62 戦火の王都、ザヴジェルの参戦

「うおう、これはこれは」


 パイエルの街を発って七日目の夕方。

 パイエルで足を止めた分、迷宮都市ブシェクその他を素通りして進軍を急いだザヴジェル遠征軍は、特に問題もなく遂に王都一帯を望む北の玄関口、セヴェルの丘へと辿り着いていた。


 ハナート山脈は北西に大きく離れ、セヴェルの丘の前方眼下に広がるのは広大なステクリー大平原だ。それはスタニーク王国繁栄の礎となった温暖で地味豊かな穀倉地帯であり、大いなるヨナーク河によって永遠の豊作が約束された土地でもある。


 本来であれば、ここセヴェルの丘から一望できるのは収穫時期を迎えた一面の麦畑と、その彼方にそびえ立つ有名な王都の白壁――千人の魔法使いが二十余年の歳月をかけて造り上げた、白亜の大城壁――、そんな光景のはずであった。


 だが。


「……僅か一日で本当にここまで逆襲されるとは。アンデッドを大平原から駆逐し、掃討戦へ移ろうとしていたのではなかったか」

「物見の報告、本当だったな」


 昨夜の偵察飛行で見たものとまるで異なる状況に唸るヤーヒム、猛禽のような琥珀色の瞳で鋭く戦場を見詰めるアマーリエ。

 その隣でフーゴやリーディア、<ザヴジェルの刺剣>の面々も厳しい顔で前方に広がる現実を呑み込んでいる。


 一行の右手、ハナート山脈側から続く雄大なハルーザ丘陵――その裾から押し出した夥しいアンデッドの大軍勢に、ステクリー大平原の北三分の一までもが蹂躙されているのだ。


 前線と思しき一帯からもくもくと立ち昇る煙がハナート山脈から吹き降ろす季節風に押され、王都を含めた大平原の残る半分をおぼろに包み込んでいる。時おり前線のあたりで激しい火柱が生じ――おそらく王国軍による上級火魔法――るも、長続きせずに掻き消え、何事もなかったかのように煙の薄膜に呑まれていく。


「……昨夜、空から偵察した時は平原にアンデッドの姿はなく、王国軍が来たる掃討戦に向け、白壁内で盛んに編成を整えていたのだが」

「うむ、アンデッドの本軍が到着したのかもしれぬな。聞いていた数と全然違う。見ろ、前線から北の大平原はすべてグールとスケルトンで埋まっている。十万どころの数ではないぞ」


 アマーリエの指摘に、誰かが、ごくり、と生唾を呑み込んだ。

 確かに占拠されているステクリー大平原の北三分の一が、全て真っ黒なアンデッドの軍勢で埋め尽くされているのだ。


 そしてそれは途切れることなく大平原の北端、ハルーザ丘陵の裾までをも覆い尽くして更に続々と押し出されてきているように見える。


 つまり大平原に今見えている数が全てではなく、まだまだあのハルーザ丘陵――草に覆われた、雄大に連なる低丘群――内部に後続が控えているということだ。


 ひゅーう、フーゴの掠れた口笛が<ザヴジェルの刺剣>の間に流れて消えた。


 と、その時、面々の後ろで同様に立ち尽くす遠征軍の中から、二騎の大柄な騎士が馬蹄の響きも高らかに駆け寄ってきた。


「ここにいたか。……なら話は早い。どう見る?」


 厳しい顔で一行に語りかけるのはアレクセイ=ザヴジェル、アマーリエの兄にしてこの遠征軍の総大将だ。

 同行してきたもう一騎は参謀役のツィガーネク子爵。ザヴジェル諸侯軍にこの人ありと謳われる老練な英傑で、ザヴジェル領北西部、ペトラーチェク平野の戦いでヤーヒム達の救援を受け、ヤーヒムに銘剣<オストレイ>を授けた人物だ。

 この遠征軍で若いアレクセイの補佐役を担う彼も難しい表情を崩さず、問いかけるような眼差しを眼前の一行に投げている。


「簡単なことだ」


 眉間に皺を刻んだ彼らに対して、アマーリエが一歩前に歩み出た。そして腰から魔剣レデンヴィートルを抜き放ち、ぐるりと振り返って眼下の大平原に溢れるアンデッドの大軍勢にその切っ先を向ける。


「そこに出てきているのはあくまで末端。いくら押されているとはいえ、王都には白壁という防衛の要がある。動きの遅いアンデッドにあれが破られることはまずあるまい。ならば今、我らが狙うべきは――」


 ラビリンスコアを探知できる魔剣の切っ先が、つつ、と真横に滑り、大平原を横切ってハルーザ丘陵の奥地、北西にそびえるハナート山脈のふもとでピタリと止まった。


「――全ての元凶、カラミタは彼処にある。王国軍が討伐したというカラミタはただの囮であろう。これほどのアンデッドが湧き続けているのがその証拠、本命は変わらず最奥に居座っている。ならばこの場のアンデッドどもの相手はしばし王国軍と白壁に任せ、我らは…………敵の喉元を一気に切り裂くまで」

「だよな」


 魔剣を一閃し、ピタリと鞘に納めてみせる獰猛な実妹のデモンストレーションに、ニヤリ、と笑いを返す兄アレクセイ。


「俺たち八千ごときが援軍としてあの数相手に割り込んでも、何が出来るとも思えない。最悪、白壁に立てこもった王国軍の老害どもに野戦の駒としていいように使い潰されるだけだ。だったら独自に動いて乾坤一擲の大金星を狙うべき、だろうな」

「失礼ながらヤーヒム殿、カラミタの居場所に間違いはありませぬな?」


 参謀を務めるツィガーネク子爵の言葉に、アレクセイとアマーリエ、辺境伯家兄妹の視線が揃ってヤーヒムに注がれた。

 アマーリエの魔剣レデンヴィートルはカラミタが持つラビリンスコアに共鳴し、それが存在する方角を知ることが出来る。が、ヤーヒムの【ゾーン】の方がより正確で、より詳細な情報を得ることが出来るというのはもはや公然の秘密だ。


 ヤーヒムはゆっくりと三人に頷きを返し、そしてそのアイスブルーの瞳をハナート山脈から雄大に連なる低丘群に向けた。


「……ああ。あの無数の低丘の連なりの奥、かなり山脈に近いところにいる。それは我らがパイエルにいた時から変わらない。王国軍が討伐したというものについては――我には何とも言えぬ。確実なのは特に強大なのがひとつ、それに従うように三体、全てが初めからずっと同じ場所にいるということだけだ」

「この惨状、王国軍は囮に釣られたのであろうよ。その是非はさておき、問題は今どうするかだ。ヤーヒムの察知ではカラミタは全部で四体いるのだな? 大将と護衛のような連帯もあると覚悟しておくべきか。同時に四体……ザヴジェルの時のように各個撃破できないのは厳しいな」

「いやアマーリエ、あの草だけの丘の中にまとまってるってのならウチの<戦槌>重装騎兵が使えるだろ。なにもお前達だけでやる必要はない。総軍で強襲して一気に叩いちまおう。ツィガーネク卿の兵も強襲は得意だったよな?」

「くふふ、それは愚問ですぞアレクセイ様。ステクリー大平原には一切降りず、悟られることなくハルーザ丘陵を縦断して敵の頭に急襲をかけてみせましょうや」

「くは、それだな。王国の口だけ軍人どもには悪いが、救援はカラミタを潰してからだ。この二百年魔の森で戦ってきたザヴジェルの戦いを、特等席で見せてやるぜ」


 首脳陣の不敵な笑みで簡易軍議は締めくくられ、やがてザヴジェル遠征軍八千はステクリー大平原の北の玄関口、セヴェルの丘から静かにその姿を消した。




  ◆  ◆  ◆




「前線より緊急魔法通信! キリアーン諸侯軍潰走! 南部連合が白壁内部への撤退を求めております!」

「ええいクソ、嘴の黄色い若造どもが、どいつもこいつも! パチェス運河で踏みとどまれと伝えろ! 奴らの穴は第三師団でカバーさせるんだ!」

「ですが閣下! 第三師団は先刻より呼び出しに応えませぬ! 伝令を出そうにも夜間の乱戦で到底――」


 ザヴジェル遠征軍がセヴェルの丘で戦況を一望してから半日。

 夜の帳にすっぽりと覆われたステクリー大平原では、不眠不休で押し寄せる夥しいアンデッドの軍勢に、一度は総攻撃に打って出た王国・諸侯連合軍が絶望的な戦いを続けていた。


 首魁であるカラミタは討ち果たし、残すは数だけ多い最下級のアンデッド勢を片端から蹴散らしていくだけのはずだった。


 が、見慣れぬ衣服を着たグールとスケルトンの大軍は。

 それまでのすぐに逃げ出す弱腰さは豹変し、狂ったように前線の兵士に襲いかかり、倒しても倒しても亡者のように群がってくるのだ。


 総攻撃に出たはずの王国連合軍はそのあまりの不気味さと圧力に瞬く間に崩壊し、指揮系統は乱れに乱れ、今やステクリー大平原の大半をも失ってしまっている。未だ乱戦が続く各部隊を戦場に殿として投げ捨て、かろうじで司令部を擁する第一師団のみが最終防衛線である王都の白壁に逃げ込んだという壊滅的状況である。


「もう我慢ならん! 儂が第一師団の残りを率いて出る! アンデッドなどしょせん低級魔獣、百だろうが千だろうが名高きこの魔槍で直々に串刺しにしてくれるわ!」

「おやめください閣下! 第一師団の士気はもはや底をついております! アンデッド共のあの勢いは異常、我らが討伐したのとは別のカラミタがいる可能性も検討するべきかと! ここで外の部隊を遊撃として指揮しつつ、我々は一致団結して白壁を盾とした徹底抗戦へと――」


 王国・諸侯軍の総大将はドラホスラフ=イエニーチェク軍務卿。

 純粋な人族を優遇するこのスタニーク王国に於いて侯爵の位を持つ大貴族であると同時に叩き上げの軍人であり、出世の階段を昇りつめて王国直衛軍五万の頂点に君臨する英雄――


 ――という評判だった。逃げるアンデッドへの総攻撃として意気揚々と出撃した、今日の朝までは。


 若き頃は武勇で鳴らした彼も、あまりのアンデッドの豹変ぶりに、あまりのその亡者じみた蛮勇ぶりに、すっかりその冷静さを失ってしまっていた。己が強硬に主導した総攻撃がこの大敗北ともいえる事態のきっかけとなってしまった、その事実も追い打ちをかけている。

 そして、それは周囲を固める側近たちも同様だ。基本的には魔獣の少ない平和な王都周辺の防衛が主たる任務であり、純粋な人族への誇りと伝統を重んじていた王国軍。その組織自体が逆境に慣れていないのだ。


 そして今。

 逃げるアンデッドを殲滅すべく総攻撃に出たはずの彼らは猛烈な反撃に会い、逆にステクリー大平原の過半を失って更に押し立てられている。

 王命を戴いた全軍による掃討戦は、目も当てられない惨憺たる結果となっていたのだった。


「ええい、ならば宮廷魔法師団を前線に引きずり出せ! アンデッドは火に弱いだろうが! 日頃の大口、ここで真価を問わずに何とする!」

「彼らはここ白壁で迎撃態勢を整えております! この戦況で脆弱な魔法使いを野戦に出し、白壁防衛の頼みの綱を消耗させる訳には! それに彼らの長は人族に非ざるエルフの血を持つ者、先日の軍議で白壁守護を押し付けたのは軍務卿でありませんか。それを今さら――」


 そう、グールもスケルトンも燃え盛る炎を弱点としている。

 が、狂乱の大攻勢が始まった今日の未明の時点から、その弱点である火の魔法を撃ち込んでも怯む気配が一切なくなった。取って代わって狂ったような勢いがアンデッドどもに憑りつき、圧倒的な圧力と物量に全軍がなす術もなく押されまくっているのだ。


 軍務卿配下の魔法部隊は、驍将レネーの献策により何日も前に各部隊に広く分配してしまっていた。

 エルフやブラウニーなどの魔法に長けた種族を排した純粋人族だけの魔法部隊とはいえ、その時点ではそれで充分であり、アンデッドを蹴散らして各所で有利に戦いを進めるのにそれが非常に有効に働いていた。一人の魔法使いが中級の火魔法を打ち込むだけで敵は逃げ散っていったのだ。さすがレネーの神算よ、魔獣の弱点をよく知っている、と軍務卿は大満足していたのだが。


 けれども王国軍が総攻撃に出た運命の朝、その配置が裏目に出た。


 王国軍の総攻撃に更に逃げ出すかと思われたアンデッド達は唐突に反撃に転じ、狂ったような勢いで猛進してきたのだ。

 そして視界内に魔法を放つ者を見つけるや否や、怨敵を見つけたかの如き凶暴さで一気に群がってきた。魔法兵は各部隊に広く分散し、一箇所には一人か二人しかいない。途方もない勢いで群がるアンデッドに抗うことも出来ず、片端からむさぼり食われてしまった。


 そしてそこから次々に陣が喰い破られ、軍務卿が遅ればせながら魔法部隊に退却集合を命じようとした時には、既に戦線は大混乱に陥っていた。アンデッドの勢いを止めようと、残り少ない魔法兵を掻き集めて上級火魔法を放たせても焼け石に水。貴重な魔法使いを更に失う結果となるだけだった。


 それがこの歴史的な大敗北の始まりだったのだが――


「レネーは、レネーはまだ戻らんのか! あれに本当のカラミタを探させ、討たせるのだ!」

「かの御仁は緒戦で消息不明であります! 勇敢にも先頭に立って突撃を行ったは良いものの、アンデッドの群れに呑み込まれたきり音沙汰もなく! それからほぼ一日が経過、もはや生存は絶望的かと――」 

「くっ、肝心なところで役立たずめ! くそ……そうだ! ザヴジェルからの援軍はどうなっておる、あの辺境の亜人どもにも召集令状は送ったのであろう!? あそこはヤン=シェダの末裔の本拠地、それなりの魔法部隊と戦力を揃えているに違いないぞ!」

「は、もちろん令状は送ってあります閣下! ただ、たしか数日前にブシェクを通過したとの連絡があったように思いますが、しょせん格式高き王国軍に対する礼儀も弁えぬ亜人の寄せ集め。当時はこちらが圧倒的有利だったゆえ、手柄を分けてやるのもと側近の方々に言われ、返事もせずに捨て置い――」

「馬鹿者! 彼奴らが順調に来ていれば今頃セヴェルの丘の手前には到着している筈ではないか! 上手く使えば第三師団の代わりに白壁外で南部連合の穴を埋める捨石には出来る。大至急連絡を取れ!」

「はっ! ただちに――」



「――報告! アンデッドどもが一斉に退却を始めました! 全戦線において一体残らず引いていきます!」



「なっ、真か!」

「なんと!」


 要塞化された白壁内の指令所に飛び込んできたのは、俄かには信じられない報告だった。

 抗いようのないほどの圧力で押され、敗走に次ぐ敗走の報を絶望の境地で聞いていたのだ。この期に及んで敵が退いてくれる理由もない。が、長い平和に少々慣れてしまっていたとはいえ、王国軍は伝統ある栄光の軍隊だ。一縷の希望にすがりつくように、自らの矜持にしがみつくように、軍務卿を始めとした最高幹部達は城壁の上へと転がるように走り出ていく。


「おお……」


 そこに見えた光景は、まさに奇跡としか言い表せないもの。

 いつしか朝日が昇り始めた空の下、たしかに無数のアンデッドが引き潮のように戦場から撤退を始めている。


「ふは、ははは! 我らの粘り勝ちだ! 彼奴らを逃がすな、全軍追撃! 今度こそ真の総攻撃だ! 失態を挽回する好機ぞ!」


 高らかに叫ぶ最高司令官の声に、すかさず幹部達が追随して個別の命令を怒鳴り散らしていく。

 それはそれまで散々に蹂躙されてきた王国軍が、その汚名を雪ぐべく、残された僅かな力でもって最後の賭けに転じた瞬間だった。そう。彼らには敵のこの退却につけこんで目覚ましい功を上げるしか、その後の王国軍内で生き残る術が残っていないのだ。都合の良すぎる敵の退却――しかも二度目――への内心の疑念を必死に封じ込め、一縷の希望にすがりつくように、これまでの自らの栄光にしがみつくように、冷静に考えれば無謀ともいえる再攻撃へと突入していくのだった。




 そして。




 やはりというべきか、彼らは決定的に間違っていた。


 アンデッドの大軍は王国軍を攻めあぐねて退却しているのではない。

 唐突に踵を返したアンデッド勢が脇目もふらず急行しようとしているのは、ハルーザ丘陵の奥地、北西にそびえるハナート山脈のふもと。そこにいる彼らの召喚主に対し、突如として未確認の軍勢が強襲してきたのだ。


 それは全くのところ、ラビリンスの最奥を脅かす可能性のある侵入者に対し、雲霞の如くラビリンス内の魔獣が集中していくのと同じ行動に過ぎない。


 それを弁えずに追いすがる王国・諸侯連合軍は、行動を邪魔されて怒り狂う無数のアンデッド勢にこの後各所で痛烈な反撃を喰らうこととなる。

 その知らせが偽りの勢いに乗って突撃していくイエニーチェク軍務卿他、王国軍幹部に伝わるのはもう少し先のこと。






―次話『ザヴジェルの戦い』―

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る