開花
起床。
(いつ寝たんだろ?)
寝た時の記憶がない。
首をかしげるも、洗面所へ行って顔を洗い、部屋に戻って着替えを済ませて写真に挨拶。澄を寝かせた部屋へと迎えに行く。
澄は浴衣姿で布団に座り、ぼんやり外を眺めていた。穂月が寝ていたと思われる布団はたたまれている。穂月は朝早く呼び出されていったことを家人に聞いた。
「澄?」
返事はない。もう一度呼びかける。ゆっくりと、緩慢に、璃央へと身体を向ける。
「――おはよ」
挨拶にいつもの元気はない。目が赤く、頬には涙の跡が残る。
「今日は休む?」
「? あ。学校」
聞かれて、キョトンとしてから問いの中身に気づく。
「支度しなきゃ。ごめんね? すぐ支度するから」
照れ笑いを浮かべて、いそいそと立とうとする。気づけば、そんな友人を、璃央は抱きしめていた。きつく、抱きしめる。
「どうしたのよ、璃央? やだなあ、着替えられないよ」
「ごめん。もう少し」
どれくらいそうしていただろうか。
廊下を誰かが歩いてきて、璃央の背後で止まる。澄にとっては正面。澄は視線を上げて相手を確認。セイジが紙袋を二つ手にして、不機嫌そうな顔で見下ろしていた。
「アステールさん?」
「いつまで遊んでいるんだ? さっさと学校へ行け」
澄への返事は突き放すような言葉。背中で聞いて、璃央は奥歯を噛みしめる。
「あなた・・・・・・ね」
ゆらりと澄を放して振り返る。拍子に澄の浴衣の帯が解かれた。振り返った璃央は気づかず、澄は下に視線を向け、ゆっくりとアステールを見上げた。璃央はアステールが頬を引き攣らせるのを見てキョトンとする。その後ろで、バッと乱れた前を合わせて赤面で黙り込む澄の姿があった。
セイジが足早に立ち去ると、澄は凄い早さで制服を着て支度を終える。璃央は状況が理解出来ず、澄に背を押されて屋敷を出て、門で待っていたであろうセイジと出くわした。
「さっきのはなんですか?!」
「さっき?」
璃央にしては珍しい大声の抗議。掃除中の家人達がビクッと跳ねて注目してしまう。
「ああ、あれか。あの程度で怒るなよ。早死にするぞ?」
「ぐっ、この」
まったく、これっぽっちも悪びれていない様子のセイジの言葉に、さすがの璃央も青筋浮かべて拳を握るが、その手を押さえたのは澄だった。
「こういう人にはちゃんと言わないと!」
「大丈夫だから。ありがと、怒ってくれて」
「でも」
「いいから。私、先行くね?」
「ちょっと」
澄は璃央を置いてセイジの隣まで歩いてくる。そのまま抜けようとして「待て」とセイジに止められた。呼び止めて、紙袋を一つ手渡す。
「これは?」
開けてみれば、中には紙と錠剤の入った瓶が一つ。紙を取り出せば、そこには携帯電話のものと思われる数字の羅列が書かれており、その数字を見て澄は慌てた感じでセイジを見た。
「レンのルームメイトからだと言えば分かる。連絡は早めにな」
しばしセイジを見つめていたが、無言で頭を下げ、走り去った。
「何渡したんですか?!」
「内緒。まあ、君には一生縁のない物ではあるな」
「はあ? どういうことですか、それ」
馬鹿にされた気がしてムッとセイジを睨むが、睨み合いに発展することはなく、相手はさっさと門の外へと出てしまう。
「だから、護衛対象を残して、どこに行くんですか!」
それを追って飛び出していった璃央を見て、家人達は口を揃えてこう言った。
「お嬢様のキャラが壊れた」
「うん・・・・・・うん、ありがと、兄さん。それじゃ、また後で」
澄は携帯電話をしまい、職員室のドアをノック。失礼しますと入室する。時間はまだ八時前だが職員室は慌ただしくフル回転中。緊急職員会議の直中であった。議題は昨日の、ニュースで言うところの末広町崩壊事件についてだ。まだ生死不明の生徒もいて、空気は緊迫中だ。
穂月の席に近いドアから静かに入る。めざとい教師は注意してくるが、曖昧な笑顔で回避して穂月の傍らまでやってくる。
「ん? ああ、澄タン。もう平気なのかい? あ、なに、あたしに用事?」
「少し話したいことがあるの」
「急ぎ? 今結構忙しいって分かるだろ?」
「すぐ終わるから」
「んー、じゃあ、生徒指導室でな」
そそくさと姉妹連れだって、生徒指導室までやってくる。
穂月は澄に座るよう促すが、澄は座らず、真剣な表情で姉を見つめた。
「ねえ、姉さん。昨日、私の目の前でね。梢先輩が・・・・・・俊太郎が死んだよ」
「うん。武本道場の残骸と武本家の面々の死体は発見されたって報告は聞いた」
「梢さんは私達をかばって、生きたまま燃やされて。俊太郎は泣きながら向かっていって、それで・・・・・・それで斬られて」
思い出して、泣きそうになる。でも涙を堪える。泣いたら、聞きたいことが聞けなくなると思ったからだ。
「私もね、学校で習ったとおり、テストで満点取れるくらい全力で魔法使って戦った。でも、あいつらには全然効かなかった。あいつらさ、私の気弾を受けて見せて、笑ったんだ。笑いながら、私の目の前で、まだ息のあった俊太郎を、足を刺し、手を刺し、お腹を刺して、なぶり殺したんだ。
ねえ、どうして? どうして学校で習ったとおりの魔法が、あいつらに効かないの? 少しでも効いてたら、もう少し長く、みんな生きていられたよ?」
「そりゃ、澄タンだって卒業する頃には」
「あと二年勉強して、テストがんばって、昨日助けられなかった俊太郎達を助けられるくらいに、本当に強くなれるの?
私、兄さんと同じ母さんから生まれたんだよね? 私だって、兄さんくらい強くなれるはずなのに。分かるよ。今の私、兄さんの中等部時代よりも弱いって」
妹から向けられる言葉に穂月は答える言葉を探す。
「秋はほら、規格外って言うか」
困る。神州の魔法学の教育事情もレベルも教師になる前から知っているだけに、妹の疑念を晴らせる言葉を思いつけない。淡々と告げられる疑問は、他国の状況を知れば誰もが抱く疑問でもあった。
姉の困り顔に、妹はギュッと手を握りしめる。
どれくらいそうしていただろうか。時計の針の音だけが支配する教室に、登校してきた生徒達の声が聞こえ出す。溜めていた息を長く吐いて、澄は手を開いた。
「ごめん」
「いや、こっちもごめんよ。その」
「時間を取ってくれて、ありがとね」
無理矢理の笑みに、穂月は言葉を詰まらせる。何か、嫌な予感がした。
生徒指導室のドアに手をかけた澄を呼び止めようとするが、タイミング悪く校内放送がかかる。呼び出しだ。
「ちょ、ちょっと待って」
職員室に急ぎつつ、澄を呼び止めようとするのだが、澄は穂月を見ず教室へと歩いていってしまった。
高等部一年一組の一時間目、魔法学の授業が開始され・・・・・・いや開始前に、魔法学担当である担任の凛が、視線を教室の後ろに向ける。向けられて、セイジは「気にせずはじめてくれ」と手を軽く振って答えた。
「理事の許可は得ている」
「む。いや、話は聞いているが」
教室全体の注目を授業ではなく、理事からのお達しで見学することになった少年に持ってかれていて、どうにもやりにくい。
教壇を教科書で叩いて咳払い。生徒達の注目を集める。中には璃央と澄の姿もあるが、生徒数は昨日の事件によって三分の二に減っていた。
「ん、では始める。
源理魔法であれ、構想魔法であれ、その使用には三段階を得ることが、世界的にも認められている魔法の基礎だ。
第一に自らの精神上において式を構築。
第二に手にした触媒に式を込めるイメージ。
第三に触媒がイメージを受けて式の解答を形にする。
ただし、神州においては第一段階の時、精神上でのイメージに加え詠唱を行うことで式を複雑化し、最終的な威力を底上げするものである」
まあ、と補足する。
「学生の中には詠唱するのが恥ずかしくて、威力の底上げをマテリアルの密度で補おうとする者もいるようだが、そんなのでは財が保たない。
期末試験で詠唱付をさせる。自分に合った詠唱を編み出すことも課題なので、しっかり図書館で資料の確認を行うこと。
最初は短くてもいいから、気楽にいけ」
授業に耳を傾けつつ、セイジは近くにいる生徒の教科書を後ろから眺める。
(ハイスクールで集中補正の授業だと? いや、一学年目なら・・・・・・しかしなあ)
まったりと、そんな言葉が合いそうな感じで授業の流れを眺めている。そして朝から持ち歩いていた紙袋を開けて、中から菓子をつまみ出す。一口サイズの上生菓子である。口にして幸せそうに「うん、うまい」と漏らした。
それを視界に収めて凛の額に青筋が浮かんだ。
「アステール君と言ったか」
「うん? なんだろうか」
「つまらなさそうだな?」
「まあなあ」
「ぐっ」
凛が掴んでいた教壇の端がミシッと音を立てた。
(アステールさん、正直過ぎる)
璃央は気が気でならない。
「君はミスロジカル魔導学院の出だそうだが」
「出? いや現在三年だが」
「ほう、まだ学生か」
「そうなるな」
二個目を食べた。
(ああ、美味いものというのは良い。帰る前に作り方でも調べるか)
「で、何か答えるものでも?」
名指しされたということはそういうことなんだろう、と身構える。
「ミスロジカルでは魔法の威力を上げるには、どういう教育を受けるのか。ご教授願えるだろうか?」
「ご教授・・・・・・と言われてもな。ライセンスはないというに。ったく」
学院の名が出ると、生徒達に注目されてしまう。セイジはやれやれと肩をすくめた。
「そうだな」
自分の頭を指差し「算術のお勉強だ」と言う。
「源理魔法とは、いかにして魔力を増大させる公式に組み込み、マテリアルを弾けさせるかにかかっている。算術が出来れば公式を複雑にして、より高度な魔法も使えるからな。
もちろん、高密度ないし高純度のマテリアルを用意することが最短の手段ではあるが、そこは先生が言ったように散財が切ないところだ」
こんな感じだ、と両手を広げて掌を見せた。
「何も特別なことはない。もちろん、集中補正として詠唱や印を行うことも推奨している。
それで、ご教授とやらは終了でいいだろうか」
チャイムが鳴り響く。
「ご教授、助かりました」
凛はそれだけ言って教室を出て行く。うなだれているのは気のせいだろうか。特別な手法を引き出そうとしたのが失敗してのうなだれか。
生徒達のセイジを見る目が違う。授業中に最後列でお弁当を食べるだけの不良ではなかったらしい、と。
休み時間になって、生徒達がセイジの周りに集まってくる。しかし、囲いが出来る前にセイジは手を掴まれて教室の外に引っ張り出された。掴んだのは璃央、ではなく、澄だった。
「今、いいですか?」
「あ?」
真剣な表情で問われ、セイジは璃央に視線を移す。璃央は面白くなさそうに不機嫌な顔で、次の授業の支度をしていた。
「本当に、やれやれだ。ここでする話じゃなさそうだな」
「ええ」
「そうか。それじゃ、場所を変えるか。というか、休み時間中に終わる話なのか?」
休み時間は五分。真剣さから、どう考えても五分で終わりそうではない。
まあいいか、と澄に連れられて廊下を歩いていく。到着したのは屋上であった。
澄はセイジを掴んでいた手とは反対側で携帯を操作して通話ボタンを押す。
「まずはこっちをお願いします」
「電話? ええっと、ハロー?」
【よう、俺俺】
ブツッと電話を切った。すぐにかかってきた。
【何いきなり切ってんだよ、おい!】
「つい」
電話の相手は、澄に連絡を取れと指示した相手。梧桐秋、澄の兄であり、セイジのパートナーの一人である。
【ついじゃねえよ、ついじゃ】
「無駄話がしたいのか?」
【お前のせいだろうが。相変わらずひどい。要件を単刀直入に言うとだな】
「妹に半神としての力の使い方を教えろ、か?」
【手っ取り早すぎる!】
「促進剤渡してお前に連絡取るように言ったのは俺だからな」
吐息。
「正直なところ、俺よりもお前の方が適任だと思うぞ?
亜神化にしたって、俺とお前じゃ方法も違うんだし」
【俺もそうしてやりたい。だが、今の俺には使命がある。そう、魔法学理論応用の単位を修得するという、超重大な使命が!】
「・・・・・・」
【・・・・・・いや、ちょっと、黙るなよ】
「お前がその使命を最短で終えられる手段を教えてもいいか?」
【そんなのがあるのか? 是非教えてくれ】
「セレスに雨を降らせてもらい、亜神化したコトハにシフトしてもらった上で学食Sランチを三食食わせ、傾向と対策を練ってもらう」
【・・・・・・】
「セレスは物では動かないが、クエストの手伝いを約束すればなんとかなる。あいつはクラスメートには甘いからな」
【その手は考えてなかった。うっし、んじゃ早速行ってくるぜ】
「これで落とすようなら、もう知らん」
【サンキュー・・・・・・おっと、言い忘れた。妹の再教育のことだけどな――手は出すなよ? それだけがもう心配でな】
「お前は俺をなんだと思っているんだ」
電話を切って澄に返す。なにやら信じられない物を見る目でセイジを眺めていた澄に携帯を返した。
「なんだよ?」
「へ? ああ、いやあ」
曖昧な笑みでセイジの問いを受け流す。受け流された方は怪訝。
「一応聞いておくが、良いんだな?
この国では転生者が記憶や力を取り戻そうとするのは禁忌らしいが、半神が力のコントロール方法を学ぶことに関してはグレー。半神の存在自体が世界でもまだそれほど認知されているわけではないから、仕方がないんだが。
で、だ。
学べば周囲とのレベルに格差が生まれ、君を奇異な目で見るばかりか化け物扱いする輩も出る。間違いなく、な」
それでも、いいのか? と。
澄の素性のことは、澄の兄である秋をよく知り、片親が人ではないことと同じ立場の妹と弟がいることを、秋本人から聞いて知っていた。
片親が人ではなく、神や妖怪である子を総じて半神という。
力の使い方を知らない半神は心身が不安定となった場合、暴走の危険を持つ。それを知るが故に、昨日、目の前で友人を亡くしたという澄に促進剤――神を許容する部分を一時的に広げて暴走の危険性を緩和する薬を渡したのであった。
「イギリスはそうでもないが、超越者そのものを排斥しようとする人類至上国家アメリカなんかは、素性がばれた時点で殺される。半神も、リンカーやライナー同様、人ではないとな」
人以外、別のナニカ、そういうものになってしまってもいい、それが澄の、今の考え。
(何も護れないなんかよりも、よっぽどいい)
無力さがその身に浸透しきる前に、目の前で大事な人達を失うことの方が辛い。それが澄を突き動かす悲しみ。それはきっと、時が経てば悲しみと一緒に薄れ、やがて消えるだろうきっかけ。
「お願いします!」
「まあ、本人が構わないなら、いいけどな」
時計を確認。十時になったところだ。今は二時間目の半ば辺りだろうか。
「ありがとうございます! ええっと、先生?」
「だからライセンスは・・・・・・」
「じゃあ、師匠で」
「決定なのか」
「はい! 先生オア師匠です!」
梧桐秋が一年時に戦技の教官相手にやっていたやりとりを思い出し、兄と同じノリだな、と諦めた。
四時間目になっても、澄の席は空席。教室の後ろにはセイジの姿もない。
(二人ともどこ行ったの?)
不安げに窓の外を見ると、ベランダの柵に一羽の鳥が留まっていた。ここら辺では見かけない鳥だから、妙に気になる。
全身が白く、嘴が陽光で金に輝く、威風堂々としたやけに貫禄のある鳥だ。
(鷹? じゃなくて、ええっと)
鷲である。
鷲は教室の中というより、璃央をじっと見ていた。
璃央が首をかしげると、鷲も首をかしげた。
授業終了のチャイムが鳴り、教師への礼を終えて視線を戻すと鷲の姿は消えていた。
首を捻りつつ食堂に来ると、一角に妙に空いたスペースがあることに気がつく。
「なっ」
原因が目に入って、璃央は凍りついた。やっとの思いで動き出し、ツカツカとその席に近づいていった。
「君、ちょっと、変わりすぎじゃないか?」
「なにがですか?」
「なにがって、鏡見るとか・・・・・・いや、それじゃ分からないか」
「おかしな師匠だなあ。疲れたとか?」
「ある意味――んあ?」
「?」
カツッと傍らに立った人物を見上げれば、璃央が引き攣った笑みを浮かべてセイジを見下ろしていた。目が笑っていない。
「人の護衛をほっぽり出して、あなたは何をしているんですか?」
「・・・・・・」
「アステールさん? ちょっと、聞いてるんですか?」
無言で自分を見上げるセイジに、更に口調をきつくして問いただそうとすると。
「どうしたの? 璃央」
セイジの前に座る、今まで学校にこんなに綺麗な子いたか? と怯んでしまうほど綺麗な女生徒が璃央に話しかけてきた。一瞬、誰だろう? と疑問に思ったが、一拍後。
「え、澄?!」
「そうだけど、本当、どうしたの?」
(ええええええ? どうしたのってこっちの台詞だよ?!)
驚愕の凝視。次いでセイジに移すと、セイジは璃央から視線を反らした。
「あ・ん・た・か」
「さあ?」
「違うと言うなら、どうしてこっちを見ないんですか?」
「君が怒る理由が分からないな。見つめ合う趣味でもあるのか?」
「見つめ合う・・・・・・?」
璃央の顔が瞬間沸騰した。
「わ、わわ、私には、心に決めた方がいますので、あなたなんかと見つめ合っても、なな、何も問題は、ありません。そ、そう! あなたはただの護衛ですから!」
ざわ。食堂中の生徒のざわめきがヒートアップするに足る発言であった。
璃央の様子に澄は「ああ、やっちまったよ、この子」と遠い目をした。
璃央とも初等部以来の付き合いで、心に決めた方というのも聞かされて知っている。七年前に璃央がアメリカの特殊部隊に誘拐された時、単身助けに来た少年のことだ。
二、三年前に許嫁を決められそうになった際「じゃあその少年を」と言ったら、分家親族他の九曜と悉くに猛反対されて号泣し、梧桐家に家出してきたりもしている。
(まだ諦めてなかったのね)
当時を思い出して苦笑。
そうこうしていると、何の騒ぎかと教師達が騒ぎを収めに来た。その中には、担任の凛や穂月の姿もあった。
「天宮、お前――――な・・・・・・に?」
璃央に注意しに来た穂月が澄を見て言葉を失った。妹の正面に座るセイジなど目にも入らない。
(蓮華・・・・・・さん? いや、違う。そんな)
幼少時、父が連れてきた女性がいた。女性は後妻になって子を産むと姿を消し、後には母の違う弟が二人と妹が一人残っていた。今目の前にいる少女が、その女性と見間違えた。確かに妹は彼女の面影はあったものの、ここまではっきりと見間違えるほどではなかったはずだ。
「澄・・・・・・タン?」
「どうしたの? なんか間抜けっぽいよ、姉さん?」
プフッと笑う澄。仕草こそ妹だが。
朝の出来事が頭を過ぎる。あの時に、懲罰覚悟で妹に本当のことを話していれば。
(いや、話して本当に止められた? これじゃ、澄まで秋と同じ目に)
秋は中等部時代、一時的に力を暴走させてある烈士隊員を再起不能にし、神祇院の追求を逃れるために留学させた。澄と弟の渡には暴走の兆候もなく、完全に人としての力しかなかったから、追求の対象にもならなかった。
その暴走を抑制するための処置をした結果であることなど、穂月が知るはずもない。
穂月の様子がおかしいと見に来た凛も澄を見て唖然。
【理事会の決定により、午後の授業はなくなりました。全校生徒は速やかに下校の準備をしてください。また、今日より一週間、二十三区内の学校は強制休校となりましたので、自宅での予習復習は必ずするようにしてください。繰り返します。理事会の・・・・・・】
そんな放送が入る。
「下校かあ。じゃあ、続きどうしましょ?」
「俺は彼女の護衛に戻る」
「璃央はまっすぐ帰宅?」
「う、うん。秋葉原どころじゃないし。澄もまっすぐ帰った方がいいよ?」
「んー、そだね。そうするよー」
セイジと璃央の答に、澄は肩を落とすが、そこに穂月が割り込んでくる。
「いや、澄タン。しばらくはうちに帰っちゃダメだ。頼むから帰らないでくれ」
「む。どういう意味?」
「あ、ああっと、色々あるんだよ。色々」
「色々って」
「天宮、うちの澄タンのことよろしく頼むよ!」
手を握られてのお頼みに思わず「は、はい」と答えてしまう。それに安堵して「じゃあ、よろしく頼んだよ!」と走り去ってしまった。
「えちょ、穂月? 待ちなさい!」
穂月を追いかけていく凛。二人の教師が走り去った方を、璃央は唖然と澄は怪訝に見つめていた。
「ねえ」
「なんだ?」
「「・・・・・・」」
話しかけたものの、応じたものの、璃央もセイジも無言。澄は自販機で買い物中である。
無言に耐えきれず、璃央は溜息を吐く。
「澄に何をしたの?」
「自分でどうにかする、を手助けしただけだ」
「手助けって?」
「それこそ君には関係がない」
ムッとした璃央を横目に鼻を鳴らす。
「スミのアレは、それなりの葛藤が形になったものだ。その葛藤に、友人だからと、君は踏み込むのか?」
葛藤。その言葉に思い至るのは、昨日の数時間で友人が体験したことだ。その体験が、友人に有り様を変えさせてしまったのだろうか。
缶を三本胸に抱えた澄が戻ってきた。
「璃央は苺牛乳と」
璃央にピンクの缶を手渡し、セイジには緑の缶を差し出してくる。
「師匠は」
「俺はいらんと――――いや貰おう」
缶を引っ込めるに引っ込めなくなって目を潤ませた澄を見て、セイジは缶を受け取った。その態度に澄は顔を明るくしてみせた。それを、璃央はなんとも言えない感じで見守った。
「これは・・・・・・グリーンティーか?」
「だって師匠、和菓子食べてたじゃないですか。和菓子には緑茶が合うんですよ」
「次に試すか」
「是非試しちゃってください」
セイジは緑茶をジッと見つめ、澄はトマトジュース片手にニコニコ笑っている。二人から少し離れて眺める璃央の姿があった。
天宮家の庭にて、璃央を縁側に座らせて、セイジは澄への続きとやらを開始する。セイジの傍らには何故か彼の魔構バイクが置かれている。
「ついでに面白いものを教えてやる」
セイジの言葉に興味を持った結果が、縁側で若い男女をまったり見守ることになった。
「師匠、私、そんなに変わったんですか?」
周りの反応が未だよく分かっていない澄である。
「それを今から頭に分からせてやる。しばし待て」
言って、バイクに触れると、速度モニターの上に半透明のパネルが表示された。
【Confirmation your ether】
「Start BABELtypeT」
【Allright】
鈍い駆動音。バイクを中心に何かが奇妙な感覚が駆け抜けていった。
(今、バベルって言った?!)
セイジとの会話でイギリスを共生国家にしたシステムのことは聞いている。それと同じ単語をセイジが口にしたのだ。
「これでいい。さて」
意味ありげな視線を璃央に送り、セイジはフッと小さく笑った。それが璃央には「その想像は正解だ」と言われたような気がした。
「さっそくだ。魔法学の基礎である三段階を成立させるにはどうすればいい? 何が必要だ」
「想像力と計算とマテリアルと魔力、です」
「そうだ。例えどれほどに脳内でイメージが精巧であっても、魔力がなければマテリアルにイメージを送り込むことは出来ない。では、魔力とは何か」
「生命力を変換した異能です」
「それが神州の教えか。残念ながら、それは違う」
セイジの答に、璃央と澄は揃って「え?」と反応を示した。
「変換によって魔法を発現させる力は魔力とは異なる存在だ。代用品とでも言えばいいか。代用品を使うかぎり、魔法の出力などたかが知れている」
「じゃ、じゃあ、魔力ってなんなんですか?」
「そうだな、スミ。君は既に答をその身で体現していると言って分かるだろうか」
「体現・・・・・・ですか?」
澄は自分の身体を見下ろす。そんな友人を見て、澄は思う。
(体現というと外見? 綺麗になった? ううん、澄は元々綺麗だからその表現は変だ。変わったのは外見ではなくて)
一分ほど見つめていただろうか。唐突に「あ」と漏らした。
(昨日のことがあったからかもしれないけど、今の澄はとても元気に見える。それを指して体現というのだとしたら)
「元気・・・・・・いえ、生命、力? 生命力が魔力ということ?」
若干自信のない解答ではあったが、セイジは璃央を指差して「正解だ」と答えた。なにやら今日は冴えていると思う璃央であった。
「超越者――すなわち、神、英雄、半神、転生は人を強く惹きつける魅力を持つ。
魅力とは原初よりの美しさである生命そのものを指す。強さは外見であったり見る者を引き込む誘惑であったりと様々だが、一言で言えば魂の強さだ。
そして、それらは一様に、強い魔力を有する」
「はい、先生」
「先生言うな、護衛対象」
「・・・・・・。私、転生者ですが、澄のようではありません」
「記憶を持たない転生者は神魂の力を引き出すことは出来ない」
「力を引き出す?」
「今から説明する。黙って菓子でも食ってろ」
むすっと煎餅を手にする璃央である。
「スミ、俺の護衛対象は君ら兄妹のことは知っているのか?」
「天宮の双子姫には劣るけど、そこそこ有名ですからねえ。てか、兄さんの大活躍で有名になりました。そして、璃央にもっと優しくしてください」
「優しさなど母の腹に忘れてきたわ」
プイッと顔を背けるセイジ。
(それが嘘だと知りましたけどね。てか、この人、時々すごい面白いっていうか可愛いっていうか)
言えば確実に怒らせることを思って、自分が師匠と呼ぶ人を楽しげに見つめる。
「半神が強い魔力を持つのは、親となる存在に繋がる道が、自らの魂に繋がっているからとされる。これにより、魔力の性質は親とほぼ同じになる。
そして転生。半神が持つ親との繋がりに相当するものが過去の記憶に当たる。
分かるか? どれだけ大容量のタンクを持っていたところで繋げるべきパイプがないんだ」
「あれ? でも師匠? 転生者は普通の人よりも魔力強いですよ?」
「カレー屋の前を通ると匂いで腹が満ちる、で分かるだろうか」
「なんとなく分かるけど納得はしたくない例えですね。ちゃんと入店して食べたいです。
つまり、神魂から漏れてる魔力を使用しているってこと、でいいんですか?」
澄の答はセイジにとって満足のいくものだったらしく、無言で頷く。
「とりあえず、魔力とは生命力である、は理解出来たか?」
二人の少女が頷くのを見る。
「では、代用品を生み出さない、本来の魔力運用の教授と行こうか。これは単純かつ最初の難関と言われる。まあ、この国での初等部くらいの子供の頃に家でやらされるような教育だ」
天宮学園産のビー玉は璃央と澄のそれぞれに手渡す。
「掌に載せ、己に触れる異物を感じ、感じる一点に意識を集中し、崩せ」
「意識だけでマテリアルを崩壊させるということ?」
璃央の問いに頷いて、セイジは緑茶に手を伸ばす。
(しばらくはこれで時間も取れるだろ)
「こんな感じでいいの?」
(え、ちょ?!)
差し出された璃央の掌には、砕けたビー玉が載っていた。対して澄は眉間に皺を寄せて集中の最中である。
「どうやった?」
「異物の構造の隙、力の流れを強くするように願っただけ」
「・・・・・・」
「違うの?」
「いや。誰かに習ったな?」
「小さい頃、日崎先生に軽く手ほどきを受けたんだけど」
「ツカサ・ヒザキ?」
「ええ、そう。あの頃はあまりよく分からないでやっていたし、先生もあまり神州に来ないから、いつの間にか、アステールさん曰くの代用品での魔法行使をしていたようね。
ていうか、日崎ってだけでフルネームが出てくる辺り、先生は本当に有名なのね」
「そりゃ、な。
なら、これからは当時の教えというものをよく思い出すんだな。
今ある魔法の基礎を編纂しミスロジカルにおいて行われる魔法修練を編み出したのは彼なのだから。
というわけで」
もう一回、とビー玉を追加した。
「時間、かかりすぎだ」
(厳しい)
璃央が肩を落としたと同時に、澄が「出来た!」と声を上げ、すぐに「追加」「んぐ」というやりとりが交わされた。
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