第4話

 静かな夜道のお散歩は、月の光と、手の温かさと、たまに横切られる猫で出来ている。24時間営業のスーパーをコースに入れて、私達は夜の散歩に出かける。枷は全て、家に置いてきた。その代わりに家を出てから帰るまで、手を繋いでいるのが約束。

「……希望のぞみはさ」

「はい?」

「『今どうしようもなくここからあっちの電柱まで走りたい!』とか、無いの」

「たま〜にありますよ」

 無性に走りたくなる時は、たまにある。ずっと家で書き物をして、家事をして、夜の散歩以外で外に出ないとなるとそれなりに運動不足感があるものだ。

 なんて、彼がそんなことを聞きたい訳では無い事など分かっているけれど。分かっているけれど、知らないフリをして答えた。

 ずっと前を向いてゆっくりと歩いていた彼がおどけたようにこちらを見る。

「走って行かないの」

「……一緒に走ってくれますか?」

 隣を見上げると、彼は目が合った途端に空いた手で口元を抑え、眉をひそめながらふしゅーっと息を長く吐き出した。

「ぅあぁ、好きだよのんちゃん」

「私もですよ」

 ふふふと笑って、吐いた分夏の夜の匂いを吸い込む。蝉の声が日に日に大きくなっている気がする。今鳴いている蝉はあと何日生きられるのだろう。真面目に考えるでもなく、センチメンタルになるでもなく頭にのぼったその疑問は、夏になると必ず1度は考えてしまうものだった。

「やっぱりその服似合うね」

「和規さんが選んでくれた服ですから」

 淡いピンク色で裾がブルームスカートのようにふわりと広がっている半袖のベースに、紺色の襟と袖のアクセントがついたワンピース。一緒に暮らし始めてからは、下着からアクセサリーまで彼が選んだ物をその日に身に付けて生活している。元々持っていた服は、彼に1着ずつ見せて要る要らないを仕分けした。処分した衣類を補填するかのように、彼は突然洋服を買って帰ってきてくれてしまう事がたまにある。この服も、そのうちの1着。個人的には困ったことは何も無いし、着飾ることが得意な訳でもないので大変楽に着替えられるようになってありがたい。それに、彼は自分では手を出さないであろう服を着せてくれるので、なかなか楽しくもある。

「今日は何買うの?」

「値段にもよりますけど、何か食べたいものありますか」

「んー、肉」

「雑」

 考えた素振りを見せたのに、ざっくりとした答えしか返って来なかった。

「ははは」

「今日もお肉でしたよ」

「じゃあカレー」

「あ、採用」

「やったね」

「野菜を買いましょう」

「はーい」

「今日はドラッグストアにも寄りたいんですけど」

「いいよー」

 手を繋ぎながら、いつも通りのんびりと夏の夜を歩いて行く。時折ふんわりと吹く弱い風が、少しだけ暑いくらいの体感気温を下げてくれる。きっとこれから、熱帯夜の季節になるのだろう。

「のんちゃん、走ろっか」

「どこまでですか?」

「スーパまで、競争」

「手を繋いだまま、競争?」

「それもそうだね」

「じゃあ、エアー二人三脚でどうでしょう」

「なにそれ」

 提案した途端に彼が吹き出すのが聞こえた。笑いながら彼が尋ねるから、繋いだ手が小刻みに上下する。

 自分としては、至って真面目だったのだけれど。あんまり彼が可笑おかしそうに笑うのでつられて笑ってしまう。

「二人三脚って、楽しくなると早足になるじゃないですか」

「ん?うん……ん?」

「いっちに、いっちに、で、どれだけ走れるかですよ」

「なんで難易度上げちゃったの」

「何となく?」

「でも楽しそうだからやろう」

「わーい」

 内側の脚から始まったこの遊びで目的地に着く頃には、何が可笑しいのかふたりで大笑いし、笑いすぎに走ったことも相まってふたりしてお腹が痛くなった。

 そんな自分達だけが楽しい日常は、悪くない。

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