風呂で見る夢

 天宮家の風呂は広い。大体十四畳くらいだろうか。

 セイジから一応の及第点をもらい、まだがんばる澄を残して汗を流しに来たのであった。

 湯船でグッと伸びをして、脱力。

「はあ。記憶、か~」

 正直なところ、転生者などと言われてもピンとは来ない。それはやはり、前世の記憶がないからだろう。記憶なんて、物心ついた辺りからのものしかない。

(記憶の封印、か。どうやったら解けるんだろう? って、駄目だ。禁忌なんだった)

 イカンイカンとかぶりを振って、湯で顔を洗う。

 ふと、食堂で自分が大声で言ってしまったことを思い出す。

――心に決めた方がいます。

 それは、変えようもない事実。

 七年前の恩人で、最後に見た時、彼は何か、すごい痛みに耐えていた。

(あれは、私さえ誘拐されなければ、あんな痛そうな顔を見なくても済んだこと)

 あれから会っていない。

 あの日の内に、日崎先生に連れられて神州を出てしまい、行方は分からない。名前も分からない。人に聞いても誰も教えてくれない。

 否、名前は聞いたはずだ。知っているはずなのに、どうかんばっても思い出せないのだ。

 日崎先生の息子は異人だから九曜にはふさわしくない。皆がそう言って、璃央が関わろうとするのを止めさせようとした。部屋の写真が、最後に残った関わりの証。

「会いたいよ。写真だけじゃ忘れちゃうよ」

 のぼせたのか、なんだか眠い。ウトウトと、体育座りで膝にアゴを乗せて少し意識が飛んで、璃央は変な夢を見た。


 どこまでも広がる草原で、どこまでも広がる青い空を眺めていると後ろから声が来る。

「よう、ヒルメ」

 ああ、この声は、振り返らなくても分かる。絶対に間違えない。

「もう子供じゃないんだから、ヒルメは止めてよ」

 嫌がって見せても、本当は嫌じゃない。この人にならいつまで呼ばれたっていい。

「そうは言ってもなあ」

 振り返れば困った顔をしているに違いない。

「子供として呼ばれたくなけりゃ、それ相応の言葉遣いをだな」

「公私分けてるだけだもん」

「だもんって、お前」

 皆は彼も臣下として扱えと言う。臣下の前だったら公用の言葉遣いで対応するけど、今は自分とこの人しかいない。

「それより、明日には遠征なんでしょ?」

「応。まあ、お前らは後からのんびりやってくればいいさ。俺がお前の先を行って露払いをする。これが俺のお仕事だからな」

「うん。相変わらず、頼もしいね」

 本当はそばにいてほしい。でも言えない。だって。

「お前の道は俺が切り開いてやる。お前は俺が護る。それが俺の、生き甲斐だからな」

 いつもこの人はそう言って笑う。

 その笑い顔が好きだから、本当に、ずっと見ていたくなるくらい好きだから、何も言えなくなってしまうんだ。


 なにやら涼しい風が顔に当たり、気持ちよさにこのまま寝ていたくなる。

「まったく、お風呂で寝るとか。自殺願望でもあるのかっつうの」

 澄の文句に、ハッと目を覚ます。

「起きたな? このお馬鹿さん」

「澄が私を?」

「他に誰がいるのかと、小一時間問い詰めてもいいのかな?」

 自分を見れば、浴衣を着せられている。澄を見れば、団扇片手に憤慨中。セイジの姿は見当たらない。

「あの人は?」

「師匠なら電話中」

 澄は閉められた障子を指差す。その向こうは庭がある。障子が閉まっているのは冷房のためだろう。

「私がやっと及第点もらってお風呂場来たら、体育座りで寝てるんだもん。そりゃ驚くわ。しかも、幸せそうにエヘエヘ笑い寝してさ」

(うわあ)

 赤面ものである。

「どんだけ良い夢見てたのかと」

 良い夢、なんだろうか? 誰かと話していたような気はするが、よく覚えていない。ただ、とても幸せだったことだけは確かだ。あんな気持ちははじめてのことだった。

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