81 神域の戦い(前)
青光一閃。
目にも留まらぬヴァンパイアネイルの斬撃を幕開けとし、ヤーヒムが猛烈な勢いでジガに斬りかかった。
幾重にも複雑な弧を描く五本二対の蒼光と、一拍遅れてそれに対抗し始める一対だけの蒼光。炎が本格的に回り始めた夜の迷宮都市の石畳の上、息もつかせぬ熾烈な攻防が繰り広げられていく。
かたや膨大な青の力を手に入れた古の真祖。かたや神授の翼をその背に宿した新しきヴァンパイア。
両者の戦いは目まぐるしく攻守が入れ替わり、時を重ねるにつれてますますその烈しさを増していく。だが。
「くっ!」
唐突に主導権を握ったのは古の真祖ジガの方だった。
ヤーヒムに斬り落とされたその右手首が、立ち込める蒸気と共についに再生を完了したのだ。そこに青く輝くのは二対目のヴァンパイアネイル。ジガの口から目眩ましの虚無のブレスが吐かれると同時に、これまで存在していなかったその二対目の剣呑な武器が、死角となっていた足下を不意打ちで薙ぎ払った。
咄嗟に背中の翼で空気を掴み、ひらりと宙に逃げるヤーヒム。そこから【霧化】を応用した【虚像】のフェイントで一瞬の時を稼ぎ、ジガの猛烈な追撃から素早く一旦の距離を置く。
今の応酬で天秤は一気にヤーヒム不利へと傾いた。
左手の甲に宿っていたラドミーラの精髄が融合してきたとはいえ、それでも保有している青の力はジガの方が多い。それはつまり、ヴァンパイアネイル同士がぶつかれば斬り負けるということだ。それが分かっていたヤーヒムは出来るだけジガに攻撃させないよう、手数を多く繰り出して圧倒しようとしていたのだが。
けれどもここに来て、左手だけだったジガのヴァンパイアネイルに、遂に右手も加わってきてしまった。さて、どうする――ヤーヒムが対応策に意識を巡らせた、その一瞬に。
「やめろッ!」
ジガの足元の陰から、突如として漆黒の巨狼が踊り出た。それはナイトウルフ化したダーシャ。ヤーヒムの制止の叫びも虚しく、しなやかな体躯に獰猛さを併せ持つその人狼姿で、影渡り――シャドウウォークを使ってジガの懐から襲撃を仕掛けたのだ。
そして更に。
「ダーシャ!? ――風を統べる黄衣の王よ、我が敵を切り刻め!
通りの黒煙を突き破って出現した純白のスレイプニルの上から魔法を放つのは、黄金色の髪をなびかせたリーディアだ。
それは皆で何度も練習した、強敵向けの絶妙な連携攻撃だ。大気を切り裂く巨大な刃が一直線にジガ目がけて殺到し、ナイトウルフと化したダーシャが直前で跳躍してジガだけをその剣呑な風の刃の前に取り残す。
更にはその死の突風の背後には、ケンタウロスの強靭な馬体で疾駆するフーゴが長大なハルバードを振りかざしており――
「うおりゃああああ!」
封魔のコアでここを覆おうとして破壊された仲間達が、危険を覚悟で乗り込んできたのだ。
すかさず自身も連携に加わるヤーヒム。
彼らを傷つける訳にはいかない。背中の翼を鋭く羽ばたかせ、一番危険な役割を担ったダーシャの援護とばかりにジガへと突っ込んでいく。
「――ギャンッ!」
ジガが軽やかに跳躍し、リーディアの魔法の刃を躱しつつもその途上で巨狼姿のダーシャへヴァンパイアネイルを一閃させた。そしてそのまま体を捻り、ハルバードを振りかぶって駆け込んでくるフーゴ目がけて次の一撃を――
「させぬッ!」
飛燕のごとく飛び込んできたヤーヒムの蒼爪の切っ先がかろうじてジガの二の腕を切り裂き、その一瞬の間隙を縫ってフーゴがハルバードで空中のジガを痛烈に殴りつける。
「ダーシャ!」
鮮血を撒き散らして落下する
「――嫉妬深きグーラの母よ、彼(か)を焼き尽くせッ!
ダーシャ!
高速飛翔しながら奥歯を噛み締めるヤーヒムとすれ違いざまに、リーディアが第一級の単体殲滅魔法を放った。フーゴも危地を無事駆け抜け、難敵ジガの周りはぽっかりと味方のいない空間となっていたのだ。
背後に迸る強烈な白光とジガの悲鳴を意識しつつ、ヤーヒムは通りの隅に急着陸する。そして石畳の上にダーシャの狼体をそっと横たえ、迷わず手首に牙を突き立ててその痛ましい傷口に己の真祖直系ヴァンパイアの血を振りかけた。
途端に焼け石に水をかけたような蒸気が噴き上がり――ダーシャが未だ生きていて、傷が急速に癒えている証だ――、ヤーヒムは念押しとばかりにダーシャの口にも血を含ませた。
「ヤーヒム、ダーシャは!?」
ヤーヒムがほっと安堵の息をついていると、リーディアが肩越しに短く問いかけてきた。その視線は第一級魔法が直撃し崩れ落ちたジガに厳しく据えられたままだが、声がヤーヒムが初めて聞くぐらいに上擦っている。
「今、我の血を飲ませた! じきに目は覚ます!」
叫ぶようなヤーヒムの状況説明に、それでもリーディアは言葉を畳みかけてくる。
「あのねヤーヒム、コアの試作品が急に爆発して、それで二人して落馬しちゃって、どうにか起き上がったと思ったらダーシャから青い光が立ち昇って。それが収まったらいきなりダーシャの人狼化が始まって――」
そういうことか、ヤーヒムは彼女の狼狽の訳を直感的に理解した。
リーディアはダーシャの負傷に絡み、その前段となった人狼化から全てが自分の試作品の暴走のせいだと思っているのだ。確かにナイトウルフになっていなければ、ダーシャもあそこまで危険な突入はしなかっただろう。だが、もちろんそれは違う。
青の光はジガが配下の力を吸収した時の巻き添え、人狼化はおそらくヴァンパイアの力の根源たる青の力が吸収され、ダーシャの中の人狼の力だけが残されたがゆえだ。
そして、人狼となったダーシャと一緒にフーゴと合流し、こうして駆けつけてきてくれたのだ。もしかしたら、リーディア達はダーシャが突然シャドウウォークを使って飛び込んでいくとは思っていなかったのかもしれない。
だが、ダーシャが咄嗟の判断でジガの不意をついたお陰で、最終的にはこうして堅い守りを打ち破って強力な魔法を喰らわせることが出来たのだ。
「……落ち着けリーディア。あの試作品のせいではない。そしてダーシャはじきに目を覚ます」
「そう、よかった……」
急速に塞がっていくダーシャの傷口を再度確認し、ヤーヒムは短杖を構えたまま明らかに肩の力が抜けたリーディアの隣へと歩み寄った。
その内心は大切なダーシャを傷つけたジガへの怒りで煮えくり返っている。一歩間違えばダーシャは帰らぬ人となっていた。沸き上がる憤怒をどうにか押さえつけ、リーディアの騎乗するフラウの脇で足を止めた。
ジガは通りの向こう側、方向転換を済ませてやはり油断なくハルバードを構えるフーゴとのちょうど中間に、全身を白光に焼かれた格好で地面に倒れ伏している。やはり魔法は共通の弱点のようで、単体殲滅に特化した第一級のそれは間違いなく特大のダメージを与えているのだろう。
「やったのか……?」
フーゴの疑念を込めた呟きに、ジガがびくり、と大きく痙攣した。そして、石畳の上で頭が力なく動かされ、乱れた白髪の間から禍々しい紅玉の瞳が何かを探すように上目遣いに……
「――ッ!」
その邪な視線に見据えられた瞬間、ヤーヒムの全身の筋肉という筋肉が鷲掴みにされた。
初っ端に当てられ、操られそうになった邪視ではない。そもそもあれからヤーヒムは直接視線を合わせないようにしているのだ。
今回当てられているのは、それよりもっと危険なもの。
咄嗟に抵抗はしているが、全身の細胞を根底から支配され、全ての力を強制的に抜き出されるような――
「え、ヤーヒムちょっとどうしたの!? 体から光が!」
そう。今やヤーヒムの全身の毛穴という毛穴から、青い光の粒子がゆっくりと立ち昇り始めている。冷たく輝くヴァンパイアネイルの輪郭も滲み、空気に融けるように霧散していく。
……青の力を奪いに来たか!
それはまさしく、ジガが先ほど配下のカラミタ勢に対して行ったと同じ原理のものだ。いや、それをなりふり構わず我武者羅に研ぎ澄ませたもの、というべきか。
けれども、相手はヤーヒムだ。
カラミタ勢や山脈向こうのヴァンパイア達はなすすべもなく青の力を奪われたかもしれない。だが、ヤーヒムはジガに従属している訳でもなく、何より宿している青の力の規模が違う。
鉾先が自分に向けられているからこそヤーヒムには分かる。この青の力の吸収とでもいうべき術は、ジガの圧倒的な青の空間支配力を背景にした強引な術だ。
ヤーヒムに同じことをやれと言われてもまず無理だが、ラドミーラの精髄との融合を果たし、近いレベルで青の力を持つ者として抵抗することは出来る。
「ぐ……」
その場で身じろぎもせずに立ち尽くし、力を奪わせてなるものかと必死に抗うヤーヒム。
それは、強大な青の力同士の戦いだ。長いヴァンパイアの歴史の中で未だ嘗て誰も手にしたことのない程の青の力を持つ二人が、真っ向からその青の力を使ってぶつかっているのだ。今から結界を張っても間に合わないし、そもそも結界がここまで強大な力のせめぎ合いに耐えれるとも思えない。だからヤーヒムは己の青の力を持って正面から立ち向かう。ヤーヒムとて譲れぬものがあるのだ。
「…………」
ヤーヒムのすぐ脇には、いつしかフラウから下馬したリーディアがその可憐な顔を歪めて見守っている。自身が優れた魔法使いである彼女には、この場で行われている災害規模の力のやり取りがそれなりに視えているのだ。
今、隙だらけのジガに向けてもう一度単体殲滅魔法を放つことは簡単だ。その一撃で少なくともジガを眼前の戦いから離脱させることはできるだろう。
けれども今ヤーヒムとジガが行なっているのは、ごくごく簡素化して言えば力の引っ張り合いである。これだけ凄まじい規模の引っ張り合いをしている最中に、いきなり片方を無力化した場合。
……最悪の場合、逆流した力がヤーヒムを。
だからリーディアには見守ることしかできない。
せめて何かあった時にはすぐ手を伸ばせるよう、呼吸すら止めてヤーヒムのそばにいるぐらいしか。
フーゴはそんな緊迫した空気を察したのか、厳しい顔をして倒れたままのダーシャの元へ向かっていった。自分に出来ることは何もないと直感したのかもしれない。
無音のまま繰り広げられる、強大な青の力同士の戦い。
周囲では炎が勢いを増して街全体を飲み込みつつある。通りにたなびく黒煙は密度を増し、刺激臭が鼻を刺すようになってきた。
「……ぐぁ…………」
不意にヤーヒムが呻き声を漏らした。
見れば先ほどまでは止まっていた青い光の粒子が、再び全身から立ち昇り始めている。ジガの力任せの攻勢に押し負けつつあるのだ。
一度傾いた力の天秤はそう簡単に戻すことはできない。立ち昇る青の粒子が徐々に多くなり、やがてひとつの流れとなってジガの元へと通りを渡っていく。
ヤーヒムは必死に抗うが、煌めく青の流れは明るさと太さを増すばかりだ。その深紅の瞳で瞬きひとつせずに地面からヤーヒムを見据え続けるジガへと、その流れがついに到達して吸い込まれていく。
『くく、くくく……』
視線を逸らすことなく、静かに含み笑いを漏らし始めるジガ。
その手が石畳を押し、ゆっくりと上体が起こされる。そこにリーディアの第一級魔法のダメージはもうない。ヤーヒムからの青の流れはますます明るさと速さを増し、ジガは視線を外すことなく笑い続ける。
『くははは、質といい密度といい、素晴らしいぞ。もっと寄越すのだ虫けら』
随分と余裕を持ち始めたジガとは対照的に、ヤーヒムの表情は苦悶に満ちている。既にかなりの青の力を奪われているのだ。このままでは先がない。
だがジガは、カラミタから力を奪った時のように、ヤーヒムに向けてその手をかざし始めた。
加速する流出、煌めく青の流れ。
ヤーヒムはついに固く目を瞑り、己の中の全てを総動員して抗い続ける。融合したラドミーラの力、ここまでの戦いで啜ってきたカラミタ達の力、呪いのラビリンスとなっていたヴァルトルや眼前にあるブルザーク大迷宮のコアの力。
これまで啜ってきた青の力に、人間だった時の先祖代々の血脈の中に蓄積されてきた青の力も全てを汲み上げ、それをリーディアやダーシャ、フーゴといった仲間達への想いで強固に方向付けてジガにぶつけていく。
だが。
『ハ! 抵抗はそれしきか! ふははは、その丸ごと喰らってくれよう! 疾く干乾びろ!』
どうしようもなく流れ出ていってしまう青の力に、ヤーヒムの口から喘ぎ声が溢れる。
これではジガのなすがままだ。
何か、何かないか――
―次話『神域の戦い(中)』―
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