地獄

 そこは、地獄絵図だった。

 末広町、上野から秋葉原まで抜ける途中にある町。があった場所。

 燃えさかり、瓦礫がれきだらけで、血の海で、一歩でも遠くに逃げようとする人々の阿鼻叫喚。人の群れに突き飛ばされて踏み殺された塊も転がる。中には天宮学園の制服も見られる。

「なに・・・・・・これ・・・・・・」

「スミに電話を」

 呆然と立ちすくむ璃央にそう声をかけるが、返事はない。

「電話をするんだ。幸い、電波は死んでいない。かかれば絶望は一つ減る」

 茫然自失。

 セイジは璃央のスカートから顔を出していた携帯を出して『梧桐澄』をリストから選択して通話ボタンを押す。トーンの後、かかる。そのタイミングで鳴り出す着信音はこの近くにはない。少なくとも、既に動かない肉塊が澄である可能性は消える。消音にしていれば話は別ではあるのだが。

【璃央?!】

 相手が出た。

「ほら、生きていたぞ?」

 携帯を璃央の耳に当てる。

【もしもし?】

「あ・・・・・・、澄。澄? 今何処にいるの?」

 セイジから携帯を引ったくって、強く耳に押さえつける。携帯の向こうからも、やはり絶望感しか感じられないような叫び等が聞こえてくる。

【明神裏。璃央は?】

「湯島の辺り」

【なんでそんなとこに・・・・・・。いい? 明神付近には来ちゃダメだか】

 通話が切れ、ツーツーとだけ響いてくる。

「場所は聞けたか?」

「明神裏だと」

「ミョージン?」

 セイジから携帯を受け取って仕舞い込む。ポケットにはビー玉の感触がある。もしものためにマテリアルは持ってきてはいる。必要なければそれに越したことはないが、友人の様子から必要ないことがなさそうだ。

 澄の声を聞いて少し落ち着く。

「アステールさん、行きまっ!?」

「あまり見ていたい光景ではないが、前ぐらいは見ろ」

「す、すみません」

 つまづいて、怒られた。へこんだ璃央を尻目にセイジは周囲を見渡す。その表情は厳しく目が鋭い。

(この炎、魔法の類だな。視れば種類も分かるんだろうが)

 眼鏡を外せば視界はぼやけ遠くが見通せない。吐息を漏らして眼鏡をかけ直す。

(コトハの魔薬は効果が強い。まだ解けそうもないか。いつ解けるのやら)

 やれやれと肩をすくめるセイジを置いて璃央は歩きだす。走るには路面が悪すぎる。バイクを乗り回す路面でもない。

「急ぎましょう」

「急ぐには賛成だ。方角は?」

「方角? それならあちらでしょうか。ひゃ」

 澄がいると思われる方角を指差した直後、璃央をグッと片腕で抱え込む。前傾、跳躍して瓦礫の上を移動しだす。逃げ惑う人々の頭上を越えて、傾いた電信柱を蹴り進み、倒壊していないビルの屋上に立つ。

 眼下は酷い有様だが、そこで一つの事実を確認出来る。逃げ惑う人々を襲う集団がいるという事実を、である。老若男女関係なく、視界に入れば殺す。視界に入れられれば殺す。そんな感じで殺し続けている。焼き殺し、刺し殺し、撃ち殺し、斬り殺し、踏み殺す。容赦はない。

「ひどい」

 璃央は涙を流し口を押さえる。

 集団が身につけるのは、赤黒いコート。皆、顔の半分を覆うサングラスで顔を隠している。その姿にセイジは唸る。見覚えがあった。

「ロート・ラヴィーネ」

 呟きは璃央には届かず、阿鼻叫喚でかき消される。

(犯人は国? 依頼が国で実行は国外の傭兵、これが答えか。

 しかし、まだ生き残っていたんだな)

 移動を再開。襲われる者を助ける時間は、その分、目標を助ける時間を減らす。現状、助ける対象は二者択一にしなければならない。

 だから、セイジは璃央の嗚咽を無視して、眼下の光景を、見捨てることを選択する。

(シュウであれば、どっちも救うんだろうがな)

 いつでも我が儘に自分の心を曲げない友人を思い、自分は違うのだと納得を得ようとする。

 そうして移動していると、高い場所だからこそ、ひっくり返った自動車越しに、ブロードソードを携えてゆっくり進む虐殺者の様子を窺う存在を見つけることが出来る。

「澄!」

「あれか」

 躊躇なく飛び降りる。虐殺者の頭上へと。

 グシャ、ガリガリガリ

 何とも気持ちの悪くなる音を立てて、虐殺者をボードにしての短い波乗りを終える。地面に摺り下ろされた肉と赤い溜池がじんわりと広がる。

 血を避けて璃央を下ろすセイジ。いきなり目前で展開された状況と二人の姿に澄は口を開けてゆらりと立ち上がる。

「なんで」

 泣きそうな友人を璃央は力一杯抱きしめる。

「助けにきたよ」

「来るなって言ったのに」

「聞こえないよ、そんな無理」

 セイジは、抱きしめあう二人の少女をしばらく眺めていたが、改めて周囲に目を向ける。

(状況は最悪だ。せめて転生狩りが行われた状況でも聞いておけば、もう少し準備も出来たんだろうが。

 せめて、誰かディスペル使えないもんかね)

 細い階段を見つける。それは神田明神の裏参道で境内に繋がっている。そんなことを知らないセイジは、一段目に足を乗せて硬直した。

(くっ、気持ち悪い。この先は神域、か。一体、誰だ)

 吐きそうになり、堪えて二人の傍らに戻る。

「どうしたんですか? 顔色が」

「気にしなくていい。あの上はどこに繋がっているんだ?」

「明神様の境内で、抜ければ反対側の通り――本郷通りに出られます」

 飛び降りる前の時点では、ここの反対側は瓦礫に埋まってなかったのを確認している。常であれば、ここを抜けて反対側と選択するのだろうが、セイジは澄のことが気になる。自分を助けに来たという友人に対して、ずっと申し訳なさそうにして、泣くことも出来ないでいる少女をである。

(罠、だろうな。状況があの時に似ているし)

 危険を抜けてたどり着いた場所には、その先に安息を期待させる道がある。そうすれば、その道を使う可能性は少なくはない。そんな状況がだ。

(冒険をしなければ宝は得られない。しかし、宝など欲さなければ、そもそも冒険など不要)

「来た道を戻るぞ」

 セイジの言葉に、璃央と澄が反応を示すよりも前に。セイジは横から来た衝撃に吹っ飛ばされた。瓦礫に叩きつけられて呻きが漏れる。

 虐殺者が三人、セイジがいた位置に向けて掌を向けていた。

「アステールさん?!」

「あ・・・・・・ああ・・・・・・」

 璃央がセイジを呼ぶ横で、澄が彼らを恐怖で見開かれた目で凝視する。

「この人達が」

 璃央はポケットから赤いビー玉を取り出し、澄の前に出る。その裾を澄は掴んで首を激しく横に振る。

「ダメ、ダメだよ。あいつらに魔法なんか効かない。それに戦技だって遠く及ばない。梢先輩も俊太郎だって」

 思わず友人を振り返ってしまう。

 澄は思い出してしまって涙が溢れさせてしまう。彼らによって斬り伏せられた、武本梢と武本俊太郎という二人のことを。

「武本先輩が?」

 名を問えば、頷きが返る。

 璃央はここがどこかを思い出す。武本道場が近くにあるはずだった。だが周囲は瓦礫ばかりで、道場と思われる家屋はない。

 あの三人がこちらに足を踏み出した。足音を聞く。前を見れば、一様にブロードソードをたずさえて、一歩一歩確実に二人の元へと――否、歩みが止まった。そして、ある方向に向けて構えを取った。剣先を下に、左手でマテリアルを持って前へ。

 彼らの向く先を見れば、セイジがかぶりを振って立ち上がるのが見えた。落ちた眼鏡をかけ直し、口に入った砂をペッと吐き出している。

「くそっ、思ったより鈍い」

 無駄口を吐く間に、虐殺者達の左に構えたマテリアルが輝く、赤青緑の三色。赤と緑が消えて、紅蓮の暴風が吹き荒れる。

(掛け合わせとは容赦がない! 狙いはスチームボム? 確殺コースか!)

 セイジが正面、三人を視界上で薙ぐように右手を一閃するのと、青の輝きが消え強烈な衝撃とドンッという衝撃音が響くのが同時に行われた。

 空間限定の水蒸気爆発。セイジの立っていた付近の瓦礫を砂に変え、おびただしい土煙が巻き上がるが、それはすぐに上下に分かたれる。

 前に出ていた虐殺者二人がビクンと跳ねる。二人は顔を下に向け、その反動で上半身がゴロリと空中に転がった。

 パリンとガラスでも割れるかのような音が響き、上を失った下半身の横に上半身が落ちた。

 残された一人がくぐもった声で何事か呟き、四つの肉塊から離れ防御を固めて警戒。自分達が使用した魔法の結果、土煙が邪魔で敵の姿が見えていなかった。

 やがて土煙は風に流されて晴れ、どこから出したのか、煤けたロングコートを左肩に背負って立つセイジの姿があった。ロングコート以外、どう見ても無傷。

「敗因は」

 呟き、上を指差す。釣られて見上げた虐殺者は直後にその場で縦に潰された。セイジの指は下に向けて振り下ろされていた。

「過度の警戒だ」

 短い戦闘の終わった空間から琥珀色の砂が風に吹かれて四散していった。

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