第7話
「学院長、失礼します」
シェリルが三度、木製のドアをノックする。ニスが塗られた、実に高級そうなドアだ。買うだけで平民の年収くらいは吹っ飛びそうである。
返事が返ってくるのを待たず、シェリルは扉を開ける。それではノックの意味が無いのではないか、と思ったがその疑問は部屋の中を見る事で解消された。
「誰もいない……?」
エミリアの声が静まり返った室内に響く。
豪奢な棚に、いくつも飾られたトロフィー。応接用の高級そうなソファーや、シックな色合いで高級感を放つデスクなど、正に学院長室といった厳かな雰囲気を漂わせている。
だが、肝心の学院長がいない。キャスター付きのリクライニングチェアーは不在を示す様にデスクに収まり、その上は丁寧に整頓されている。書類一つ散らばっていないその様は、一周回って仕事をしていないのでは無いかと疑ってしまうほどだ。
こうした疑問を口にするのは私達が初めてでは無いのだろう。苦笑しながらシェリルが問いに答える。
「だと思うだろう? 実はこれ、全部ダミーなんだ。本当の学院長室は別のところにある。まあ、ケチくさい学院長は頑として場所を教えてくれないがね」
『──セキュリティの関係上、これは仕方のない措置です。新入の生徒にデタラメを教え込むのは、教師として如何なものかと』
唐突に響く、この部屋に居ない筈の第三者のクールな声が、シェリルの事を窘める。
「そうおっしゃるならば学院長、せめて一度は顔をお見せになったらどうです? 私も教員生活はそこそこ長いですが、一度たりとも声以外を伺った覚えはありませんよ」
『それも出来ません。私の存在は秘匿されていなければならないのですから』
「だから堅物って呼ばれるんですよ……っと、今日はそんな話をしに来たわけじゃ無いんでした」
シェリルは一歩下がると、私たちの背中を押し前面に立たせる。前には誰もいないが、恐らくカメラの類がどこかに設置されているのだろう。霊機鎧用の技術を転用すればそう難しいことではない。
『新入生の二人ですね。エミリア様に……ロムウェル様。顔の一致を確認しました。貴方がたの入学を正式に認可致しましょう』
まるでロボットの様にてきぱきと話を進めていく学院長。その声にどこか既視感を覚えつつも、事は止まらずに進んでいく。
『貴方がたには初期のレベル……『訓練生』の段階において、一般的な教養や霊機鎧に関しての基本的な知識から学んで頂きます。エミリア様はA組。ロムウェル様はB組に配属される予定です。確かお二方は寮の申請もしていましたね……部屋に関しては追って伝えます。先に授業を受けて下さい。学費に関しては全て納入が完了していますので、安心して勉学に取り組んで下さい。以上、何か質問はありますか?』
一切の息継ぎ無しで、平坦に全ての情報を話し切った。ともすれば会話文ではなく、早口言葉を読んでいるのではないかと言うレベルだった。この学院長、人に何かを教えることについては著しく向いていないのどろう。教育者としてそれはどうなのだろうか。
現に私の隣で、エミリアは目をぱちくりとさせている。彼女は一般的な水準で見ても理解力や頭の回転が早い方ではあるが、それでも唐突な捲し立てを完全に理解は出来なかった様だ。
まあ、私レベルの天才であればこの程度造作もないが、普通の人間が前提知識無しに聞き取るのは少し難しいだろう。
「あー、学院長……新入生にいきなりそのマシンガントークをかますのはどうかと。もう少しゆっくりと話すべきでは?」
『何故です? 足りない情報は後からでも捕捉できます。こちらの方が時間も短縮されて効率的ではないかと』
「やっぱり堅物じゃないですか……説明は後から自分がやっておきます。取り敢えず顔合わせは済みましたから」
『そうですか。ではエミリア様への説明はよろしくお願いします。ロムウェル様にはこちらからまだ話がありますので』
と、そこで唐突に話を振られた。確かに今の説明で理解はしていた為、二度の説明を聞く手間は省けるが、何故私だけ呼び出されるのだろうか?
まさか入学以前から何かをやらかした訳でもあるまい。心当たりがあるとすれば私の機体『カガリ』がオリジンの霊機鎧である事くらいだが、その事実を知る者は、現世において私しかいない筈だ。
文献等には一切情報を残さず、周囲の滅多な人物にも言った事はない。極少数、具体的には二人ほどにはその存在を仄めかした事はあるが、それでも箝口令は敷いた。二人ともそれを破るほど薄情な人物では無い。
……いや、当人達が思ってもいない所で漏れた可能性もある。仮にそうだとすれば、これは実に面倒な問題だ。
流石に私だけ呼び出されることに違和感を感じたのか、シェリルが疑問を口にする。
「何故ロムウェルだけ? 彼が何か?」
『言えません。開示する事の出来ない情報です』
「……つまりどうしても言わないって事ですね。全く、分かりましたよ」
そう言うとシェリルはエミリアの手を引く。一方の我が妹は状況が把握しきれていない様で、相変わらず目を白黒させていた。
「え、その、これってどういう……」
「済まないな。だが今は何も聞かずに、先に学院の案内をするとしよう。なーに、学院長の話はいつも簡潔だからすぐに終わるさ」
「へ? に、兄さんはどうして……あ、ちょっと待って下さいよ!」
じたばた抵抗するが、流石は現役軍人。握った手はエミリアをガッチリと拘束しており、解ける様子はない。
彼女には悪いが、私としてもこの学院長には興味がある。少しばかり流れに乗って貰おう。後で菓子でも買ってやれば機嫌は治る筈だ。
重々しい軋みを立てて、ゆっくりと閉まる背後の扉。
暫し部屋の中を沈黙が支配する。やがて沈黙に耐えきれなくなり話を切り出したのは、意外にも学院長の方だった。
『……今回の件、シェリルからの報告書を拝見しました。何でも真っ赤な霊機鎧を操り、見事外敵を撃退せしめたとか。その齢にしてこの偉業、私としても感服いたします』
学院長の言葉を慎重に噛み砕きながら、ゆっくりと返答を考えていく。言質を取られたり、誘導尋問に引っかかる事を警戒している為だ。
「……いいえ。偶然霊機鎧があって、偶然相手を倒しただけです。偉業などと讃えられる事ではありません」
『ご謙遜を。
「っ!」
間違いない。彼女は気付いている。あの村に自動人形が保管されていた事も、そしてそれが限られた人間ーー即ち前世の私でしか動かす事が出来ない事も。
真実が筒抜けである以上、腹芸などは一切無駄だ。安直に誘いに乗った自分に後悔しつつ、この場を切り抜ける方法を模索する。
「……シェリルも貴方の仲間か。確かに各地へ出向する事の多い彼女なら、この機体を探す機会には事欠かなかっただろうな」
『相変わらず理解が早い。その通り、彼女は私の協力者ですよ。だからこそ貴方がたの回収も指示したのです』
「周到な事だ。それで? この機体を探しだして、一体私に何をやらせようと言うんだ? 荒事は勘弁して欲しいな、私は研究畑の人間だ。出来ることといえば荒れ果てた戦地を必死に駆けずり回る位だぞ」
『……何を、とはおかしな事を聞きますね。私の目的など既に分かっているものとお思いでしたが』
どこか噛み合わない会話。恐らく私と彼女の間で、前提条件に齟齬が生じている様な気がするのだが……。
『……ああ、なるほど。そういえば私は顔も名前も教えていませんでしたね。つい昔の調子で話してしまいました』
「……昔の調子だと? おい待て、まさかお前はーー」
まるで私のことを以前から知っていたかの様な口ぶり。それもロムウェルとなってからではなく、さらにその前、一人の天才として在った時代からの。
仮にそうだとすれば、この様な敬語で話す相手は一人だけしか記憶に無い。
まさか、という思い。だが、という思い。二つの思考が混ぜ合わさり、ぐるぐると頭の中を回る。
仮に想像の通りだとすれば、学院長の名前はーー
「『エリン』」
二人の言葉が被る。同時に放たれた全く同じ言葉に、私は自身の考えは的中していたのだと理解した。
『霊機鎧の分野においては天才ですが、人の心を読み取ることに関しては凡才以下ですね。セルべリア様』
「お前は人ではなく人形だろう……それに私の名はロムウェルだ。セルべリアという名の男はとうに死んだよ」
懐かしい以前の名前で私を呼ぶ声。そして遠慮のない罵倒。
間違いない、彼女はエリン……死の淵に際した時まで付いてきてくれた、夢にも現れたあのメイド。
そして、 私の作り上げた最高傑作とも言える霊機鎧だ。
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