第14章 妹は復讐の女神 4


 ウィリウスの言葉が、むちのように俺とアマリアを打つ。


 ウィリウスの右肩には、タラコで襲われた際に負った傷痕が刻まれている。ウィリウスが肩を掴んだ行動は無意識だろうが、俺とアマリアを奮い立たせるには十分だった。


「お兄様を傷つけた不埒者ふらちものは、どの男ですか!」


 見つけ次第、平手打ちでも食らわしそうな気配を発しながら、アマリアが尋ねる。アマリアの性格なら、復讐の女神フリアエに頼らずとも、自力で復讐を果たすだろう。


「お嬢さん。気持ちはわかるが、捕まえるのが先だ」

 俺は、今にも走り出しそうなアマリアを制する。


「あなたに言われるまでもなく、わかっているわ。贋金造りについての情報を得る、貴重な機会ですもの」


 アマリアはつんと形の良い鼻を上げると、高慢に告げる。

「そこまでわかっていれば、十分さ」


「わたしを襲ったのは、あそこの、灰色の房飾りがついたテュニカを着た男だ。気をつけろ。グラディウスをいている」


 俺の返事に被せるように、ウィリウスが低い声で囁く。俺とアマリアは、ウィリウスが示した方向を、さりげなく窺った。


 ウィリウスの言葉通りの格好をした男が、人混みの間を抜けて、フォルムを出ていこうとする姿が見える。肩幅ががっしりしていて、体格がいい。動きにも無駄がなく、きびきびしていた。


「たぶん、軍人崩れだろうな。グラディウスを差した姿も堂に入っている」

 俺は小言で呟いた。死んだ親父がローマ軍団の補助兵だったため、よくわかる。


 旅行者は護身のために佩剣はいけんしている場合が多いが、大抵の男は、普段の生活では丸腰だから、剣に慣れていない。そのせいで、剣を佩いていたとしても、不恰好だし、安全な町中では、宿に置いてくる場合も多い。


 ヒスパニアでウィリウス達を襲撃し、傷を負わせた犯人なのだ。軍人ならば、剣の扱いに慣れている上に、人を傷つける事態を躊躇ためらわない。


 俺たち三人は、男を追ってフォルムを出た。男は俺達が来た道とは別の道を通って、丘を降りて行く。


 坂道の途中には、石造りの大きな半円形の建物があった。劇場だ。中で喜劇でも上演されているのだろう。風に乗って観客の笑い声が聞こえてくる。


 男は、ふと足を止め、劇場を見上げた。が、劇場には入らずに再び坂道を下りていく。観客だらけの劇場に入られては、他人目に触れずに捕まえる機会が消え失せる。俺は、小さく安堵の吐息をついた。


 しかし、どうやって男を捕えたものか。俺は、頭を悩ませた。ウィリウスは既に男に面が割れているから、あまり近づき過ぎてはまずい。かといって、帯剣している男にアマリアを近づける事態は、断固、避けたい。となれば、残るのは俺だけだ。


 可能なら、他人目のない裏路地にでも、男を連れ込みたいが、さて、どうしたものか。


 俺の思案をよそに、男はのんびりとした足取りで、道の両側に並んだ屋台にちらちら視線を送りながら歩いていく。


 青銅器を売る店、木の細工物を売る店など、屋台には色々な種類があるが、一番多いのは、食べ物を売る屋台だ。真冬なので、青果こそ少ないものの、シリア産の干した無花果いちじく棗椰子なつめやしの実を売る屋台、温かそうな湯気を上げている煮豆の屋台、ごろりと大きく見事なかぶを売る屋台は、近隣の農家が出しているのだろう。野暮ったい風貌ふうぼうの爺さんが店番をしている。


 店先に台を出し、鍋で揚げ物をしている屋台に、男が近づいていく。

 甘い香りが漂ってくると思ったら、揚げているのは、菓子だった。古くから伝わるグロービと呼ばれる素朴な菓子だ。チーズと小麦粉をこね、鉢で混ぜ合わせて生地を作り、小さなボール状に丸める。それを油で揚げた後、蜂蜜を絡ませ、芥子けしの実を振りかければ、完成だ。家でも簡単に作れる。

 俺も、幼い子供の頃、お袋にねだって作ってもらった記憶がある。最近は、菓子など、とんと食べた覚えがないが。


 どうやら、男はいかつい見かけに相違して、甘党らしい。屋台の店主に嬉しそうな顔で注文している。


 男が立ち止まったからといって、俺たち三人ともが立ち止まっては、目立ってしまう。男に顔を知られているウィリウスは、いち早く、一人だけ離れて人混みの中に紛れ、俺は品物を物色する振りをして、青銅器の屋台を覗き込んだ。


 しかし、アマリアだけは、一人、ずんずんと男に向かって進んでいく。俺は急いでアマリアを止めようとした。が、間に合わなかった。まさか、大声でアマリアの名を呼んで、周囲の注目を浴びるわけにもいかない。


 くそっ、と心の中でアマリアの無謀さに毒づいて、俺は、もし、男が不審な動きを見せれば、すぐさま二人の間に入る気で、アマリアと男のやりとりに意識を集中した。

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