63 ザヴジェルの戦い

 時は僅かに遡る。

 ステクリー大平原で王国・諸侯連合軍の司令部が、不眠不休で狂ったように押し寄せるアンデッドの大軍になす術もなく白壁内に引きこもっていた頃。


 ザヴジェル遠征軍は夜を徹し、ハルーザ丘陵の奥地へと潜り込むことに成功していた。


 行軍してきたのは遠征軍八千のうち、<戦槌>の重装騎兵二千とツィガーネク子爵軍を中心とした精鋭、合わせて四千のみだ。

 軍脚を鈍らせる恐れのある輜重部隊を含めた残りは、ハルーザ丘陵中央の要所で簡易陣地を築いて待機させている。


 東の空が薄っすらと白み、大自然の澄んだ空気が黎明の青味を帯びてきた中、夜を徹した強行軍はカラミタのいる草原から適度に離れた丘の陰で息を潜めつつ休憩を取っている。起伏に富んだ夜の丘陵を夜目が利くヤーヒムの先導の下、月明りのみで駆け抜けてきたのだ。いくら屈強な豹人族や虎人族が多くを占める辺境の精鋭とはいえ、兵馬共に疲労度は高く、危険はあっても一旦ここで態勢を整えることになっている。


 幸いなことに、今のところカラミタやアンデッドに気付かれている気配はない。

 偵察兵の報告によると、無数のアンデッドが雨後の毒茸のごとく次々と召喚され、王都のあるステクリー大平原方面へ粛々と河のように押し出して行っているという。


「……おそらくはトカーチュ渓谷の時と同様、この先から王都までの全域が既に擬似ラビリンス化されているのだろう」


 とはそれを聞いたヤーヒムの言。

 彼を始めとした<ザヴジェルの刺剣>の面々は、遠征軍総大将アレクセイと参謀役のツィガーネク子爵と共に最終の打ち合わせに入っている。


 ヤーヒムの言葉は、つまりその擬似ラビリンス化された領域内、王都付近で失われた王国兵の命も全てカラミタに貪られ、更なるアンデッドを召喚する糧になっているということだ。

 この丘の陰で進軍を止めたのも、ここならばぎりぎり擬似ラビリンスの領域外だからだとヤーヒムは補足する。


「ふむ、何も知らなければもう少し進んでいたかもしれぬな」

「なるほど、半端な距離だと思ったけどそういうことなのね。もしかしてヤーヒムが自分で偵察に行かなかったのもそのせい?」


 無属性の魔法で生み出された淡い光球の下、糧食を冷たいままで口に運びつつ声を潜めるアマーリエとリーディアに、ヤーヒムは無言でゆっくりと首肯した。


 ヤーヒムの存在がカラミタにどの距離で察知されるかは定かではないが、この擬似ラビリンスの領域に入った時点というのが目下の推定だった。もちろん四千もの人馬についても同様だ。ここから先は相手の領域であり、逆に言えばここなら兵に休憩を与えられるという判断であった。


「で、この後は予定どおりでいいか? 想定よりもアンデッドの湧きがめまぐるしいようだが」


 地面にどっかりと胡坐を組んだ遠征軍総大将、アレクセイが水筒から豪快に火酒を呷りつつ一同の顔を見回した。

 参謀役のツィガーネク子爵がすかさず口を開く。


「カラミタの直近にいるアンデッドは常に約一千、我が方は精鋭が四千。王都に向かって行軍している分が戻ってくる前にカラミタを屠れれば充分に勝機はありますな」

「ああ、カラミタを倒せばいつものように魔獣同士で勝手に同士討ちも始まる。そうなれば楽な戦いとなるだろう。ただ、カラミタの周囲に守護魔獣が一体も見当たらないのが不安材料といえば不安材料だが」


 アレクセイの言葉に、フン、とアマーリエが鼻を鳴らした。


「アンデッドに埋もれて見えないということは、ドラゴンのように厄介な大型種ではないということだ。リッチやワイトキングのような人型ならば我らの敵ではない。なあ、リーナ?」

「え、まあそうね。その手の魔法主体の魔獣なら任せてちょうだい。ダーシャと一緒にフラウに乗っていれば、突破接近力でもそうそう遅れを取ることもないわ」


 魔法の名門シェダの姫君リーディアが力強く頷き、緊張気味のダーシャに微笑みかける。


「ならば、よし。賽は投げられた。後は躊躇わずに全力を尽くすのみ」


 総大将アレクセイの言葉に、全員が口々に返事を返し、一斉に立ち上がった。


「この地に赴いたザヴジェルの精鋭四千、その全力をもって夜明けと共に総攻撃をかける!」

「応ッ!」


 低く抑えられた、けれど気合のこもった応酬が未明の丘陵に響き渡る。戦士の興奮と高揚がさざ波のように全軍に伝播し、各々が弾かれたように戦支度を整えていく。



 ――ザヴジェル遠征軍の大勝負は、今まさにその幕が切って落とされようとしていた。




  ◆  ◆  ◆




 高く、高く、もっと高く。

 白み始めた未明の空の天高く、漆黒の翼を羽ばたかせる者がいる。


 ザヴジェル遠征軍から独り離れ、擬似ラビリンスの境界ぎりぎりを天に駆け上がっていくヤーヒムだ。


 夜明けは目前、曙光が鮮やかにちぎれ雲を朝焼けの赤に染め上げている。

 遥か地上では丘の陰で四千の精鋭が楔形の陣を組み、今か今かとその時を――


「全軍、進め! 突撃だッ!」


 上空にも届くアレクセイの声に軍が一瞬身震いをし、鉄砲水にも似た怒涛の進撃が開始された。


 なだらかな丘をひとつ乗り越えるごとに更に勢いを増し、けれど一丸となって鋭い槍先の如く突進していくザヴジェルの精鋭四千。


 その右側ではマクシム他二名の騎士を従えたアマーリエが、長大なハルバードを頭上に掲げたケンタウロスのフーゴが、純白のスレイプニルに同乗したダーシャとリーディアが、それぞれ矢のような馬上突撃を見せている。


 彼らの前方、無数のアンデッドを召喚し続けているカラミタは未だ無反応であり――


 否、手前にいた一体が青く結晶化したその顔を上げ、僅かに左手を持ち上げた。

 同時に、粛々と王都へ行軍していたスケルトンの一部がくるりと侵入者の方へと向きを変える。迎撃させるつもりのようだ。


 だが。



「……古の大地を統べし皇よ、裁きの炎を彼の者に――フレアVorvados!」



 遊撃に近い位置にいたリーディアがその勢いを殺さぬまま、前に騎乗するダーシャ越しに短杖を掲げた。


 唸りを上げて射出される、小屋ほどもある灼熱の炎の球。


 同時に他の魔法兵も次々と魔法を放っている。リーディアほど大規模な魔法はないが、スケルトンやグール相手なら十二分な破壊力を持つ色とりどりの光の矢が、無数の軌跡を描いて大地を横切っていく。


 それらはぎくしゃくと向きを変えたばかりのスケルトンの隊列に襲いかかり、ものの見事に直撃した。幾条もの閃光が迸り、爆音が夜明けの丘陵に轟いていく。


 そして全てはリーディアの放った、第一級魔法<フレア>の爆炎に呑み込まれる。横腹に奇襲を受けたアンデッドの行列も、四体のカラミタも、一瞬で業火に包まれてその姿を視界から消した。


 ……よし、行くぞ!


 同時に、上空のヤーヒムも地上めがけて矢のような滑空を始める。それはまさに黒き死の流星。まず狙うは手前にいた、スケルトンを差し向けたカラミタの一体。


 眼前にリーディアの魔法の余波が、燃え盛る炎が灼熱のドームとなって迫り上がってくる。


 が、ヤーヒムは翼を固く閉じ、左前腕に作り出した【虚無の盾】を前面に押し出してそのまま落下していく。真っ正面からの焔さえ凌いでしまえば周囲からの炎熱は新装備、テュランノスドラゴンの内皮製の外衣サーコートが十二分に防いでくれる。


 それにヤーヒムは、馬鹿正直に真上から突入を図っている訳ではない。例え爆炎で見えずとも、標的の位置なら【ゾーン】で正確に分かっている。


 ……今!


 古の神の力を宿した翼が大きく開かれる。突入の軌道が急激に矯正され、蒼く輝く必殺のヴァンパイアネイルが振りかざされて――




 全身を包む一瞬の炎。

 地面を掠め、再び上空へと燕のように飛翔していくヤーヒム。




 その背後では。

 収束していく爆炎の中、二体のカラミタの身体がゆっくりと傾き、その上半身がずるりと腰から滑り落ちた。


 そして間を置かず、四千の軍勢が大地を揺るがして吶喊してくる。


「雑魚には構うな! まずは頭を狩るぞ、続けえええ!」

「若殿に遅れを取るな! ザヴジェル兵の力を見せつけろ!」


 ちょうどその時、彼らの背後、東の地平線から金色に輝く朝日が顔を出した。

 神々しいまでに清冽な光をその背に受けるザヴジェルの精鋭たち。辺境の地で魔獣と戦い続けた歴戦の強兵が、神の祝福のごとき朝日をその背に背負い、突然の強襲に混乱するアンデッドの群れに雪崩を打って襲いかかった。






―次話『混戦(前)』―

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