7月3日

「Mさんの様子がおかしい」

「まーたその話か」


 その日の放課後も余裕教室を取得したものの、Mは鍵だけ置いて家に帰ってしまった。室内はKの二人きりになり、俺はここぞとばかりに最近の違和感をぶちまける。教卓が定位置になりつつあるKは退屈そうな表情で俺を見下ろし、わざとらしくあくびを見せつけてきた。


「お前が気づいてないだけで、姉貴がおかしいのは元からだよ」

「でも最近は目に見えてヤバイだろ。相当寝不足みたいだし……」

「明日から期末だから、今はしょうがない。あれでも人生かかってるんだ」


 本来変人であるはずのKが、今日は珍しく真っ当な発言をしていることに俺は苛立った。これではまるで、自分の方がおかしなことを言っているように錯覚してしまう。


「勉強『だけ』で夜更かししてるならまだいいさ。でも、Mさんはそうじゃない」

「そりゃ姉貴も人間だし、息抜きは必要だろ」

「普通の人間は」俺は首を横に振る。「息抜きであの『ノート』を読んだりしない」

「さすがは俺の姉」

「自惚れんな」


 教室ど真ん中の机に座っていた俺は、無意識に荒げた声とともにKを睨みつけた。そもそもMにノートを貸したのはこの男であるはずなのに、最近のMについては一切触れようとしない。毎度適当にはぐらかしてくるKに対し、ここ何週間か俺は怒りを募らせていた。


「あんなノートを読ませて、それこそ受験に影響が出たらどうするんだよ」

「姉貴はちゃんと自己管理ができる人だし、俺はあの人の母親じゃない。ノートを取り上げる義務なんか俺にはないよ」

「だからって」


「姉貴もLが気になっていた。気にするのが普通だ。どっちかと言えば、俺はLに対してここまで無関心でいられるお前の方が不気味だと思うぞ」


「……俺が?」

「自分の妹があんなことになっているのに、お前は一切Lの話をしようとしない。ノートを俺に押し付けて、自分は関係ありませんって顔してさ」

「それは、お前には関係ないだろ」


 実際のところ、「無関係」なはずがないのだけれど。内心でそう分かってはいながらも、俺はKの言葉を拒絶する。机の上で足を組もうとして、結果前の椅子に右足をぶつけた。顔をしかめた俺を見て、Kがにやっと笑う。


「そんなお前が姉貴にだけ関心を持ったのが俺は不思議なんだ。もしかして、惚れてんの?」


「いい加減にしろ」


 思った以上に大きな声が出たことに、俺は自分で驚いていた。Kの顔からいやらしい笑みが消え、俺たちはしばらく、無言で睨み合う。


 Kはひどい思い違いをしている。こいつに話していないだけで、俺はLのことを常に考えているし、実はMとは何度か議論している。俺がこいつにその話をしない原因は、他でもないK自身にあった。


「俺がMさんを心配しているのは、『お前』がノートをあの人に渡したからだ……Mさんになにを吹き込んだ?」

「意味がわからん。何の話だ」


 俺は机から立ち上がり、教壇の真ん前まで歩いていく。これ以上見下ろされるのはごめんだった。正面からKを見据え、俺はようやく核心をつく。


「知ってるぞ。Lが狂ったそもそものきっかけは、お前だ」

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