77 呪われた街(中)
「ヴァンパイアだああ! 逃げろおおおお!」
「こっちにもいるぞ!」
「いやあああ! こ、来ないでえええ!」
初夏の太陽が沈み、夜の闇が訪れたブシェクの街で。
いつもどおりの騒々しい喧騒に包まれていたそのスタニーク王国有数の大都市は、無数の人々が悲鳴と怒号を上げて逃げ惑う大混乱に陥っていた。
「ふははは、下賤なる血袋どもよ! 泣け! わめけ! そしてその血を我に捧げよ!」
呆気なく放棄された歓楽街。群れをなして逃げゆく人々の後ろから、口元を人間の血で染めたヴァンパイアが高笑いをしながらゆっくりと歩いてくる。愉悦に輝く深紅の瞳、禍々しく伸びる牙。それは太古の昔から人系種族の根源に刷り込まれた恐怖の象徴だ。
ごくごく一部の人間がそれに立ち向かおうと戦いを挑んでいったが、全てがその場で返り討ちにされ眷属にされてしまっている。
通常ならこの迷宮都市ブシェクには迷宮探索を生業とする魔法使いが数多く滞在しているのだが、彼らが根こそぎ王都の援軍に駆り出されてしまっていることも痛かった。もはやブシェクの街にヴァンパイアに抵抗する術はない。
中には昔の伝承を思い出し十字架や銀製品を持ち出してくる者もいたが、この街を襲っているような高位のヴァンパイアには余程の好条件を重ねないとほとんど効果はない。最後の希望まで打ち砕かれた人々は心を恐怖に鷲掴みにされ、夜の種族に狩られるがまま、右へ左へと街の通りを逃げ回っていく。
そのブシェクの街を、高笑いしながら行進するヴァンパイアの名はレネリヒャルト。
真祖ジガの直系の子であり、ヴァンパイアとして生を受けて未だ百年に満たない若き貴公子である。
妖しくも複雑な輝きを持つ深紅の瞳は、目についた街の人々の血を心ゆくまで飲血をした証。未だ若き彼の瞳は、血を飲んでいない時は元々の若草色の色彩でしかない。ハナート山脈の裏、旧フメル王朝側のヴァンパイア社会では、それは恥ずべき未熟として揶揄されるものだ。
だが、それが幸いすることもある。
若草色の瞳の時の彼は、このスタニーク王国に於いてはレネーという名で知られている。
それは王都防衛の主力兵力と共に没したイエニーチェク軍務卿、その懐刀として大きな影響を及ぼしていた若き英雄レネーその人だ。
そう。
彼は父である真祖ジガの命により、飲血直後以外は紅くない瞳を利用して先日まで王都深くに潜入し、障害となる王国軍を早期壊滅に導くべく舵取りをしていたのだ。
「くくく、これで我も父上の側近となり、生けるヴルタへと生まれ変われるのは確実よ。ヴァンチュラとしての齢の少なさなどすぐ取り戻してくれるわ」
そのためには。
家畜である人族の血を大量に啜り、少しでも多くケイオスの因子を取り込んでおく必要がある。眼前で逃げ惑う人々を鼻で笑い、ヴァンパイアの若き貴公子は目にも止まらぬ速さで路地に踏み込み――
「い、いやぁ……」
――そこで震えていた少女の首を掴んで宙吊りにした。
年の頃は十三か十四、恐怖にがくがくと震えている未だ男を知らぬ発展途上の肢体。
悪くない、レネリヒャルトはニタリと嗤い、その乙女を恋人同士のように淫靡に抱きしめ直しながらその首筋に牙を突き立てた。
「……おい、遅れて来た者が勝手に荒らすな」
芳醇な乙女の血を啜り尽くしたレネリヒャルトが視線を上げると、そこには良く知るヴァンパイアが音もなく出現していた。
それはヴラディミール。彼と同じく真祖ジガの直系で、そういった意味では兄とも呼べる五百年ほど年長のヴァンパイアだ。このヴラディミールもレネリヒャルト同様、真祖ジガの命でこのブシェクの街に潜入していたのだ。
末弟のレネリヒャルトがカラミタ侵攻に先立って王都に潜り込んだのと同時期に、兄のヴラディミールも先行してこのブシェクに潜入している。ヴラディミールの瞳は年齢からしてもほぼ完全に紅に染まっており、かなりの長期間血を断たねければその紅は抜けないのだが、それでも人族を偽装できるのは大きな利点だ。弟がレネーとして王国軍で着々とその任務をこなしていたその間、ブシェクに潜入していた兄が何をしていたかというと――
「チッ、与えられた任務を尽く失敗し、代わりにこの街を献上することでご機嫌取りしようとする敗者に言われたくはないわ。なあ兄上? いや、ヴィート、と呼んだ方が良いか?」
「……その名で呼ぶな小僧。死にたいか?」
――兄ヴラディミールは人族ヴィートとしてこのブシェクに潜入し、ブルザーク大迷宮の事前調査を真祖ジガに命じられていたのだった。
が、いざブシェクに来てみれば、そのブルザークの砂漠階層は既に何者かに攻略されていて、真祖が千年以上の間ずっと狙っていた類稀な老ヴルタは討伐されてその亜空間から持ち出されてしまっていた。仕方なく街の太守とその周辺を眷属化し、老ヴルタのコア結晶の行方を追いつつも、やがて来る真祖をスムーズに迎え入れられるよう僅かなりとも下地を整えておこうとしていたのだが。
けれども、どうやらそのコア結晶はどうしたものか綺麗にその莫大な青の力を抜き取られ、ヴラディミールが訪れる半月も前に街の外に持ち出されてしまっていることが判明。更にはその情報を得るために眷属化して使役していた末端の者が、愚かにも王国の隠密部隊に捕らえられてしまうという不始末をしでかした。
真祖来訪前にヴァンパイアの暗躍が知られてしまうのはいかにも不味い。コアを追うことを一時諦めて囚われた眷属のその後を探ってみれば、その血を特殊な霊薬の原料にするなどというふざけた理由の下に、件の隠密部隊が秘密裏に幽閉しているという。それならそれで好都合と、たかが末端の眷属などはくれてやり、引き換えにより多くの魔法使いが王都への援軍として街を出ていくよう、眷属化した太守も使って遠回しに街の世論を誘導したりしていたのだが――
「フン、その強がりも父上がこの街に来るまでよ。王国軍撹乱の功績を認められ、父上から青の力を授かって生けるヴルタ――新たなるヴラヌスへと生まれ変わるのは我だ。失策続きの貴様ではない。そうなれば真っ先に潰してくれるからな、忘れるな」
そう言って見せつけるように、腕の中で力なく揺れる乙女の唇に深く口づけをするレネーことレネリヒャルト。
それはヴァンパイアが気に入った者を眷属として生まれ変わらせる
「ハ! 笑止とはまさにこのこと。得意げに撹乱の功を語る割には王都陥落の報が一向に届かぬではないか。偉大なる父上の気配すらも感じ取れぬ未熟児が、口先だけの騙りではなかろうな」
「なっ、我は完璧に仕事を果たしたわ! ふざけるな!」
兄であるヴラディミールの言葉が勘どころを抉ったか、腕の中の乙女を引き剥がして力任せに投げ棄てるレネリヒャルト。
そのまま血相を変えてヴラディミールに詰め寄っていく。
「王都侵攻に関してはあのいけ好かない元竜人族の糞野郎、ゲーアハルトが手間取っているだけよ! 我は王国軍の魔法使いをすり潰し、充分に下準備をしてやったのだ! 真っ先に新たなるヴラヌスへとなったのを鼻にかけた奴のあの傲慢さ、どんな失策を犯していても不思議では――」
「ならば良いがな。だが、父上が今にも到着しようとしているのが分からぬか。王都への援軍とやらで粗方は追い出したが、未だこの街には魔法使いが残っている。我が命じる、父上をお迎えするにあたりこの街に一人の魔法使いの存在も許さぬ。余計な眷族を増やして遊んでいないでやることをやれ、いいな」
「糞、どこまでも偉そうに……忘れるなよ、絶対に」
二人のヴァンパイアが風のようにこの場所から離れ、やがてあちこちから悲鳴が上がり始めた。
その悲鳴につられるように、レネリヒャルトが投げ捨てていった乙女の亡骸がむくりと起き上がる。
その口元を艶やかに赤く濡らしているのは、かのヴァンパイアが残していった
ほんの申し訳程度の
一般の人系種族を軽く凌駕する身体能力を得て、次々と人々を襲い生血を貪っていく。その先に生み出されるのは同種の眷属達。眷属が眷属を増やし、さらに加速してこの終末の街を満たしていくのだ。
大陸有数の迷宮都市、富と欲望の都ブシェク。
数多のヴァンパイアを引き寄せた呪われた街は、こうして運命のフィナーレへと向かっていく。
◆ ◆ ◆
「お待ちしてましたッ! 皆さんこちらへ!」
ドウベク街道沿いの、ブシェクの街壁のすぐ外側で。
リーディア経由の報せを聞いて最速で駆けつけたヤーヒム達四人は、脇の木立から飛び出してきた護衛騎兵の小隊長に、有無を言わさず近くの林の中へと引き込まれた。そこには小隊長を含めた同行のザヴジェル騎兵十五騎が勢揃いしており、藪の先には明るく照らされたブシェクの正門が垣間見えている。
「みんな無事なのね! 良かった……」
「状況はどうなってんだ? 走りながらの通信じゃ全然分からなくてよ」
リーディアが安堵の息を漏らし、フーゴは口を開くなり小隊長に情報を求めた。
移動中にリーディア経由で何度か通信魔石のやり取りはしていたが、詳しいところまでは全く聞けなかったのだ。
分かっているのは、ブシェクの街が途方もない大混乱に陥っていること、街の中で複数のヴァンパイアが暴れ回っているらしきこと、街の守備兵もまたヴァンパイアであり、正門から逃げようとしている人々を片端から虐殺していること、そこまでだ。
十五騎のザヴジェル兵たちの顔は一様に硬い。
ヤーヒム達を待ち、それまで無闇に突入するなと厳しく禁じられていたからだ。それでも目の前の開け放たれた正門の内側では人々が虫けらのように殺され、紅い目をした守備兵達に次々に血を啜られていく。その光景は彼らの心を震えるほどの怒りで満たし、ヤーヒム達の到着を今か今かと待っていたのだ。
「ヤーヒム殿、ヴァンパイアは魔法に弱いと聞きます! 我らは皆ザヴジェルで鍛えられた上級魔法騎兵、どうか街へ突入の許可を! せめて民の逃げ道である、あの正門だけでも確保させてください!」
「いや待てって、隊長さん。それを今から相談しようってんだ。全部でどのぐらいヴァンパイアがいるんだ? あの正門には? 街の中には? 街の守備兵がヴァンパイア化しているのは分かったが、それは守備兵の全員なのか? 街に味方はいないのか? ブルザーク大迷宮に潜ってるユニオンの奴らはどのくらい街に残っていて、どのぐらい戦力として期待できる? ――相手は強い、ガムシャラに突っ込むだけじゃ救える者も救えなくなるんだ。まずは落ち着けって」
逸る兵たちをフーゴが宥めつつ、ヤーヒムとリーディアに諮るような視線を投げてきた。
道すがらざっくりとした相談は済ませてある。より大きな脅威、ジガを含めた三十以上の非常に強力な一団もハナート山脈の山頂にまで到達してしまっている。彼らからブシェクを守ろうにも、今のブシェクの有り様では守るも何もない。こうなった以上街を見捨てるという手段もあるにはあるが、理想を言えば、カラミタ勢がブシェクに来る前に街のヴァンパイアを一掃し、街の人々を逃がしつつ、多少なりともここで迎撃態勢を作っておきたい。そのためには出来る限りの情報が必要なのだが――
「す、すみません。……我らがここに到着した時には、もう既に街は恐慌に陥っていて、門もご覧のとおりに封鎖されていました。漏れ聞こえてきた悲鳴を不審に思い、遠目から様子を窺ったところ――。その後確認したのは、門を守る守備兵がみな紅い目をしていること、捕えた街の民の首筋に噛みついて血を飲んでいるらしきこと、この正門以外の門は全て閉じられていること、その程度です」
さもありなん、ヤーヒムは小隊長の言葉に小さく頷く。
知りたいことはフーゴが並べたとおりだが、外から見ているだけでは分かることも少ない。フーゴも知っていて問いを重ねたのであろう、小隊長を責める風でもなく、冷静さを取り戻した彼らから細かい情報を聞き出し始めている。
……行くなら今、なのだろうな。
ヤーヒムは傍らのリーディアと視線を交わす。
ゆっくりとした頷きが返ってきて、ヤーヒムは大きく息を吸い込んだ。
今、幸いなことに手元には封魔のコアの試作品がある。こちらの戦力としては、まず凡百のヴァンパイアが相手ならば負ける気のしないヤーヒムがいて、特級の魔法使いであるリーディアと、眼前のザヴジェルの十五騎も全員が熟練の魔法兵だ。街に潜むヴァンパイアの数にもよるが、それなりの数ならば充分に相手は出来ると思われる。
ヤーヒムにダーシャを戦力として数える気はないが、それでも自らの子という真祖からみて第二世代にあたる高貴な血を持ち、保有する青の力をみてもヴァンパイアとしてはおそらく上から数えた方が早い存在だ。独自のヴァンパイアネイルと最近の鍛錬ぶりを考えても、自衛だけならばまず問題はないはずだった。
ここで何もせず待っていても、ジガ達がやって来るだけ。
この街を見捨てるという選択肢ももちろんあるが、今なら多少の時間はある。【ゾーン】に映る反応を踏まえても、動くなら、今。
「……フーゴ、リーディア、ダーシャ。少し良いか」
ヤーヒムは三人を呼び寄せ、小声で相談を始めた。
ザヴジェルの騎兵達には申し訳ないが、知られては困ることが多々含まれる内容なのだ。
「……力技にはなるが、まずは威力偵察を兼ねてあの正門を解放しようと思う」
ヤーヒムはまず三人にそう告げ、小声で細部の補足をしていく。
【ゾーン】に感じる存在としては、ここまで近付かないと分からないような小さなものばかりだ。ザヴジェルの兵達は門の守備兵がヴァンパイアだと言っていたが、あれらはおそらく正規のヴァンパイアではなく、そこまで親の血を与えられていない末端の眷属だと思われる。戦闘力に個体差はあるものの、正規のヴァンパイアほどの危険はなく一人でも充分に制圧できる――そう断言するヤーヒム。
「……そして街の人々を外に逃がしつつ、中のヴァンパイアの反応を待つ。半端な眷族の反撃は都度個別に撃破、少なくとも今よりは街の状況も掴めるであろう」
今ここにいる時点でヤーヒムが【ゾーン】に捉えられる街の中のヴァンパイアの存在は、おそらく高位のものがひとつと、中位のものがひとつ。どちらも青の力はかろうじて捕捉できる程度しか保有していない。つまりカラミタはおらず、ごく一般的なヴァンパイアしか街にはいないということだ。
もちろん油断はできないし、同程度の存在が他にいる可能性もある。少なくとも使い捨ての眷属は大量にいるだろう。だが、ヤーヒムがハナート山脈の向こうで見た、旧フメル王朝の浮遊都市のようなことはけしてない。ここまで騒ぎになっていなかったぐらいなのだ。おそらくは少数のヴァンパイアが潜入しただけと思われる――それが【ゾーン】を持つヤーヒムの推定だった。
「そうか。それならなんとかなる――のか?」
「……ああ、余程のことがない限りは。それに我々が正門に陣取る限り、いざとなれば街の外への即時撤退も容易だ。この状況ならば騎兵達の目も踏まえ、我はまだヴァンパイアネイルは使わないでおくつもりだ。――どうした、リーディア?」
ヤーヒムが話を一度止める。
リーディアがその紫水晶の瞳を正門に貼りつけたまま、小さく息を呑んだのだ。
「ねえヤーヒム。あそこにいるのってもしかして――まさか、ヴァンパイアの眷属になってるってこと?」
ヤーヒムとフーゴが弾かれたように振り返る。
リーディアの視線の先、正門の奥でこちらに背を向けて仁王立ちしている男。身長は二メートル半を軽く越え、分厚い筋肉の上に鎖帷子と黒革の部分鎧をまとい、手には巨大な両手剣を持っているその男。――間違いようもない。希少種である巨人族と鬼人族のハーフ、ゼフトのザハリアーシュだった。
ザハリアーシュ。
ブルザーク大迷宮の出口で、ブシェクの特別臨時監督官と名乗って兵士と共に待ち伏せしていた裏社会の大物。
ヤーヒム達を執拗に追い、霊峰チェカルまで追跡してきた男であり、そして。
「……何と言うべきか」
ヤーヒムからしてみれば、ブシェクからの脱出時、同じこの正門で奇襲を仕掛けてきた男である。
確かにあの時はその剣捌きに強い危険を感じた。けれどもそれからヤーヒムは己のアンブロシュ剣術に磨きをかけ、青の力という部分でも大きな成長を遂げている。【ゾーン】に感じる気配からすれば、ザハリアーシュはザハリアーシュで確かにヴァンパイアの眷属に堕ちている。元の戦闘力が高かっただけに、それが単純にどこまで強化されているのか。親の血をほとんど与えられず青の力を微量しか持たない一介の眷属とはいえ、油断はできない相手だった。
「ヤーヒム、アレ使う? それとも私と騎士さん達が大きめの魔法で一斉攻撃しようか?」
「……いや、それには及ばぬ。それにあの開け放たれた門の向こうには民もいる。強すぎる魔法も駄目だ」
ヤーヒムの沈黙を不安と取ったか、リーディアが気遣いの言葉を挟んでくる。が、ヤーヒムはきっぱりと断った。
アレ、とは封魔のコアのことだろうが、それを使うには三人が三角形を作って正門を囲む必要がある。誰かが先に門の向こうへと侵入しないと無理だ。誤射の可能性もある大掛かりな魔法攻撃についても、まだそこまで切羽詰った状況でもない。
それに。
何の運命の悪戯かは知らないが、再びあのザハリアーシュと相まみえることになったのだ。戦って負けるつもりはない。たとえヴァンパイアネイルは使わず剣で勝負をつけるとしても、あれから己が積み上げてきたものは誰にも負けないという自負がある。
とはいえ、今は己の自己満足を満たす時でもない。
いかに確実迅速に正門を制圧し、その後に繋げるか。時を重ねるにつれ、正門の奥、ブシェクの街からは逃げ惑う民衆の悲鳴がますます大きくなっている。そこには少なくとも二人の正規のヴァンパイアとその数を増やしていく眷属たち、そして最終的にはジガとカラミタ勢との対決も控えているのだ。こんなところで遊んでいる場合ではなく、最大効率を求めるべきだろう。
ならば。
ヤーヒムはもう一度正門付近の状況を窺い、騎兵達も呼び寄せて打ち合わせを始めた。
◆ ◆ ◆
「古のものによりて創造されし罪深き黒よ、その腕(かいな)で敵を貫け! ――
夜空に赤々と炎を上げ始めたブシェクの街、その正門の外側。
暗闇を切り裂き、十五騎の魔法騎兵とケンタウロスのフーゴが一斉に突撃していく。魔法を放ったのは彼らの先頭を疾駆する、スレイプニルのフラウにダーシャと同乗するリーディアだ。一拍置いて後続のザヴジェルの騎兵達もそれぞれが魔法を放つ。全てが敵単体を対象とした、けれども殺傷力の高い一撃必殺の中級魔法だ。
「がっ」
「ぐあ!」
色鮮やかな十六もの魔法が長々とその軌跡を描き、開け放たれた正門の中にいる兵士達の背中に突き刺さった。
そこにいるのは全てヴァンパイアの眷属だ。天敵である魔法の不意打ちに、十を超える人影が次々と崩れ落ちていく。無傷で未だ立っているのは門の奥、街の中にいる数人だけ。真紅の瞳で何事かと振り返る彼らに、闇空から一陣の風が吹きつけた。音もなく上空から滑空してきた、魔剣<オストレイ>を振りかざすヤーヒムだ。
「風を統べる黄衣の王よ、我が敵を切り刻め!
更にそこへ、矢継ぎ早に放たれたリーディアの追撃が入る。
唸りを上げるその真空の刃に紙一重で寄り添いながら、残る眷族を片端から撫で斬りにしていくヤーヒム。同時に純白のスレイプニルが、長大なハルバードをかざしたケンタウロスが、そして十五騎の魔法騎兵達が、馬蹄の音も高らかに駆け込んでくる。
正門の中は一瞬で怒号こだまする戦場と化した。
突然の強襲で地面に打ち倒されたヴァンパイアの眷属達が次々と魔法で焼かれ、
「貴様カアアアアアッ!」
門の奥、街に踏み入った場所で一人蹂躙を続けるヤーヒムに、二メートル半を超える巨人が猛然と斬りかかってきた。
ザハリアーシュ。巨人族と鬼人族のハーフ、膂力と剣の技量を兼ね備えた怪物だ。背後に放り投げた人影を見るに、どうやら手近に転がっていた民衆の亡骸を咄嗟に盾にしてリーディアの第二撃をやりすごしたらしい。
巨大な両手剣が爆発的な力で振り下ろされる。
が、ヤーヒムはその勢いに逆らわず、魔剣<オストレイ>を軽く添えて凶悪な斬撃を脇へと流す。それは「流れること水の如く、断ち切ること風の如し」、アンブロシュ流剣術の真骨頂だ。
脇へと流された斬撃が唐突に軌道を変え、虚空で弾かれたようにヤーヒムの左脇腹めがけて跳ね上がった。
ザハリアーシュもヴァンパイアの眷属となっているのだ。人外の膂力と反応速度で巨大な両手剣を常識ではあり得ない剣筋で操ってくる。だが。
「グアアアッ」
ザハリアーシュの痛烈なその斬撃はしかし、ヤーヒムの左腕に展開された【虚無の盾】に呑み込まれた。
汚水が暗渠に吸い込まれるような湿った音と同時に、剣ごと腕までもが消失している。それでも咄嗟にその場から飛び退き、ヤーヒムの追撃を軽やかに躱すザハリアーシュ。
「グハハハ! コレシキノ傷ナド何トイウコトモナイノダ!」
飛び退いた先で、紅い瞳をぎらぎらと輝かせて怪物が嗤う。
その失われた左腕は切断面からもうもうと蒸気を上げており、ヴァンパイアの眷属ならではの治癒が始まりつつある。
「
狂ったような高笑いをしながら、残った右腕でヤーヒムに飛びかかってくる巨人族と鬼人族のハーフ、かつて裏組織ゼフトの大物だった男。
だが。
ヤーヒムは敢えてその猛攻から距離を取り、短く叫んだ。
「――リーディア!」
「任せてッ! 嫉妬深きグーラの母よ、彼(か)を焼き尽くせッ!
ヤーヒムの背後から迸った強烈な円柱状の白光が、ザハリアーシュの二メートル半を超える巨体を包み込む。
正門の制圧を終えたリーディアが、援護とばかりに強力な単体殲滅魔法を放ったのだ。眩い白光が視界を埋め、そして。
その一瞬の白光と共に、かつてヤーヒムを追い詰めた強敵は跡形もなくこの世界から姿を消した。欠片も残さず焼き尽くされたのだ。
「ヤーヒム、大丈夫!?」
「父さん!」
「よし。正門はこれで制圧完了、今のとこ順調だな!」
ヤーヒムの元に仲間達が駆け寄ってくる。
フーゴの言うとおり、実に迅速で順調な展開だ。
「……急にすまなかったなリーディア、魔力は大丈夫か?」
「ええ、まだまだ全然平気よ。やっぱり剣で斬るよりも魔法が一番早いわね。――あの、任せてくれてありがとう」
気遣うようなアイスブルーの視線に、ハイエルフの血を引く凛とした乙女から照れたような、けれどどこか誇らしげな微笑みが返ってくる。
そう。確かにヤーヒムは強さを得た。だがそれは個の強さだけでない。
彼ら仲間の存在こそが今のヤーヒムの強さ。それが新しきヴァンパイアの真の強さなのだ。
「さ、これで相手がどう来るか。とりあえず街の人の避難口は確保したな。今のうちにどんどん逃がしちまおうぜ」
フーゴの言葉に、ザヴジェルの魔法騎兵たちが一斉に街の中へと駆け込んでいく。
そこは炎に包まれつつある、阿鼻叫喚の只中。
逃げ惑う群衆に十五騎のザヴジェル魔法騎兵が口々に大声で呼びかけ、安全な場所となった正門へと導いていく。数多のヴァンパイアを引き寄せる因縁の巨大都市に、救いの手が伸ばされた瞬間だった。
―次話『呪われた街(後)』―
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