捕捉
外が明るくなる頃、璃央の身体を借りた存在は天宮の制服へと着替えを済ます。
押し入れに入っていた予備の運動靴を履き、窓の縁に足をかける。
(あなた、ヒルメね?)
そこで璃央の心の声が聞こえてきた。
「うむ。何を見た?」
ヒルメはニッと笑みを浮かべ、窓から跳躍。庭とは逆にある道へと降り立った。
璃央が見たのは戦争の夢。それもただの戦争ではない。
(反乱制圧の夢)
「ああ、そこか」
どことなく暗い。暗くなる理由は璃央にだけは分かる。
「さて、と。本気の走りを見せてもらうとしよう」
路面を蹴って靴の具合を確かめる。
(走り? 私はそんなに早くなんかない)
「ふっ、昨日、日崎の末が使った魔法を見たであろう?
なあに、妾の力を使う故、汝は乙女日記の続きに耽るがよいわ」
ヒルメは自信に溢れる笑みを浮かべ、全身に魔力を漲らせる。その奔流に璃央はたやすく飲み込まれそうになるが、必死に耐える。
(まさか神魂へのパイプが繋がった?)
「馬鹿者め。あやつの言っておったカレーの匂いとやらに決まっているだろう。行くぞ!」
ヒルメは前傾で、短距離走のランナーがそうするように、下肢に力を溜めて構える。
(いくら魔力の本当の使い方を教わったからって、こんなに早く、こんなにたくさんの魔力を使えるはずが)
「妾が使い方を知っているだけだっ」
ロケットスタート。その後に訪れる速度はなんと例えればいいだろうか。少なくとも人の足で出すものではない。
二本足で、獣のように疾駆。
「そうら、加速だ!」
全身に瞬発力が漲る。セイジが使用した『エンチャント・ヘイスト』と同じ魔法が使用されたらしい。
(一度見ただけで?)
「公式とやら自体は何度も教科書で見ておるだろうが」
確かにそれはそうだが、見て使えるようになるなら誰も苦労はしない。
(どこに向かってるの?)
「妾を襲った馬鹿者を潰しに行く意外にはない!」
(な・・・・・・)
絶句。
(そんなの無理に決まってる! というか、場所も分からないのに?)
ヒルメは走りながら失笑。
「この地、この時間にあって、妾から隠れられる場所などないわ!」
(じゃあ、せめて星司さんと一緒に)
「あやつに教えたら妾が活躍出来なくなるではないか」
それと同じ台詞は夢もとい乙女日記でも聞いた(口にした)。でもその時は、どうしても反乱をしたあの人に会うために、そのためだけに前線に出ようとしてのもの。
あやつの対象は違う。
一言一句まったく同じ台詞だと、夢で見るヒルメとこの自分を動かしているヒルメが同一人物であることを否定したくなくなる。もっとも、公用以外の口調はまったく違うのだが。
「そら、さっさと他の場面も知るのだ。出来れば甘ったるいコイバナが良かろう」
また鷲掴みされる感覚に襲われる。
(せめて強制はやめっ)
璃央の意識は、再び夢の中へと落ちていった。
バサッと本が庭へと落ちる。
セイジは立ち上がり、屋敷を挟んだ反対側に唐突に発生した魔力の奔流に驚愕する。
「アマテラスだと?! まさか!」
土足で縁側を上がり、璃央の部屋のドア(日本家屋なのに璃央の部屋のドアだけ洋風で鍵がついているようだ)をノック。立て続けに強く三度ノックをしてから、開ける。鍵はかかっていない。
部屋はもぬけの殻。
開け放たれた窓から朝日が差し込んでくる。
「あんの、馬鹿。いや、その前に、なんであいつの魔力が」
璃央は記憶を持たない転生者であり、神魂からの力は使用出来ない。感じてすぐに対象を特定出来るほど強い魔力など、発せられるはずがない。
「くそっ」
荒立たしく縁側へと戻り、未だ微睡む獣をコートの中に投げ込む。
家人を起こし、央輝に璃央が出奔したことを伝えるように頼み、天宮家を飛び出した。
路上で東の空を見る。
陽光まぶしく色を持って見ることは出来ないが、存在自体ははっきり感じる。
昨日の襲撃時は閉じていたがために開く手順を踏まなければならなかったが、あれから鍵はかけていない。
力を使いこなす半神は、親の能力発現に合致する条件を得た時、亜神化を可能とする。
亜神化した時、魔力の総量は跳ね上がり、超越者の力を発現させた転生者と互角に渡りあえるほどの力を得る。
セイジの亜神化の条件にはいくつかあるが、内の一つが天に金星を確認した時である。
「mode QuasiDeity」
呟きで、自分の中で魔力が満ちるのと肉体が強化されるのを感じる。セイジの周囲に黄金の燐光が発露し、陽光を受けてキラキラと輝く。
「サーチ・エーテル!」
感覚が一気に円状に広がっていく。
セイジを中心にして、水面に広がる波紋のように東京全域のすべての魔力反応を把握する。その中に一際強く輝く存在を見つける。それは高速で移動中。位置は既に湾の縁に到達している。
ヒルメはハッと顔を上げて東の空を見る。
「もう見つかった?! なんてこと」
グッと奥歯を噛みしめる。
「しかし、もう追いつくものか!」
したり顔で更に速度を上げていった。
「見・つ・け・た」
両腕袖から刃無き柄を取り出す。黄金の燐光とは別に、琥珀色の輝きが周囲に満ち、柄へと向かって収束していく。それは琥珀の刃を形成していき右に長剣左に小剣が紡がれる。
双剣を振るい、自らの前方の空間を斬りつける。剣線は宙に十字の傷を描く。
「馬鹿を拘束するぞ、キオーン!」
呼び声に応じ、キュイイイイイと甲高い鳴き声を上げ、羽ばたきが前方に生まれる。
出現する。
傷が消え、代わりに出現した大型のバイクよりも大きなソレにセイジは飛び乗り、速度強化の魔法をソレに付与した。
ヒルメは湾港の倉庫群を前にして、唸っていた。
「屋内とは予想していなかった。さて、どれの中にいるのだ?」
大見得切ったはいいが、陽光の届かない場所にいるかまでは考えていなかった。
「感想はどうした」
問いかけても無言。ただ感情だけは受けてヒルメは頬が熱くなるのは感じ取る。そしてようやく。
(破廉恥! 破廉恥!!)
璃央は心でそう叫んだ。
「何が破廉恥か。ただ抱き合っただけではないか」
(うそつき! き、ききき)
「猿?」
(キスです! あ、いや、その)
「汝とて、彼の者との再会では似たようなことを妄想」
(や、やめてー!)
「どれだけウブなのだ・・・・・・」
やれやれと天を仰いだヒルメは、何か輝くモノが遙か上空から滑空してくるのを見た。
「なんだ・・・・・・? くっ」
速すぎる。
動けず、身構えるだけで精一杯だ。
ソレはドンッと音を立て、地に揺れを起こす。バサリバサリとの音と巻き起こる暴風。うっすらと目を開けて突然の急襲者を見る。
「なん・・・・・・だ、これは」
雪のように白い翼を羽ばたかせる鷲の上半身と大地を踏みしめる黄金に輝く獣の下半身を持つ、幻獣。
(グリ・・・・・・フォン?)
中で璃央が呻く。実物などはじめて見る。伝えられるものよりも遙かに小さいが、王者の風格は健在。
幻獣は羽ばたきを解いて、ヒルメにのしかかる。前足――かぎ爪で両肩をガッシリと掴む。
「こいつ!」
組み敷かれ、身動きを封じられる。どんなに筋力を強化しようと、今の状態の限界では幻獣はピクリとも動かせない。
「無礼な」
「無礼で結構」
声は幻獣から、否、幻獣の向こうから聞こえた。
(星司・・・・・・さん?)
聞き覚えのある声に璃央が解答を導き出す。
亜神化は既に解け、黄金の燐光は消えてはいるが、代わりに琥珀の輝きを纏い、両の手には大と小の剣を握る。
セイジは幻獣の背から下り、ヒルメの頭の横に立って、見下ろした。目が合う。眼の奥に怒りを見てヒルメは頬を引き攣らせる。物凄く、怖い。
セイジは璃央の身体を流れる魔力を見定める。昨日の襲撃後に比べて、明らかに魔力の扱い方が違う。
「おい・・・・・・、これは一体何のマネだ?」
怒鳴りつけたい感情を押し込めた低音。手元でググッと柄を握りしめる音が漏れる。
ヒルメはフンと鼻を鳴らして顔を背けた。
「何故、アマテラスの力を使える?」
(パイプは変わらず繋がっていない。これは、なんだ?)
「何をするつもりだ?」
「疑問ばかりだな。聞いてすべての解を得られると、思っているわけではなかろう?」
昨日までと話し方がまるで違う。歳不相応の威圧感を感じる。これではまるで・・・・・・。
(リンカーだと?)
ゆっくりと、ヒルメはセイジへと向かって顔を向け、自分から目を合わせる。朱の瞳が紫の瞳を捉えた。
(星司さん! 助け)
「て!」
「あ?」
唐突に、璃央は自分の口が自分の叫びの末を発するのを聞き、セイジは不機嫌全開の返事をした。
璃央の瞳が朱から黒へと戻り、全身に漲っていたあらゆる強化が消失する。魔力の奔流だけが続いている。璃央は幻獣の重みに「づっ」と呻いた。
(逃げた?!)
璃央は心の奥に引っ込んだヒルメがニヤッと笑うのを感じた。
「星司・・・・・・さん」
威圧感の消えた。昨日までの璃央の声色。
「キュイ?」
苦しげな璃央を見下ろしていた幻獣がセイジを窺う。セイジはただ無言で璃央を見下ろす。
「たすけ・・・・・・」
吐息。
「キオーン、い」
いいぞと言おうとして、ハッと周囲を見回す。
前方倉庫の影からガチャガチャと不快な音が聞こえる。気づくのが遅れた。
舌打ち。
(囲まれてはいないが、あれは?)
璃央は地に縫い止められたままセイジの見る方を見る。
「あれは・・・・・・足丸?!」
バスケットボールのような身体に足軽兵の甲冑と傘ほどの長さの槍を装備した警備メカ。人工の脳髄に精神を繋げて動かす。神州の魔構企業である魔匠御影が烈士隊に卸している立派な魔構製品である。
【警告! 警告! 警告! 警告!】
機械音声で警告を連呼しながらジリジリとこちらを取り囲もうとしている。
「星司さん! 足丸は烈士隊を呼びます! ここだと来るのは九曜・不破の直属です!」
取り囲もうとする行動、相手が警戒する可能性、間合いを計ると思われる時間。それらはすべて時間稼ぎ。
幻獣は璃央からかぎ爪を離し、羽ばたいてみせる。その隙に璃央は幻獣の下から這い出て足丸から距離を取る。
肩は思っていた程痛くはない。重かっただけで、掴み自体はかなり加減されていた。
(ヒルメの実力は間違いなく中等部時代の梧桐先輩並だった。それを加減された?)
それとも璃央の目算自体が甘いのか。
(とにかく足丸をなんとかしないと)
しかしマテリアルは持ってきていない。一体、ヒルメは何を触媒にするつもりだったのか。乙女日記をいくつか覗いても、ヒルメがどんな魔法を使用していたのかが分からない。
知ったのは、ヒルメがある男性を好きだったことだ。ひょっとしたら、そこだけを見せられているのかもしれない。
幻獣の羽ばたきが強くなる。それはやがて突風、竜巻となって二人と一匹を覆い隠す。
と、セイジが璃央のそばまで退く。
「キオーン、役割分担だ。分かるな?」
言って、璃央を自らのコートで覆いその場に膝をつく。
「キュキュ!」
幻獣の返事らしい鳴き声を聞く。
(この子、あの猫なの?)
セイジが呼ぶかぎりは同じ名だが、姿がまったく違う。存在自体が別物とも思える。
璃央の疑問など露知らず、セイジは地面に左の小剣を叩きつけて砕いた。刃が粉塵となって周囲に舞う。周囲の光を乱反射しセイジと璃央の姿を消していく。
幻獣は竜巻を消失させ飛び出した。
足丸達の頭上を飛び越え、この場から遠ざかる。
足丸は遠ざかろうとする幻獣と今までいた場所とを交互に確認。やがて数体を残してゾロゾロと幻獣の後を追っていった。
「魔構兵は苦手だ。これだから科学寄りは」
呟きを耳元で聞く。ヒルメに支配されている間、ずっと助けてほしかった相手がすぐ近くにいる。状況を考えれば近いのはそうなんだが。
「星司さん」
「後で聞く。まだ残ってる」
ゆっくりと璃央を抱えた状態でコンテナの影へと隠れる。そのまま徐々に距離を離していく。足丸の駆動音が聞こえない位置まで来て、セイジはようやく溜息をついた。
ピリリリ。
ビクッと二人とも震える。
ピリリリ。
セイジは咄嗟に音源を探し当て触れる。胸ポケットに入った携帯の音。慌てて切って、周囲にまた足丸の音が出てこなかったかを確認。かけ直す。
「誰・・・・・・、なんだラフィルか。別に落胆してるわけじゃ」
携帯から璃央が聞いても可愛らしい女の子の声が漏れ聞こえる。会話の内容までは分からないが、セイジの声が優しいことだけは分かる。誰だろうか。
「目覚めない? ならタツヤ経由でメルカードの施設を借りろ。今立て込んでるんだ」
電話が終わった後、しばらく無言が続く。
セイジはついでに着信履歴を確認。メールが一件。
T.Kannnagiからで、どうやら招待状の示すパーティー会場の地図のようだ。しかも会場の写真付き。その写真はどうみても、ここら一帯にある倉庫の一つにしか見えない。
(下手したら一触即発じゃないか。なんでこんなところに)
ここに来ることになった原因である璃央を見下ろして、硬直。璃央はむくれてセイジを睨んでいた。
(な、かわ・・・・・・いや待て俺。そんなことを考えてどうする。状況をちゃんと考えろ)
イカンイカンとかぶりを振り、璃央を見ないようにして会話を振ってみる。直視したら、また何を考えるか分かったものじゃない。
「何故君は漏れた魔力だけでアマテラスの力を使えるんだ?」
答えはない。
「ここに来たということは仕返しなんだろうが、今余計なことをされても困る」
やはり答えはない。
やれやれとゆっくり視線を下に落としていけば、やはりむくれていらっしゃる。
目を合わせないよう視線を彷徨わせて、ガッと頭を掴まれた。そして、強制的に目を合わせられた。心臓が跳ね上がる。
(ヒルメ?)
璃央の行動に、遙か遠い過去に共に過ごした少女が重なって見えた。
(いや、違う・・・・・・違うはずだ)
先程、明らかに璃央のものとは思えない言動をしていたが・・・・・・。というより、ヒルメの公用の言動に一致していたのだが、神魂そのものの魔力が璃央に宿っていない以上、ありえないとしか思えないセイジであった。
「どうしても聞きたいことがあるんですが?」
「なんだ?」
応じ、別れ際に澄が言っていたことを思い出す。
(ミスロジカルや家族間で使っている口調でいいのだろうか?)
神州へと来る前に父親から忠告されている。
――天宮のお嬢さんは色々と難しい立場だから、フランクに応対したら駄目だよ?
気持ちも隠すこと。え、気持ち? 僕は君のお父さんだよ? ちゃんと知ってるって。許嫁とかいたら、下手したら璃々・・・・・・いや、家の人にえいやあってされちゃうからね。
えいやあっがよく分からなかったが、ともかく硬い口調でいけばいいかと実行してきたわけだが、それを崩せという。
(優しくしろということか?)
ふむ、と考え込んでしまう。
「あの・・・・・・」
「どうした?」
穏やかに、滅多に見せないほど優しく涼しげな表情で返事をしたら、璃央はしばらく停止して、やがて、ボッと音が立ちそうな勢いで赤面し頭から湯気を立てた。
「ふえ?! あ、その、あ、わ、わた、わた」
(ちょっ、変われ! 汝、妾と変わるのだ!)
(やだ、やだやだやだ! 絶対変わらない!)
(ええい、変われー、かーわーるーのーだー。間違いない! カガト! カガトだ!)
(そんなの関係ない! 星司さんはヒルメに言ったんじゃないもん!)
まあ、つまるところ、テンパった。テンパって、口にしたのは。
「せ・・・・・・カガトさん!」
間違えた。
(あ、ああああ、ああああああああ)
璃央とヒルメは心の中で一緒になって頭を抱える。やっちまった感全開である。
対してセイジも軽く混乱をきたす。
(なんでその名を知ってるんだ? 記憶もなくて、なんで)
そして、思わず璃央の魔力を視ようと視界を展開させて、更に驚く。
(パイプが・・・・・・繋がった?!)
真世の視界の中、璃央の中に神魂からの魔力が流れ出すの確認した。
(あれ? ヒルメ? どこ?)
気がつけば、心の中に一人取り残されていた。自分の中には自分以外誰もいない。
「なにが・・・・・・起きたんだ? それに・・・・・・? リオ?」
璃央がグッタリともたれかかってきた。顔が赤く息が荒い。額に触れればひどく熱い。
(風邪か!?)
多分違う。
セイジも璃央の魔力の流れを確認し、風邪を引いている者の流れではないことを確認する。
携帯を取りだして、電話帳のリストを開こうとして、着信アリの表示を見る。相手はT.Kannnagi。例の連絡だろうか。
急いでかけ直す。相手はツーコールで出た。
【やっとかよ。例の】
「リオが倒れた! どうすればいい?!」
【はあ? ええっと?】
「だから、リオが倒れた。魔力の流れは風邪のそれじゃないが、症状は風邪にしか見えない。どうすればいいんだ?!」
電話口ではしばらく無言。
【ちょっと待ってろ】
ガタゴトと音だけは聞こえてくる。しばし待つこと数分。
【状況を言いな、日崎の倅】
それは若い女の声。ややというか結構高圧的である。セイジはそれがT.kannnagiの上司であり彼がよく言う魔女であることに気がつく。知っている理由は簡単。ほんの数週間前に面接で会ったから。
璃央の様子がおかしかったことと倒れるまでの詳細と症状を教える。
【神州の悪習の被害者が、記憶を持つ奴しか知らないことを口走った挙げ句に倒れた、ねえ。で、神魂が開いた、と。
そりゃあれだ。知恵熱。脳のオーバーヒートだろう】
「・・・・・・は?」
魔女は電話の向こうで喉を震わす。
【記憶の処理に脳が追いついてないんだろうさ。
本来であれば、リンカーは生まれた時点で前の記憶はすべて持ち、それが人格に現れる。人としての肉体年齢に精神が引かれはするがさしたる問題はない。
そして、人としての営みで構築された記憶は、根底となる前の記憶に積み重なっていく。上書きはされずにな】
だが、と続く。
【神州の記憶封じは、リンカーの記憶のスタート地点を人と同様の位置に引き戻す。蓋をして鍵ガッチャン。鍵は神祇院でのみ所有する。ようするに、これをされた転生者は人となんら変わらん。脳も人の物だしな。
で、そこに前の記憶という奴をいっぺんに入れられてみろ。人生よりも長い記憶をだ。時代に生きる者の時間は一日二十四時間。許容量二十四時間に五十時間を突っ込むとでも思えばいい。
あ、梧桐の倅やクロケットの若造は一日二十六時間とか言うがアレは無視していい。ゲームは一日二十四時間とか言う連中だからな】
最後の戯れ言(真実)は脇に置き、許容量を考えれば、それは辛いことだと素直に思う。
【故に、記憶を無理矢理突っ込まれたら発狂もんだとするわけだが、天宮璃央の現状の前段階を聞いて思うのだ。
記憶の発現の前に何かきっかけがあり、封印に傷をつけ、魔力の一部に流出していた人格の断片が天宮璃央を支配したのではないか。前というものの力にもよるが、天宮璃央の場合は、私が言わなくても君なら分かるだろう?】
「主神クラス」
強力故に敵わない。
【うむ。それがどうして神魂への経路が開く結果になったか、それは君には分からないかもしれないが、おそらく、前と今とで精神の根底を揺さぶる感情が合致したというか、恋は最強というか】
「何か強力な感情が合致した?」
【そういうことだな】
「原因はよく分からんが、分かったことにして聞く。で、どうしたらいいんだ?」
【そうさな。ほっといた結果、脳を壊されてもかなわん。精神感応で助けたまえ】
「俺にそんな芸当が出来るとでも思っているのか?」
【思ってるよ? だって君、アウレアの息子ではないか】
ここで母の人としての名を出されても困る。
「セツナじゃあるまいし俺に母の力なんざ使えないぞ」
【半身が親の能力を使えないはずがない。
ほれほれ、騙されたと思って私の言うとおりにやるがいい。今はそれしか方法はない】
もとよりセイジには他に選ぶべき方法がない。
「くっ、ここは騙されてやる」
【よく言った。ではまず、手で良いから素肌を合わせよ】
左掌を璃央の右掌に合わせる。
【次に――君、天宮璃央のこと好きじゃろ?】
「おい」
【違うのか? そうか。じゃあ諦めろ】
「ちょ・・・・・・いや、まってくれ」
【ほれほれ、七年前からずっととかなんとか言ってしまえ】
遊んでるとしか思えない。
「・・・・・・」
【なんだって?】
「べ、別にあんたに言わなくたっていいじゃないか」
【へー? ほー? ふむふむ、まあ良かろう。デレは当人達同士でやればいい。
では次に、天宮璃央を真剣に想って】
「想って?」
【ちゅーをするのだ】
「あんた絶対遊んでるだろ? なあ? ホント勘弁してくれ」
【いやいやいや、こっちも真剣だぞ? この条件を満たした状態なら亜神化出来る】
「亜神化?」
思わず空を見上げて金星を探すが、見当たらない。
【そりゃ確かに、ちゅーはふざけたが、接吻は愛を伝える方法でだな?】
「愛? 愛・・・・・・愛ね」
【気づいたか。愛神の息子】
「はあ。そういうことか。これは確かに亜神化するだろうなあよ」
【うむ。それで、記憶分野ということで額でも合わせてマインド・サルベージを使え】
「マインド・リンクじゃないのか?」
【ようは超越者の精神に埋もれた天宮璃央の精神をフィッシュすれば良いのだから、サルベージが妥当だ】
「分かった」
【それと出来れば急いでやれ。例の件が上に伝わった途端、九曜の不破が待っていましたとばかりに動き出したそうだ。神州の勢力とぶつかる前に終わらせておけ】
電話を切って、璃央を見る。症状に変化はない。
(やるか。ようは心を伝えればいい)
セイジは璃央の手を取りその甲に接吻し、額を合わせて目を閉じる。
「カガトは確かに俺の前の名の一つだし、カガトはヒルメを愛してもいた。だが、日崎の末、セイジである俺が、この世に生を受けて、最初に心を惹かれたのは君なんだ。
リンカーであるせいか記憶力だけは確かで、七年間忘れることなど出来なかった。クエストで神州へ行けば君に会えると思った。護衛対象が君と知って、役割にかこつけた。
今の俺ならあの時のように、ただの一度のシフトで痛みにのたうちまわることもない。シフト以外の戦う術もある。
馬鹿みたいだろ? 君の前で、君に対してつっけんどんにしていた俺が、こんなにも君への欲でまみれている。
だからこそ、天宮璃央は消させない。壊させない。独りよがりでもいい。
君の精神は、必ず、引っ張り出す」
それは誓言。
心の奥、どこかで繋がる母親が「ナイス告白!」とか親指を立てた幻影が見えたが、あえて無視した。下手に構うとつけあがる。だがそれでも、セイジの精神に一つの魔法が刻み込まれる。
セイジ自身が意識したわけでもないのに、黄金の燐光が出現する。
集中、全力で魔力を練り上げ、刻み込まれた魔法を使用。手をもしたエネルギー体をイメージし璃央の精神に突き入れた。
一時、一面闇になっていたが、やがて大量の映像が流れ込んできた。様々な映像に璃央は押し流された。
映像の多くは戦争、政略、謀略といったもの。中には乙女日記で見たものも混じる。
天より降りて地を支配した。
多くの神との間に新しい神を産んだ。
その後はもっと多くの地を求め領を広げた。
神の肉を失ってからはただ見守り、時には加護を与えた。
多くは、戦争の、侵略の記憶。数百年、いや長さとしてはゆうに二千を超える年月の記憶。天宮璃央として生きた十五年など瞬きに等しい。
記憶は激流。璃央自身の記憶は中州の小島の如く削られていく。浸食されている。すぐにも飲まれないのは、ヒルメが零した防波堤のため。
璃央はただ、徐々になくなりつつある領域で体育座りをし、カタカタ震えながらも流れてくる映像を見続ける。現実には数分。しかしここではもう、何十年も見続けている気がする。
(カガトを失った後は孤独。弟はカガトを追って出奔。周りに悩みを打ち明ける相手はなく)
ヒルメの、天照の心情に最初は涙こそ流したものの、既に涙は涸れ、ただ映像を目で見て記憶していくだけの作業。
ふと、中州の一端が目に映る。
それは璃央自身のかつての記憶。七年前、たった三日間だけの大切な思い出。思い出は今まさに、流されようとしていた。
「あ、だめ」
座りを崩し、手を伸ばす。届かない。グッと身を乗り出して、更に伸ばす。
思い出がグラリと落下を開始した。
「やだ。それは、取らないで!」
更に身を乗り出して――――足場が崩れた。でも構わない。手を、身体を伸ばして記憶の端に、届いた。下は激流。この記憶を護っても飲まれればどっちにしろ助からない。
落ちながら、記憶を引き寄せようとする。空いた手で記憶に更に触れようとして。
「捉えた!」
ここで、聞くはずのない声。触れられるはずのない手が、記憶に伸ばした手を掴んだ。
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