第3話

 今日の夕飯は、鳥の照り焼きと煮物。某オレンジな料理雑誌は、照り焼きを勧めがちだと思う。そこまで言われたら作らなければいけない気になって定期的に作ってしまう、照り焼き。下味を付けておいて冷凍保存、なんていうのも楽が出来て良い。あとはいつも通り、サラダとご飯とお味噌汁。彼が好きなキャベツのお味噌汁にした。細切りで柔らかく、味の染みたキャベツは確かに美味しい。いつでも食べられるようにして、彼を待つ。

 一緒に住み始めた時に彼が買ってくれたDVDプレイヤーで、彼の出ているDVDを見ながら、彼を待つ。DVDと言っても、今日見ているのはそれのもっと画質のいいBlu-rayというやつらしい。「画質が凄く良い」くらいしか違いは分からないけれど、綺麗に見えた方がやっぱり楽しい。

 彼が帰ってくるのは平均して午後8時くらいなのだけれど、今日は少し遅いらしい。

 画面の向こうの手のひらサイズの彼が軽やかに歌って踊っている。捲し立てるような早口の長ゼリフも、企み顔も、激しい踊りも、ソツなくこなしているように見える彼が、それまでにどれほど努力しているかを先日目の当たりにした。彼だけではない、出演している人いない人、全ての人が汗を流して作り上げている。最近は見ているとそういう事ばかり考えてしまっていけない。純粋に楽しむ方が、いいのだろうから。

 そうこうしてじっと画面を見ていると、玄関の方からかちゃりと音がした。すぐさま立ち上がり、プレイヤーのリモコンの一時停止ボタンを押す。歌声がぷつりと途切れるのを確認してから、鎖でつんのめって転ばないように駆けていって玄関の電気を点けて出迎える。

「和規さん、おかえりなさい」

「ただいま」

 少しだけ外の匂いのする彼の胸に飛び込むと、クタクタの彼にぎゅっと抱き締められる。彼はいつもより少し鼓動が速く、軽く汗ばんでいた。

「走って帰ってきてくれたんですか」

「いっつもより遅くなったから、駅から少しだけ、ね。汗くさくない?」

 この家から駅まではたいして遠くはないものの、近いと言うと嘘になるかもしれないくらいの距離がある。そんな夜道を仕事で疲れているにも関わらず走って来てくれたのが嬉しくて、ゆっくりと首を振る。外の匂いは徐々に消え、香水と彼の匂いが混ざった、甘くて落ち着く匂いが私を包む。

 ホントかなぁと笑いながら彼は少し離れて、もう一度ただいまと言うと私に口付けた。


「そう言えば、ポチが『先生元気ですか』だって」

 白米を飲み込んだ彼が言った。ポチと言うのは、柴さんという俳優さんだ。私と同い年で、あの舞台の時にかなりお世話になった人のひとり。

「柴さんまた一緒なんですね」

 3連続ですか?と私が笑うと、彼は少し嫌そうな顔をした。和規さんは私達が初めて会った時の舞台の、1つ前から柴さんと仕事が重なっている。

「『先生、嶋田さんにいじめられてませんか』だとさ、まったく」

 彼は柴さんが嫌いな訳では無い。寧ろ柴さんは人懐っこくて可愛がられている方だと思う。けれど、柴さんが私のことを気にかけるのと、私が柴さんとそれなりに仲良くなっていたのが気に入らないのだと思う。

「毎日幸せですよ、とお伝えください」

 自分で話し始めたのに、可愛らしい。隠す気もないのだろうけれど、面白くないのが隠しきれていない彼に笑いながら返すと、苦笑いが返ってきた。

 これはまだ、軽口の範疇。


 彼は、彼なりにこの状況を良くは思っていない。

 けれど、矛盾を感じながらも彼はまだ、私の枷を外せない。


「お風呂入ってからお散歩に行きますか?」

「湯冷めしちゃうよ、体に悪い」

 夏だから、湯冷めなんて。そう思ったけれど、何事も無かったかのように言葉を飲み込み笑う。

「じゃあひと休みしたら行きましょう」

「うん。おいで」

 気がつくと彼は食事を終え、私だけがまだ箸を持っていた。元々食事は遅い方だけれど、鎖の長さとの兼ね合いでより遅くなる。見かねた彼が、私を自分の膝の上へと呼び寄せる。大人しく従って座ると、食事を口元に運ばれる。これもまた、ほぼ毎日の光景。

「あーん」

 優しい声が耳を撫でる。素直に口を開けて食事を再開すると、彼の手は顔の横に伸びてきた。

「顎、やっぱり痛い?」

 心配そうな問いに、ふるふると首を振る。彼はそのまま箸を置き、もぐもぐと咀嚼する私の顔を両手でふわりと包んで撫でた。

「あんまり口開いてない気がする」

「もともとですよ」

「そう?」

 あんまり仕事に根詰めちゃダメだよ、と鶏肉を食べさせながら彼は言った。どうやら私は歯を食いしばって書き物をする癖があるらしい。

 噛んで、飲み込んで、差し出されて、食べて、また噛んでを繰り返す。自分は何のために食事をしているのだろう。空腹が少しでも満たされるとそう思ってしまうのは昔からの悪い癖だけれど、今はただ、彼が食べさせてくれるだけで食べられるような気がした。

 どれだけ悠長に食べていても、彼は待って付き合ってくれる。結局それから10分近く食べさせてもらって漸く完食した。

「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」

「今日も美味しかった」

「よかったです」


 彼は優しい。とても優しい。想いを10届ければ、100にも1000にもして返してくれる。

 そんな彼が、私はとても、彼が思っている以上に、好きで仕方が無い。

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