第6章 フォルトゥナの微笑み 2
俺は、ラウロ達から話を聞いて以来、心の中に巣食っている仮説を口にした。
「屋敷の奴隷の誰一人として、ウィリウス様の死体を確認した奴はいない。クレメテスの死体は荒らされて、髪の色や体型でクレメテスだろうと推定されたが、確証はない」
「何が言いたいの?」
アマリアが挑戦的な目で俺を見上げる。俺はアマリアの視線を真っ直ぐに受け止めて、力強い声を出した。
「ウィリウス様とクレメテスは、生きている可能性がある」
アマリアは上半身を起こすと、無言で杯を呷った。空高く鳴き声を上げる鳥のように首が伸び、白くたおやかな喉が露わになる。杯を臥台に置いたアマリアは、杯を見つめたまま、静かな声を紡いだ。
「お兄様の部屋の長持で、奇妙な書字板を見つけたの。書字板に書かれていた言葉は、たった一言だけ。「フォルトゥナは、わたしの
俺は、ローマのルクルスの庭園でアマリアから聞いた話を思い出した。
母親が病に倒れた時、まだ幼かったアマリアは、兄と一緒に、
しかし、母親は回復せずに冥府へ旅立った。以来、アマリアはフォルトゥナの加護を信じていない。兄であるウィリウスは、アマリアの思いを知っていたはずだ。にも拘らず、フォルトゥナの名を書字板に書いた理由は何だろうか。
俺はアマリアを見やった。顔を上げたアマリアは、強さを秘めた眼差しで、俺を真っ直ぐ見つめ返す。
「私もあなたと同じ考えよ、トラトス。お兄様とクレメテスは、生きている」
きっぱり言い切ったアマリアの口元には、華やかな笑みが浮かんでいた。
「お兄様は、書字板を私のために書き残したんだわ。他の人にはわからないように、タラコに来た私だけに、自分の生存を伝えるために」
「だが、生きているのなら、ウィリウス様はどこにいるんだ? そもそも、何故、死んだと偽る必要がある?」
俺は心の中にわだかまる疑問をアマリアにぶつけた。未来の元老院議員であるウィリウスが死者を装うなど、常識では考えられない。輝かしい未来を自ら放棄するに等しい行為だ。
「お兄様がどんな理由で身をくらましたのかは、まだわからないわ。自分の意志で行動したのか、誰かに強制されたのか」
アマリアが緩くかぶりを振る。動きに合わせて、結い上げた髪から落ちた後れ毛がゆらゆらと揺れた。
「少なくとも、総督のニメリウスが関わっているのは間違いないな。ウィリウスの死をローマまで知らせてきた人物はニメリウスだし、ニメリウスは今日、俺達の前で、ウィリウスは死んだと断言した」
加えて、ウィリウスの死の知らせもクレメテスの死の知らせも、官邸の奴隷が持ってきた。奴隷を遣わした人物がニメリウスかどうか、確かめる必要がある。
「明日、もう一度、官邸へ行きましょう。調べたい疑問点が、たくさんあるわ」
「そうだな。ウィリウス様が生きている可能性が出たおかげで、わからない事柄が、いっそう増えた」
こんがりと焼かれた白パンを細い指先でちぎりながらアマリアが言い、俺は大きく頷いた。アマリアは、明るい茶色の瞳を挑むように煌めかせる。
「お兄様がどんな陰謀に関わっているのか、まだ何もわからないけれど」
アマリアは強い意志に満ちた声で決意を告げる。
「私は必ず、お兄様を見つけてみせるわ」
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