浸食

 携帯を澄に手渡し、璃央の横まで来て縁側に座る。

「長かったですね」

「ああ。だが、護衛の方は案外早く終わりそうだ」

「――――え?」

 聞き間違いだろうか? 思わず聞き返す。

「君を狙う輩がいなくなれば、護衛も必要ないだろ?」

「そ、そうですね。良かった・・・・・・本当に」

 確かにそうだ。これでまた護衛はいなくなる。自分に護衛なんて必要ない。

(でも、もっと)

 護衛でなくてもいいから、もっとそばにいてほしい。それが本音。

 時間があれば、長いことしたいと思っていたことだって全部出来る。

 時間があれば、助けてもらった時にしてしまったことを謝れる。

 時間があれば、もっと。

「どうした?」

 気がつけば、璃央は俯いたまま立ち上がっていた。

 セイジの問いには答えず、足下に獣を置いて、自室へと歩み去っていた。

 璃央を見送ったセイジの耳に、電話に応対する澄の声が聞こえてくる。

「おつかい、ですか? ええ、紫さんなら知ってますけど・・・・・・京都ですよ?」

 しばらく無言でいたが、唐突に「え?!」とセイジを見てくる澄。見られた方はキョトンとしてしまう。

「いやいやいや、確かに免許は父に取らされましたけど、いくら魔構が年齢制限なくても。

 え? 経験って、そんな」

(そういうことか)

 電話相手の彼は澄に、セイジから魔構バイクを借りて京都までおつかいをしろと言っているのだろう。京都にいる九曜の元へ。

(京都の九曜。ヒオーインだったか? 確か、シュウのフィアンセ)

 梧桐秋が密に文通する相手の名が、緋桜院紫。九曜頂の一人で、祖父の代に決められた秋の許嫁らしい。

(フィアンセの妹がわざわざ京都まで訪ねてくれば、会見まで待たされることもないだろう。それにおそらく、九曜頂であれば昨日の事件のことは耳にしているはずだ。スミが巻き込まれたことも)

 澄の立場を利用し尽くす気なのだ。

(スミは聡い。それにはもう気づいているだろうが、彼女は拒絶すまい。友人のためと言われてしまえば。

 既に大事な存在を失ったからこそ、友人のための行動と言われれば拒絶するわけがない)

 常であれば、酷いとさえ思える策だし、璃央自身、聞けば反対するだろう。しかし、心情を汲んでいては達成出来ないことの方が世の中には多い。

 セイジはバイクの元へと行き、データを読み送っていく。

 最新のデータの中に、九曜頂・神薙の名で現車両への超法規許可が下りる一歩手前のデータがあった。超法規許可には二人以上の名を必要としているらしく、まだ入力可能の状態だ。

 許可証パネルの声紋入力の箇所を叩く。

「九曜頂・日崎の名において、現車両の超法規を許可する」

【照合――データ確認しました】

【九曜頂・神薙龍也様及び九曜頂・日崎星司様の許可が下りましたので、現車両のあらゆる違反を認めます】

「え、師匠?! あ、いや、師匠というのはそのですね?」

 セイジは澄の腰の高さを目視で測る。

(高いか)

「Strat Custom」

【Allright.Please Driver'ether】

「スミ、手を」

「へ?」

 澄の手を掴み、有無を言わさず半透明のパネルに押しつける。

【Complete】

「少し離れろ」

「あ、はい」

 セイジと澄が離れると、魔構バイクは変形を開始する。

 バイク前面に集中していた白金のアーマーが全体に分布される。車高は若干低く、シートの高さも調整される。

【Please change material】

 セイジはシートを開く。そこには透明なケースと複雑にそこに絡みつくコードの束。ケースには琥珀色に輝く結晶が浮いている。

 左手の袖から刃のない柄を取り出してから、ケースからも結晶を取り出し、結晶を柄へと押し込む動作をする。やがて結晶は砕け、輝きが柄の中へと消えていった。

(琥珀? あんな色のマテリアルなんてあったっけ?)

 自分が師匠と呼ぶこの少年といると、未知なことに多く出会っているような気がする。

 セイジは庭の花壇に掌を向ける。

 風が吹き、花々が揺れた。

 サイト・マジックもかかっていないのに、セイジの掌に瑠璃色の輝きが生まれたのを見る。

 輝きは拳大の結晶へと変化する。結晶をケースに収め、シートは閉められた。

【ALL Compleate】

「End Custom」

【Allright】

 そしてデータの検索を再開し、九曜緋桜院家へのナビを表示させる。

「乗る覚悟が出来たら行け。速度は気にするな」

「ほ、本当にいいんですか? 乗り回しちゃいますよ?」

「出来るものならやってみろ」

 澄にとってははじめて聞くセイジの挑発的な言葉。自然と、口の端が歪む。

「乗りこなせたら?」

「今日教えたことの応用を教えてやる」

「人に教えるのが嫌でライセンスを持たない師匠がですか?」

「このじゃじゃ馬を乗りこなせる奴なら、教えを与える価値がある」

 ロングコートの内からライダーグラブを取り出して澄に与える。

 澄はバイクに跨がり、ライダーグラブをはめてハンドルを握る。

「聞け。こいつは姿こそバイクだが、中身は別物だ。構造は魔鉱剣とほぼ同一の存在。魔鉱剣は分かるな?」

「スペルブレード。魔力伝導率の高い鉱石で構成された魔構の剣にして魔法使いの杖。とネット知識をひけらかしてみせますが」

「そう、魔力運用の応用を知る者に許された現代の魔法使いが持つべき杖だ。

 魔力運用とはすなわち、循環だ」

 魔力の循環。つい先程、セイジが見せたマテリアルの生成から崩壊までの流れのことだと思い至る。

「こいつは鉱石に相当する箇所を純度九十九パーセントのマテリアルで補い、ボディが柄の役割を果たす。そのグラブとハンドルを通して魔力を流し込め。

 配分を調整し、モーターを回し、排気された魔力を己の身に取り込め。

 ぶっつけ本番だが、それでも出来ると、乗りこなしてみせるというのなら」

 セイジが手を澄に向かって差し出す。求めているのは、澄が持つ携帯電話。行くなら会話は必要ないだろうと。

「聞いてもいいですか?」

「なんだ?」

「師匠って、実はかなり、璃央のこと好きですよね?」

「・・・・・・目ん玉腐ってんじゃねえか?」

(よっし、龍兄の言ったとおり、素の師匠キター! すごい、一発だ)

 澄はセイジがムッとするのを見て、口をωにしてフフンと笑った。

「師匠、璃央とはもっと砕けて話してあげてください。璃央の思い出の中の師匠って、もっとこお悪ガキというかなんというか。

 ともかく、なんかよそよそしすぎるんですよ!」

 よそよそしいことを指摘するのと同時に、携帯をセイジの手に叩きつける。

「ちゃんと伝えましたからね! そいじゃ、行ってきます! って、うわあ!?」

 勢いつきすぎてウィリーさせてしまうが「フンッ」と身を捻ってバイクの向きを変え、襲撃時に崩れた塀の瓦礫上に乗っかる。

 ビー玉を崩す修練を思い出し、セイジが柄と表現したバイクのボディ全体に、自分の魔力を浸透させていく。ゆっくりと確実に、隙間のないように。魔力が通った箇所がすべて自分の身体の延長のように感じる。

(やっぱ、これすごい)

 人馬一体。魔力と魔構のサポートによって、その言葉が実現されるかのようだ。

 セイジは澄とバイクの一体化を視て、目を細める。

(兄妹、か)

 魔力の輝きに、澄の向こうにパートナーの姿を見る。

「そ、それじゃ改めて!」

 ちょっと恥ずかしそうに「いってきます」をした澄はバイクを発進させた。

 見送って、携帯を耳に当てる。

【行ったか?】

「ああ。あんた酷いな」

【お前は甘いな】

 無言。そして同時に「ほっとけ」と言った。


 友人が屋敷を出たことにも気づかず、璃央はぼんやりと机に向かう。

 階下が騒がしい。家人達が、今回の襲撃を耳にした祖父の命令で動いているのだろう。

 ポケットから外で拾った物を出して写真立ての隣に置く。それは縁のないシンプルな眼鏡。

 吐息。

――我が母ウェヌスの力、我を通して地に満ちよ。

 セイジの言葉を思い出し、分厚い国語辞書を出してページをめくる。

 ウェヌス、ヴィーナスの別名。

(ヴィーナスまたはアフロディテ、愛と美の女神。金星を司るオリンポス十二神の一柱)

 それが母だという。容姿の良さは遺伝か。

 金星。その単語がひっかかる。神州の神々にとって、金星は鬼門。禁忌の名に繋がる。

(禁忌? そんなわけがない)

 違うと否定して、ハッと顔を上げる。どうしてそんなことを思うのか。

(さっきから、どうかしてる。知らないはずの、思うはずのないことばかり)

 頭が痛い。違う、心が痛い。

(心? どうして?)

 世界が宿す命の光。

(知っている――知らない)

 かつて、神々が見ていた光景。

(懐かしい――知らない)

 頭を抱える。呼吸が荒い。

(なんなの? なんでこんなに)

 思考が止まらない。助けを求めて視線を彷徨わせる。写真立ての、七年前のセイジの姿を捉える。

(助けて、星司さん――違う、そのような名ではない)

 心の底が否定する。

(違わない、あの人はちゃんと名乗った――彼には本当に名乗るべき名がある)

「名乗るべき、名?」

(まだ隠されてる? 隠している。思い出せ、その名を)

 自分の中に、誰かがいる。誰かが答を誘導している。そんな気がした。

(誰なの? 私を揺さぶるあなたは誰?)

 応じる声は――。

「知りたければ思い出すのだ」

 心の中ではない。自分の口がそう告げた。自分の耳がそう聞いた。

 目が、見開いていく。

 それは紛れもなく自分の声。

 ガタッと椅子を倒して立ち上がる。

 ノックが響く。

「お嬢様? いかがなされましたか?」

 室内の音に驚いた家人の声だ。

(助けて)

 思いとは裏腹に、応じるのは違う言葉。

「椅子に足をぶつけただけです。私は大丈夫ですから、お祖父様の指示を全うなさい」

「はい、失礼致しました」

(待って! 助けて!)

 足音が去っていく。

 璃央は椅子には座らず、普段使わず布をかけたままにしている姿鏡の前に立つ。布を取って自分の姿を見る。

 普段と変わらない姿。しかし違和感がある。それは目。璃央の目は黒かったはずだ。それが今は朱を帯びている。

「ふむ」

 自分の隅々まで確認するかのように、ポーズをつけたりターンしたりする。

「良い感じだ。これならば問題はないが」

 自分の胸を掴んで揉む。

「ちと、小さいか?」

 普段なら怒るところだが、璃央は自分の目を通して、鏡の中の自分を見つめるのみ。考えることと聞くことしか出来ないでいた。

「ふふ、しかし半神とはな。この世界、面白いモノに溢れておるな」

 その存在は璃央の知識を体験を吸収していた。それが、中の璃央にはよく分かる。璃央の記憶を知らなければ、あそこまで家人が疑問にも思わない対応など出来るはずもない。

 璃央の赤いビー玉を取り出す。

「火、か。安易な。真にふさわしきは火などではないわ」

 言って、窓の外に顔を向ける。外は夜。街灯の灯りが闇を消す。

「ううむ、今は無理か。これではみすみす殺されに行くようなものだな。何せ、この身は弱い故なあ」

(殺されに? ま、まさか、あの人達に)

「うむ。やられたらやり返さねばな」

(敵うわけない!)

「汝はそうであろうよ。だが、妾は違う。

 しかし、彼の者から半日教えを受けただけで、この身の淀みとなっておった魔は失せ、流れは正常となるか。教えが良いのか、はたまた素質か。否、汝は幼きに魔法使いの教えを受けておったのであったな」

 素直に関心しているらしい。腕を組んで、うんうんと頷いている。

「おかげで妾の力も行使出来るというものよ」

(身体を、返して)

「返そう。しかしそれは、汝が思い出してからだ」

(何を思い出せっていうの?)

「決まっておる。汝が何者か」

(私は天宮璃央よ? それ以外の何者でもないわ)

「なんと強情な。だが良いのか? 汝が天宮璃央以外の何者でもないかぎり、汝は彼の者に愛されることはないぞ?」

(彼の・・・・・・者?)

「そう。異郷の神を母に持つ、彼の者だ。汝が汝自身を知らない内は、アレが汝を愛することはない。

 自らを知らない転生者など、自らを知る者どもと同じ土俵には立てん」

 転生という言葉。

 自らを知るという言葉。

 自分は目を背けていただけなのかもしれない。今自分を動かすのが何者か。どうしてそうなったのかは分からない。

「そら、疾く眠れ。人の子よ。妾の乙女日記を見せてやろう」

 乙女日記に突っ込もうと思ったが、意識を強制的に鷲掴まれて、刈り取られた。


 その頃、セイジは縁側で電話を再開していた。内容は襲撃者の潜伏先についてである。

 周囲は騒がしく、セイジの後ろを走り回る家人の姿はあるが、セイジの電話の内容に耳を傾ける者はいない。

【ミヒャイル・マルゴットのその後だが、足取りは掴めていない。が、ワールド・ギア名義で貸し出されている倉庫周辺の防犯カメラが破壊されている】

「なんだそのあからさまさは」

【あからさますぎるんだが】

 電話相手は言葉を濁す。

【壊されたカメラが最後に映したのが、なんというか、招待状?】

「疑問形とか。言語は?」

【英語だな。署名はLloydGearだ】

「ロイド・ギア? 財団ナンバースリーからの招待状とだけ聞くと、立食パーティーを期待してしまうな」

【ロードウェルの舞踏会じゃあるまいし――あ? 呼んでないぞ】

 電話の向こうで、若い男同士の会話がなされる。さすがに聞き取れない。

【まあ、パーティーがあるとすれば、それは立って食い合う大宴会か】

「一方的に食い尽くして終わりにしたいパーティーだ」

【違いない。

 招待状には、ゲーム難易度とか秋が好きそうな言葉が羅列してるが、ようするに、来るのが遅くなればなるほどラスボスは強くなると言いたいようだ】

「ギアがラスボス?」

【いや、うちのラスボスとかあるからミヒャイルじゃないか?

 まあ、どのみち今回の情報が上に行くか、穂月の妹が緋桜院を動かした後でもないと攻められないし。下手に手を出したらこっちに不利な状態で上が動くからな。適当に寝て待ってろ】

「適当はない」

【そこは冗談なんだから流せよ】

 しょうがないなと電話を切って脱力。

 時間を潰すかとコートの内より一冊の本とガラス玉を一つ取り出す。

 ガラス玉を爪で弾くと懐中電灯よりも遙かに明るく光る。それを傍らに置いて読書を開始した。

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