第5話




真っ白い空間に一人佇んでいる。


死ぬ前の走馬灯か、それとも白昼夢か。夢か現かも分からないこの中で、ただ波に揺られ揺蕩う様な、心地よい感覚だけが自分が生きているということを証明してくれた。


このままこうしていたい、という甘美な考えが頭に浮かぶ。先程まで感じていた痛みや恐怖は無く、この場にいればずっと平穏に暮らせるのだろう、と自然に思うことができた。甘く優しい、この世界で。



「……だが、そんな考えをお前は許してくれなさそうだな」



ふと、目を開ける。


真っ白だった空間に、ポツンと浮かぶ紅の霊機鎧ギアメイル。燃える様な輝きを両の目に湛え、ただひたすらに此方を見ていた。


ああ──知っている。私は、知っている。



「ずっと、待っていたんだな。私が死んでから、再び目覚める時を」



フォルム、武装、塗装。その全てが懐かしい。そっと近付き、肩口に刻まれた引っ掻き傷を指先でなぞる。

確かこれは、起動実験の際に誤ってスパナをぶつけてしまった時の傷だったか。あの時は外装に余り頓着せず、中身ソフトの改善にばかり目を向けていた様な気がする。


……点滅する彼女の瞳。どうやら考えていることが伝わってしまったらしい。あからさまに不満を主張しているのが何とも面白くて、思わず苦笑してしまう。



「はは、悪いな。そう機嫌を損ねないでくれ」



スッ、と静かに手を伸ばす。暫しその手をジッと見つめたかと思うと、徐に彼女は自身の掌を重ねた。


霊機鎧特有のひんやりとした、しかしどこか暖かい手。


スルリと私の心に入り込む霊子接続レイライン。ジワリと身体中に広がる妙な感覚に、回路パスが繋がったことを実感する。



「さあ──飛翔の時だ。お前の勇姿、もう一度私に見せてくれ」



数ある自動人形の中でも、更に数台だけ。私が当時持てるだけの技術を全て注ぎ込んだ、数少ない《オリジン》と呼ばれる機体でもある。

全ての自動人形の原型プロトタイプであり、それでいて最高峰の性能を誇るが故に、悪用を恐れて人里知れない山奥に封印した傑作機。


機体名『カガリ』。燃え盛る炎を操り、全てを焼き尽くす烈火の名前を冠する霊機鎧が、今再び覚醒する。








◆◇◆








『……オイオイ、何だよそれ。そりゃあんまりにも都合良すぎねぇか?』



先程までの暴虐に蹂躙されるだけだった少年はもう何処にもいない。


白く細かった腕は、赤く堅く。


傷だらけだった体は、傷一つない装甲に。


失われかけた瞳の輝きは、より一層強く輝いて。


右の掌を開閉させて、少しばかり動作を確認する。私の意思に従い、僅かな駆動音を立てながら指先が動いた。



『……霊子機関アクチュエータ稼働率九十パーセント。意識伝達のラグも許容範囲。何年振りかも分からない復帰戦にしては上々か』



一つ一つ、動きを確認する。掌、腕、頭、脚。かなり長い間整備もされず放置されていただろうが、それでも『カガリ』は問題なく駆動する。



『ハッ、いくら土壇場で目覚めようとクソガキはクソガキ。踏んだ場数がちげぇんだよ!!』



敵の霊機鎧が、無事な方の腕に高周波ブレードを握りこむ。高速の振動により辺りに響く耳障りな高音と、真っ青な刀身の切っ先が此方へと向けられた。


『カガリ』は高機動・高出力をコンセプトとした機体だが、本格的な戦闘用の調整は施されていない。その為、高周波ブレードの一撃に耐えられるだけの装甲は持っておらず、掠るだけならまだしも、直撃となれば一撃で行動不能まで持っていかれる危険性もある。


だが、それも当たればの話。私自身類稀なる戦闘センスなどといった上等なものは持ち合わせていないが、それを補えるだけのシステムはすでに組み込まれてある。


先程までの余裕は何処へやら、バーニアを吹かして一気に接近を試みる霊機鎧。恐ろしい速度でブレードが接近する。


早い。でも、甘い。



『なっ!?』



突きというのは非常に避けにくい技だ。並みの機体なら避けきれず、そのまま串刺しになっていたことだろう。


だが、『カガリ』は違う。機体本体に搭載されている『意思』が、相手の行動を予測して、既に最適の方法で回避に成功していた。

薄皮一枚の先を通り抜けていく切っ先。切れ味を上げる高周波ブレードと言えども、当たらなければただの棒切れと同じだ。


背後の巨大なバーニアから炎が立ち上る。一瞬でトップスピードまで加速すると、次の瞬間には相手の霊機鎧の背後まで到達していた。



『てめ──』


『吹き飛べッ!』



奴が振り向くと同時、全力の蹴りを顔面に放つ。


金属が激しく衝突する音、そして足先に伝わる何かを砕いた感覚。先に核を傷付けた影響が出ているのか、相手はろくな抵抗もできずにもんどりうって地を転がる。



『ガッ!! くそ、メインアイが潰れやがった! クソガキの分際で!』



基本的に霊機鎧は、人と同じ構造をしている。人が精神を乗り移らせて動かすという特性上、著しく人型と乖離している場合、現実と接続時の違いにより乗組員である接続者キャスターの精神に著しい支障を来す為だ。


その為、機体の頭部は大抵その機体のメインカメラが詰まっている。万が一潰れてもサブカメラは何処かに備え付けられているが、視点は著しく変化してしまう為どうしても違和感は拭えない。予備としては十分だが、とても戦闘に耐えうるものではないだろう。


激昂する相手の機体だが、まだこんな物では足りない。幾人もの人を殺し、あまつさえ私の妹まで巻き込んだ。これがこの程度の蹂躙で許される筈がない。



『殺す、殺してやる! その機体をバラバラにして、意識だけ残した状態でひたすら嬲ってやる!』


『──状況を見ろ馬鹿者。今その立場に近いのは、一体どちらの方だ?』



腰部に備え付けられた短い棒を掴み、スイッチを入れる。


ブゥン、という奇妙な音。棒の先から暴力的な奔流と共に赤色の光柱が伸びる。


いや、ただの赤ではなく真紅。例えるならまるで人間の血のような、禍々しさすら感じさせる色だった。



『テメェ……一体それは』


『──霊子に色は無いが、それを各属性に変換する事は出来る。不思議なことに炎に染め上げると、こいつらは随分暴力的になるようでね。武器という形に収めるには、高出力で無理矢理に押さえつけるしか無いんだよ』



殆どの装備をオミットした『カガリ』が唯一携行していた武装、『ソード・レイ』。霊子に炎の属性を纏わせる事でより破壊力と出力を高めた、理論上ならば接近戦で最強となる武装。


これもまた、オリジン機体に試作として設置したものの火力が高すぎると封印した武装の一種だ。より低コスト・低燃費の、通常の霊子のみを用いたサーベルの設計図は引いたが、私が今使っているこの設計図はすでに残されていない筈。


そもそも、これは使う以前に作ることの難易度が非常に高い。霊子の暴走に耐えうるだけの装置を作り、尚且つ霊子に炎を纏わせる作業と並行して装置の中に霊子を蓄えさせなければならないからだ。

そのさじ加減を一つでも間違えれば、途端にキャパシティを超えて運が良ければ研究者一人、悪ければ辺り一帯が跡形もなく吹き飛ぶのである。


つまり、この世界においてこれを量産出来るのは私だけ。文字通りのワンオフ品だ。


バーニアを一息に吹かし、眼前へ肉薄。合わせて高周波ブレードを振るおうとした腕を斬り上げ、武装ごとその左腕を吹き飛ばす。



『クソったれがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』



勢い良く地面へと突き刺さるブレード。返す刀で右腕。最後の抵抗にと引き絞られた右脚を、左脚を蹴り体勢を崩す事で止め、そのまま倒れ込んだところを両脚同時に切断。


ガラン、と地面に落ちるいくつもの部品。いわゆる『達磨』状態になった霊機鎧は、戦意を失ったように地へと伏した。


切っ先を起動核に向ける。溢れ出した霊子が、ボロボロとなった霊機鎧の装甲を僅かに焦がす。



『……クソが、辺境の地を襲撃するにしては報酬が美味すぎると思ったんだよ。あのクソ店主が』


『遺言はそれでいいのか?』


『ハッ、これで死ぬわけじゃねぇ。死にてぇほどに屈辱的だがな』



だが、と男は続ける。



『テメェの顔と声、覚えたからな。次はテメェに勝ってやる。地の果てまで追いかけて、また潰しに行ってやる』


『面白い冗談だ。ならば私は、その度丁寧に叩き潰してやるとしよう』



これ以上の問答は無意味と、一息に起動核へソード・レイを突き刺す。


圧倒的な熱量が、一瞬にして装甲と核を溶かし尽くす。霊機鎧の目から光が失われたことを確認すると、私は剣を引き抜いた。


ぽっかりと開いた大穴を見つめる。奥の地面まで到達していたのか、地面の土はやや焦げて一部がガラス化までしている。やり過ぎたか、という今更な考えがふと頭に浮かんだ。


視点を空に移す。赤みがかった空の向こうに見える、いくつもの霊機鎧の集団。目の前で倒れ臥す霊機鎧と型が違う所を見ると、どうやら別口の集団の様だった。



『……ああ、少し、眠いな』



ゆっくりと地面に膝をつく『カガリ』。そのまま、だんだん、意識が──

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