ある死にたがりの話
ある日、偶然立ち寄った酒場で生きる意味を探す人物に出会った。
彼はこう言った。
「生きる理由を教えてくれ」
七転八倒しても見つからぬ。生まれて一度も役に立ったことすらない。だからせめて自分に価値を作って欲しい。と
彼は《生きる意味》を探していたのだ。
さて、その問いに僕は首を傾げた。
「君は会って間もない僕にそれを求めるのか?」
僕は彼の名前も生きてきた人生も何も知らない。ここで別れたらきっと二度とは会うまい人物でもある。彼は僕に何を求めているのだろう。
彼はこう答えた。
「何も知らない君だから聞くんだ」
なるほど、と思った。
僕が彼を何も知らないこと、それを承知で聞いているのなら、この先に進むこともやぶさかでない。彼の欲しい物を与えなくともよい、という確約を得たようなものであるから。
葡萄酒を一口なめて僕は言った。
「じゃあ、死ぬ意味を教えて?」
その切り返しに彼は少し考えているようだった。
ややあってこう返事が来た。
「死ぬ意味はない。生きる意味もない」
「じゃあどうしてここに?」
僕はさらに続けた。
「さあな、ただ……」
彼は目の前のグラスに注がれた白いにごり酒を見つめながら言った。
「この酒が旨くて……」
最期になるかもしれないし、飲んでおこうと思ったんだ。
その酒は透明でなくとも、先が見えなくとも、確かな旨みがある。キレもあってやめられないそうだ。
僕は目を細めて、なんだ、と呆れて見せた。
「答え、出てるじゃないか」
その酒が好きならそれを口にするために生きればいい。それでいい、大層な理由なんていらないのである。
生きていたって、何か大きなことを成す人物は極々一握り。大体は平凡に生きて平凡にこの世を去る。ならば、大層な理由で自分を縛りつけるより、自由に生きた方がずっといい。
「なあ、君はどうして生きてるんだ?」
今度は彼が聞いてきた。僕は迷わず言う。
「死にたくないから」
彼は納得したようだ。
「単純なものだね」
「そうさ、なまじ知性とかいうもの持ってしまったから考え込むんだよ」
楽に生きようよ、そうすれば最期にきっと見えるはずだからさ。
僕は葡萄酒を飲み干すと、カウンターに硬貨を置いて立ち上がった。
「つまらない問答を聞かせて悪かったね」
彼は最後にそう謝罪してきた。
僕は何も言わずに手をあげた。構わない、という意味だが彼はどうとったのだろう。
それ以来、僕は彼に会っていない。
学術都市のソムリエのコンテストで優勝した男が貴族お抱えになれた、という話を風の噂で聞いただけだ。
僕には関係のない話である。
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