70 単独偵察

「ではくれぐれも気をつけてな」

「戦っちゃダメよ、必ず戻ってくるんだからね」

「父さん……」


 夜明け前、王都白壁の上。

 ヤーヒムを始めとした<ザヴジェルの刺剣>一行は、未だ散発的に押し寄せるアンデッドとの戦闘が続くその城壁の片隅に、人目をはばかるように集まっていた。


 昨夜の偵察決定から、夜を徹して整えた準備がようやく終わったのだ。


 ここまで急いだ理由は二つ。

 まずひとつ目は、ジガの本拠地を偵察するなら、今回の侵攻を失敗に終わらせてすぐの今のタイミングが良いと推察されること。竜人族カラミタ達が生存を止めたことが伝わっていなければ油断もしているだろうし、何かしらの手段で伝わっていても、さすがにすぐにハナート山脈を飛び越えてくる者がいるとまでは予想されていないだろう。


 そして、夜を徹して準備を整えたもうひとつの理由は、単純に王都を離れるヤーヒムが一番見咎められにくいタイミングだからだ。

 今のヤーヒムには天人族という欺瞞があるものの、それでも王都に所属する追手がいる身だ。前線の兵士に見られるならともかく、どこにいるか分からないトゥマ・ルカ――王家直属の隠密部隊、通称<闇の手>――の関係者に姿を見られることは避けたい。


「……いろいろとすまない。助かった」


 ヤーヒムが自分の体を見下ろし、見送りに来てくれた皆に礼を言った。

 アマーリエ、マクシム、リーディア、フーゴ、ダーシャ――それぞれの協力により、各種装備品の状態は万全なものとなっている。


 一般的な常識では、ハナート山脈を越えるだけでも偉業なのだ。

 いくらヤーヒムに翼があって空を飛べるとはいえ、今回の目的はその先。未知なる敵性領域に侵入し、そこでいにしえの真祖ジガの情報を得てくることにある。出来るだけ戦いを避ける方針でいるとはいえ、危険な行程であることは間違いない。


 この場に残る周囲の面々は、もちろんこの後のアンデッド掃討戦で重要な戦力として期待されている。

 だが、それより遥かに危険が大きい戦いに赴くヤーヒムのため、全員が何も言わずにその装備品を始めとした携行品等の用意を整えてくれたのだ。


 ザヴジェル領一の鍛冶師にしつらえてもらった鎖帷子、左右の鋼鉄製ガントレットと【虚無の盾】への展開が可能なバックラー。使う予定はないが、何が起きてもいいようにと佩いていく銘剣<オストレイ>。これらはダーシャとフーゴが念入りに点検し、磨き上げてくれた。


 テュランノスドラゴンの皮が使われたチュニックと無紋のサーコートには、リーディアが念入りに耐久と防汚の付与エンチャントをかけ直してくれてある。多少の攻撃なら充分に受け止め、その威力を吸収してくれるらしい。魔法の大家シェダ本家の姫君、その全力を注いだ素晴らしい効果である。


 そしてマジックポーチ替わりに使用している背嚢サイズの亜空間には、アマーリエがこれでもかとマクシムに用意させた、あらゆる種類の毒消しや霊薬ポーションを始めとした救急物資が詰められている。


 ヤーヒムは必要ないと断ったのだが、使わなければ返してくれれば良いと押し付けられたのだ。

 ならばと代わりに未だ極秘物資として秘匿されているブラディポーションの、その原液――つまりヤーヒムの血――を瓶詰して押し付け返し、その流れでダーシャに幾らか吸血をさせたりと、夜明け前のこの時まで慌ただしくも万端に用意を整えてきた。



「……では、行ってくる」



 最後に装備をひととおり目視で点検をし、ヤーヒムはそのアイスブルーの瞳で一人ひとりの顔を順番に見詰めていく。

 今回は偵察だけだ。必ず帰ってくる――そんな想いを乗せて全員の顔を見渡し、無事を祈る彼らの想いを受け取る。何故だか無性に胸が震え、そして。


「…………我が命を、誓いに代えて」


 ヤーヒムは唐突にその場で片膝をつき、右の拳を左胸に当てて、<ザヴジェルの刺剣>全員に向けて典雅な騎士礼を施した。


「な――っ!」

「おい、ヤーヒム?」

「と、父さん!?」


 それは主君から重大な任務を与えられたアンブロシュの近衛騎士が、命に替えてもその遂行を誓う厳粛な騎士礼だ。ザヴジェル筆頭騎士のマクシムが即座に美しい答礼を施す中、アマーリエがゆっくりと首を振った。


「――それは受け取れぬ。命に代える必要はない。生きて戻ってきてくれ」

「もう、何やってるのよヤーヒム。ちゃんと戻ってくるのよ?」

「ったく、大袈裟なヤツだなあ。今のお前さんが本気で逃げたら、追いつける相手なんてそうそういないっての。だろ?」


 そう、確かに本気で飛翔するヤーヒムに追いすがれる相手はそうはいない。

 なにしろヤーヒムの漆黒の翼は、太古の創造神の欠片で出来ているのだ。疲れを知らず、どこまでのポテンシャルを秘めているかはヤーヒム本人ですら未だ分かっていない。加えて、ヴァンパイアの切り札たる転移もある。


 ただし転移については、これまで相手をしたカラミタに使われたことはない――ひょっとしたら、カラミタになったことで何か制限がかかっている可能性もある――が、真祖ジガは確実に使えると思っておいた方がいい。そうなると、お互いの転移を意識した駆け引きの勝負となる。安易に使うことはできず、やはり奥の手として温存することにはなるのだが。


「…………」


 ただ、この白壁の上に出てきてハナート山脈を遠目に捉えた時から、ヤーヒムの胸の底に嫌な予感が燻りつつある。

 ヴァンパイアの第六感はほぼ外れることはない。あのラドミーラと同格のいにしえの真祖ジガが、あの山脈の向こうで待ち構えている。しかもそこはジガの本拠地だ。


 行けば只では戻れない――


 そんな不吉な予感が胸の奥でとぐろを巻き、それで思わずヤーヒムはあんな騎士礼を繰り出してしまったのだ。このところ沈黙していることが多い左手の甲に同化したラドミーラの紅玉から仄かに伝わってくる、動揺のような何かもそれに拍車をかけている。


 ……杞憂であれば良いのだが。




「ちょっとヤーヒム?」




 意識を戻せば、リーディアの透きとおった紫水晶の瞳が不安に揺れている。

 ダーシャも泣きそうな顔で、片膝をついたままのヤーヒムを一心に見詰めている。


 これは、駄目だ――ヤーヒムは思わず立ち上がり、そのリーディアとダーシャの肩にそれぞれ優しく手を置いた。


「……すまない、気のせいだ。帰還最優先での情報収集、それを忘れずに必ず戻ってくるとも」


 そう、いにしえの真祖がなんだというのか。

 己の種族ヴラヌスに叛旗を翻す、それは既に決めた道ではないか。こんなところで弱気になっている場合ではないのだ。


「頼むぞ、ヤーヒム」


 幾つもの想いが込められたアマーリエの言葉にヤーヒムは力強く頷き、背中に神の翼を召喚した。


 ばさり、ばさり。

 威風堂々たる漆黒の翼が大きく羽ばたき、ヤーヒムの身体がふわりと浮きあがる。


「……必ず、戻る」


 ヤーヒムはそう言い残し、未明の空へと飛び立った。




  ◆  ◆  ◆




 夥しいアンデッドの軍勢に蹂躙され、一面の焦土となっているステクリー大平原。長い夜が終わり、新しい一日を予感させる早朝の青に染まったその荒れ果てた穀倉地帯の上を、ヤーヒムは一人黙々と飛ぶ。


 ところどころに散在する農村は無惨に破壊され、白壁に向かわなかったアンデッドが未だ疎らに徘徊している。人間の軍隊がそれらを全て駆逐するのは、まだまだ幾日も先のことだろう。


 生存者は見当たらない。

 倒壊した家屋の奥底などに隠れているのかもしれないが、今のヤーヒムにそれを探し救助する時間もない。


「…………」


 ヤーヒムは無意識に唇を噛み、彼方にそびえるハナート山脈を見据えて大きく高度を上げた。


 ハナート山脈。

 それは言わずと知れた魔獣の領域だ。人系種族で過去に越えらた者はほんのひと握り。獰猛なワイバーンやその上位種である属性竜の巣窟であり、ありとあらゆる魔獣が壮絶な生存競争を繰り広げている場所である。


 と、人外の視力を誇るヤーヒムのアイスブルーの瞳が、遠く山肌に舞う大型の何かを捉えた。

 二十メートルは超えているであろう濃色の巨体、脚には獲物らしきものをぶら下げて傲然と飛ぶそれは、間違いなく上位の属性竜だろう。


 そんなものにかかずらっている暇はない。

 ヤーヒムはさらに高度を上げ、そびえ立つ山脈の稜線に向けて一直線にその神授の翼を羽ばたかせた。




 ――どのくらい飛び続けただろう。


 地表を離れ、ただひたすらに最短距離で稜線を目指すヤーヒムの目の前に、ようやくその全景が詳らかになってきた。


 陽は既に中天に達している。樹木限界はとうに飛び越え、荒涼とした岩石の急斜面が大空を切り取るように延々と連なっている。その山肌には氷雪こそないものの草もまた一本もなく、身を切るような寒さがヤーヒムの吐息を白く染め上げている。


 幸いなことに、見渡す限り魔獣の姿はない。

 これまで何匹か一直線に飛翔するヤーヒムに追いすがってくるものはいたが、さすがにここまでついてくるものはいなかった。


 ヤーヒムは荒々しく迫るハナート山脈の稜線を仔細に観察し、やや右手にある尖峰と尖峰の間の切れ目で山脈をひと息に越えることを決めた。

 疲れを知らぬはずの彼の翼も、さすがに限界が近かったからだ。


 高地の希薄な大気の中で飛翔の進路を微調整し、無秩序に吹き荒ぶ強風に煽られつつも、慎重に稜線の切れ目に接近していくヤーヒム。

 涸れ谷のように両側に積み重なる巨岩群の中央に進入し、ゆっくりと――



「――ッ!」



 ヤーヒムは咄嗟に急降下して身をよじった。

 左にそびえる尖峰の上部から無数の岩石が弾丸のように降り注いできたのだ。原因を見定める余裕もなく、【ゾーン】で認識したそれら落石の狭い隙間を紙一重で縫っていくヤーヒム。


「なっ――!」


 ひと際大きい平岩の下からどうにか抜け出したヤーヒムの口から驚愕の叫びが漏れた。


 五本の岩柱が突き出たそれはなんと、岩石で出来た巨大な手の平だったのだ。

 途轍もない質量と勢いを持ったそれからがむしゃらに距離を稼いで振り返ったヤーヒムの目に映ったのは、岩壁とばかり思っていた尖峰からその身を起こしつつある、見上げるほどに巨大な岩巨人ロックギガントだった。


 躱したはずの手の平が唸りを上げ、追い打ちとばかりに目と鼻の先まで迫ってきている。

 【霧化】をしてやり過ごすという刹那の判断に一瞬従いそうになったものの、あいにく背中に翼を召喚した状態では【霧化】は上手く使えない。それはつい最近判明した翼の特性であり、最古の創造神ケイオスの残滓で出来ているせいか、翼が背中にあるとその存在が強すぎて隣接する界に実体を滑らせることが出来ないのだ。


 ……ならば!


 ヤーヒムは咄嗟に左腕の【虚無の盾】を展開し、ひらりと急旋回をして躱しつつもその岩で出来た手を盾の虚無で削り取った。

 ジュボボン、と暗渠に水が飲み込まれる時のような不快な音を立て、岩巨人の手からひと抱えほどの岩石を筋状に抉り喰らっていく【虚無の盾】。


 だが、それはロックギガントの巨体にとって文字どおり引っ掻いたほどのダメージでしかない。

 そして涸れ谷の中で曲芸のように飛翔するヤーヒムの瞳に、更なる脅威が飛び込んでくる。


 ……一体だけではないだと!


 左右に反り立つ尖峰から、新たに四体もの岩巨人が追加でその身を起こしてきている。

 背後の涸れ谷の入口側にはその手を躱したばかりの一体に加えてもう一体、反対の涸れ谷の出口側には新たに三体の岩巨人。ゴツゴツと不恰好ながらもそれぞれ三十メートルを超える巨体を、同色の岩肌から重々しく持ち上げ始めているのだ。


 ……ここは奴らの巣だったか!


 ヤーヒムのアイスブルーの瞳が、未だその身を起こしきっていない出口側の三体の間隙を鋭く確認する。

 邪魔者の向こう側へと転移で突破するのは簡単だ。だがそれはあくまで最終手段。この先にジガの本拠地を偵察するという大仕事が控えている以上、転移は絶対に温存しておかねばならない。


 ならば。


 ヤーヒムは翼を大きく羽ばたかせ、出口側の三体の間隙に向けて矢のように加速し始めた。


 だらりと後方に下げられた両手からは暗黒の靄が後方へとたなびいている。両の掌に渦巻き始めているその黒い霞は、左腕のバックラーに展開したものとは規模も純度も違う、広闊たる無の亜空間との接界点だ。


 それは先日より試行錯誤を繰り返している【虚無】本来の使い方。

 剣やヴァンパイアネイルではとても相手が出来ないような巨獣向けの、巨大だけれど鈍重な敵を相手どるには最適といえるヤーヒムの新たな攻撃手段だ。


 それぞれの掌でみるみる一点に集束していく暗黒の渦が握りこぶし大を越え、左右それぞれひと抱えもある貪欲悪食の凶球へと膨れ上がっている。

 岩巨人の見上げるような巨体相手に出し惜しみは無用だ。今のヤーヒムにとって作成可能な最大規模の【虚無】を、針の穴を通すような集中力で練り上げ続けていく。


 今のヤーヒムはあの竜人族カラミタのコアを始めとしたいくつものコアから青の力を啜り、その身に宿す空間属性の力は飛躍的に増大している。こうした限界付近の【虚無】の扱いも、以前とは比べ物にならないほどに楽になっているのだ。


 高速で飛翔しながら、両の掌に創り上げたその【虚無】にちらりと視線を落とすヤーヒム。

 これだけあれば、あれらロックギガントの巨体に風穴を開けることも可能だろう。一撃必殺とまではいかないが、動きを鈍らす程度は十分可能だ。相変わらずの強風を流星のように真っ向から切り裂きつつ、ヤーヒムは飛翔の軌道を僅かに調整し――



 ヴボオオオオオオオオオオ!



 地鳴りのような重い雄叫びが涸れ谷を揺るがした。

 一番手前にいた岩巨人の片脚を、ヤーヒムが右手の【虚無】に深々と抉り喰わせたのだ。


 唐突に脚に風穴を開けられ、その途方もない重量を支えきれずに地響きを立てて倒れゆく巨大な岩石人形。


 ヤーヒムはそれを振り返りもせず、次に迫った岩巨人の膝元を掠めるように急旋回する。両翼を大きく傾け、交差の瞬間に左手の【虚無】に岩盤のような脚を喰らわせて――


 再び天上の涸れ谷を揺るがす重い雄叫び。


 これで二体目もその動きを封じた。

 最後の一体は足元を高速で飛び抜けたヤーヒムに反応も出来ず、バランスを失った二体目に巻き込まれて巨体同士で揉み合っている。


 ――よし。


 初めて巨大な魔獣相手に【虚無】を実戦投入したヤーヒムだったが、悪くない使い心地にその怜悧な顔に会心の笑みが浮かぶ。


 準備に若干の時間がかかること、巨体の懐に潜り込んで直接【虚無】に触れさせなければならないこと――そんな欠点はあるが、背中の翼と併用して空中戦を挑めば今後かなりの強敵とも渡り合えるだろう。


 ハナート山脈頂上で思わぬ魔獣と遭遇したヤーヒム。けれどその危地は既に背後に置き去りになっており、ここで戻って最後まで戦う必要は全くない。


 ……さあ、いよいよ乗り込むぞ。


 ヤーヒムは速度を落とすことなく、そのまま稜線を越えて山脈の裏側へと進入していった。




  ◆  ◆  ◆




「進め! セヴェルの丘までの道を確保しろ!」


 ヤーヒムがハナート山脈を越え、ほとんど情報のない未知の領域へと滑空していったちょうどその頃。

 アマーリエ達<ザヴジェルの刺剣>を含めたザヴジェル遠征軍は王都白壁から打って出、ステクリー大平原を北北東へと進撃していた。


 それは限界まで戦い続けた兵達に交替で休憩を取らせて朝を待ち、満を持しての反攻の幕開けだ。

 楔型の陣形の外側に魔法騎兵による分厚い炎壁ファイアーウォールを立てたザヴジェル軍は、まず白壁周辺を周回して王都に未だ群がり寄せるアンデッドを蹴散らし。


 次いで壊滅状態にあるステクリー大平原、その外部への連絡補給線を確立すべく、主要外環都市までの導線上にいるアンデッドを駆逐する任務に移行している。


「リーナ、魔力は平気か? 交替が必要なら早めに言うのだぞ!」

「まだまだ大丈夫よ! 今のうちに他の魔法騎兵たちの魔力を回復させてあげて!」


 今、ザヴジェル軍前方の分厚いファイアーウォールを一人で維持しているのはリーディアだ。

 特務部隊<ザヴジェルの刺剣>として特段の仕事が入っていない彼女は、こうして一般の魔法騎兵に混じって外縁の炎壁維持に協力している。魔法界の重鎮シェダ家の姫君たるリーディアの炎壁はやはり桁が違い、立ち塞がる無数のアンデッドを片端から呑み込んでは炎上させて屠り去っていく。


「なあ姫さん、ちょっとはこっちにも仕事を回してくれよ!」


 楔型陣形の先頭集団の中から、アマーリエと並走するフーゴが軽口を叩く。

 それもそのはず、リーディアが前方の炎壁を請け負ってからほとんどアンデッドが抜けてこないのだ。流れてくるものといえばカラカラに燃え尽くした残滓ばかり。愛用のハルバードを使うまでもない、馬蹄で蹴散らして終わりという有り様だった。


「よし、目的地――セヴェルの丘が見えてきたぞ! このまま突き進め!」

「応ッ!」


 朝一番の軍議で彼らザヴジェル軍に要請されたのは、出撃して白壁周辺の敵密度を下げることと、ステクリー大平原の北の玄関口セヴェルの丘との導線を確保することだった。


 昨夜使い魔によって王都にもたらされた最新報によると、ザヴジェル遠征軍から遅れること二日、ザヴジェル軍が素通りしてきた迷宮都市ブシェクのユニオン所属者を中心とした王国直属の遊撃旅団三千が、ようやくそこまで辿り着いて足踏み状態になっているという。


 スタニーク王国北部各都市のユニオンが所属の荒くれ者を強制召集してまとめ上げ、どうにかこうにかセヴェルの丘まで進軍してきた三千の軍勢。それはラビリンスに潜るなどで日常的に魔獣と戦っているハンターや傭兵、迷宮採掘者ディガーからなる極めて実戦的な非正規部隊である。


 実戦慣れした魔法使いを引き抜いて白壁上からの遠距離攻撃戦力として使ってもよし、そしてもう少し敵密度を下げた後ならば、大平原に散らばるアンデッドをパーティー単位で自由に狩らせてもよし――報奨金を出すだけで勝手に狩ってきてくれる、便利で小回りの利く者達なのだ――、白壁防衛を一手に引き受ける宮廷魔法師団にとって、彼らは喉から手が出るほどに手元に欲しい戦力だった。


 そんな理由により。

 現在の王都防衛戦力の中で、唯一まともな野戦部隊であるザヴジェル遠征軍に白羽の矢が立ったのは自然な流れだった。


 集団行動に慣れないユニオン連合のために白壁までの道を切り開いて合流し、戦力を損なうことなく連れ帰ってきてほしい――宮廷魔法師団を率いるユリウス=シェダから、そんな要請がザヴジェル遠征軍に行われたのだった。


炎壁ファイアーウォール解除! ユニオンの友軍と合流する!」


 そんなユニオン召集軍ももはや目の前。

 ほとんど損耗なくセヴェルの丘まで突破してきたザヴジェル軍は、総大将アレクセイの号令の下、その象徴ともいえる魔法の炎を一斉に解除していく。


 セヴェルの丘の上から、どよめく三千のハンターやディガー達の声が伝わってくる。

 歴戦の彼らではあるが、ここまで大規模な軍事行動には縁がなかったからだ。あまりの迫力にやや気圧されたような彼らの中から、数名の男達が慌てて走り出してきた。各都市のユニオン幹部を中心とした、この三千の招集部隊の指揮官たちだ。


「ザヴジェル伯軍とお見受けする! 私はユニオンブシェク支部のナダル! 貴軍指揮官と合議したし!」

「全軍停止、そして反転! 陣形を整えたらその場で待機だ!」


 アレクセイの号令に一糸乱れぬ行動を見せるザヴジェル遠征軍。

 もうもうと上がる土煙、その中で。


 アマーリエだけが愕然とその場に駒を留めていた。

 その琥珀色の瞳が見詰める先は、ユニオン召集部隊から代表として出てきたうちの副官風の一人。


「……な、何故あの男が同行している?」

「ど、どうしたアマーリエの姫さん。何があった?」


 人の流れに逆らって駆け戻ってきたケンタウロスのフーゴに、気を取り直したアマーリエが低い声で囁いた。




「――あの代表団の後ろから二番目にいる男。間違いない、あれはフベルト=ベルカ。近衛騎士団から唐突に姿を消し、<闇の手>に所属しているという噂のある男だ」




 それは以前、アマーリエが父のラディム伯に連れられて王に謁見した際、近衛騎士として王に侍っていた男。

 紫電をまとう魔剣使いとして知る者ぞ知る存在で、その底冷えのする眼差しは彼女の印象に強く残っている。そしてそのすぐ後に謎の失踪をし、流れてきた幻の第四騎士団――<闇の手>、通称トゥマ・ルカの幹部として暗躍しているという噂に、「さもありなん」と納得した記憶が思い出される。


 ……そのフベルト=ベルカが、ユニオンの幹部と肩を並べて王都に向かおうとしている、だと?


「フーゴ、このユニオン召集部隊と一緒にいる間は表に出るな。リーナにも至急そう伝えてくれ。どうなっているのか確証はないが、きな臭い匂いがする」


 アマーリエの背筋にずしりと冷たいものが走り、ヤーヒムがこの場にいないことに独りこっそりと感謝の祈りを捧げた。






―次話『幻の王国』―

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