3話  決意

 悲願だった放課後の時間がついに訪れた。


 終始喧騒に包まれていた教室は静けさを取り戻していく。青春を謳歌すべく今日の予定を話し合うクラスメイト達は疎らに出ていく。それを黙認した弥彦は自信のタイミングで下校することを選択する。


 ハッキリ言う。

 スクールカーストは悪である。

 表に現しているのは単なる社交辞令であり、隠す本心は悪意に満ちている。この世界に正義はあるが公平はない。欲望に溺れた人間が決めたルールのみ。


 己の立場を保守するための、暗黙の不正が果てしなく蔓延していることを。

 所詮、数には勝てないのだ。


(なぜ人間はどんなことでも序列を決めたがるのか、俺は知らない)


 無視するのは別に構わない。

 しかし哀れみの目で見るのは喧嘩を売ると同じだ。他者の人生を邪魔する冗談は通用しない。そもそも相手を同等に見えていない時点で序列など関係ないのだ。学生の身分で背伸びした娯楽など何が出来るというのか。


(少し口数を減らすことを覚えた方がいい。すると自分が勝手に迷惑を掛けていることを自覚する。……とは言っても反省するワケがない)


 文庫本を読み終える仕草をしながら黒バックを担ぐ。

 珍しく閑散とした教室が姿を現す。弥彦のみ残された空間はもはや別世界のようで、少しだけ学校で過ごした景色がノスタルジックを彷彿させる。


 過去は戻らないと両親から教わった。

 その現状に至る結果となり、まるで見えない運命に囚われているかのようだ。


「黙っている方が疲れるのはなんでだよ。もう帰っていいかな」


 何処にも用事はない。

 後は親戚従妹のいる自宅に帰るだけ。


 振り返ることもせずに弥彦は無難に教室を出る。何回繰り返せばいいのだろうかと思案を巡らそうとした途端、視界に映り込む人物に気付いた。


「よお、新藤。真新しい高校生活は楽しんでいるか?」

「最悪ですね」


 廊下に佇む担任の秦村先生は行く手を立ちはだかるようにして待っていた。

 調子を伺う質問に対して、返す言葉は最高に吐き捨てる。


 転校初日から失敗させた張本人でもある秦村吉報。

 たった一言によって見事に空気扱いにされて変な称号を貰うロクでもない生活を過ごす日々に、一体誰が楽しめるか。


「ま、まあ、そうなるわな。優秀なだけはある」


 目上にも向ける敵意の気配に気付いたのか、流石に明後日の方角を見る。自覚があるなら最初から謝罪しろと言葉にしたい所存だったが、冷静に口を噤む。起きてしまった問題を掘り下げても平常心が欠けるだけだ。


 決めた目標を曲げることは出来ない。


「もういいですか。特に用事がなければ自分は帰宅しますが」

「待て。怒っているのは分かる。だが、こちらにもお前に話す価値があるんでな」

「価値は自分で決めるものなので。じゃあ先生また明日」


 あくまでも交渉に乗るつもりのない弥彦は秦村先生を無視して先に進む。しかし大人の意地でもあるのか剛毅な手が肩を襲う。


「話だけでも聞け。いや、本当に先生が悪かったと思うんだが」

「……それでも教師なのか?」


 そこに意地の言葉すら失せた弱々しさを露呈する秦村先生の青ざめた表情が。


 どちらが平常な対応をしているのか。非常に困る。忽ち弥彦は本音が漏れだしたところで秦村先生は悪い笑顔を浮かべてはこう述べ始める。


「ぼっちに追い詰められたお前、じゃねえな。撤回する。孤独に詰められたお前は一足先に部活動を推薦する! 居場所の無い新藤にはうってつけの課題だろ!」

「どこも撤回してないんですが」


 部活は気が滅入る。

 前の学校では帰宅部を選んでおり、今回ばかりも帰宅部一択だ。


 大体どのような部活動なのか秦村先生は何も言わなかった辺り、不気味な思惑に感付いた弥彦は肯定しない。プライベートに費やした方が気楽なのでは。


「お前に向いている部活動がある。私は推薦するためにこの瞬間を待っていた」

「はあ……、そうですか」


 会話が成立せず。もはや我慢比べか始まる。

 初日で青春讃歌を諦めた弥彦は達観しているため意思は動かない。メガネの奧に潜む鋭利な目付きが秦村先生を凝視したその瞬間、両者の決着は付いていた。


 どちらか現実を見ているか、だ。


「―――俺の答えはもう出ていますよ。先生も、よく分かっている筈だ」


 肩を掴む手を払い踵を返す。

 これからは青春を否定する生活が待っている。試練を乗り越えるだけの、退屈な時間が始まるだけだ。決められたレールを進む人生に妥協など要らない。


 だからこそ。

 弥彦は誰かの助けを必要とせず。自らの力で道を切り開いてきた。

 その根本的な執念を忘れていなければ。


「そうか。お前はそういう奴なんだな」


 淡々とした反応の秦村先生に咄嗟に疑念を抱いたものの、とうに手遅れで、次に続く言葉の意味は弥彦の人生を変える分岐点と成る。

 貫いてきた執念が畏怖の眼光に気圧されて、転校生の決意は何色に染めるのか。


 誰かの為にある決意は自分だけのモノじゃないということを。


 弥彦は痛烈に思う。


「いいや、仮の話だ。他者を助けるための部活動をだったら、お前はどうする? 誰も助けずにのうのうと空気を吸うつもりなのか? お前の覚悟って奴は」


「やはり、アンタは最低な先生だと思いますよ」


「ああ。悪いがよーく言われる。これでも自覚はしてるんでな。最悪な先生だ」


「……うざ」


 片手に資料を弄び、孤独の愚者には意味を与えては力で捩じ伏せて。そんな狡猾な大人の挑戦に、呆れた転校生は為す術がなかった。

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