第4話




「はぁ……はぁ……く、少し出血し過ぎたか」


「兄さん! もう動かないで、これ以上は傷に障ります!」



必死の逃走が実を結んだのか、既に背後から無機質な機械音は聞こえない。


当座の避難先として選んだのは、村の端にひっそりと佇むうらびれた祠。木材の朱塗りは既に剥げ落ち、その残骸を風雨に晒している。

既に襲撃を受けた後の様で、辺りの木々や屋根の瓦は焦げ落ちていた。だが本尊は無事な様で、身を隠すには十分な空間が広がっていた。


朦朧とする意識の中、エミリアが泣きそうな顔になりながら必死に手当てを行う。自分も命の危機に晒されて怖いだろうに、それを押し殺してまで兄のことを思いやれるのは並大抵のことでは無い。

随分と愛されていたんだな、と今更ながらの様に思う。



「えっと、傷口を早く押さえないと……布はないから服で、ああもう、全然破れないじゃない! どうしようどうしよう、早く手当しないと兄さんが……!」


「……落ち着け。重傷に、見えるかも、知れないが。見た目程じゃ、無い」



全力疾走に加え、身体強化の際の魔力消費。幼い身では魔力の量も大した事はなく、体内のリソースを殆ど使い果たしてしまった為、話す事すら厳しい。それに加えて今もドクドクと肩口から流れ出す血液のせいで、意識を保つことすら危うくなっている。

 強がるように問題無いとは言ってみたものの、この量は不味い。人間は三分の一血液を失うと命に関わるとは言うが、体感だけならばもう既に流れ出しているような気もする。

 

 ……いや、生きている以上そんなことは無い筈だ。どうやら体力の減衰で随分と弱気になっているのか、さっきから思考がマイナス方面へと傾いていく。これはいけない傾向だと必死にかぶりを振り気付けをする。



「いいかエミリア、よく聞くんだ。恐らくあいつは、俺達を探し出すまで止まる事は無い。異常者故の執着があるからだ。グッ……だからこそ、アイツは顔を覚えている俺に釣られる」


「釣られるって、兄さんまさか……!」



 やはり賢い妹だ。私の言いたいことをすぐさま汲み取ってくれる。農民の娘でなければ、きっと大成していたことだろうに。

 だが、せめてもの餞別だ。こんなところで私の愛する妹を、あんな奴にくれてやる義理は無い。この場を切り抜けさせて、幸せな人生を送ってもらわなければ、仮にも兄として申し開きが立たないというもの。


 彼女の目から次々と流れ出る、透明な雫。その一粒を土にまみれた親指で拭う。


 真っ白な肌に残った、薄い茶色の汚れ。汚してしまったな、と思わず苦笑してしまうが、何故かそれを払う気にはならなかった。


 この世に生きていたという証拠でも残したいのか。全く馬鹿らしい、実に非論理的な考えだとどこか冷静に判断する自分もいたが、それでもそう思ってしまったのだからどうしようもない。



「嫌です! 兄さんを犠牲にしてまで生きるなんて、私は嫌です! そんな事、私が望んでいると思うんですか……!?」


「……悪いな。だがこれは、望んでいなくともやらなければならないんだ。最後の最後まで良い兄にはなれないが……それでも年長の意地と言うものがあるんだよ」


「……最低です。本当に、最低の兄さんです……」



 私がこれでも意固地だというのは、長い付き合いの中で分かっているのだろう。彼女は俯くと、頬を流れる涙を拭きとる。



「絶対に生きて帰ってください……と言っても、きっと兄さんは約束してくれないんでしょうね」


「ああ。悪いが「出来ない約束はしない主義」……っと、折角のキメ台詞なんだから被せないで貰いたいな」


「普段悪戯されている、その仕返しです」



 涙で赤くなった目元を拭い、ニコリと気丈にほほ笑む。その笑みは痛々しく、だというのにこれ以上なく美しく私の目に映った。



「悔しかったら仕返しに来てください。また何度でも怒りますから」


「それは勘弁してほしいな。だが……仕返しはきっかりとしに行くとしよう」



 傷口を押さえ、その場から立ち上がる。


 生きるために戦う。生き残る確率はこの上なく低いだろうが、それでも心に固く誓うことだけは出来た。






◇ ◇ ◇






 祠から出れば、そこは既に死地だ。思考のスイッチを戦闘用に切り替え、体中になけなしの魔力を回す。


 身体が強化されたことによって、僅かながら血液の流出も収まる。これで死に到達するまでの時間を引き延ばすことは出来るだろう。



 ――ギシ



「っ!?」



 何かが軋みを上げる音。唐突に脳内に響いた異音に慌てて周囲を見回す。


 だが、何もない。焼けこげた木々と遠くに見える火の手、そしてチラリと見える……人間の腕のようなもの。

 まさか敵が潜んでいるのか? いや、アイツの性格上潜んで不意打ちするような真似はしないだろう。あの手の異常者は、敵を殺すことより嬲ることに重点を置くはずだ。あくまで奴が優位に立っている以上、むしろ積極的に姿を晒して私に恐怖を与えに来るだろう。


 ならば、先の耳障りな金属音はなんだったのだろうか。そう、例えるなら歯車のような──



『お、ガキんちょはっけーん』


「っ!!」



声が聞こえた瞬間、咄嗟に横っ飛びでその場から飛び退く。


直後、先程まで立っていた場所へと鉄の脚が突き刺さる。轟音と共に突き出された爪先が、地面へと深い穴を穿った。



『あり? 外しちったか。声を掛けんのが早すぎたか? んー、それにしちゃあ行動が機敏だよなぁお前』



純粋な子供のように首を傾げる霊機鎧ギアメイル。殺戮を行う機械がやけに人間臭い動作を行うのは、見ていて余り気分の良いものでは無い。


だが、操り手である男の戦闘における勘は本物のようだ。この短い時間で、私の行動が年相応のそれでは無いことを見抜いている。


……それは即ち、年相応の行動がどういったものか知っているという事に他ならないが。


頭の中に巣くった暗い思考を追い払う。今は目の前に集中しなければ、殺されるのはこちらだ。



『まーいいか! 取り敢えずテメェには、俺の武器を壊した償いをして貰わなきゃな!』



こちらを捕まえるかのような、手のひらを開いた状態での薙ぎ払い。右から迫り来るそれを、魔力によって強化した腕力で迎え撃つ。


ズン、と体中がバラバラになるような衝撃。悲鳴をあげる体に鞭を打つ事で、どうにか相手の腕を掴み取る事に成功する。

だが、幾多の怪我や限界を超えた魔力の行使により体の中身はボロボロ。既にリソースも尽き掛け、決死の思いで付与した《剛力ストレングス》の魔術も切れかかっている。


再度掛け直すとして、このように相手と組み合う事が出来るのは恐らく後二回が限度。それ以上は魔力が生成できず、体も持たないだろう。


……だが。恐らくだが、こうして奴の懐に踏み込めたのは最大のチャンスだ。


霊機鎧には《起動核コア》と呼ばれる部位が存在する。生産された霊子レイを各部位へ流す際の中継地点であり、人間でいう心臓にあたる場所。

その部分を取り除いてしまえば、霊機鎧はたちまち動かなくなる。腕を失おうと、頭を失おうと問題なく稼働するという利点はあるが同時にそこが弱点でもあるのだ。


普通の人間ならば近付く前に消し炭にされるのがオチだろう。だが、私を舐めきっているアイツにならば。こうして無防備に腹を晒している今ならば、そこに手が届く。



「──っ《剛力ストレングス》、《研磨シャープネス》!!!」



最後の力を込めて、絞り出すように魔術を発動させる。全てを一撃に賭けるべく、左腕に全てを集約して。


残り二回の魔力ストックは、これで使い切ってしまった。後は打ち止め、この効果が終わってしまえば、後は無防備な肢体を晒すのみ。


だが──逃げる訳にはいかない。


恐らく私は死ぬだろう。一度死を経験したものとして、あれが怖くないとは口が裂けても言えない。


死は安穏たる眠りではなく、じわじわと忍び寄る脅威だ。それは容易く人を狂わせ、最期には恐怖と共に闇へと誘う。


果てしない暗闇への恐怖。全く未知の世界へ旅立ち、そして大切なものを残す未練。自身を飲み込む真っ暗な世界がすぐ背後に口を開けていると考えると、思わず裸足で逃げ出したくなる。


ああ白状しよう。人形作りでいくら天才であろうと、死からは逃れられない。私はそれが、酷く恐ろしい。


だが、それでも。だとしても。


私には失いたくないものがある。守りたいものがある。命を賭してでも、護ってみせたいと思う家族がいる。だから逃げない、逃げられない。


……実に科学者らしくない結論だ。全く論理的とは言えず、とても効率的とは言えない。


だがーー


強化された貫手が、黒鉄の腹を食い破る。絶対の弱点、そして唯一の勝機へと手を伸ばす為。



『な、テメェまさか!』



ーーギシギシ、ギシギシと。錆びた歯車が必死に動こうとするような、耳障りな音が響く。


後少しだ。後少しで、奴の起動核へと手が届く。少し掴んで捻ってやれば、それだけで簡単に引き抜ける筈だ。


さあ、爪の先が、僅かに、触れてーー



『こ、の……クソガキャァァァァァァァァァァァァ!!!!!』



体が。宙を。舞った。



……何が起こったかなんて確認する必要もない。ただ単純に、奴に殴り飛ばされただけだ。


体が幾ら硬くても。力が幾ら強くても。私と霊機鎧では絶対的に質量が違い過ぎる。普段ならば考えるまでもなく、当然の様に考慮されるべき原因だった。


痛みは無い。ただ、無性に悔しい。奴の起動核に手は届いていた。この指先は確かに触れていた。だがーー掴めなかった。


木に叩きつけられ、地へと伏する私に、自動人形はゆっくりと近付く。



『クソ、核が少し傷ついたか。右腕の伝達がラグい……俺の愛機傷付けた覚悟、出来てんだろうなぁ!?』



魔力は尽きた。体力も尽きた。自身が考えうる万策も尽きた。自分に出来ることは、最早芋虫の如く地面を這いずる事のみ。


でも。だが。それではダメなのだ。


ーー!!!



「……く、アアアア!」



歩くことは出来ない。立つことも出来ない。それでも、まだ動くことは出来る。たとえ無様だろうと、どれだけみっともなかろうと。


こうして叫び、戦おうとすることは出来る!!



『ほんっとうに……しつけぇんだよこのクソガキがぁ!!!』



掲げられる霊機鎧の腕。


ああ、あれで潰されたら痛いだろうな。覚悟は出来てるが、やっぱり死ぬのは怖い。こうして再び直面してみて漸くそう思った。


こうして一人の村人が死に、狂人は生き残る。間違ってるかもしれないだろうが、意外と世の中はそんな物なのかもしれない。世間知らずだった自分には見当のつかないことだ。



……。



……だけど。



……一つだけ、私の願いが叶うなら。





ーーガキリ、と。


錆び切った歯車が、再び噛み合う音がした。

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