64 混戦(前)
朝日と共に行われた精鋭ザヴジェル軍四千の強襲。
神の祝福のごとき黄金の光をその背に背負った辺境の精鋭達が、初撃の一斉魔法攻撃で薙ぎ倒されたアンデッドの大群の、その横腹を巨大な槍のように切り裂いていく。
上空では漆黒の翼を広げたヤーヒムが鋭く宙返りをし、再度の突入に向けて標的を改めている。
……守護魔獣はナイトウォーカーか!
上空のヤーヒムの鋭いアイスブルーの瞳が僅かに見開かれた。
リーディアの大魔法が炸裂した爆心地、そこで生き残っているのは二体のカラミタと四体の守護魔獣だけだ。
……また厄介なものを。
四体のその守護魔獣は万単位の生者の怨念が実体化した人型の幽鬼、不死身の復讐者ナイトウォーカー。
どうりで人型のアンデッドに紛れて斥候が見分けられなかった訳である。彼らは魔法も物理攻撃も殆ど効かず、触れた相手を片端から呪い殺す災害級の危険アンデッドだ。そして何より、密集して急迫するザヴジェル軍とは壊滅的に相性が悪い。その長い腕を振り回して迎撃するだけで甚大な被害が出てしまう。
完全に滅するには高位の聖職者集団による大規模浄化の儀式しかないのだが――
……ならば!
ヤーヒムは再び左腕の【虚無の盾】の陰に身を固め、矢のような降下を始めた。
狙うは残った二体のカラミタを護るように取り囲む四体のナイトウォーカー。上空から急速に接近していく中、人型に固まった暗黒の顔に灯る赤い目がそのヤーヒムを見上げてきた。即座に四体が揃って迎撃態勢に入り、立っていても地面に達するほど長い暗黒の腕が八本、ヤーヒムに向かって一斉に伸ばされる。
その腕は僅かでも触れられれば強力な呪いに魂を侵され、運が良くても廃人になるという危険なものだ。
だがヤーヒムは翼を固く畳み、その死の腕に向かって一直線に突っ込んでいく。
そして伸ばされた八本の腕のうち正面にある三本を、前面に掲げた【虚無の盾】に急降下の勢いのままその指先から呑み込ませた。そのまま背後の胴体までをも【虚無の盾】は縦断し、二体のナイトウォーカーを立て続けに無力化する。濡れ布を引き裂くような重く湿った音と共に、虚無に分断された体が弾け飛んだのだ。
同時に身体を丸め、眼前に迫った地面に転がるように着地するヤーヒム。
着地の衝撃、そして【虚無の盾】に喰らわせきれなかった幽鬼の呪いが、激しくヤーヒムの意識を揺さぶっている。
【虚無の盾】はぎりぎり身体を隠せる大きさでしかない。正面にあった三本以外のナイトウォーカーの腕や体がヤーヒムの身体を僅かに掠め、悍ましい呪いが意識を侵食し始めているのだ。
が、この場では刹那の停滞が命取り。
ヤーヒムは歯を食いしばって真横に跳躍し、風のように追ってくる残りの暗黒の腕を紙一重で回避した。うち一番肉迫した一本の腕を【虚無の盾】で受けることは忘れない。
再び漏れる、背筋が痒くなるような湿った音。
盾の虚無が更に一本、死の腕を喰らって消滅させたのだ。
残る幽鬼は二体、暗黒の腕は三本。
いつしか左手の甲に同化したラドミーラの紅玉が目覚め、【虚無の盾】の裏側で強い輝きを放ち始めている。それは体内に入り込んだナイトウォーカーの呪いを駆逐し、ヤーヒムに惜しみない力を流し込んでくれる光だ。
……ラドミーラ。そして、エヴェリーナも。
行くぞ。
ヤーヒムは鋭く地面を蹴って残りのナイトウォーカー目掛けて突進を始めた。
アマーリエとアレクセイの兄妹を先頭としたザヴジェル強襲軍はもうすぐそこまで接近してきている。
彼らが来るまでに、この危険な幽鬼を無力化しておかねばならない。密集して急迫するザヴジェル軍とは壊滅的に相性が悪い相手なのだ。
柳のようにしなって襲いくる暗黒の腕をかいくぐり、ヤーヒムは一本腕となったナイトウォーカーの懐に潜り込んだ。
間髪を置かずその腹へと【虚無の盾】を叩きつける。実体化した怨念が、ずぶり、と盾の虚無に呑まれ、闇が凝固したかのような幽鬼の身体が上下に分断する。
そのまま相手が崩れ落ちるに任せ、ヤーヒムは電光石火で飛び退いて最後の一体へと――
その最後の一体は暗黒の両腕を大きく広げ、死の抱擁をしようとすぐ後ろに迫ってきていた。
咄嗟にその幽鬼の体を【虚無の盾】で下から上に斜めに薙ぎ払うヤーヒム。
盾の軌道だけ怨念の身体が虚無に呑まれて消える。が、残された腕が背中から巻きついてきた。
「がはっ」
ヤーヒムの意識が一瞬で激しく混濁し、腕を振り払いつつも膝からガクリと地面に落ちる。
テュランノスドラゴンの素材を使った新装備の抵抗力が強かったことと、古の神の残滓でできた背中の翼が呪いを通さなかったお陰でどうにか意識は保てたようであり――ヤーヒムは暗黒の腕の呪いをかろうじて耐え、膝を地面に落とす直前で踏みとどまった。
「…………ッ!」
こんなところでへたり込んでいる場合ではないのだ。
左腕に展開した【虚無の盾】は消えてしまったが、その手の甲で紅く輝く紅玉は惜しみなく力を流し込んでくれている。
奥歯を噛みしめて飛び退き、危険の残るその場から素早く離脱するヤーヒム。
ヤーヒムの肺が空気を求めて切実な悲鳴を上げ、早鐘のような呼気が早朝の空気に靄となって消えていく。
四体のナイトウォーカーは虚無を使ってどうにか分断し、動きは封じた。
が、それは屠ったと同義ではない。ばらばらに千切れ飛んだ暗黒の体は今も地面で蠢き、じきに元どおりに合体してしまうだろう。
何より中途半端なのは、カラミタもまだ二体残していること。
視線を上げて行方を追えば、その二体のカラミタは突入してきたヤーヒムから距離を取り、うち一体が魔獣の緊急召喚を始めている。
……く、そう来るか。
中空にできた無数の空間の歪みから次々に飛び降りてきているのはスケルトンウォリアー。
かつてブシェクのラビリンスで苦戦した、凡百のアンデッドとは明らかに違う六本腕の強兵だ。身長二メートル半、かつてと同じく六本の腕全てにぬらりと輝く直剣を持ち、みるみるうちに百近い数がこの場に降り立ってしまっている。
そして更に不味いことに、王都方面へ向かっていた夥しいグールとスケルトンも一斉にその向きを変え、召喚主を守れとばかりに押し寄せてきていて――
「待たせたな! 野郎ども、突っ込め!」
「うおおおおおっ」
その時、ザヴジェルの軍勢が雄叫びを上げて雑魚アンデッドを蹴散らし突入してきた。
先頭は逞しい黒馬に跨り、炎槍<セルベナ>を高々と掲げたアレクセイだ。すぐ後ろに揃いの朱槍を構えた<戦槌>騎士団の重装騎兵もぎっしりと連なっている。
「大丈夫かヤーヒム、後は任せろ!」
アマーリエもやや外れた位置で緑白に輝く長身の魔剣を輝かせ、マクシムたちを引き連れて接近してくる。
かろうじて立っているヤーヒムとその周囲の状況を瞬時に見て取り、更に速度を上げてカラミタ目がけて突撃を開始していく。
く……負けてはいられぬ。
ヤーヒムは己を奮い立たせ、意識の対象をカラミタに切り替えた。
厄介なナイトウォーカーの動きは最低限だが封じることができた。
味方の軍勢は騎馬、地面で蠢くその残骸は後回しでいい。群がりくる雑魚アンデッドも後、次々と召喚されるスケルトンウォリアーも後だ。ここまでくれば次に狙うは全ての元凶、残る二体のカラミタだけだ。
重い両脚に喝を入れ、ザヴジェル軍に負けじと極端な前傾姿勢で走り出すヤーヒム。
五歩、六歩と加速していくと同時に背中の翼を広げ、ふわりと飛び上がる。
空中でアマーリエを追い抜き、重装騎兵と激しく衝突している六本腕のスケルトンウォリアーの頭上を飛び越え、中空に開いた召喚用の無数の空間の歪みをヴァンパイアネイルで切り裂いて、更に奥へと後退していくカラミタまで一気に距離を詰めていく。
ヤーヒムの視線の先、二体のうち小柄な一体はさほど強力な個体ではない。
が、首魁ともいえる最後の一体、あれは何だ?
見たことも聞いたこともないヴァンパイアであり、背筋が震えるほど途方もなく危険な相手であり――
「がははっ! 後ろがガラ空きだぜ!」
と、全力で漆黒の翼を羽ばたかせるヤーヒムの視線の先、後退するカラミタの更に向こうからフーゴが飛び出してきた。
ケンタウロスの脚力を活かして回り込んできたらしい。
手薄な背後の守りを長大なハルバードで次々と薙ぎ倒し、後ろを振り返って「今だ、行け!」と叫んで――
「風を統べる黄衣の王よ、我が敵を切り刻め!
僅かに崩れたスケルトンウォリアーの壁を、白い八本足の軍馬が突破してきた。
立ち塞がる上位種骸骨兵を相手取って速度が落ちたフーゴの脇を、純白のスレイプニルが走り抜けてきたのだ。
それはダーシャとリーディアを乗せたフラウ。
この八本足の稀少な高級軍馬も、その並外れた脚力でフーゴと並んで高速で迂回してきたのだ。疾走するスレイプニルの上から、フーゴがこじ開けた間隙の更にその先へとリーディアの魔法が放たれていく。
唸る巨大な風の刃。
立ちはだかる最後のスケルトンウォリアーがすっぱりと撫で斬りにされ、力を失った骨の体が崩れ落ちていく。
その先にいるのは二体のカラミタ。フラウの前に、遂にそこまで辿り着く道が開かれたのだ。
速度を落とさず、邪魔なスケルトンウォリアーの残骸を飛び越えようと大きく跳躍する純白のスレイプニル。
その上で、ダーシャが蒼く煌めく独自のヴァンパイアネイルを振りかぶった。
「やあああっ!」
ダーシャが狙ったのは小柄な方のカラミタだ。
糸のように細く長い蒼爪が五本、ひゅう、と唸ってその老婆型のカラミタの結晶化した上半身を薄く切り裂いた。そして人馬がまだ空中にいる間に、鞭のように折り返されてもう一閃。
フラウが着地すると同時に、老婆の姿形をしたカラミタがけたたましい悲鳴を上げた。
ダーシャのヴァンパイアネイルに分断こそされていないものの、結晶化したその上半身に深々と切込みを入れられたのだ。そうして動きが止まったところに――ダーシャの後ろに乗るリーディアが振り返りぎみに短杖を突きつけた。
「嫉妬深きグーラの母よ、
リーディアの杖の先から強烈に輝く円柱状の白光が迸り、老婆型のカラミタを包み込む。
老婆の悲鳴が一瞬甲高くなり、すぐに消えた。白光に焼き尽くされたのだ。
第一級魔法に分類される、限られた魔法使いしか使えない単体殲滅魔法――リーディアは出し惜しみせずに、ここ一番という場面でそれを選択したのだ。
円柱型の残像を目蓋に残し、白光が消えた後にはもう老婆型のカラミタの姿はない。
残されたのは地面に転がる赤黒いコアだけであり、その時には頼もしい八本足の愛馬、スレイプニルのフラウは既に最後のカラミタに向かって急激な方向転換を決めている。
「やああ――っ!?」
リーディアの前に騎乗するダーシャが素早く標的を切り替え、小さなその体を乗り出して勇ましくヴァンパイアネイルを振り上げ――ようとしたところで固まった。
「待て! 手出し無用だ!」
上空からヤーヒムが矢のように飛来してきたのだ。
両手の指先から伸びた力強い蒼光の軌跡を空に描き、隼のように最後のカラミタを急襲するヤーヒム。
「引け! このカラミタは危険だッ、我が相手をする!」
大空をも統べる新世代のヴァンパイアが、怒涛の勢いで斬りかかった。
息も切らせぬ激しい攻防を繰り広げながら、ヤーヒムが肩越しに引けともう一度叫ぶ。
最後のカラミタ――
それは、見たことも聞いたこともない竜人族のヴァンパイア、そのなれの果てだった。
―次話『混戦(後)』―
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