


「心変わりを恐れているのか。獅子身中の虫、ということか」


 騎士はまだ警戒を解くことなく、盾をしっかりと構えて一歩前に出た。


「それってどういう意味?」


「バカは少し黙ってなさい」


 それとはうってかわって敵意のない男に勇者の方はもうすっかり安心しきっている。この大物さゆえにここまでこれたのかもしれない。


「ははは、そんないいものじゃないさ。ただのものぐさだよ」


「でも本当に強いならこんなところすぐに抜け出せばよかったのに。今だって魔力で強化した鉄格子を三枚抜きにしちゃったじゃないか」


「どうせ抜け出したところで待っているのは人間と魔族が争う世界さ。ここならときどきねずみがエサの取り合いをやっているくらいで平和なものだよ。君たちが来る前に誰かがここを訪れたのはいつだったかな?」


 男の言葉に、勇者たちはそれぞれに自分の持っている武器を見た。これでいったいいくらの魔族を倒してきただろうか。理由はいくらでもある。でもそれは本当に正義なのか。そんな疑問が頭をよぎる。


「ずいぶん寂れたとはいえ魔王城にたった四人で乗り込んでくるんだからきっと腕が立つんだろう? 一つ、私のお願いを聞いてほしいんだ」


 そこまできてようやく男は重い腰を上げた。開かれた目にも魔力が宿り、勇者たちはその気迫だけで心が砕けそうなほどだった。


「私を、ここではないどこかに飛ばしてほしいんだ」


――――


「とまぁ、こんな感じで」


 店長はそこで一度言葉を切って、もう冷め始めた紅茶を一気に飲み干した。語り続けてのどが渇いたんだろう。さっそく立ち上がっておかわりの準備を始めている。


「へー、それで、その新作ゲームはいつ発売になるの?」


「私の昔話だってば!」


 少しも信じた様子のない富良野さんは自分から聞いた話なのに、興味なさそうに畳の上に寝転がった。


「でもさ、店長が強いっていうのもあんまり信じられないなぁ。確かに触手がすごいのは知ってるけど、こないだも要くんに言い負かされてたし」


「あれは彼の気迫が尋常じゃなかったからだよ。思い出しても怖いったらないよ」


「まぁ、いいや。それで続きは?」


「それじゃ、そのあとの話をしようかな」


 おかわりの正山子種ラプサンスーチョンをまた少し飲んでから、店長は語りを続ける。そのすぐそばでは秋乃さんが頭を抱えて小さな声でつぶやいていた。


「男の激辛担々麺、男の激辛担々麺。これは私の知っている担々麺といったい何が違うのでしょうか? やはりマスターがいないと理解がはかどりません……」


 段ボール箱の中身とにらめっこしながらオーバーヒート寸前の秋乃さんを置いて、店長の一人語りは続いていく。

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