二話 紫色の愛情疾走
JKバイトにご用心
「おはようございまーす」
トラックが店のガラスを全部割ったというのに、翌日には何事もなかったかのようにスクウェアM百夜街道沿い店は営業していた。昨日のことが夢のように思えるけど、真新しい曇りのないガラス窓が現実だったと言っている。
「おはよう、高橋くん」
ということは店長が触手を持った謎の怪物であることも疑いようがないわけで。それでも律儀にバイトに来る俺は相当なお人好しだと思う。
「ガラス、昨日の今日できれいに直ってますね」
「まぁ、いろいろとツテがあるからね」
「そ、そうなんですか」
魔法使いや超科学者が知り合いにいてもおかしくない。でも変に話を深く聞いてしまっても怖いしあまり聞かないでおこう。やっぱり俺が来るまでにお客さんは一人も来なかったみたいで、店内は足跡一つない床が輝いている。
「店長、掃除ばっかしてましたね?」
「高橋くんが来てくれたんだからこれからだよ、これから」
「じゃあ俺、着替えてきますね」
ロッカールームに入ると昨日使ったところにもう俺の名前が入っている。さすがに仕事が早い。暇なだけかもしれないけど。荷物を入れて着替えを済ませてさっそく店内に戻ると、店長が触手を縦横無尽に伸ばしていた。
「うわぁ!」
「どうしたの、そんなに驚いて」
「いや、まだ慣れなくて」
「いやぁ、ごめんごめん。こうしないと仕事が終わらないからね」
そう言って店長は人間の手で頭を掻く。そうしている間にも黒い触手たちはそれぞれ別の意思を持っているかのように棚の整理、飲み物のチェック、窓ガラス拭きにモップがけと文字通り一騎当千の活躍ぶりだ。
「便利、っていうか店長にはそれが普通なんでしょうけど」
「人間から見れば恐ろしいんだろうね。ちょっと驚くだけでこうしてちゃんとバイトに来てくれるんだから高橋くんは神様みたいな人だよ」
お客様は神様、ってどこかの歌手が言っていたけど、この店長はバイトまで神様扱いしてくれるのか。本当に懐が深いのか、間口が緩みきってしまっているのか。
「商品にまたあの粘液がついたりしないんですか?」
「昨日みたいに焦るようなことがなければね。昨日は高橋くんに正体を知られまいと必死だったから、つい」
つい、であんなのをいろんなものに塗りたくられちゃかなわない。昨日のジュースもきれいに一つずつ拭き取る作業を手伝った。
「でもそうやって店内で触手出して作業するから幽霊コンビニって言われちゃうんじゃないんですか?」
「あ!」
触手たちの動きが一瞬にして止まる。
他の店舗より二回りは大きなコンビ二だ。ドライバーの目にもよく止まる。実際は店長の居住スペースが場所をとっているだけなんだけど。その目立つ店舗の大きなガラス窓から得体のしれない触手が
「や、やっぱり私は裏での仕事をするよ。申し訳ないけど高橋くん、店番を頼むよ」
「はい、わかりました」
「そうそうレジ以外は無理しなくていいからね。後で私がやっておくから」
大きな体を揺らして店長はバックヤードへ逃げていく。この姿を昨日は何度も見てそのたびに疑ったけど、今なら理由が理解できる。この人はあんなに強いのに本気でコンビニ店長をしていくつもりなのだ。
今もバックヤードに逃げ込みつつも一本だけ触手を伸ばして床のモップがけをしている。仕事熱心だけど、俺の分も残しておいてほしい。
「だってお客さん、来ないんだもんなぁ」
立っているだけでお給料をもらうなんて気分が悪い。店長があんなにいい人ならなおさらだ。しかも破格の時給一五〇〇円。なにかやらなきゃ男がすたるってものだ。
とはいえお客さんがいなければ何もできないのがレジ仕事の悲しいところだ。普通なら外で客引きってこともあるんだろうけど、幽霊コンビニで客引きがあったら逆に逃げられるのがオチに決まっている。
店内はもう閑古鳥も鳴き飽きて飛び去ったかのように静かで、沈黙が重苦しく俺にのしかかってくるばかりだった。
「店先の掃き掃除でもしておこうかな」
箒とちりとりを持って外に出ると、夕日が当たって心地いい。自動ドアの近くから順番に車止めの辺りでリズムよく箒を鳴らす。お客さんは一向に来てくれなくても風に乗って砂やゴミが嫌というほど集まってきてくれる。
「でもきれいにしてればお客さんも来るかもしれないしね」
一通り掃除が終わって、ふぅ、と息を吐く。そこにひょこりと影が差した。
「あれ、君誰?」
「え、あ、いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませくん?」
「違います!」
不思議そうに首をかしげた女の子に思わず声をあげる。制服を着ているところを見ると高校生らしい。目に痛いほど鮮やかな金髪に胸元に緩く結んだリボン。短いスカートに着崩したブレザージャケット。なんか絵に描いたような不良ギャル、って感じ。
今の時代にこんな子なんて実在するんだろうか。彼女はロリポップをコロコロを下の上で転がしていて、ときどき唾液の絡んだ音が聞こえてきた。
「どしたの、ジロジロ見て?」
「あぁ、いや。どうぞ」
自動ドアの前をさっと譲る。どんな子であってもお客さんには違いない。ここで変に思われて帰られちゃ困るのだ。
「あー、もしかして新入り? あたし、ここのバイトの富良野ゆかりって言うんだ。よろしく」
なら先に言ってほしかった。妙な気遣いをして疲れてしまったじゃないか。別に年下とはいえ先輩なんだから印象が悪くなるよりはいいんだけど。
ひきつった笑いをなんとか我慢していると、富良野さんはポケットを探って自分が舐めているのと同じロリポップを俺に押しつけるように渡した。
「あ、どうも」
「もらったものはすぐ食べてね。先輩命令」
「でも今はバイト中なんで」
「大丈夫。店長はそのくらいじゃ怒らないし、そもそもお客さん来ないし」
いやそれはそれで大問題だ。その数少ないお客さんが入ってきたときに店員が飴なんて舐めてたら今日も売り上げゼロで終わってしまう。
「あたし着替えてくる。じゃーね!」
レジの横を通り抜けてバックヤードに走っていく姿を見送る。ちょっとなれなれしい感じはしたけど、明るいし悪い子じゃなさそうだ。はっきりしているし、あのくらいの方が案外クラスでも人気が出たりする。
さて、掃除も終わったし中に戻ろう。そう思った瞬間に行く先を大きな影が割り込んできた。
「おい」
「はい!」
富良野さんとはうってかわって低い凄味のある声。俺より高い顔を見上げると、眉間を震わせながら男の人が睨んでいた。
「姫にあんまりなれなれしくするんじゃねぇぞ」
「は、はい!」
なんだ、この人。富良野さんと一緒にいたみたいだったけど、全然気がつかなかった。でもこっちは学生服じゃなくてなぜか白衣を着ている。歳も俺よりさらにいくつか上に見えた。クマのできたうつろな目なのに、妙な力を持って俺を品定めしている。
富良野さんの友達? 彼氏? もしかして先生と付き合っているとか!? 最近の高校生は進んでるなぁ。
「それにしても店長、バイトがいないからお客さんが来ない、って言ってたけど、ちゃんといるんじゃないか」
二人もいるなら昨日はたまたま入れない日だったのかな。毎日店長以外に誰かいないと困るわけだもんなぁ。
それにしてもいきなり睨みつけられて緊張でのどが乾く。そこでふともらったロリポップのことを思い出した。
「そうだ。これちょっと食べてみようかな」
少しだけなら、と一舐めして、俺はせっかく掃除したばかりの地面につばを吐く。
「うわっ、何これ? 何味なんだろう? 舌が痺れるみたいな味がする。そういう飴なのかな」
どうやら富良野さんかなりのいたずら好きみたいだ。それとも味覚が変わってるのかな。でももらったものを捨てたなんて知ったら悲しむだろうし。
俺は結局痺れる舌を我慢しながら、レジの前で少しずつロリポップを舐めることにしたのだ。
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