65 混戦(後)

「引け! このカラミタは危険だ、我が相手をする!」


 息も切らせぬ激しい攻防を繰り広げながら、ヤーヒムが肩越しに叫ぶ。

 最後のカラミタ――それは、見たことも聞いたこともない竜人族のヴァンパイア、そのなれの果てだった。


 全身が鱗で覆われ、素の状態で低位ヴァンパイアに並ぶ身体能力を誇ると言われる最強の人系種族、竜人族。

 あまりにも稀少で歴史の闇に消えたと言われているその竜人族が、まさかのヴァンパイア化をして純血のまま生き残っていたのだ。


 【ゾーン】に感じていた力の強さからも、そして作り上げた擬似ラビリンスの大きさからも強敵を覚悟していたヤーヒムだったが、実物を目にするなりその警戒度は天井知らずに跳ね上がっていた。


 こんなものを余人と戦わせて良いはずがない。

 どうにかダーシャ達が手を出す前に割り込めたが――鋭く着地をしつつ更に攻撃の速度を上げるヤーヒム。


 嵐のように切り結んでいるヴァンパイアネイルはヤーヒムと互角、時おり両者がぶつかってギインと弾かれている。

 ヴァンパイアネイル同士の戦いではほぼあり得ないそれはつまり、互いの青の力が同等ということだ。ヤーヒムはこれでもあの真祖ラドミーラの直系第一子、更にはブルザーク大迷宮や長姉エヴェリーナなど有数の青の力を啜ってきている。いくら全てが己の物となっていないとはいえ、通常のヴァンパイア相手では明らかに異常といえる事態だ。



『貴様ら……岳南のヴァンチュラか! よくも我が眷属たちを……みなごろしにしてやる!』



 カラミタが地の底から響くような太い声で吼えた。

 その鱗に覆われた竜人族の顔は見るからに年経た風格を帯びており、こんなヴァンパイアのことなどヤーヒムは欠片すら聞いたことがない。しかもカラミタ化する前から強大な青の力を持つような、真に強力な存在だった筈で――


『があああああッ!』


 竜人族のカラミタが咆哮と共に更に一段ギアを上げ、怒涛の攻撃を仕掛けてくる。

 そのパワーは途方もなく、元の種族の差もあるのだろうが圧倒的にヤーヒムより上だ。ヴァンパイアネイルの鍔迫り合いなどに持ち込まれてしまえば、それだけでヤーヒムの負けが確定する可能性が高い。


 が、ヤーヒムには磨き続けたアンブロシュの剣術と神授の翼がある。

 剣のように得物をぶつけながら戦うことには一日の長があり、翼を併用した空中機動はもちろん、体捌きと連動させて羽ばたくことで得られる一瞬の加速、それも非常に有用だ。


 四対二十本のヴァンパイアネイルの蒼光が入り乱れる、何人たりとも間に入れない凄烈な戦闘が続く。


 相手のヴァンパイアネイルを己のそれでいなし、ひらりと空を舞って背後を狙い、新開発の【虚像】も織り交ぜた虚々実々の駆け引きを繰り広げるヤーヒム。

 息つく暇もない目まぐるしい攻防に、けれどヤーヒムにはもう一歩、【虚無の盾】を出す余裕がない。


 全てを切断するヴァンパイアネイルと、全てを呑み込む虚無がぶつかればどうなるか――ヤーヒムは既にそれを試している。結果はヴァンパイアネイル同士がぶつかった時と同じで、青の力をより多く保持している方が勝つ、というもの。


 つまり、この場で【虚無の盾】を出せれば、相手のヴァンパイアネイルに対する小盾バックラーとして本来の用途どおり使えるということだ。

 そうなればもう少し有利に戦いを展開できるのだが、圧倒的なパワーに裏打ちされた敵の猛攻が【虚無の盾】を出す僅かな余裕も許してくれない。


 さらにヤーヒムの気を焦らせるのは、この危険な竜人族カラミタの持つ青の力がじわじわと増大していること。

 それは眼前の存在がここから王都まで広げられた擬似ラビリンスの主であり、そこで繰り広げられている戦いで失われた命を全て己が力として啜りとっていることを示唆している。


 今も王都前のステクリー大平原で行われているであろう戦い、この周囲で行われているザヴジェル軍の激しい戦い――その身に宿した青の力からすれば微々たるものだが、徐々に徐々に、確実に相手の青の力は増大しているのだ。




「――リーディア、フーゴ、ダーシャ!」




 再びヤーヒムが肩越しに叫んだ。


「アマーリエ達に合流し、例の奴を頼む! 出し惜しみは不要、最後の型だ! 急げ!」

「なっ……分かったわヤーヒム! すぐに戻るわ、無理はしないで!」

「よっしゃヤーヒム、姫さんと嬢ちゃんの護衛は任しとけ! それまでやられるんじゃねーぞ!」


 さほど遠くない場所からすぐさま返事が返ってきた。

 いつの間にか共同し、周囲のスケルトンウォリアーの殲滅に方針転換をしていたらしい。そんな仲間達が離脱をしても、今のヤーヒムとカラミタの戦いに他者が割り込む余地はない。いくら腕が六本あるとはいえ、下手に近付けば巻き添えを喰って自滅するだけだ。それよりも。


 ヤーヒム達とて、この数日を徒に過ごしてきた訳ではない。

 強力なカラミタがいるのが分かっていたのだ。前回のエヴェリーナ戦の反省も含め、様々な想定の下に対策を練ってきている。


 遂にまみえたカラミタは、前回のエヴェリーナ以上の難敵だ。

 護衛魔獣の召喚こそスケルトンウォリアー程度だが、保有する青の力は当時のエヴェリーナ以上で今も増加しており、戦闘能力に至っては確実に上を行っている。


 特に厄介なのは戦闘能力だ。エヴェリーナをバランス型とするならば、眼前のカラミタは戦闘特化といってもいい。ひょっとしたら、このカラミタの一団はパーティーとして役割分担をしていたのかもしれない。この竜人族カラミタが首魁として白兵戦能力に特化、従っていた三体のカラミタが魔獣召喚能力に特化していて、アンデッドの大軍勢は彼らが召喚していたのかも――



「ヤーヒム、置き土産よ! 風を統べる黄衣の王よ、我が敵を切り刻め! エアブレードHastur!」



 ヤーヒムの指示を受けて機敏に場を去りつつあるリーディアが、振り返って短杖を振りかざした。

 次の瞬間、大気を切り裂く巨大な刃が一直線にヤーヒムに向かって飛来してきた。軌道上にあるスケルトンウォリアーを片端から撫で斬りにし、死の突風となってヤーヒムの背後に迫ってくる。


 その刹那。

 ヤーヒムはひらりと舞い上がり、紙一重の宙返りをしてその剣呑な魔法の刃を躱した。


 その刃の先にいるのは、ヴァンパイアネイルを振りかざした竜人族のカラミタ。

 これも様々な想定の下に練習を重ねてきた連携のひとつだ。エヴェリーナ戦で分かっていたように、カラミタはやはりヴァンパイアの亜種、魔法に弱い。本来ならば必殺の奥の手として用意していたものであり、絶妙なタイミングでの攻撃だったのだが――


 竜人族のカラミタは驚愕の叫びこそ漏らしたものの、恐るべき敏捷さで飛びずさって魔法を回避した。


 ……やはり、な!


 特に驚くでもなく、それを受け入れるヤーヒム。

 そうされるのが分かっていたから、リーディア達には「最後の型」と指示を出したのだ。だが、実にありがたいリーディアの置き土産だった。


 ヤーヒムは追撃もせずにカラミタから距離を取り、一瞬の集中を経て左腕のバックラーに【虚無の盾】を展開する。


 ひょっとして魔法と同時にヤーヒムも攻撃をしていたら、多少のダメージは与えられていたかもしれない。

 が、それは賭けだ。それよりもここは守りに徹し、リーディア達の戻りを待つのが最上。相手のヴァンパイアネイルに有効な小盾があるだけで、戦いやすさが全然変わってくるのだ。


「貴様の相手は我だ!」


 天敵である魔法を使ったリーディアに意識を移したカラミタに、ヤーヒムは怒涛の連撃を仕掛ける。

 右手のヴァンパイアネイルをかいくぐり、左手のそれを【虚無の盾】で弾く。無双の蒼爪が思わぬ物で逸らされた一瞬の隙を突き、今度はヤーヒムのヴァンパイアネイルがカラミタの無防備な脇腹を襲う。


 だが、この竜人族のカラミタはそれにも反応してくる。

 強靭な足腰が捻られ、ヤーヒムの攻撃を躱しつつの重い回し蹴りがヤーヒムを襲う。その後ろから鱗に覆われた尻尾も飛んでくる、二段構えの痛烈な攻撃だ。


『うがああああ!』


 翼の羽ばたきによる補助を最大限に利用して宙に逃げたヤーヒムを、耳をつんざくカラミタの咆哮が追ってくる。

 鋭利な歯が並ぶ大きな口の底で蠢いているのは漆黒の虚無――そう、虚無のブレスだ。これまでカラミタでは少女ヴァンパイアだったミロスラヴァしか使ってこなかった攻撃手段だが、竜人族のこのカラミタならばもしかして、と十分予想していた攻撃だ。


 対処方法は至ってシンプル。

 慌てずに【虚無の盾】を構え――


「させぬッ!」


 ――カラミタの予想外の動きに動揺したヤーヒムはなりふり構わず突進し、中空でカラミタの頭を蹴り飛ばした。


 ヤーヒムに虚無のブレスを吐くと見せかけ、直前に首を捻って安全圏に離れつつあるリーディアに向かってそのブレスを吐こうとしていたのだ。

 ヤーヒムの蹴りによって捻じ曲げられたブレスがあらぬ方向に迸り、周囲のスケルトンウォリアーを扇形に薙ぎ倒していく。数十の上級骸骨兵が持つ禍々しい直剣が片端から虚無の奔流に呑み込まれ、骨の体ごと拭い消されるように消失する。


 そして再開されるヤーヒムとカラミタの激しい攻防。


 スケルトンウォリアーが瞬く間に周囲に群がり包囲してくるが、舞い狂うヴァンパイアネイルの蒼光に接近し過ぎれた者は無差別に分断され、振り回される竜人族の強靭な尻尾に巻き込まれれば、それもまた骸骨兵をまとめて粉砕していく。


 ヤーヒムは極限までの集中力を発揮して戦い続ける。

 今、彼に課せられたこと――それは、ここでカラミタを抑え、足止めすることなのだ。



 そして。


 どのくらい戦ったのだろうか。


 無心で戦い続けるヤーヒムがふと気が付けば、周囲の邪魔者は一切いなくなっていた。

 あれだけいたスケルトンウォリアーは全て地に崩れ、代わりにザヴジェルの軍勢が彼らを遠く取り巻いている。僅かに神経を振り向けて耳を澄ませば、かつて聞いたことのある魔法の詠唱が複数の声で紡がれている。


 と、その一瞬の隙に、竜人族のカラミタがヤーヒムから大きく距離を取った。


『その瞳の色……そうか、ふははは! もしやこれがジガ様の妹君が作っていたという<新たな血脈>か! その翼といい、なんという奇ッ怪な混じりものよ!』


 鱗に覆われた顔で腹の底から笑い始めるカラミタ。


『そうか、そうか。ヴルタの瞳と、先程の魔法使いは合いの子の瞳だったな。ふはは、総出でかかってくるとは! ラドミーラ様はどこだ? 我が目を醒ましてジガ様の元へ連れ帰ってやろ――』





「今だヤーヒムッ、飛べ!」





 遠くアマーリエの叫びがヤーヒムの耳に届いた。

 リーディアを筆頭とした魔法兵の合成魔法の詠唱が完成したのだ。



「……怒れる新世界の支配者よ、我らが敵を白き永遠となせ――シャイニングRShaikorthッ!」



 うねるように続いていた長い詠唱が終わると同時に、ヤーヒムはカラミタを置き去りにして天高く飛翔した。

 全てを不自然な静寂が支配し、そして――


 数メートルもの太さの荒々しい光の柱が天から地へと迸った。

 それは以前、豪雨のトカーチュ渓谷で魔獣の群体を一撃で氷漬けにした合成特級魔法の簡易版だ。



 視界が白に染まり、鼓膜を破らんばかりの轟音が天に木霊する。



 そして無限にも思える一瞬の後、光は消えた。

 遠巻きに見守るザヴジェル軍の中央、空高く舞い上がったヤーヒムの足元に広がるのは――局地的な極寒の氷原。その中心に、驚愕にその爬虫類の目を見開いたカラミタの氷像が立ちつくしている。



 ……やった、か。



 これがヤーヒム達の練ってきた、明らかに強力なカラミタがいた場合の、その最終対策。

 強化したヤーヒムにも手強ければ、リーディアの魔法との連携で相手をする。それも厳しければ、リーディアが遠征軍に所属する魔法兵と協力し、強力な合成魔法をお見舞いする。


 トカーチュ渓谷のエヴェリーナ戦で分かったように、カラミタはやはり魔法には弱い。

 リーディアとヤーヒムの連携だけで抑えられると想定していたが、相手はその上を行っていた。だからこそのリーディア達の一時撤退と、ヤーヒムの時間稼ぎ。ヤーヒムはもはや独りではないのだ。個としての力も群を抜いているが、頼れる仲間達と連携し、その数倍の力を発揮する。それが新しきヴァンパイア、”天人族”ヤーヒムの真骨頂なのだ。


 カラミタは最後に不穏なことを口にしていたが、今はそれはどうでもいい。

 気になることは確かだ。この竜人族カラミタもジガの手先のようであること、そして仄めかされた真祖ジガと真祖ラドミーラの関係。何より、紫水晶の瞳を持つリーディアに対する妙な表現―― 




「どおりゃああああ!」




 遠巻きに布陣する遠征軍の一角から、猛火をまとった何かが矢のように投擲された。

 今だ全てが無音に包まれる中、総大将アレクセイがその愛槍を裂帛の気合いと共に投げ放ったのだ。


 炎をたなびかせ、鋭い弧を描いて凍てついた氷原を横切る炎槍セルベナ。


 そしてそれは、過たずにカラミタの氷像に突き刺さり。

 パリイイン、という澄んだ音と共に、竜人族の形をした氷の像を粉微塵に砕き去った。青く輝くコアが凍った地面にころりと転がっていく。



「――カラミタ、我らザヴジェルが討ち取ったあああ!」

「オオオオオオオオオオオオ!」



 アレクセイの雄叫びが響き渡り、遠征軍四千の歓声が凍てついた氷原にこだました。

 そしてその勝利の大歓声は、全ての召喚主を失った生き残りのアンデッド達を更なる混乱に陥れる。ステクリー大平原までをも埋め尽くす無数のアンデッドの統制は一気に瓦解し、素に戻って至る所で醜い同士討ちが始まったのだ。


「よおし、これで残りのアンデッドは数が多いだけの烏合の衆だ! これより掃討戦に入る! まずは丘陵内の雑魚を一気に大平原まで追い落とし、そして王都を解放するのだ!」


 アンデッド勢の首魁カラミタを撃破し、士気天を穿つ<ザヴジェルの刺剣>と精鋭ザヴジェル遠征軍。

 彼らによる、スタニーク王国史にその名を残す怒涛の大逆襲が始まった。






―次話『黒き魔王(前)』―

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