Gladsheim(短編集)
文月文人
暖かさを求めた者たち
人間と駆動人形が共存する島「グラズヘイム」。
天気を調整する「傘」の下、「農家」が牛耳り監視のために島民はミクロマシンを体内に注入され、人々はプライバシーも個人も無いこの無法地帯とも言える街で生きている。
機械羊を叩きつけるギャング達、金をむしり取るネットダイバー、売れない娼婦、拳銃を売る自動販売機、男女の性器も無い駆動人形。
そんな何をしても許され、どんな事でも受け入れる街に今日も廃車寸前の車が走っている。
運び屋は基本的に暇だ。
昨日は血まみれになった人間なのか動物なのかもわからないような「モノ」を海に捨ててこいと言われた。こっちは死体処理を専門になんかしていないと文句を言いたかったが、仕事も無いので報酬が良い頷くほかなかった。今日は知り合いのホームレスに足が悪いのでゴミ捨て場から何か金になりそうなものを持ってきてくれと頼まれ、嫌な臭いが服に染みつくのを我慢しながら路銀にもならないガラクタを持って来た事もある。しかも無報酬だった。彼には以前世話になった事があるので、仕方ない。
運び屋は、便利屋じゃないはずだ。
基本的に暇なハズなのに、どうしてこうも毎日毎日……。
砂泊輝秋は心の中で文句を繰り返しながらハンドルを握っている。先代の運び屋である叔父ならばこんな事を請け負ったりしていたかもしれないが、輝秋としてはあくまでも「運び屋」をしたい訳であって、何でもやりこなす「便利屋」ではないのだ。
ましてやどうでもいい話を聞く「相談所」でもない。
「ねえねえ、魔法使いの存在を信じる?」
はじけたように明るい声が車内に響いて、輝秋はブレーキを思い切り踏んだ。がくりと身体が揺れ、助手席に乗せてあった荷物が足元の方に落ち、バックボードが乱暴に口を開けてしまった。
廃車寸前の車に急ブレーキは毒だ。ぼすん、と情けない音がして揺れると思えばいつの間にかクリーム色のワンピースを着た少女が乗り込んでいる。十歳後半くらいか、まだ幼さがはっきりと残り化粧いらずの肌は綺麗だった。
ドアを開けずに、突然現れる少女はにこにこと笑って後部座席に座っている。
こうして何度現れるともう驚かなかった。少女は文字通り、煙のように消えてぱっと現れる。まるで幽霊か手品師か、少女は座席を取り外したスペースで膝立ちのまま振り返った輝秋をじっと見つめていた。
「こんにちは」
「……何しに来た」
ボブに切られた灰色の髪が揺れ、蛍光色の瞳がじっとりと舐めるように輝秋を見つめている。
「魔法使いの存在を信じる?」
「またそれか、答える気は無い」
「どうして?」
「答えたら金をくれるか?」
少女の眉が妙にひん曲がったように見えた。
「お金が欲しいの? 丁度そこを曲がったところにジュエリーショップがあるのだけれど、そこに車を突っ込めばいいんじゃないかな?」
「廃車の車をガラクタにしたくない」
「この車がそんなに大切?」
首を傾げる少女にはわからないだろう、この車がどれだけ愛され、人を乗せ、そして死体を運んでいったか。愛車とは言わないが、相棒の車をさっさと乗り捨てて新車に乗り換える気は無い。街中を走り回っている移動車の速度は劣るが、輝秋はこの車が好きだった。
「答えて。魔法使いの存在を信じる?」
「答えるとどうなる?」
「どうなっちゃうと思う?」
輝秋は溜息しか出ない。
「質問を質問で返す奴は嫌いなんだ。ガキなら尚更」
「私、何歳に見える?」
「十四」
少女は目を丸くして、くすくすと笑い始めた。
「残念でした」
「答えは?」
「そうね……百年くらい」
こんどは輝秋が目を丸くする番だった。どうみても百歳に見えなかった。しかも「くらい」と言ったので、それ以上とも言えるらしい。
「私を単なる女の子だと思わないでほしいな。私はずっと貴方を見ていたのに、気づいていなかったの?」
蠱惑的に言ったつもりなのだろうが、相手が子供だと抱こうとも思えない。むしろ台無しだった。昔寝た男の事を思い出したが、多分彼の方が上手い。
途端頬杖をつきたくなったが、ここにはスクールカウンセラーの部屋のような机もソファもないので、振り返ったまま少女の言葉を待つ。
「ネットの底から見ていたの」
「網か?」
「……分かってて言わないでよ!」
「じゃあお前はその……ネットから飛び出したっていうのか? ヴァーチャルロイドみたいな?」
「そうよ。魔法を使って!」
少女は頷いて、ワンピースをひらひらと泳がせる。
「でね、ようやく自由を得たから貴方の近くに来てみたかったの。どんなヒトなのかなあって」
少女が消えると、息をする暇もなく眼前に現れる。前髪が鼻先に触れるくらいの距離でまたも笑った。悲しい顔を知らない、そんな表情だ。
「びっくりした?」
「今すぐに車を降りろ、子供を乗せる気は無い」
「せっかく貴方に会いに来たのに」
「無断で車に乗る奴は嫌いなんだ」
「嫌いな物多いね」
少女は口を尖らせ、距離を置いて膝立ちから立ち上がる。天井にぶつからないほどの背丈があった、小柄な身体でくるりと回った。
「どうして運び屋なんか始めたの?」
「随分と唐突だな」
「この前も聞いたけど、教えてくれなかった」
「あの時は驚いてそれどころじゃなかったんでね」
「じゃあ驚いてくれたんだ!」
少女はまたも声を明るくして喜んでいる。突然ボンネットの上に現れた時は心臓が止まるかと思ったものだ。
「貴方って全然表情変えないから、最初に見た時は自我を与えられる前、製品として売られる前の駆動人形かと思ったの。でも心臓はあるし、暖かいし、ちゃんと息もするから安心しちゃった」
「俺に近づく理由はそれなのか?」
「「グラズヘイム」は人もいるけれど、ほとんどが駆動人形だらけだもの。この街は冷たくてたまらない。スチールとまずい酒と、馬鹿みたいに笑いだす殺人鬼。この前なんかね、グラズヘイム時計台が喋り出したのよ、誰かが自我を植え付けたみたい。正午になると冷たい音楽が流れるんだ。運び屋さんは冷たい音楽がどんなものか知ってる?」
輝秋は前を向いて、バックミラー越しに少女を見る。
「知らん」
「本当に背筋が凍るような、低くて耳障りな音楽だよ。聴いたら耳の中が凍っちゃうくらい」
「時計台がそんなことになっているとは聞いた事が無い」
あそこはギャング達のたまり場で誰も近づかないのだ。
「こうして街中に冷たい物が溢れかえってる中、私は運び屋さんを見つけたんだよ。運び屋さんの手はあったかくて、お腹も引き締まってて……太腿に傷とかあったけどあれは何かな? まあそれはいいんだけど、でね、貴方の心像の音がとても気持ち良くて」
血の気が引くような音が全身から聞こえた。
その傷は叔父くらいしか知らない。
「ちょっと待て。何故俺の傷の事を知っているんだ?」
「触ったから」
少女があまりにも穏やかに言うので、輝秋は怒鳴ることも出来ず少女の事を凝視する。
「この前の夜、ここで寝てたでしょ? その時お邪魔したの」
「……」
「あ、でもヘンなことはしてない。ちょっと触ってみただけ」
「……」
別に触られた事にショックを受けている訳ではないのだが、言葉にできない感情が生まれてきて次第には昇華した。今度ドアをもっと分厚い物にしてみようかなと思った。
「男の人って暖かいんだって初めて知ったの。「グラズヘイム」では感じる事の出来ない暖かさが貴方にはあった。私には興味があったの。この冷たい街にあるほんの少しの暖かさは一体どんなものなのかって」
試しに自分の額に触れてみる。熱は無く、平温だと思った。だがこれを彼女が暖かいというのならば、少女はどれだけ寒い思いをしているのだろう。
確かに「グラズヘイム」は寒いかもしれない。風も冷たいし、海風だって馬鹿に出来ない。その場で誰かが金を落としても、金の音を嗅ぎ付けてホームレスが群がって金を奪い合っても、金を拾って渡してくれる善人はいない。助けてと叫んでも、メリットが無ければ助けてはくれない。
それを冷たいというのならば、多分彼女の言う通りこの街は冷たく寒い。
少女がまた消えた。今度は輝秋の膝上に座り込んでいた。重さは無く、雲の様に軽い彼女には触れる事も出来ず、自分自身の手がすり抜ける。
「この街の寒さで自分を麻痺しないようにするための、暖炉。それが貴方」
「そこまで大胆な物じゃない」
「でも助けたじゃない。ホームレスの人や、困っている人。運び屋の仕事じゃないのになとか思いつつ、余計なことに首を突っ込んでは巻き込まれちゃうじゃない」
「……」
「そうでしょ?」
「はっ……」
思わず笑いがこみあげた。この少女には全てお見通しらしい、自分が日ごろ愚痴を吐いていたことも、その内容も全て筒抜けだった。
しかし、本当に全部お見通しなのだろうか?
それは違う。
輝秋が口を開けようとすると、長々と話し続けていた少女が先に口を開けた。
「でも不思議なんだよねえ、貴方は自分が暖かいと知っていながら、 別の暖かさを探しているんだよ?」
「暖かいのは毛布の中だけだ」
「ひと肌が恋しい?」
「恋しいよ」
「探しているの?」
「探してる。けれど、見つける気は無い」
見つけて、捨てた。いや、捨てられたが正しい。
本土にいるときは女だった。年上の女で、パンを作るのが得意だった。そしてあっさりと別れた。「グラズヘイム」に来た時は一個年下の男だった。白い肌をした細身の青年は確かに暖かい、だが知れば知るほど冷たく、鋼のように鋭い痛みが残るものだった。
二十数年の間に二人の男女と付き合ったが、もうこりごりだと思った。一人の方が断然楽だと意地っ張りになっていたのだ、しかし「運び屋」を始めて様々な人間や駆動人形と交流していく内に寂しさを感じる自分自身がいた。
「どんなヒトを探してるの?」
「俺を捨てないでくれる人」
「私は?」
「夜中に忍び込んで好き勝手触るガキは論外だ」
「じゃあ用意してあげる、とびきりの可愛い子を売ってあげる」
「体温もないホログラムには興味が無い」
少女はむすっとした。じゃあ何に興味があるのよとぼやいたが、特に答えなかった。興味や関心など何も無かったからだ。
「俺は探している方が好きなんだ」
「そっか」
瞬きをしていたら少女が消えていた。次に目を閉じ、開いた時には彼女はボンネットの上で仁王立ちして歯をむき出しにして笑っていた。少女はいつも笑っているが、やはり女は笑っていた方が良い。
「じゃあ用意してあげるから、貴方は探して。宝探しよ」
「宝探し?」
「ええ。貴方は文句が多い面倒な冒険家よ、そして私が遺した宝を探すの。春を見つける旅、まるで物語のようね」
「それは強制か?」
少女は頷いた。「傘」はそろそろ夜になろうとしている。「グラズヘイム」の夜はネオン一色に染まろうと少しずつ電灯や高速船の広告に電源をつけていた。
「ああ、もう時間。また遊びに行くね」
「来なくていいぞ」
少女は手を振った、ワンピースが少しずつ透明になっていく。
「運び屋さん。次会った時、ちゃんと教えてね? どうして運び屋になったのか」
輝秋はようやく静かになった車の中で深く息を吐いた。
名も知らぬ少女の言葉を反芻している。
「そうか、俺。誰かを求めているのか」
車に言ったつもりはないのに、車が少しだけ左右に揺れたような気がした。しかしそれは「グラズヘイム」が吹く冷たい風のせいだった。雪が降りそうなほど寒い気温はさすがに暖房の使えない車内では凍え死んでしまう。
「寒いな、グラズヘイムってのは」
この街に来て一年も経っていないが、この街は本当に寒い。
人々は質素な格好で寒さから逃れようと違法バーに行ったり、娼婦を暖炉代わりにしているのかもしれない。だが、輝秋の本当に欲しい暖かさは酒でも女でも補えない別の何かだ。いつかは見つかるかもしれない、一生見つからないかもしれない。事実なのは今じゃないということだけだ。
でも、走っていればきっと誰かには会える。
不意に携帯端末が震えはじめた、誰かが連絡をしてきたのだ。耳に当てるとそれは知り合いのベーカリーの店主だった。
「こんな夜にすまないが、パンを運んでくれ運び屋」
「分かった」
「ついでに売れ残ったパンも食べてくれ」
「売れ残りを食わせるのか? そのパン、変なモン混じってないだろうな?」
「食ってみればわかる」
そう言って一方的に切られると、端末を助手席に放り投げ輝秋は苦笑した。さっきからエンジンをかけっぱなしの車がぼすん、とまた言った。不機嫌なのか、それとも急かしているのか走りたがっている車を宥めるようにハンドルを握った。
「行くか」
運び屋は基本的に暇だ。
だが、こうして一つ連絡が来ると決まって立て続けに面倒ごとがやってくる。
「もしもし――ああ、またあんたか。この前も言ったけど、もう臭い思いしたくねえからやらねえぞ。え、金? ……日付変わっちまうけど、行くよ。本当にあるんだろうな……」
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