4話  恋路部

 正直、学校生活なんて期待していなかった。


 両親の仕事の関係上、何度も転校してきた忙しない身分だ。

 仲間と共に充実した日々を過ごしても最後は手元からすり抜けて離れてしまう。同じ出来事を繰り返す空しい日常のせいで青春を送ることは欺瞞の延長戦であり、自分自身さえも欺けるものだと達観してしまう。


 パズルのピースが合わない、不定形な日常は窮屈と退屈が充満している。

 辿る結末は同じ。別れの連続に喪失感は消えていた。


 見映えのない毎日が怖くて。

 ぬるま湯に浸かる弥彦は心を奮い起こす逆境を欲している。


 怒涛に燃え上がる炎のように、障害物を押し潰す濁流のように。非常識に溢れた景色は興味を惹き付ける。生殺しでしかない場所を変えるのには、脳裏に迸る落雷のように、まだ誰も見たことがない情景へと突き進む。


 転校初日に起きた事故によって、弥彦の意識はとうに変わっていた―――。


「これが、他者を助けるための部活動……?」


 気が動転するほどの衝撃の事実に弥彦は思わず言葉を出してしまう。教室を示す室名プレートに対して狼狽のあまり身構える。


 予想として風紀委員や生徒会などの校内組織。或いは人徳に関する部活動を無条件に推薦させられると想像していた。しかし裏目に出る結果となったのは、校内組織の問題以前に、部活動そのものの許容が把握出来ていなかったことだ。


 何せ、意味の分からないボランティア活動部だったから。


「……恋路部とは?」


「恋愛進路部。訳して恋路部だ。本来社会を学ぶための高校ではあるが、人としての道徳を励んだり人間関係を築く場所だ。だから時として異性に煩悩を抱く。青春真っ只中の少年少女は少なくはないだろう。そこでだ。迷える子羊達に救いの手を差し伸ばすべく、彼らの悩みを解決するためにこの部活を設立したのだ」


 他人の動機が不憫すぎる奉仕活動だ。


 恋愛なんて勝手にすればいいのにと弥彦は思う。内容を概括的に纏めると恋愛成就をさせるための部活動ではないか。不純異性交遊の温床を見過ごす風紀への冒涜の権化だ。


 そんな欲望に満ちた青春を完成する部活に、弥彦は皮肉を吐き捨てる。


「別に不純撲滅部で構わないのでは?」


「何を根拠に物騒な事を言う。これはあくまでも恋愛について抱える学生達を解決へ導くためのボランティア活動だ。意図的に恋愛成就など誰が期待するか」


 拳を握るだけでポキポキと悲鳴を鳴らす。

 鋭利な目付きには本気加減を表しており、相当の嫌悪感が働いている。明らかに秦村先生の方が恋路部に対して怨嗟の念を向けていたような。


 余計な詮索はしない。メガネを掛け直す弥彦は賢明に寡黙を貫いていると。馬鹿真面目な様子で室銘板を眺めていた秦村先生は続けて答えた。


「つまり私が言いたいのは、人生についての選択肢なんだ」

「人生の選択肢、ですか」

「ああ、そうだ。理不尽に孤独に追いやられたお前が体験した景色そのもの。勝手な判断で転んだ結果を誰が決めるのか。それは自分自身である事を」


 出題された空白欄を埋めるのにどれほどの時間を費やしても無駄であると、そう察する弥彦は何も語らない。

 恐ろしいほど冷静に達観した態度の学生に秦村先生は面白そうに、


「新藤は要領が早くて助かるな。これほどの慧眼の持ち主は見たことがない」

「メガネの品質が良かっただけですよ」


 明言しない不文律の模索。

 これ以上は進展しない。時間の無駄なので戦果の矛を収める。


「何れにせよ、人間は生涯を終えるまで問題を抱え続ける生き物だ。苦難から逃げられないなら、素直に受け入れてしまっても構わない。全ては自己責任だからな。どう捉えるかの問題なんだ」


「……この世は花を咲かすか枯らすかの違いですし、水を与えてもそのやり方を知らなければ意味などありませんが」


「自然のままに花は咲くものだ。そして枯れていくのを分かっているものさ」


 上手いこと言ったつもりなのか若干誇らしげに威張る秦村先生。


「けれど人間はそれが出来ない。地球上で最も賢い生き物なのに。それすら気付いていない状態を維持している。古い固定概念の氷河を終わらせるのには強力な衝撃が必要とする。それがお前だと私は思っているよ」


 困っている人達を助けるための奉仕活動。


 ―――恋路部。

 

 しかし弥彦にとって他人の恋愛事情について一切興味はない。あくまでも第三者の視点に過ぎず、成すことも破壊することもない。


 けれど、このままだと規律を乱す害悪へと豹変してしまうのは非常に困る。

 そんなのは青春とは呼ばない。


「……自分はあくまでも、転校生の分際に過ぎないんですけど」

「集団主義が蔓延る常識の時代に孤独を選ぶ学生の方が珍しいんだぞ? いいや、違うな。何よりもお前は独りを恐れていない。そこら辺にのたうち回るぼっちとは違うだろ。革命を起こす逸材を放置するのは惜しい」


 転校生の人生を転落させた張本人であると忘れてはないだろうかこの先生。


 実際、嘘は付いていないことを真実は物語る。


「理不尽に辺鄙な高校へ転校してきた革命の原石である新藤には恋路部を居場所にしても構わない。その代わりに、お前にはある課題を下そう。ああ、勿論断る権利はあるぞ内心には響くが」


「……違うと思いますが、彼女いない性格をしてますよね先生は」


 悪知恵を覚えた大人は悪質で、生徒を崖から落とすスタイルには到底敵わない。小手先の悪口で応戦しても流石は目上、微風の如く涼しい顔をしている。

 癪に障るが関わっても仕方がないので秦村先生の言う課題を聞くことにした。


「それで、課題というのは」


 長い間廊下に立たされて窶れ気味の弥彦は潔く諦める。この時点で全部仕打ちなのだと勝手に思い込むと、待ちに待っていたのか秦村先生はズボンのポケットから鍵を出す。戸に向かい解錠しながら言葉を告げた。


 ある意味、ここからが本題なのだと含みを持たせるかのように。


「―――一人の女子高生の恋愛事情について、新藤はその相談相手になって貰う」

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