たまには
運び屋も時には収入を得て、金銭的に余裕が出る。金の使い過ぎには節制するが、助手席に乗る我儘娘がこれ以上不機嫌になると車内の空気が悪くなる。ただでさえ廃車寸前の愛車だというのに娘の溜息で止まってしまわれては修理費が掛かってしまうし、常に二人きりでこの街を走っていると嫌でも耳に入ってくるので気疲れした。
「我慢しろ」
「やーだー!」
「うるせえ奴は車から降りるっていう決まりがある、知ってたか?」
「無い! そんなの知らない! 今考えた癖に!」
「そうだ、俺がこの車の所持者で運転主だ。いつだってルールは追加するし、隣で騒ぐ小娘を降ろす権利だってある」
「テルのじゃなくて叔父さんの車でしょー!」
「……」
しまった。反論が出来ない――と思ったら、ミハルの文句は止まらなかった。
「もー! 洗濯物干せない! 広いベッドで寝たいー! 大きいお風呂に入りたい! この車ごとホテルに突っ込んでー!」
「出来るわけないだろ」
「なんでもいいからホテルホテルホテルー! ホテルー!」
「うるせえ!」
文句の雨が止まらない。これでは延々と小言を聞かれ続けながら一日が終わりそうだ。
しばらくミハルはふてくされてシートにもたれかかり、窓の方を向いた。ようやく落ち着いたかと思うとミハルはぐすぐすと鼻をすすり始める。まさか泣いているのか――車を止めて確認するわけにもいない。
子供が泣かれるのは本当に困る。こちらが根負けするしかないのだ。
「仕方ない。行こう」
「ほんと!?」
ぱっとこちらを向くミハルの目には涙なんてものは一切ない。
またやられた、嘘泣きで騙された。
「やっぱり駄目だ、人を嘘泣きで騙すな」
「でも行こうって言った!」
「言ってない」
「言った!」
永遠とこんなことを繰り返しても仕方ない。
輝秋はホテルへと目的地を変更した。ミハルの言う通り、行くと言ったのは事実だ。嘘泣きで騙されるのが悪い。
ミハルの口調が明るくなった途端、足をばたつかせながら携帯端末を操作し始めた。最近のミハルは携帯端末をいじることに没頭している。コミュニケーションアプリが好きなのかどこでも呟いて、知らない人と交流するのが好きらしい。
「グラズヘイム」には宿泊施設が多くあるものの、グレードはピンからキリまである。高いホテルは眩暈がするほど高く、野菜一つ買えない人間にはまず無理だがその中間くらいなら輝秋の持っている所持金ならば払える――ぎりぎりではあるが。
「荷物とって降りろ」
「着いた?」
「見りゃわかる」
廃車寸前の車が辿り着いたのは蛍光ネオンを反射するような硬質な素材で出来た建物だった。ミハルがすぐに車を降りて、リュックを抱えてスキップしそうな勢いでホテルの入り口へと走っていった。支払う気がないくせに、一人突っ走ってどうするんだと思いつつ着替えが入ったザックを背負いホテルの中に入った。
たまにはこういうのも、良いだろう。
室内は静かだ、機械人形や改造一つしない輝秋と同じような人間まで様々な宿泊客がラウンジにあるソファに腰掛け談笑をしている。空気が調整されているせいか暑くも寒くも無いため上着を着る必要もなく割と快適だ。電光掲示板にはミクロマシン濃度の数値が映っており極少量であると表示されていた。小さな子供や未成年に対しての配慮だろう。
ミハルはすぐそこで待っていた。
「早く! 部屋っ」
「はいはい」
ミハルは車内泊に慣れていない。寝づらいし、風呂入るのもわざわざ銭湯に行かないといけないから面倒だし窮屈に思っているようだ。だが決して車から降りることはなく、寝食をあの狭い車の中で共にしている。
受付に居たのはにこやかな顔をした機械人形だった。背筋を伸ばし由緒正しいような正装に纏って低くお辞儀する。
「二人で」
「ご旅行ですか?」
機械音声の受付がにこやかに尋ねる。義務的に質問しているのかそれとも世間話のつもりなのか分かりづらい。
「休暇だ」
「お連れの方は愛玩人形ですか?」
「人形じゃない」
機械人形は何か考えてからすぐに笑みに戻った。硬い笑顔だ。
「すぐにお部屋をご用意しますね」
ミハルをじっと見下ろし、機械人形の男は目を閉じて情報を入力してからすぐに目を開くと、引き出しに入っていたカードキーを渡した。
「五階、501号室です」
「ありがとう」
エスカレーターに乗り込み、隣にいるミハルの様子を見る。先ほどとは別人になったようにミハルはすぐそこにあるホテルの部屋を楽しみにしている様子だった。
「そんなに楽しみか?」
「もちろん! だって二か月ぶりのベッドだよ? テルも嬉しいでしょ?」
「まあ……そうだな」
エレベーターが止まり、扉が開く。部屋はいくつもあったがカードキーに書いてある部屋番号と見比べると、すぐに部屋が見つかった。差し込み口にカードを通し、音が鳴ったと思うと扉が開いてドアノブを引いた。
「わー!」
堪えきれなかったミハルが真っ先に部屋の中に入っていくとすぐにぼすんと音がした。ミハルがベッドに飛び込んでばたばたと暴れている、ベッドの側には荷物と靴が散乱していた。
部屋は――ベッドが二つ。良かった。これだけは気にしておかないといけないことだ、前回泊まった時はベッドが一つしかなくて困ったものだ。機械人形の受付はミハルのことを愛玩人形だと勘違いしていたし、人形趣味があるように見えるのだろうか?
「ふかふかベッド! ふかふか」
「悪かったな、シートが安っぽくて……」
今まで見せた事の無いミハルの笑顔に苦笑いしつつも荷物を床に置いてから、うんと背筋を伸ばす。
オーシャンビューの部屋だと言いたいところだが、「グラズヘイム」の海はとてもじゃないが綺麗とは言えない。ここの区域は海が汚染され、魚は突然変異によって巨大化、凶暴となっている。サーフィン客が人食いイワシに丸呑みされたなどとラジオでどれだけ報道されていたことか。海が綺麗なのは本当に一部分だけで、そんなところに行けるのは「農家」くらいだ。
ミハルのベッドはすでに窓側と決まっていたかのように占領していたので、もう一つのベッドに座り、そのまま仰向けになって倒れる。
ミハルはベッドから降りて落ち着きがなく室内を探検し始める。うるさい、しかしまあ、興奮する気持ちはわかる。時にこうした室内で身体を休めたいし、精神的にも落ち着くものだ。
「テル! お風呂! お風呂がある!」
「当然だろ……」
「なんかいい匂いのする石鹸があるよ!」
「そうだな……」
「ちょっとテルー! 荷物広げてから寝てよ!」
「うるせ……」
限界だ。眠すぎる。ベッドに身体を預けた途端、疲れがどっと襲って眠気が憑りついてきた。追い払う事も出来ず、瞼を閉じたらもう二度と開けない。
「テル? ねえ、テルってば」
ミハルに揺すられているような気がするが、もう遅い。起きることはなく、うつ伏せのまま全身の力を抜いた。車のシートよりもずっと心地がいいこのベッドで眠れるなんてとんだ幸福だ。叔父の家は敷布団だがそれ以前に――物が多くて座れるところも無い。
こんなにも落ち着いて眠れるのは久しい事だ、「グラズヘイム」は一日中騒がしい。空撃ちする不良共、機械人形らの抗争、野菜主義者のストライキ……ホテルは至高だ。全ての音が消えて無くなって静かになる。
「もー……」
ミハルが突然――頭を撫でてくる。ぞわりとして一瞬目を開きそうになった。決して不快感の無い優しい手つき、まるで母親かと思ってしまうほどだ。何故かミハルはさわさわと触ってくると、徐々に力を込めて撫で始めたと思えばくすくす笑いながら、シーツをかけてくれる。まさか目を覚ましていて、寝ているフリをしているとは思っていないだろう。起きたらきっと恥ずかしがる、それはそれで面白いが――その後が怖いのでこのままじっとしていよう。
ミハルの手が離れた。鞄を開ける音がする。ミハルが離れるとうっすらと目を開いて見て見れば、彼女は何故か携帯端末を持っていた。
「ちょっと寝顔を撮っても――」
「おい」
「え!?」
ぱちりと目を覚まして携帯端末を奪うとミハルは真っ赤になって、そのままのけ反らないように腕を掴んで抱き込んでやる。悔しそうに口を噤むミハルを見ているとちょっかいを出してやりたくなるので容赦なく顔を近づけた。
「人の寝顔を撮るなっつの」
「撮ってない! 撮ってないよ!」
「じゃあその端末はなんだよ」
わき腹をくすぐると、ミハルが引き揚げられた小魚のようにじたばたと暴れる。
「ひゃ! ちょっ、だめー! だめ! ひ、ひっ、む、むりむりごめん! ごめんってばぁ!」
「撮らないか? 絶対撮らないか?」
「とーりーまーせーん!」
「絶対か!」
「ぜ、ぜっ、絶対っ!」
「よし」
手を離すと腹の上でぜえぜえとミハルが息を荒げ、涙が落ちていくミハルがベッドから降りて避難する。これ以上くすぐられたらたまったものではないだろう。
「私が弱いと知ってて……」
「無断で写真を撮ろうとするからだ」
「ちょっとくらい、いいじゃんか」
そう言うので輝秋はミハルの脇腹に腕を伸ばす。
「次同じことしようなら……」
「やっ、やらないってば!」
ミハルはベッドを降りて靴を揃え直し、突然その場で脱ぎ始めた。たかだか子供の素肌に緊張するほどではないが、さすがに下着だけになると視線を逸らしてしまう
「お風呂! 泳いでくる!」
どたばたとミハルが風呂場の方へと駆けて行く。そのまま静かになったかと思うと水が跳ねる音が聴こえてきた。本当に足をばたつかせているらしい、ミハルは元々背丈が低いし広さに余裕がありそうだ――などと考えながら、寝返りを打つと輝秋はとうとう眠りに落ちて行った。
「テルアキさん、起きてください」
誰が起きるかと思った。あの声に二度と騙されてたまるものか、どれだけお前の声に揺さぶられたのかと。
「もう……僕がもし、遠いところに行ったらどうするんですか?」
その時、彼の言葉の意味を全然理解することが出来なかった。ただ彼はいつも妙な事を言っては人を困らせるところが多く、それもどうせどこか詩を引用したか、偉人の言葉を借りているだけだとかそんな程度にしか思っていなかった。
彼の手が頭に伸びてきて、添えるように触れてくる。
そして鼻歌を始めるその歌の内容は――覚えていない。
冷たい何かがシーツの中に入り込んでくる。
ミハルが目を擦りながらこちらを見降ろしたと思うと、シーツの中へともぞもぞ入りこんできた。身体が冷たいから目がどんどん覚めて行く、ミハルが寝ぼけて同じベッドに入っているのだ。腕のすぐ側までくっついて猫のように丸まり、そのまま寝息を立てる。
「おい、一緒に寝るのはもうやめるって言っただろうが」
「んー……」
ミハルは動かず、輝秋の腕に鼻を擦るように埋める。寝ている間風呂にでも入ったのか髪がまだ濡れていて、やけに甘い匂いがした。
匂いのある石鹸でも使ったのかもしれない、女の子がすぐさま女になったような気がして妙な気を取り払いつつ、湿った髪に触れながら天井を仰いだ。
――そういやもう一人で風呂に入れるのか
出会った頃、ミハルは歩く事は出来たが風呂も入れなかった、食事も分からず首を傾げているような生まれたての赤ん坊だった。街に繰り出しても、あれはなんだ、これはなんだでうるさい娘は――決して嫌ではなかったが、これが子供を育てるということなのかさえ思い、とても苦労した。
努力もあってかミハルは一人で大抵の事は出来るようになった、ミハルは無知ではあったが誰よりも好奇心が強い娘だった。だからあらゆることをすぐに吸収してくれて助かった。今もどこか好奇心が強すぎて困るのだが、無関心でぼうっとしているよりかはずっといい。
「おふろ、せまかった……」
「だろうな」
「明日また車だと思うと……」
「嫌なら降りてもいいんだぞ」
ミハルはもぞもぞと上に這い上がり、輝秋を見てきた。
「やだ」
「そうか」
どこか安心したような声を漏らした後、輝秋は窓の外を見た。グラズヘイムはまた夜が来てしまったらしい。
愛しいホテルを去って車に乗りこむと、ミハルが昨日のことを忘れたようにご機嫌だった。鞄を抱え助手席に座ったミハルを確認してから、バックミラーの微調整をしていた輝秋に言った。
「次は大きなお風呂がいいなー、二人で泳げるくらいのおっきいやつ!」
「ねえよ」
「あるって、私の隣人が言ってた」
「隣人?」
「コミュニケーションアプリ! フォローしてくれる人を隣人って言うんだ。でね、隣人の人はグラズヘイムリゾートっていうところはおっきいお風呂があるって言ってたよ?」
輝秋は即答した。
「そいつとはもう話すな」
「なんで?」
「目と耳と心の毒だ」
廃車寸前の車がぼん、と大きな音を立てて走り出す。やはりこの少女から携帯端末を取り上げるべきかもなと思いながらも輝秋はグラズヘイムの中に溶けるように車を走らせた。
Gladsheim(短編集) 文月文人 @humiduki727
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