出会い

 25年前にあった大戦により世界の主導権が人類から超越者ちょうえつしゃへと移り、当時ネットで出てきたラストラグナロクという造語を元に、世界の暦はLRと呼ばれるようになった。

 多くの国は別名で神とも呼ばれる超越者を頂点とした政府に支配された。それはここ極東も例外ではなく、旧暦では日本と呼ばれた国も今では神州しんしゅうと呼ばれていた。

 神州は天津あまつ神々の直轄である神祇院じんぎいんを政治頂点とし、その下に内閣政府が置かれる。

 その政府とは別に、九曜くようと呼ばれる九つの旧家がある。彼らは代々その身を契約した神の器として差し出してきたことで、神々の覚えよく、内閣も神祇院も通さず直接神々と交渉が可能であるとされる。

 九曜の一。九曜・天宮たかみや家の一室で、少女が緋色のブレザーに袖を通している。その髪は濡烏ぬれがらす色で少女によく似合い、仕草には艶がある。

 そこは少女の自室。少女の名は天宮たかみや璃央りおといった。

 愛用の机には写真立てが二つ。

 一つは二人の少女が写ったもので、少女達は同じ顔をし違う制服に身を包んでいる。

 一つは緋色の着物を来た少女がラフな格好の少年から少し離れて笑う。少女の笑顔は硬く少年は笑顔を引き攣らせている。少年は金の髪と紫の瞳がよく目立つ。

 璃央は写真立てを背に、首に碧い勾玉を提げて制服の下へと入れる。そして写真立てに振り返ると、幼い自分と少年が写った写真に向かって「いってきます」と告げて部屋を出た。

 上野から本郷へと抜ける坂には、璃央と同じブレザーに袖を通した少年少女の姿がまばらにあった。

「璃央、おはよ」

 後ろから挨拶をされて振り向けば、ママチャリを押してくる同年代の少女が一人。

「おはよ、すみ

 ママチャリ少女・梧桐あおぎりすみは璃央の隣に並ぶ。

 二人ともスマートな美少女で違いがあるとすれば、澄の方が若干背が高く髪が青みがかっているくらいか。ともあれ、一人ずつよりも二人揃っただけで周囲から溜息が漏れるような光景となる。周囲の雰囲気には見向きもせず、違う意味の溜息を澄は吐きだした。

「初等部からずっと天宮たかみやだけど、やっぱりこの坂道はきついわ」

「いつも言ってるよね」

「いつも言えば、いつか誰かがここをエスカレーターにしてくれるかもしれないじゃない?」

 拳を固める澄に璃央は苦笑いを浮かべる。道幅が狭い割に二車線あるこの坂に、そんなものが設置されるはずもない。

「正門登校にすると余計坂きついし、坂が嫌なら電車やバスの通学にしろと色々ツッコミは受けますが、我が家に通学費の支給はないのでありますよ」

 転じて、トホホと脱力した友人の頭をポンポンと撫でる。こういう流れは子供の頃からの通例である。

 澄の実家はけして貧乏ではない。むしろ裕福と言える。

 大戦以降、澄の父である梧桐あおぎり葉月はづきは軍を引退した後、実家の旅館を一代で巨大なホテルグループへと成長させた。

 なので澄は、金持ちのお嬢様に当たるはずなのだが、家の教育方針で余分な金を持たされていない。乗っているママチャリは旧暦モノの骨董品、父が使い姉や兄も使った所謂ひとつのおさがりである。

魔構まこう機能付きの自転車は買えないの?」

「高いって。旅行費用全部飛んでも足りないよ」

「あ、まだ諦めてなかったんだ」

「諦めないよ!? 雨月うげつ姉さんとの約束金までもうすぐなんだ。夏休みまであと一ヶ月。バリバリ稼ぐよ!」

「お兄さんに会うために」

「そう! あ、いや、それだけじゃないよ?」

 即答しておいて、はたと内容に気づいて違うんだと弁解をする澄。それを受けて静かに笑う璃央であった。

 そうこうしている内に学校裏門に到着する。

 私立しりつ天宮たかみや学園がくえん。九曜・天宮を中心に複数の九曜が出資している学園で初等部から大学までが敷地に入っている。教わるものは、LRになって世界に普及した文化であり技術――魔法。今ある世界を生き抜くために必要となった戦闘技術。魔法と科学が融合して誕生した魔構。この三つである。

 この学園の理事は先々代の九曜くようちょう(九曜本家の家長には頂が付与される)天宮たかみや央輝おうきで、璃央はその孫娘に当たる。政財への繋がりを求めて接触しようとする者もいるが、九曜怖さと璃央の色々な事情が怖くて手も出せない。

「おはようございます!」

 裏門で生徒の服装チェックをしていた体育教師が敬礼して挨拶を口にした。こんな感じの反応を示す。璃央としては不快だが、いい加減、慣れた。会釈えしゃくで返して、そのまま澄に付き合って駐輪場へと向かう。

「ん? ・・・・・・こ、これは」

 澄はソレを見つけて呆然。璃央は澄の反応が分からなくて、肩越しに視線の先を追う。そこには一台の二輪車があった。鋭角なデザインの白金のそれに、澄の他にも数人の少年少女が目を輝かせて眺めていた。

「オートバイ?」

「魔構バイクだよ」

 刻まれるエンブレムは杖を掴む鷲。それを確認して、澄の目が輝いた。

「ちょ、これ、クロケット社製だ。わぁ、ネットでしか見たことないよ」

 イギリスのウェールズに拠点を置く魔構企業の名だ。

 魔構企業は企業によって、科学寄りか魔法寄りかに分かれており、商品の性能にそれが顕著に表れる。

 現在、世界での魔法学レベルはイギリスがトップを独走している。そこを本拠地とするだけあってクロケット社は魔法寄りの魔構製品を多く排出していた。

 つい、ある生徒がバイクに触れようとしたその時、裏門でチェックをしていた教師達がやってきて予鈴も鳴る。敷地が広いせいか、駐輪場から各教室まで、予鈴が鳴ったら走らないと間に合わない。

 まだ興味津々な澄の手を引っ張って、璃央は高等部一年一組の教室まで走るのであった。


「きゃっ」

「・・・・・・」

 高等部校舎の玄関にさしかかったところで、璃央は何か白いものと衝突。転びそうになって無言で伸ばされた手に支えられる。

「す、すみません」

 前方注意を怠ったとして謝って相手を見れば、長身の男。白基調のタクティカルベストを身につけた黒髪碧眼で縁のない眼鏡をした少年だった。

(うわ、イケメン)

 璃央に引っ張られていた澄が少年を見て抱いた最初の感想がそれである。璃央の感想も似てはいたが、その前に思わず口にした言葉は違う。

「え、日崎ひざき先生?」

 言っておいて即座に否定。自分の知る"日崎先生"にしては若すぎる。

「なんだよ、澄タン。それに天宮も。さすがにもう遅刻だぜ?」

 少年に対して二人が何かしようとする前に、少年の隣にいたジャージ姿の女教師に声をかけられる。

 梧桐あおぎり穂月ほづき、天宮学園の教師にして梧桐家の長女。末の妹や弟にしてタンをつける澄の姉である。多くの人は彼女の一部を見て同じ感想を得る。巨乳だ、と。

「もう遅刻?」

「うむ。今日のりんちゃんは早いぞ」

「やっば」

 妹は姉の情報に、慌てて上履きに履き替える。

「璃央? 早く行こうよ」

「あ、う、うん」

 璃央は少年に対して改めて頭を下げると、澄の後を追っていった。

「廊下全力ダッシュすりゃ平気平気」

 教師らしからぬ穂月の言葉に少年は苦笑を浮かべる。

「ウゲツよりもホヅキの方がシュウに似ている」

「そりゃ、まあ、そうだろうなあ。

 真面目まじめ一辺倒いっぺんとうのうげっちゃんに、不真面目一辺倒のしゅうが似るはずないっしょ。あ、だからってあたしに似てるからって、別にあたしが不真面目ってわけじゃないからな?」

心得こころえた」

 軽く笑みを作って答える少年の顔に、遅刻ギリギリで走り込む数人の生徒が目を奪われる。その様子に穂月は肩をすくめて少年を連れて歩き出す。

「して、ヒザキ先生よ」

「残念ながらライセンスは持っていない」

 璃央の言葉を使っての冗談など解さず、少年は速攻で否定。穂月は頬を引きらせた。

「悪い悪い。

 で、書類なんだけどさ。ミミズ文字ばっかで分からないから聞くんだけど」

 ポケットから出した書類の氏名欄の筆記体を指してミミズと言う。少年は吐息。

「セイジ=アステール・ヒザキと書いてある」

「お、サンキュー。なるほどアステール、ね。

 どう呼べばいいんだい? 堅苦しく九曜頂?」

「アステール、で。そもそも、自覚のない九曜頂で呼ばれても困る」

 ははは、と笑って「そりゃそうだ」と穂月は頷いた。

 教員棟へと入り、理事長室を目指す。

 生徒も多ければ教員も多いこの学園で、職員室を含め教員用施設をまとめた棟がある。その最上階に理事長室はあった。

 授業が開始されているせいか、ほとんど人とすれ違わずに理事長室に到達する。ノックした穂月を先頭にして入室すれば、割と質素な洋室でがたいの良い和服の老人が茶を啜っていた。

 私立天宮学園理事長、天宮央輝である。

「よく来たのう。この度は儂の依頼を受けてくれてうれしく思うぞ。

 イギリスから神州まで遠かったじゃろう? 船旅しかないのが辛いところじゃ」

「空路で来た」

「空路じゃと? よく撃ち落とされなかったな」

 旧暦からの航空路線には、空の化け物や空賊や地上からの攻撃が頻繁するため、よほど強力な魔構エンジンを積んだ飛行機でもなければ空の旅など出来ないとされる。それでも最長、イギリスからであれば地中海までが限度とも言われている。針路を西回りを取った場合、大戦以降、超越者や神々に支配された国と関係を絶って敵対化したアメリカが広大な制空権を誇示するため、ある意味東回りよりも危険とされる。

 そういう事情もあって、遠方の国へと出かける際に使用される移動手段は陸路または海路が選択されるのである。

「神聖メシーカを経由すれば問題はない」

(旧メキシコか。それはそれで危険地帯だねえ)

 神聖メシーカ、旧メキシコはアメリカとは常に戦争状態を維持している。そこを経由するなど自殺行為にしか思えない。央輝も穂月も唖然とする。少なくとも、常人が通る道ではない。

「こほん。まあ、突っ込んで聞くとこっちが心臓麻痺起こしそうじゃし」

「依頼の話を聞こう。詳細が聞けるそうだが?」

「うむ。梧桐先生は外してくれ」

 穂月が退室すると、央輝はセイジとソファーに向かい合って座る。

「この国の政府については分かるな?」

「天津神どもにへつらう人間が神祇院とやらを名乗って律を敷いている」

「その通りじゃが、どもはやめんか。役人の前で言ったら不敬罪で即刻処断じゃ」

「それは失敬」

「まあいいわい。で、この国の転生者の事情はどうじゃ?」

「生まれた子供がリンカーである場合、超越者の自我が表に現れる前に記憶を封じる、と聞いてはいるが・・・・・・」

 超越者の生まれ変わりを転生者またはリンカー、超越者が自らの力で肉体を再構成させて出現した存在を降臨者またはライナーと区別して呼ばれる。彼らに対する対応は国によって様々である。

 神州では転生者に対してのみ、幼児の内から記憶を封じて自我の発現を抑え、人間として生かしている。この場合、神魂しんこんを宿す魔力の強い人間となる。成長すれば、国の戦力となる可能性があるからだ。下手に超越者自身の自我があると、現政府を瓦解がかいさせざる存在になる可能性があるために施行したとされる。

 自我を封じられることなく成長した者に共通することと言えば、外見年齢の割に大人びている。というより爺臭い。不敬。などなど。

「うむ、そこが分かっておれば問題ない。ここで本題じゃ」

 コンコンとノック。

 スーツの女性が茶菓子と緑茶を置いて出て行った。セイジは添えられた菓子かし楊枝ようじに視線を落としてから求肥ぎゅうひで餡を包んだ和菓子に視線を移す。ちょっと目が輝いているが、央輝は気づいていない。

「最近、神州の転生者が殺害されるという事件が起こっておってな」

「モンスターにでも殺されたか」

 大戦以降、世界中で出現し退治の対象となっている化け物は幻獣げんじゅうと呼ばれる。ヨーロッパでは幻獣をモンスターまたはファンタズムと呼ぶこともある。これらは神話上の怪物の姿をしており、姿は出現する地域によって異なる。

「いや、手口は人じゃな」

 ふうん、と和菓子を菓子楊枝で切断しようとする。

「報告では、生きたまま神魂を抜かれたことによるショック死らしい」

 菓子楊枝を持つ手が止まる。一考し再び手を動かす。

「犯人を見つけろ。依頼はそれか? 警察の仕事だろう、それは」

「護衛じゃよ」

「あんたの?」

「残念ながら、儂は転生者ではないのう」

 セイジは和菓子に菓子楊枝を刺して顔を上げた。

「LR8年。神州において、九曜・天宮に双子の姫が生まれる。姉には天照あまてらす、妹には月読つくよみの神魂が確認された」

 吐息。

「神州が勢いづいた要因の一つであり、世界的にも有名な事柄だ。その対象を害しようとするなら、国も護衛に力も入れようというものだろう。いちいち外に依頼することではないな」

「犯人は国、と言えば、どうじゃろう?」

「考えすぎ・・・・・・いや、待てよ? あんたはこの依頼、最初はタツヤにしたらしいな」

「九曜頂・神薙かんなぎ殿じゃな。結果、ミスロジカル魔導まどう学院のクエストを紹介されたわけじゃ」

 ふむ、と視線を落として思い出す。セイジが見た依頼書の条件についてだ。

(依頼書には元々誰かを指定するものではなかった。しかし、タツヤを経由した依頼書には俺かシュウの名指しだった。俺達の神魂を知っていてこの仕事を回したとすると)

「護衛対象は二人か?」

「妹の方は、ミスロジカル魔導学院に留学しおったわい。じゃから、姉の璃央を護衛してほしいんじゃ」

 双子というからには歳は十五か十六。そこから十五期生か? と推測する。正直なところ、それらしい生徒を見た記憶はない。同期は少ないが、後輩が多いためそのすべてを把握しているわけではない。

「依頼を正式に受理する。手続きは学院の受付に連絡すれば完了だ」

「すまんの」

「――では、失礼する」

 立ち上がる前に和菓子を口に突っ込んで、颯爽さっそうと退室していった。


 本来であれば昼休みだが、本日の授業は午前中で終了とされ、手持ちぶさたになった生徒達は下校するか食堂へ行くか駄弁だべるかでその行動はまちまちだ。

 朝のバイクを見物に駐輪場に向かった澄と別れ、璃央は一人でマテリアルを買いに購買部へと来ていた。

 LRに入って世界に普及した魔法には使い捨ての触媒しょくばいを必要とする。触媒はマテリアルと呼ばれる。これは火や水といったものから力を抽出したもので抽出の仕方によっては、宝石のような外見にもなる。

 抽出にはそれなりに技術と時間が必要で、密度に比例して高額になるが、外見の美しいものもまた密度に関わらず高額である。密度の高い物はそれだけで十分な兵器として、美しい物は美術品として、の違いはある。

 もっとも、学校の購買部で扱われているマテリアルは安価で密度はそんなに高くはない。授業で使われる物は大体消しゴムを買うような感覚で扱われる。

 棚に陳列するのは一見するとビー玉にも見える。

(綺麗だな)

 色とりどりのビー玉を見て、素直にそう思う。

 しばらく眺めていると「天宮さん」と声をかけられる。呼んだのはショートヘアの元気の良さそうな少女。生徒会書記の武本たけもとこずえ(二年)であった。肩に竹刀袋を提げている。

「? 武本先輩、剣道部に入ったんですか?」

 竹刀袋を見てすぐに思いついたことを聞いてみる。聞かれた方も、璃央の視線が竹刀袋にいったことに気づいて、にゃははと笑って「違うよ」と答えた。

「道場通いさ。

 ほら、うちの実家って剣術道場っしょ。俊太郎しゅんたろうのヤツ、小学生相手にも手抜きしないからさ」

「武本君の代わりと」

「そんなとこ。

 まあ、最近の小学生も結構やるようになってきたし、相手も楽じゃないよ。

 そいじゃ、また明日~」

「はい、また」

 先輩を見送り、再び棚に視線を戻し、鞄からメモを取り出す。そこには必要なマテリアルの種類と数が璃央の字で書かれていた。

 買い物を終えマテリアル入りの袋を鞄に仕舞い、裏門へと足を向ける。

 今日は予定外に時間も空いたということで、少し寄り道をすることにした。行く場所は秋葉原、目的は魔構製品のウィンドウショッピングである。

 裏門にさしかかると駐輪場がなんとなく気になって足を運ぶ。ひょっとしたら澄が目的のバイクを鑑賞しているかもしれないと思ったからだ。だが、駐輪場に友人の姿はなく、あったのはあのバイクと見知らぬ白い背中。そう、今朝、璃央とぶつかったあの少年の背中だ。

 セイジは気配に振り返り、璃央と目を合わせた。眼鏡の奥で目を細める。

(いや、どうせ今は何も視えない)

 やろうとしたことは放棄して、小さくかぶりを振る。再度、璃央に顔を向け、穏やかに笑みを浮かべる。

「君は?」

「え、あ、あの・・・・・・」

「失礼。アステールだ」

「あす・・・・・・てーる?」

「俺はアステール。先に名乗るべきだったな」

「アステール・・・・・・さん」

(日崎先生の関係者じゃない? こんなに似ているのに)

 偽名という考えは浮かばず、ただ彼の名乗った音を何度か心で復唱する。

「私、は・・・・・・天宮璃央、です」

「りお」

「え?」

 その呼び方が懐かしすぎて、何故だか一瞬、涙が出そうになる。アステールと名乗った少年の顔が、かつて七年も前に出会った、日崎先生に紹介された先生の息子に似ていなくもない。しかし色が違う。

(似ているだけ。違うんだ)

 人違いだと納得させる。

「りお・・・・・・リオ、ね。うん、覚えた。そうか、君が理事の孫娘か」

 理事の単語に璃央は吐息。

「お祖父様のお客様ですか?」

「うん? んー、そうなるか?」

 とぼけたような感じで応じる相手を、改めてよく見てみる。

 服装は上から下まで白い。腰に剣帯、足にエンジニアブーツ、そこは白金。彼の左手中指に光る蒼珠の指輪が特に目立つ。何故、右にナックルグローブをしているのに、左には指輪しかしていないのだろうか。

 セイジは璃央の視線には敢えて気づかず、バイクを押して璃央の隣までやってくる。

「ところで、タカミヤの本家とやらにはどう行けばいいのかな? ホヅキは裏門からが近いと言っていたが」

「ご案内します」

「悪いね」

 秋葉原行きを諦めて案内役を買って出る。家人を呼べばいい話ではあるが、直接訪ねられて呼ぶのは失礼かと思ったからだ。

 並んで歩く。

 坂を下り、不忍池に入ろうとして足を止める。連れはバイクを押している。通る道を変え、上野公園を突っ切る道ではなく大通りとは逆の回り込む道を選択する。

「少し遠回りしますね」

「こういう時はバイクも邪魔だな。シュウなら、ああ、いや、友人だが。友人なら担いでいくんだろうが、俺には無理だな」

「これを、ですか?」

 ものすごく重そうだ。というより、バイクを担ぐという発想をする人が・・・・・・。

(ああ、いた)

 澄の兄に思い至る。

(世の中、あの発想をする人が他にもいるんだ)

 ある意味驚愕である。

「アステールさんはどちらの方なんですか?」

 そんな問いが口をつく。

 祖父の客人相手に会話など望んでいなかったが、この少年が普段祖父を訪ねてくる背広達とは、雰囲気というものがまったく違っていたから、つい気が緩んだといったところだ。

「ミスロジカルだ」

 イギリスが魔法学トップを独走するのは、世界で最初の魔法研究機関を発足し、研究機関を母体とした学院を創設し、学院の卒業生が研究機関に入って更に研究を重ねている実態があってこそのものだ。

 その研究機関を母体とする学院の名をミスロジカル魔導学院という。それはコーンウォールの西端のセントマイケルズマウントに存在する。イギリスへの渡航手段さえ確保出来れば、世界中から入学希望者が集まるとされる人気校である。

「ミスロジカル魔導学院?」

「うん」

「あ、ひょっとして、十三期生だったりしますか? 梧桐って先輩が留学しているんですが」

 澄の兄が第十三期生として留学している学院でもある。あの発想者は彼かも知れない。

「そうか。君はあいつの知り合いか。意外に狭いな」

「じゃあ」

「ああ。俺も十三期生、ミスロジカルの現三年だよ。で、バイクを担ぐ友人はシュウ・アオギリ、俺のパートナーの一人だ」

 梧桐秋の名を聞いて、ここで共通の話題を得て、璃央はなんとなく安心する。少なくとも、家路に無言を貫く必要はなくなった。

「パートナーって、一人じゃないんですか?」

「こっちでは二人一組と聞いていたが、本当にそうなのか。うちじゃ三人一組が基本だな。だからパートナーは二人だ」

「パートナーというと・・・・・・それじゃ、梧桐先輩も神州に帰ってきている?」

「シュウにそんな暇はない」

 即答。

「俺は単位充足して暇だからいいが、シュウは今頃必死だろうよ。

 まったく、俺とコトハに教わっておいて、なんで落とすかねえ」

 セイジは肩をすくめて盛大に溜息を吐く。

璃摩りま、大丈夫かな)

 ミスロジカルに留学中の妹が心配になってきた。

「妹がミスロジカルに留学しているのですが」

「らしいね」

 確かに、理事はそんなことを言っていた。

「英語とかあまり話せる子ではないので、授業についていけなかったら」

「言葉の壁、か。それは平気だな」

「え?」

「ミスロジカルというか、ブリテン全域はバベルシステムの影響下にある」

「ばべるしすてむ?」

「大戦で接収されたアーティファクト。言語の統一というより、意志疎通の障害を取り除くことに特化したシステムだな。異存在との意思疎通を可能とするんだ、人種の言葉の壁などあってないようなものだ」

「そんなすごいものがあるんですか?!」

 驚くのも無理はない。そんなものがあれば、外国語の授業など必要なくなる。

 イギリス――ブリテン連合王国はこのアーティファクトを有するために、特異な共生を実現している。大ブリテンに人を小ブリテンに超越者をと棲み分け、政治は両島の合議で行われている。

「アーティファクトって、解析不能の遺物でしたか」

「そうだな。神の英知によるものか、はたまたいずこかからもたらされたのか。

 魔法研究に協力した超越者達でさえ、その存在を知らないらしいし、本当に謎な遺物だよ」

(そんなものを制御しているというんだからな。その術はどこで見つけたのやら)

 解析不能だが制御が出来る。その矛盾。

 ミスロジカルの卒業生でも、その矛盾を解き明かそうと研究所入りをする者は少なくない。

 そんな会話をしながら、旧家が立ち並ぶ通りへと到着する。九曜・天宮までそうかからない。

 と、セイジはある門の前で立ち止まる。表札には『日崎』とある。

 璃央もセイジの行動に気がついて。

「アステール、さん? もしかして、本当はここの」

 セイジは小さくかぶりを振って、またバイク押しに戻る。

「うちの魔法学教師の実家がここらにあると聞いてたものでね」

「実は日崎先生のご家族とか」

「似ているとは言われるけどね。いかんせん、彼は東洋人だろう?」

 自分の目を指して「残念ながら、色が違う」と言って笑う。

「まあ、彼の娘は金髪紫眼だし」

「え? 息子ではないんですか?」

「・・・・・・ああ、両方いるな。息子の方は出来が悪いから、忘れていたよ」

「出来が・・・・・・悪い?」

 璃央の足が止まる。その表情は若干ムッとしたものだ。セイジも足を止め、璃央が歩き出すのを待つ。

「学院では有名だよ。

 父親は至源しげんの称号を持った高名なウィザードだが、息子は源理げんり魔法の一切を使えない出来損ないだってな。

 娘の方は逆に、源理魔法のすべてに対応していて、天才とも言われている」

 世界に広まった魔法は大きく分けて三つ。地水火風気の理に通じる源理魔法、魔構の制御などサポート系の総合とされる構想こうそう魔法、世界の根源に繋がる幻想魔法。幻想魔法は人に行使不可能とされるため、実質は二つである。

 源理魔法の五つの理に、人はいずれか二つ以上に繋がっているとされ、よほどのことがないかぎり最低でも一種類の系統の源理魔法は行使出来る。自らが繋がる系統に反する系統は苦手とするものが多いため、すべてを行使することはとても難しい。故に、すべてに対応するとされる"日崎先生の娘"は天才と呼ばれているのである。

 歩みが再開される。

 天宮家の門前に到着。そこまで交わされた会話はない。

 セイジは少し離れた地点にバイクを駐輪して戻ってきた。

「助かったよ」

「どういたしまして」

 答える璃央は表情を変えず「では」と玄関をくぐってしまう。セイジは苦笑を浮かべて吐息を一つ。

 出迎えていた家人は「話は聞いている」とのことで、二、三言葉を交わしてから、適当にぶらつく感じで屋敷の周囲を散策。木や壁に時々左手で触れながら歩いて行って、庭にさしかかる。そこには璃央が制服のままで縁側にぼんやりと座っていた。

 璃央はセイジに気がついて、名を呼ぼうとして躊躇。最後の会話を思い出し、下唇を噛む。

 日崎先生の息子を馬鹿にされたのがどうしても許せない。彼こそが、かつて自分を助けてくれた恩人なのだ。

 セイジから視線を外して立ち上がる。屋内に入ろうとして、地響き。音は遠い。しかし揺れは唐突で、バランスを崩してしまう。後ろへと、縁側の外に向かって落下。

「きゃ・・・・・・あ?」

 短い悲鳴。それは後に続かず、疑問に変わる。背中を支えられていた。ゆっくりと押し戻されて、その場に座り込む。そっと支えが離れる。振り返れば、セイジが背を向けて南の空を見つめていた。

(今のは・・・・・・なんだ?)

 携帯電話が鳴る。ツーコールで出れば、相手は梧桐穂月。

【悪いアステール君。今いいかい?】

「今の地響きのことか」

【話早くて助かるよ。今頃は天宮家だろ? あたしが知ってる中で一番近いのが君でさ】

「要件は?」

【末広町で転生者殺害が実行されたようなんだけど、町が一個消されちまったようでね】

 その言葉を裏付けるように遠くでサイレンが鳴り響く。

 璃央は不安そうな顔で南の空を眺める。

【あそこは秋葉原が近くて、うちの生徒も結構な数が今行ってるらしい】

 行って助けてほしい。それが依頼の内容だろう。セイジの今の仕事を知った上での依頼だ。穂月自身がそうとう切羽詰まっているようだ。

「断る」

 それでも解答する内容は変わらない。拒否だ。

【そう言わず頼むよう。澄タンが、妹がおつかいに行ってるんだよう】

 耳元の鳴き声に、セイジの眉がピクリと動く。

 穂月の妹、つまりは梧桐秋の妹である。

(しかし・・・・・・、位置として、何かしらの陽動の可能性も否めない)

 見捨てる選択を取ろうとして、ふと、携帯を顔から離して璃央を見る。ちょうどそのタイミングで目が合った。

「――スミ・アオギリというのは」

「スミ・・・・・・澄が何か?」

 璃央の口から出たのはファーストネーム。

 璃央はセイジが電話に出てすぐに口にした「地響き」という単語を思い出して目を大きく開けた。

「澄が、澄がどうしたって言うんですか?!」

 思わず身を乗り出してセイジの服を掴む。顔が、近い。セイジは璃央を見下ろしながら、携帯を耳に当てる。

「受ける」

【ほんっ】

 穂月の返事も聞かずに携帯を切った。

「最初に言っておくが」

 セイジは璃央を離して座らせながら、前置きをする。

「俺は理事に雇われた君の護衛だ。だから、君を危険にさらすわけにはいかない」

「護衛・・・・・・?」

 これまでも璃央の護衛とやらは何人かいたが、いずれも長くは続いていない。璃央と合わないというのもあるが、近年では誰かに狙われること自体がなくなっていたため、護衛を必要としなくなっていた。ここで転生殺しのことを知っていれば、自分に護衛がついた理由を察することも出来たのだろうが、璃央というか一般にそういう事件があることは知られていない。それが、自分に護衛のつく理由を不透明にし璃央も訳の分からないといった顔をする。

「君が自ら危険に飛び込もうと、嫌でもそれを護ろうという仕事だよ」

(私が危険に飛び込む? それって)

「澄が危険?」

 そんな呟き。漏れたものではあったが、聞いていたセイジは頷いた。それを見て息を飲む。

「足はある。盾もある。で、君はどうする?」

「そんなもの、決まってます」

 立ち上がり、セイジを見下ろす。

(この人は気に入らない。でも)

 この気に入らない相手が道を示していた。

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