第2話
男の人ばかりの舞台だった。自分が書いたハードボイルド小説が元だから当然なのだけれど、少し緊張した。ほんの少し居たお姉さんたちは明るくて優しくて、魅力的な人ばかりだった。
千秋楽の日の打ち上げは、関わった人ひとりひとりとお話したくて、貸し切った居酒屋のカウンターでひとりひとり見つけておしゃべりをしていた。大人になって、プロになって、褒められることはあんまり無いから、そういう話がしたかった。私なんかが人を褒めるなんて、
舞台装置に小道具に、照明、音響、衣装にキャスト。あのセットが好きでした。あの小物がお洒落でかっこよかったです。あの光が、音が、イメージぴったりで。衣装のクオリティが高くて。あの言い回しが大好きです。
舞台に関しては全くの素人だから、ただ感じたままどこがなにが好きかを伝えるだけになってしまったけれど、一緒に飲みながら話してくれる人達が嬉しそうに笑ってくれるのが何よりも嬉しかった。
演出の人と企画の人には沢山お礼をした。私には一生縁のない話だと思っていたから。自分が描いた世界なのに、どうなるかも知っているのに、普通のお客さんと同じように楽しまされてしまうとは思わなかった。
とにかく、嬉しくて嬉しくて、大人数で何かを創り上げるのを間近で観られて、言い得もしない感動に包まれていたのかもしれない。
2人あたりグラス一杯のペースでお酒を飲んでいたら、最後の方には結構酔っ払っていた。元々弱い方ではないし、実際この舞台の期間中の飲み会では最後にタクシーに押し込む係だった。けれど流石に限度はあるらしいと漸く知った。理性は曖昧に溶けて、戻ってきたり戻ってこなかったりを繰り返して、ふわふわと夢と現の間を彷徨った。
酔って現れるのは、本当の自分か、ハメを外した自分か。よくそんな話が出るけれど、私は前者だと思う。お酒は自分を素直にすると自分では思う。
私が一番最後に呼んだのは、主演をした俳優さんだった。二人だけで一番多く喋ったのも、その人かもしれない。私より10くらい年上で、落ち着きがあるのに茶目っ気もある素敵な人。こんな小娘相手にしてもらえないとは分かっているけれど、好きになるには時間が充分すぎた。絶対にこの人を好きな人は沢山いるし、私なんかよりも素敵な人が彼と一緒にいるべきだ。見てるだけで、いいと思った、はず、だった。
何を話したかは、もう朧気にしか覚えていないけれど、ちゃんと他のキャストの人たちと同じようなことを言ったと思う。ほぼファンの感想でしかない私の話を、やっぱり彼もニコニコと聞いてくれた。気がつけば他の人と話していたときの3倍以上グラスを開け、彼と話し終えてから座っていた座敷の片隅で小さく三角座りになって眠っていたと、あとから聞いた。
ぼんやりした意識の遠くで、大好きな人の声が聞こえる。頭を優しく撫でられる感覚が心地好くて、無意識にその手に擦り寄る。
「せんせ、起きて」
言われるがままにゆっくり目を開けると、整った顔がぼやけた視界いっぱいに見えた。
「あ……」
私の好きな人だ。すらりと長い身体は私の前に屈んで普段見上げる顔もすぐ近くにある。ぐるりと視線を巡らせると、他の人は殆ど居なくなっていた。
「帰るよ、先生。珍しいね、酔ったとこ初めて見た」
「ゆ、め……」
「ん?」
あぁ、かっこいい。好きすぎてもう夢に見るほどになってしまったみたいだ、末期だなぁ。不思議そうな顔をしていてもかっこいい。キラキラして見える。
「ん……ゆめでも、いっか」
「……どうして?」
夢なら、私の好きなだけ、甘やかしても触れてももらえる。私の夢の中だもの、人にとやかく言われる筋合いは無い。好きな人とちょっとだけでも恋人みたいなことが出来るかもしれないなんていうのは――
「――しあわせ」
さっきまで頭を撫でてくれていた手が、畳に下りている。勿体無い。もっと、触ってほしい。彼の手を取って頬擦りをする。あったかくて、指が長い。この指は、どんな味がするだろう。キスしてもいいかな、手なら、いいかな。
「しまだ、さん」
名前を呼んで、じっと手を見つめる。いいかな、いいかな。あ、夢だからいいのか。
中指の先から辿って行く。爪の先、第一関節、第二関節、指の付け根から手の甲。もっとしたくなって手をひっくり返して掌の真ん中にもキスをひとつ落とす。手首の内側の皮膚を唇で食もうとしてみて、あんまり上手く皮膚を口で挟めなくて、やめた。
嶋田さんは今、どんな顔してるんだろう。夢の中だけど、嫌な顔をされたりするんだろうか。それとも、頭の中はうまい具合に都合のいいことになるんだろうか。
手を握ったまま、そっと視線を上げる。視線がぶつかった瞬間握っていた手が返り、逆に私の手を掴んで強く引いた。ほぼ身体が言うことを聞いていない私は、簡単にもバランスを崩して彼の胸に
「夢だったら、俺に何されてもいいんだ?」
射貫かれて、ぞくりとする。見上げた瞳はさっきまでと違って激しさを帯びた色をしていた。その奥に、蕩けた顔の自分が映っている。口はむにゃむにゃと両端を上げ、頬の筋肉は緩んでいる。
わかっている筈なのに、意地の悪い質問。恥ずかしくなって口籠もってしまう。
「……いじわる」
消えそうな声が彼に届いたかは分からない。もしかしたら、このまま夢から覚めてしまうかもしれない。それならば何もしなくていい、ただこのまま傍にいる夢を見ていたい。そう思うのは、贅沢なんだろうか。
好きだから、今だけは側に居たい。けれど。
「先生、立てる?」
望んだからその通りにならなかったんだと思った。目の前の
「俺達も帰りまーす」
彼が誰かに話しかけている。と言うより、残りの人全員にだろうか。
「はーい気を付け……って、先生酔っ払ってるの初めて見たなぁ」
「結構飲んでたもんねぇ」
陽気な笑い声を聞きながら、コートを着せられ、靴を履かされる。ちっちゃな子がお世話されてるみたいだ。
「たぶん俺ら家近いんで連れていこうかと」
「あぁ、それがいいよ」
「よろしく〜」
「それじゃあお疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
入り口で振り返って彼が挨拶すると、ばらばらと声が返ってきた。
「ほら、先生ばいばいは」
「いやお兄ちゃんか」
ぼーっとしていると、彼に
「ばいばーい」
「はははは、ばいばーい」
人形のように挨拶を終え、外に出た。
それからタクシーに乗り込んで、次に目が覚めたのは今の家だった。
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