姫のおねだり? だが断る

「あ、高橋くん。紹介しておくよ。アルバイトの富良野さんと小木曽くんね」


「さっきちょっと話しました。よろしくお願いします」


「要くんね。私もゆかりでいいから、よろしくね」


「しゃっす」


 あんまり女の子を名前で呼ぶのは慣れてないんだけどな。富良野さんみたいなタイプは特に昔から苦手だ。いやいや、ここで引いてどうする。バイトの仲間なんだし、これを機にちょっとずつ慣れていけば。そうすると今度は小木曽さんに睨まれそうだな。


「あれ、その腕は?」


 学校の制服からコンビニの制服に着替えた富良野さんは半袖のシャツに変わっている。ブレザーのときはわからなかったけど、その腕には白い包帯が巻かれていた。それも両腕。手首から二の腕まできれいに肌が隠れている。よく見ると首筋にも包帯を巻いているらしい。


「あ、これ? ファッションだよ。カッコいいと思わない?」


「えっと、個性的でいいんじゃないかな?」


 昔よりちょっと大人になった俺には痛々しい日々が思い出されるから人のことはとやかく言えない。それよりも誰もが同じような道を一度は歩くものだと思うと少し嬉しいくらいだ。

 でもそれは声には出さないでおこう。これはもう俺の内に秘めた黒歴史だ。


「それじゃ、頑張ろうね」


 認められたことが嬉しかったのか、富良野さんは笑顔で手を振ってくれるけど、そうすると小木曽さんがまた怒りそう。っと思った矢先、富良野さんはくるりと後ろを向いてバックヤード、畳敷きの休憩室まで戻ってしまった。


「え、結局店番は俺一人でやるの?」


「あたしは適当にしてるからー」


 適当どころか来たばかりだっていうのにもう休憩に入っちゃってるんですけど。


「ちょっと」


 呼び止めようとした僕の肩を店長がつかむ。


「彼女はこんな感じだからよろしく頼むよ、高橋くん」


「なんだかなぁ」


 店長あんなに強いのにどうしてこういうときは強く出られないんだろう。そもそも触手出したら辞めちゃうからか。それにしたって辞めないにしてもレジに立ってくれなきゃ雇っている意味もないのに。


 かといって二人並んだところでやることがあるわけでもない。モップもかかっているし、誰も触れないから棚の整理も補充も必要ない。ホットメニューなんて追加があるわけもなく、どうしようもなくて俺が雑誌の立ち読みをしたいくらいだ。


「ねーねー、要くん」


 たった二日で暇というものにこりごりしている俺に休憩室から顔だけ出した富良野さんが呼びかけた。制服には着替えているけど、休憩室兼店長の寝室となっている畳部屋から出てくる様子が一向にない。小木曽さんも側から離れる気配がないし、いったい今までどうやってバイトしてきたんだろう。そもそもやってないのか。


「グル―とって。爪割れちゃった」


「仕事もしてないのに?」


「うるさいなぁ。ほらあれ、早く取ってきて」


 這い出るように休憩室からようやく出てきた富良野さんはレジにまっすぐ立っている俺の肩に顔を乗せた。


 近い、近い、近い。なんでそんなに距離感が近いの。女の子ってもっと男に対して壁があるものなんじゃないの!?


「ほら、あれだって」


 富良野さんは俺の動揺なんてまったく気にも留めず、商品棚の方を指差している。


「いや、あれは商品だからダメだよ」


「じゃあ買ってよ」


「どうして俺が」


 今日はじめて会ったばかりの同僚によく当然のようにおねだりできるものだ。いったい今までどんな生活をしてきたんだろうか。あの小木曽さんが相当甘やかしているんじゃないだろうか。


 当然のように断った俺の顔を富良野さんは信じられない、という表情で両手でつかんだ。そのままギリギリと捻ってくれる。俺の首はそれ以上曲がらないから。


「要くん、あたしがあげた飴って食べた?」


「食べたけど?」


「本当に?」


 疑うように俺の目をじっと見た富良野さんはめちゃくちゃ不機嫌そうだ。そもそもあの飴を食べたってだけでもっと評価してほしいところなんだけど。


「すごく舌が痺れるような味だったんだけど」


「ふーん」


「謝ってくれないの!?」


 いったいどう言ったら興味をもってもらえたのか。最近の若い子はよくわからない。俺と三つも違わないけど。これは富良野さんが特殊なだけなんだろう。


「まぁいいや。裕一ー、グルー買ってー」


「うっす」


 裕一、と呼ばれて小木曽さんが休憩室から這い出てくる。こっちはおそらく社会人なんだからもっと真面目に働いてほしい。それとも富良野さんの付き添いできているだけで従業員じゃないのかな。それはそれで不安が増してくるんだけど。


 富良野さんに呼ばれて、言われるがままに小木曽さんは補修用のグルーを持ってレジの前にやってくる。お金を出して買うと言われれば俺に断る権利はない。はじめてのレジ打ちがこんなので本当にいいのかなぁと思いつつ、シールを貼ってそのまま富良野さんに渡した。


「はい」


「やったー。ありがとー」


「まったく最近の若い子ってやつは」


 今度は考えてきたことが口をついて出た。その瞬間に鬼のような形相で小木曽さんが睨む。はいはい、すみません。俺が悪かったです。手刀を切って謝ると小木曽さんは納得したようにまた休憩室へと戻っていった。


 その先ではやっと爪が治ったらしい富良野さんの喜びの声が聞こえる。騒がしいとお客さんの迷惑になるからやめてほしいんだけど、そのお客さんがいないんだから強く言えないのが実際のところだ。


「俺は、流されないぞ」


 店長の恩に報いるためにせめて幽霊コンビニの汚名は返上しなくちゃいけない。実際はただ店長が触手人間なだけの普通のコンビニなのだ。それが普通かどうかはおいておいて、俺は富良野さんの声を聞かないようにしながらまたぼんやりと誰も入ってこない店の外を眺めるしかなかった。

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