第6章 フォルトゥナの微笑み 1
俺は
アトリウムへ出ると、ちょうどウィリウスの部屋から出てきたアマリアと出くわした。
「聞き込みの中で、気になる話を聞いたんだ。それを伝えに来た」
俺の言葉に、アマリアの明るい茶色の瞳が輝く。
「私も、気に懸かる書き置きを見つけたの。夕食を取りながら、情報を交換しましょう」
アマリアは先に立ってアトリウムを進んだ。アトリウムの開けた天井からは、赤みがかった西日が差し込み、雨水貯めの水面に反射して、柔らかな光を壁に投げ掛けている。夕暮れ空を映す水面は、茜色に染まっていた。
ローマ風の屋敷は、アトリウムを中心とした前半分と、
アトリウムが公的な空間だとすれば、ペリステュリウムは私的な空間だ。ペリステュリウムは、手入れされた庭を列柱回廊が囲み、回廊に沿って
列柱回廊に囲まれた中庭は、広くはなかったが、よく手入れされていた。
背の高いアカンサスの緑の葉が、微かな風に揺れ、アカンサスの近くに植えられた遅咲きの百合の花の香りを運んでくる。女性の守護女神であるユノーの青銅像の周りには、そこだけ一足早く宵闇が忍び込んだように、
列柱が細長い陰を落とす回廊を進んだアマリアは、香辛料の香りが漂ってくる食堂へ入った。食堂の三方の壁には、ナイル川流域の景色が描かれており、ランプの揺れる炎に、
正式な饗宴では、中央のテーブルを三つの
「あなたは下がっていいわ。給仕はトラトスにさせるから」
女奴隷の手を借りずに身軽に臥台に乗り、アマリアが命じる。女奴隷は一礼すると、静かに食堂を出て行った。
アマリアはウィリウスの死の話題を、他の奴隷達の前では、あまり出したくないのだろう。犯人がわからず、誰を信じればよいか皆目わからない現在の状況では、アマリアが警戒する気持ちもわかる。
俺は中央のテーブルに近づくと、イルカの模様が刻まれた青銅製の杯に、水差しの葡萄酒をついだ。
大きなテーブルの上には冷製アーティチョーク、美味で知られるバエティカ産のハム、
香辛料と魚醤の香りを嗅ぐだけで、生唾が湧いてくる。だが、この料理は全て、アマリア一人のための夕食だ。俺は使用人に過ぎない。空きっ腹を抱えて給仕をするのは辛いが、使用人の務めだと思って耐えるしかない。後で、調理場で黒パンを貰って
「何をぼんやりしているの。さっさと、あなたも上がりなさい」
臥台の上から、アマリアが高慢に命じる。
「どういう意味だ?」
俺はわけがわからず尋ねると、アマリアは馬鹿にしたようにつんと顎を上げた。
「あなたも空腹なんでしょう。これだけの量を一人では食べきれないもの。あなたも食べなさい」
臥台は、もともと、一台に三人が寝そべられるようになっている。アマリアの隣に俺が乗る分の余裕は十分にある。が、俺は首を横に振った。
「料理はありがたくいただくが、臥台は遠慮する。消化不良を起こしそうだからな。俺は立って食うよ」
俺は、生まれてこのかた、食事の時に臥台なんて乗った経験がない。
そもそも、臥台に横たわって食事する際は、男はトーガを
使用人の俺に、対等に近い振る舞いを許すアマリアが、そんな下らない法律に縛られるとは思わないが。
「好きになさい。食欲を満たすのもいいけれど、先に話すべきことを話すのよ」
俺の辞退に気を悪くした様子もなく、アマリアが答える。葡萄酒の杯を渡すためにアマリアに近づくと、アマリアは形良い鼻をうごめかせた。
「お酒臭いわ。顔も少し赤いし。本当に聞き込みをしてきたんでしょうね?」
アマリアが明るい茶色の瞳で俺を睨む。
「あんたの名前を借りて、調理場から葡萄酒を失敬したんだ。安心しろよ。ちゃんと話は聞いてきたから」
俺はラウロとオプルテスから聞いた話をアマリアに披露した。話しながら合間に料理に手を伸ばす。
擂り身団子の中身は海老で、他には微塵切りの
俺が今まで食べた料理の中で、最も豪勢で美味い食事だ。といっても、貧乏人の俺がこれまで口にしてきた料理など、たかが知れているが。
ついつい食欲に負けて、話がおざなりになるのを理性で制する。アマリアは、今夜程度の食事など、慣れきっているのだろう。片肘をついて臥台に横たわり、白い指で優雅に鯛の身を口に運んでいる。
ウィリウスの火葬に屋敷の奴隷は呼ばれなかった件と、クレメテスの死体が野犬に荒らされ、酷い状態だった件をアマリアに伝えると、アマリアは鯛の付け合わせの黒オリーブに伸ばしていた指先を止めた。
「トラトス。あなたが何を考えているか、言ってみなさい」
アマリアの明るい茶色の瞳が、俺を試すような光を湛える。
俺はアマリアを糠喜びさせる事態を警戒していたが、アマリアの表情を見るに、アマリアもウィリウスの部屋を調べて、何やら見つけたらしい。
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