67 黒き魔王(後)
「待機部隊、合流完了しました!」
「よしッ! これより白壁目指して突撃を開始する! とっとと片付けてザヴジェルに戻るぞ!」
ステクリー大平原の北端、ハルーザ丘陵との境。
夥しい数のアンデッドを蹴散らし進軍してきたザヴジェル遠征軍は、ここで一旦態勢を整えていた。連戦の兵馬にひと息つかせつつ、カラミタを急襲するのに分離させていた兵力と合流して陣容を立て直すためだ。
だがそれももはや完了。
待機部隊がこの場に到着したのは、本隊が丘陵を出てくるのとほぼ同時だった。製造元のシェダ家が後ろにいるザヴジェル軍は通信魔石を潤沢に持っているし、加えて、そこらの使い魔より早く飛べるヤーヒムが連絡誘導役を買ってでたからだ。
さらに言えば、いくら数が多いとはいえ統率も勢いもないグールやスケルトンなど、魔法兵豊富な精鋭ザヴジェル軍の敵ではない。
ザヴジェルならではの魔法騎兵の支援の下、圧倒的な破壊力をもって抵抗らしい抵抗を受けずに進軍してきている。軍隊の行動なので当然若干数の負傷者は出たものの、惜しみなく支給された高品質の
「報告! 白壁より合成上級魔法が放たれました! 我らの進路を確保してくれた模様です!」
「ふはははっ、早く来いとの催促だ! ならもうひと暴れしてやろうじゃねえか、炎壁展開! 行くぞ野郎ども!」
「オオオオッ!!」
総大将アレクセイの号令一下、全ザヴジェル遠征軍が雪崩のように動き出した。
負傷者に対し信じられぬほど高品質のポーションが惜しみなく支給されていることもあり、末端の一兵卒までもが負傷を恐れぬ猛兵と化している。
陣形は変わらず楔型、ただし外側に魔法騎兵による分厚い
それは人種を問わず魔法兵を多く擁するザヴジェル<戦槌>騎士団の奥の手。
大規模魔獣侵攻に対抗する中で編み出された、まさに戦場を貫く巨大な炎の槍だ。
ステクリー大平原を覆うアンデッドの海を、八千の軍勢が圧倒的な破壊力をもって一直線に喰い破っていく。
「ヤーヒム、こっちだ!」
けれどもこの大平原に広がるグールやスケルトンは、半日前に比べればその密度はかなり低い。大半が王都の人の気配を嗅ぎつけ、彼方の白壁に群がっているのだ。上空に舞い上がったヤーヒムのアイスブルーの瞳が、自分に呼びかけてきた者達、炎壁を立てた遠征軍に先行して凄まじい速度でアンデッドを蹴散らし進む者達へと向けられた。
彼らは<ザヴジェルの刺剣>、言わずと知れたザヴジェルの最精鋭特務部隊だ。
なみいるアンデッドを緑白に輝く魔剣で次々と斬り飛ばしていくアマーリエを先頭に、高名な傭兵ケンタウロスのフーゴが、マクシム達三名の歴戦の上級騎士が、そしてスレイプニルに同乗したダーシャとリーディアが、解き放たれた強弩のように戦場を疾駆していく。
彼らの主目的はその機動力を活かし、白壁に群がる無数のアンデッドをリーディアの大魔法で先行して叩いてしまうこと。
上空からヤーヒムが見る限り、さしもの巨大な白壁ももはや陥落間際という切迫した状況だ。少しでもそれを遅らせるため、アマーリエの発案で身軽な<ザヴジェルの刺剣>が遠征軍八千とは別に先行突入することとなったのだ。
幸いなことに、グールもスケルトンも最下位種に近い底辺の魔獣である。
勢いに乗って一気に白壁付近まで侵入して、魔力を温存してきたリーディアが至近距離から範囲魔法を叩き込む。立ち止まりさえしなければ囲まれることもなく、守るべき魔法使いのリーディアはダーシャと共に機動力を誇る八本足のスレイプニルに騎乗している。さらに上空からヤーヒムが、俯瞰視点で一行の危険の芽を早期に――
「おお、助かる!」
上空から音もなく滑空してきたヤーヒムが、戦場を疾駆する<ザヴジェルの刺剣>を追い越して前方に突っ込んでいった。
明らかにそこだけ敵影が濃かったのだ。どうやら見るも無残な農村の跡地らしい。小屋の残骸に群がるグールの直前でヤーヒムは漆黒の翼を固く畳み、上空からの勢いのままに数体まとめて斬り飛ばしていく。
この戦場でヤーヒムが揮うのは、ツィガーネク子爵から譲り受けた銘剣<オストレイ>だ。
白壁からの目があるここではヴァンパイアネイルは使わない、念のためにそういう事になっているからだ。だが、ヤーヒムが持つ人外の膂力と銘剣<オストレイ>の鋭い切れ味は、進路上にいるグールを豪快に撫で斬りにしてもお釣りがくる威力を持っている。
見慣れぬ服を着た十を超えるグールの集団を<オストレイ>のふた振りで無力化し、地面を跳ねるようにそのまま前方へ突貫するヤーヒム。
驚異的な反射神経と空間認識で剣の届く範囲にいるアンデッドを片端から斬り捨てつつ、地面を強く蹴って再加速すること数歩。そこで翼を広げたヤーヒムは勢いのまま、半滑空状態となって更に前方のアンデッド群を薙ぎ倒していく。
「――!」
アンデッドの密集地帯を抜けたヤーヒムがふいに空に舞い上がり、大きく宙返りをした。
次なる鉾先は最後尾のリーディアとダーシャに群がりつつある集団。<ザヴジェルの刺剣>の先頭でアマーリエとフーゴがヤーヒムの討ち漏らしを蹴散らしているものの、僅かにその進路から外れた位置にいた集団が、一拍遅れで最後尾を行くリーディア達に押し寄せようとしているのだ。
これだけ敵の只中を突破しているのである。
ヤーヒムは半ばそれあることを予想し、磨きをかけた【ゾーン】の空間認識でずっと最後尾の二人を気にかけていた。
最後尾でリーディアと共に騎乗するダーシャは、ヤーヒムと同様にヴァンパイアネイルを封印している。
代わりに使っているのは専用の軽量エストック。当然ながら戦闘力は格段に落ちているはず――
「……ほう」
――大きな弧を描いて宙返りしたヤーヒムが、最後尾に迫るアンデッドに襲いかかろうとして感嘆の声を漏らした。
ダーシャが鮮やかな剣捌きで全て斬り倒していたのだ。
アマーリエやフーゴ、そして遠征軍の兵士達にも教わって、熱心に練習しているのは知っていた。
その成果もあって、ヴァンパイアネイルを見事に使いこなしているのも知っている。だが、その礎となった元の剣術がここまで進化しているとは思っていなかったのだ。
ヴァンパイアとしての身体能力、そしてナイトウルフ化してから花開いた天性の勘と動体視力。
それらに加えて、本人の素直な性質とひたむきな努力。剣術をものにするには充分な要素は揃っている。だが、しかし。
……子の成長は早い、とはこの事か。
そんな感慨がふとヤーヒムの頭をよぎり、不思議な誇らしさと寂しさのようなものが胸に湧き上がってくる。
「……大丈夫か?」
「あ、父さん! 全然平気! 父さんはお話のとおり前を手伝ってればいいから!」
「…………分かった」
ヤーヒムは小さく頷き、なぜかくすくすと笑いだしたリーディアと視線を交わしてから、定位置である上空へと再び舞い上がった。
白壁まではまだまだ距離があり、この先は徐々にアンデッドの密度が上がっていく。
最後尾の二人は、余程のことがない限り大丈夫なのかもしれない。ならばその分――
――前で敵を徹底的に減らす。
そう心を決めたヤーヒム。
単純な話、ヤーヒムが前の敵を全滅させれば全員がこの上なく安全なのだ。
さすがにそこまでは不可能としても。
……ダーシャに、リーディアに、我が仲間達に、指の一本たりとも触れれると思うな。
黒き翼を得た新世代のヴァンパイアは、進路上のアンデッド群をそのアイスブルーの瞳で厳しく見据えると、猛烈な勢いで突っ込んでいった。
◆ ◆ ◆
「ザヴジェル候の援軍、ヨナーク河沿いを急速に接近中! あと三十分で白壁正門に到達する見込み!」
「……あ、ああ。そうか」
懸命な防戦が続く白壁の上。
王都防衛の実質上の司令官、宮廷魔法師団を率いるユリウス=シェダは、待望の報せに心ここに非ずと言った返事を返した。
視線を上げれば、ヨナーク河沿いを名高き辺境伯軍が圧倒的破壊力で進軍してくるのが見える。
相手がグールやスケルトンといった最下種の魔獣とはいえ、夥しいこの数の中を
が、ユリウスを含めた白壁上の兵士達の視線は、すぐに戻って眼前の戦いに吸い寄せられてしまう。
その視線の先にあるものは、白壁にわらわらと取り付いて登ってくるアンデッドではない。一時に比べてその数はむしろ激減しているのだ。その激減している理由、それは――
「……なんという者達だ」
ついつい視線を戻してしまうのは、炎壁を盾に急迫してくる辺境伯軍に先駆け、白壁前に飛び込んできた先遣隊のところだ。
騎兵中心とはいえ数千の軍団が足並みを揃えて進むとなると、確かにその速度は鈍る。それを配慮し少しでも早い救援をということで、少数の精鋭が命がけの吶喊をしてきてくれたのだろう――と、そこまでは感謝と共に理解も追いつく。
だが、いざ彼らが接近してみると、その顔ぶれと暴れぶりがとんでもなかった。
まず先頭で緑白に輝く魔剣を縦横無尽に振るっているのは、辺境の姫将軍として名高い、辺境伯家長女のアマーリエ=ザヴジェルだ。
緑白の閃光と共にアンデッドを片端から撫で斬りにしていくその戦いぶりは、武神の如しと言われる評判に違わぬもの。後ろに従えたザヴジェルの筆頭上級騎士、歴戦のマクシム=ヘルツィークとの連携も見事なものだ。
その横で肩を並べて地竜の如き豪快な突撃を披露しているのは、これまた有名な一匹狼の傭兵ケンタウロス、<暴れ馬>のフーゴ。
幾度となくスタニーク王家からの指名依頼を受けている彼は、兵士達の間でも夙にその名と顔が知られている。ザヴジェル軍に同行していることに驚く者もいたが、長大なハルバードを小枝の如く振り回すその獰猛な戦いぶりには一点の陰りもない。
「――ユリウス卿、あの姫君はまさかシェダ本家の……?」
「……ああ、本家当主ローベルト殿の愛娘、リーディア姫で間違いない」
驚くべき顔ぶれは<辺境の姫将軍>や<暴れ馬>だけではない。
ユリウス配下の宮廷魔法使い達が呆然と見詰めるのは、アマーリエやフーゴの後ろに追随してきたひとりの凛とした魔法使いだ。
それは王国魔法使いの頂点であるシェダ本家、その秘蔵の姫君リーディア=シェダ。
純白のスレイプニルに護衛の少女――エストックを振るう腕前を見るに、明らかに只者ではない――と同乗し、接近するなり上級魔法を連発して白壁に群がるアンデッドを瞬く間に殲滅していったのだ。
さすがにシェダ本家の姫君が行使する魔法はどれも尋常ではなく、高位の宮廷魔法使い達は文字どおり開いた口が塞がっていない。
ここで戦い続けた宮廷魔法師団と違って魔力を温存していたこともあるだろう。が、ひとつひとつの魔法の精度と威力、そしてその無尽蔵にも思える魔力、全てが年若い乙女のものとはとても思えない代物だった。
お陰で白壁に取り付いて登ってくるアンデッドの数は激減し、そのゆとりが自然発生的な大歓声となって彼らザヴジェル先遣隊に注がれている。
そんな英雄の如き活躍を見せるザヴジェル先遣隊。
けれどその中で、最も守備兵達の耳目を奪い、歓声を集めているのは――
「王都の諸君、よくぞ持ち堪えた! 我はザヴジェル軍所属、天人族のヤーヒム=シュナイドル! 当地のカラミタは全て討伐し、残るはここのアンデッドのみ! 見てのとおり、じきにザヴジェル軍も駆けつけよう! いざ、共に戦わん!」
――先遣隊が近づくなり先行して白壁上に飛来し、福音の如きそんな知らせをもたらした、見たこともない黒き翼を持つ人物であった。
片翼二メートル超、差し渡し五メートルを超える、威風堂々たる翼をもつ人族。
人族に有翼のものはいない、そんな常識を軽く凌駕する強烈な存在感が彼にはあった。
本能的に恐怖を覚えてしまうほどの威圧感と、言葉に出来ぬほどの神々しさが混在するその佇まい。
両翼の中央の身体には上質な闇色のサーコートをまとい、見る者全てを畏怖させる絶対的強者の風格。
神官が漏らしていたという、古の魔人だの魔王だのという話も分からなくはない。確かにそれだけの存在だった。
が、そんな荒唐無稽な話はすぐに忘れ去られていく。
救世の英雄。
多くの兵士達の頭に浮かんだ言葉はそれだ。
絶望的な戦いの末の劇的な登場の仕方によって、帰依的な集団心理が働いたこともあるだろう。
兵士達の頭にその前代未聞の人族がもたらした知らせの意味が浸透し、高々と掲げられたラビリンスコア――それはラビリンスを討伐したという証、そして押し寄せるアンデッドの首魁であるカラミタは「歩くラビリンス」と呼ばれている。けれども先立って王国軍が討伐したカラミタからは得られなかったそれ――の意味が正しく理解された瞬間。
爆発的な大歓声が天に立ち昇った。
喜び、感謝、希望、歓迎。
様々な感情が雄叫びとなって、漆黒の翼を羽ばたかせるその男に押し寄せた。いくら亜人蔑視の風潮があるスタニーク王国軍とはいえ、そこにこの翼の生えた異人種を忌避する色は一切ない。むしろその逆だ。
事前にユリウスが援軍に天人族という存在がいる旨を告知していたこともあり、全ての兵士が眼前の存在を受け入れ、魔獣と戦う同じ人族の救世主として迎え入れている。むしろ翼を持つという見たこともない異人種だからこそ、この絶望からの救済をより奇跡的なものとして印象付けているというべきか。
実はヤーヒムのこの行動は、一言一句に至るまで王都での「天人族」の強烈なお披露目を目論むアマーリエの指図によるものなのだが、それは白壁上の兵士達の与り知らぬこと。
知らせが充分に伝わったと判断するや否やその身を翻し、先遣隊の元へ飛び戻って戦列に加わったヤーヒムのその後の戦いぶりを見て、兵士達の眼差しは更に戦神崇拝に近いものへと昇華する。常人にはけして真似できない、翼を持ちし者の見たこともない次元の戦い。
軽やかに空を舞い。
疾風のように地上のアンデッドの大群に突入し、目にも止まらぬ速さで地上を滑空し、鮮やかな剣捌きで寄るもの全てを撫で斬りにし。
嵐のように不死者の大軍を蹂躙していくその後ろには、浄化されたとすら思える死骸の山。
姫将軍に勝るとも劣らない戦神の如き――いや、一番初めに彼を発見した神官が呟いたという「古の魔人、黒き魔王」、そんな妄言を凌駕するほどの圧倒的な戦いぶりだった。しかもそれは敵対するものではない。絶望的な状況から自分達を救済してくれる、紛うことなき英雄がそこにいた。
「……ユリウス卿。彼がザヴジェルに与力し、かの地のカラミタを討ち果たしたという天人族なのですね」
「……ああ。姫将軍といい暴れ馬といい、ザヴジェルにはとんでもない猛者が揃っていくな。その全てが多少なりとも亜人の血を持っているあたり、これで我が国の上層部も目を醒ましてくれると良いのだが」
白壁の上で、先遣隊の獅子奮迅の働きを眺めるユリウスとその側近が茫然と呟く。
彼らのお陰で絶体絶命の危機は去り、兵士達に歓声を上げるだけの余裕すら生まれている。
が、それは未だ一時のことに過ぎない。
いくら先遣隊が個々にアンデッドを薙ぎ倒していても、白壁に押し寄せている総数からすれば微々たるものなのだ。
けれど――スタニーク王国宮廷魔法使い筆頭のユリウスは考える。
この規模の戦いに於いて、個人の武勇は小さなものかもしれない。
けれど、その個人の武勇はそれを見た数多の兵士に勇気と希望を与え、趨勢を引っくり返すきっかけになり得るものだ。
「よし、我々も戦うぞ! 第四魔法隊はあの勇気ある先遣隊の援護に徹しろ! ザヴジェルの本軍が来るまで彼らを絶対に討たせるな! 第六は全て正門側に移動、援軍を迎え入れられるよう正門前のアンデッドを駆逐するんだ! 残りは現在地で応戦、王国本拠地の底力を見せろ!」
「オオオオッ!」
ユリウスの言葉に、魅入られるように先遣隊の戦いを見守っていた兵士達が我に返ったように力強く反応した。
怒号のような返答が白壁上部を包み、間を置かずにその勢いのままの攻撃が押し寄せるアンデッドに撃ち下ろされる。
もはやそこには最前の悲壮感はない。
希望に燃え上がった力強い弓の一斉射撃が、限界のその先から力を得た魔法使い達の魔法攻撃が、なみいるアンデッドの大群を一体また一体と討ち減らしていく。
全てのグールやスケルトンが引いていくのは未だ先のことだろう。
だが、そこに至る道筋は全ての守備兵の胸にしっかりと宿っている。
燃え盛る
スタニーク王国史に残る大防衛戦。
戦いの趨勢は、諦めずに戦い抜いた兵士達の元へと傾いた。
―次話『王都の夜、戦士達の休息』―
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