68 王都の夜、戦士達の休息

 夜半。

 ザヴジェル遠征軍は王国兵士と民衆の熱狂的な歓呼の声に迎えられた後、王都白壁内の王宮前広場に陣を張って兵馬を休めていた。


 ただ、現在その場所で休憩を与えられているのは遠征軍八千のうちの五千少々。残りの二千五百は、未だ戦闘が続いている白壁へと応援に駆り出されている。アンデッドは夜こそ活動が盛んになることと、体力の限界まで戦い続けてきた王都の兵達にも休息が必要だからだ。


 ザヴジェル遠征軍が二千五百ずつ三交替で応援を送って夜を凌ぎ、明日の日中に本格攻勢に入る――そんな段取りになっている。


 幸いなことに、今の戦況自体はかなり落ち着いてきている。

 それは偏にザヴジェル遠征軍八千が白壁到着後に休むことなく、炎壁ファイアウォールを立てたまま王都外周を暴れ回り、白壁に群がるアンデッドを万単位で屠ってのけたことが大きい。


 まだまだ周辺には多数のアンデッドがひしめいている。

 が、まずは兵馬を休ませる必要があった。これ以上の反撃はさすがに兵達の体力がもたない。


 遠征軍総大将の辺境伯家次男アレクセイ=ザヴジェルと王都防衛の実質的な指揮官、ユリウス=シェダとの間でもそういう話になっている。


 アンデッドの勢いを大きく挫いた現状、堅固な白壁に依って守るだけであれば、三交替の当番制で充分に対処できるだろう。

 本格的な攻勢は明日、全兵士にひと息つかせたその後で――




 そんな現場司令官たちによる決定と、その他諸々の細かい調整を終えたザヴジェル軍の駐屯地では。




 王宮前広場に林立された無数の天幕の中、初めに休憩が割り当てられた五千の兵士ほぼ全員が泥のように眠りこけている。王都の守備兵が疲労の極致にあるのはもちろんだが、ザヴジェル遠征軍の彼らとてハルーザ丘陵奥地への急襲からこちら、ほとんど休んでいないのだ。疲れていない者などいない。


 そして、そんな天幕の群れの奥まった場所にあるひとつ。

 周囲よりひと回り大きく、僅かに灯りが漏れている天幕の中では。



「――それにしても、くくく、我らが『天人族』もすっかり名前が売れてしまったな。王都に入った時の民の熱狂ぶりといったら、ザヴジェルの時よりも数段上だったかもしれん」



 高価な魔石灯が投げる柔らかい光の下、軍議を終えて戻ってきたアマーリエが丸めた寝袋をソファ代わりにして寛いでいる。

 そんな彼女を囲んでいるのはヤーヒムとダーシャ、リーディアやフーゴといった<ザヴジェルの刺剣>の騎士達を除く面々だ。


 ここはヤーヒムとダーシャに与えられた天幕。

 先遣隊として文句のつけようもない大活躍を見せた彼らは、朝まで当番なしの休憩を認められていた。


 彼らも疲れていないことはないのだが、遠征中に不思議と出来上がった習慣でこの天幕に集まっている。一日の最後にはこうして集まり、気のおけないひと時を過ごしてから各々の天幕に戻って眠りにつくのだ。


「本当ね。ヤーヒムがいなかったらあそこまで劇的な援軍にはならなかったし、守備兵達のあの士気の回復ぶりがなければその後もっと時間がかかったはずだもの。入都した時に兵士達がヤーヒムを見る視線といったら、ふふふ、まるで英雄を見る子供みたいだったわね。……でもあれだけ派手に飛び回って活躍してたし、ね、疲れは残ってない?」


 こちらもすっかり寛ぎ、ダーシャをその膝に抱えたリーディアがヤーヒムを労わるようにふわりと微笑みかける。

 軍装こそ解いていないものの、雰囲気は完全に自宅で家族と談笑する乙女のそれだ。白桃のように滑らかな頬がほんのりと色づき、手は穏やかにダーシャの髪を櫛で流している。


「そうだ、ヤーヒムには改めて礼を言わねば、と思っていたのだ。例のポーションの使用許可をくれて大変感謝している。あれだけの長丁場を抜けてきたのに死傷者はゼロだ。兵を預かる者としてこれ以上の喜びはない」


 アマーリエがもたれていた寝袋からすっと体を起こし、背筋を伸ばしてヤーヒムに深々と頭を下げた。

 例のポーション、それはつまりヤーヒムの血を使ったブラディポーションのことだ。未だトップシークレットであることには変わりないが、ヤーヒムの血をひと滴垂らすだけで軍備品のポーションのランクがふたつみっつ簡単に跳ね上がるのだ。今回のハルーザ丘陵から白壁までの激戦で、それら「特製ポーション」の支給をザヴジェル軍は密かに解禁していた。


「かかか、怪我した奴らは目を丸くして感動してたな。こんな高品質なポーションを自分なんかが使って良かったんですかって」


 アマーリエの隣にその馬体を横座りさせたケンタウロスのフーゴが、思い出し笑いと共に上機嫌で酒杯を呷っている。

 兵達はもちろん特製ポーションの秘密を知らされていない。結果として負傷兵達は、こんな高価な物を惜しげもなく自分達に、とかつてないほどに発奮していた。損害が少なかったことはもちろん、士気を崩さずに苛酷な戦闘を乗り越えられたのは間違いなくそのお陰でもあるのだった。


「うむ、通常の軍備品に手持ちのブラディポーションを若干量混ぜただけなのだがな。ま、実際に高品質のものを与えたのは事実だ。それにあれだけ薄めれば『奮発して特別に市販の高級品を支給した』で通る。兵達を騙しているようで気は引けるが、機密保持の面を考えれば致し方ない部分だな」

「内情がどうであれ前線で戦う兵士からしてみりゃ有難いこった。あんなに連戦して死傷者ナシとか、用兵も含めそれだけ上が下を大事に扱ってるってことだからな」


 フーゴにとって今日の戦いはよほど満足のいくものだったらしい。

 腰に下げていたフラスコから上機嫌に手酌し、実に美味そうに酒杯を舐めている。


 と、そんなフーゴにアマーリエがにやりとした笑みを浮かべてにじり寄っていった。


「どうしたフーゴ、今日は妙に褒めるな? そんなに感謝しているのなら、その美味そうな酒を私にくれても良いのだぞ? 匂いからするとヘイズルーンの乳酒か?」

「ちょ、これはやらんぞ! 残り少ない俺のとっておきで――」


 そんなじゃれ合いにも似たやり取りをする二人を見て、リーディアの膝の上でダーシャがくすくすと笑っている。

 ヤーヒムの顔にも心なしか微笑が浮かんでおり、リーディアも一緒にふんわりと微笑んでいる。


「……あ、そういえば話は変わるけど、ヤーヒムが最初に白壁まで飛んで演説したの、マーレの差し金でしょ? 確かに効果は凄かったけど、翼のある人族なんて普通は知らないから、新種の魔獣と間違えて弓や魔法で撃たれないか見てるこっちはヒヤヒヤしたんだから」


 リーディアがその紫水晶の瞳を咎めるように光らせ、フーゴの酒杯を奪い取ろうと戯れているアマーリエをちろりと睨んだ。


 が、睨まれた方のアマーリエはどこ吹く風。

 一人くつくつと笑いを溢しながら、フーゴの手から酒杯を巧みに盗み取って一気に煽った。ケンタウロスのフーゴはその巨大な馬型の下半身のため、こうして一旦横座りしてしまうとさほど身動きが取れないのだ。


「ああっ! 嬢ちゃんにもらった俺の宝酒が――」


 大袈裟に騒ぐフーゴに空の酒杯を投げ返し、アマーリエはからからと笑う。


「リーナ知ってたか? あの時白壁には多くのユニオン絡みの民間義勇兵がいたらしくてな、お陰で王都の民に天人族の噂が広まるのが早いこと早いこと。さっきまでの軍議で情報官が驚いてたぞ。こっちで何もしなくても、今や王都の子供まで知っているらしい。いの一番にヤーヒムに駆けつけてもらって正解だったとは思わんか? それに――」


 いささか眼つきが鋭いことを除けば絶世の美女とも言えるその整った風貌に、アマーリエはニヤリと挑発するような笑みを浮かべた。


「――臨戦態勢で空を舞うヤーヒムが、そう簡単に有象無象の矢を受けるとでも? 私には全然想像できないがな」

「ああ、それは俺も同感だなあ。ていうかあの姿のヤーヒムに矢を射かけられるなんて、そんな度胸のある奴そうはいないだろ。なんていうかあの翼って神さんに貰ったものだけあって、逆らっちゃいけねえオーラがびりびり伝わってくるんだよなあ」


 くかか、と陽気な笑い声を上げるフーゴ。

 その笑い声が尻すぼみになったのは、自分で話しているうちにヤーヒムの「逆らっちゃいけねえオーラ」を思い出したからか、酒杯に注ぎ直そうと傾けたフラスコから出てきたのが最後の数滴だったからか。


「……まあ、多少の誤射は覚悟していた。躱しきれなければ【虚無の盾】を使う心算も立てていた。結局、一本も飛んでこなかったが」


 ヤーヒムが肩をすくめてその場面を振り返るが、彼の来し方からしてみればその後に行った演説の方があり得ないものである。石持て追われるヴァンパイアがあんな目立つことを、と。

 アマーリエの政治感覚に信を置いていなければ、そして挑発するような例の笑みで自信満々に言われていなければ、自分からはやろうとも思わない振舞いだった。結果を見るとやはり「やって正解」ではあったのだが。


 そんな感慨に浸るヤーヒムの前では、ほらやっぱり危なかったんじゃない、とリーディアが勢い付いている。

 が、アマーリエは赤銅色の髪をかきあげ、挑発するような笑みを浮かべて話の主導権を取り戻していく。


「そうだろう、ヤーヒムならばどうとでもなる。何より、この上ない『天人族』のお披露目になっただろう? あの一幕のお陰で、この王都でも既に天人族は大人気だ。王宮への話の通し方によっては、ヤーヒムの叙爵も充分に狙えるぐらい――」

「わ、それはすごいわ! ヤーヒムとダーシャにこれ以上ない立場が作れるってことじゃないの!」

「落ち着けリーナ。問題がない訳ではない。軍の情報官によれば、先の戦いでヤーヒムを目撃した神官が妙なことを口走っていたらしい。白壁に神官がいるとは思いもしていなかったが、どうやら極端な人手不足で駆り出されていたようでな、天空神に仕える神官ならではの治療やら幻視やらで軍の仕事を手伝わされていたらしいのだが。さすがに死者に対する終油の秘跡まではやっていなかったようだけれども、それはさておき」


 神官。

 そこから予感される展開と急に声をひそめたアマーリエの真剣な表情に、場の空気が一気に重くなった。フーゴとリーディアがぐっと前に身を乗り出し、ダーシャが息を呑み、ヤーヒムは眉間に微かな皺を寄せてアマーリエの次の言葉を待つ。


「……偵察任務を割り振られていたその神官は、ヤーヒムを幻視魔法で発見した時、古の魔人だとか邪神の使徒だとかの言葉を漏らしていたらしい。ちょっと嫌な匂いがするだろう? まあその後にヤーヒムが実際に見せた王都救援の活躍と、この爆発的な天人族人気で大勢は決しているのだがな。その上まだ戦いも片付いた訳でなし、よほどのことがない限りは雑音として捻じ伏せられる。……とは思うが、今後はあまり王都に長居するべきではないかもしれん。ヤーヒムはもちろん、リーナ、お前もな」

「……え、私も? どういうこと?」

「忘れたかリーナ、ヤーヒムを追う一派は王家直属の幻の近衛第四騎士団、<闇の手>――トゥマ・ルカだぞ」


「――!」

 

 リーディアが大きく息を呑んだ。

 初めて経験した大勝利にすっかり意識が持っていかれ、色々なことが彼女の頭からすっぽりと抜け落ちていたのだ。


「いいかリーナ、彼らに関して言えば、今の状況はだな――」


 アマーリエが先の軍議で王都の宮廷魔法使い達から遠回しに聞き出してきたところによると、この防衛戦で近衛騎士団も全体として大きな被害を受け、今も相当な大混乱に陥っているようだ。


 そして問題の、公式には存在しないことになっている件の第四騎士団は。

 白壁での防衛戦には一切姿を見せず、それどころかこのカラミタ禍のしばらく前から姿を消したままらしい。それは恐らく、ヤーヒムの長距離転移に置き去りにされ、それだけ霊峰チェカルに引きつけられていたということ。


「だが、このカラミタ禍だ。まず確実に向こうでの捜索は切り上げている。既に王都に戻ってきているか、アンデッドに足止めされて周辺で様子を窺っているか、どちらかだろう」


 と、なると。

 アマーリエは話を繋いでいく。


 天人族という欺瞞をこの王都でも強烈に浸透させたとはいえ、火種として先ほど話に出た神官のこともある。出来ればまだもう少しの間ヤーヒムが彼らと鉢合わせないに越したことはない。

 なにしろ未だその欺瞞は認知されたばかり。王都の人間の心にそれが確固たる事実として根付くまで、今しばらくの時間と既成事実の積み重ねがあった方がより確実だろうという判断だ。


 そして。


 ヤーヒム以上に慎重を期すべきなのは、霊峰チェカルまで同行していたことが知られていると予想される、著名人のリーディアとフーゴだった。


 もちろん今はトゥマ・ルカが王都に戻っても、それどころではないかもしれない。

 が、任務を投げ出して来たばかりの彼らの目に、重要参考人であるリーディアやフーゴが映ってしまったら。


「話を聞き出したいと考えてもおかしくはないだろうな。それが平和的なものになるのか、力ずくのものになるのかは向こう次第だが」


 なにしろヤーヒムと共に霊峰チェカルで行方をくらませた筈の二人なのだ。

 ある程度の時を挟めば今回の王都の騒ぎに埋もれて曖昧になるとしても、さすがに今見咎められるのは色々と危険が大きい。


「――アンデッドどもを片付けたら、ほぼ間違いなく謁見だ夜会だと宮廷貴族達のお遊びに付き合うことになる。だが、そこでヤーヒムの叙爵に向けて動くのはやめておくべきだろう。むしろその辺はすっぱりと無視して、ここにいる間はザヴジェル軍の中で大人しく行動しつつ、白壁外のアンデッド共が片付き次第早々に王都を抜け出した方がいい。ヤーヒムとダーシャはもちろん、リーナとフーゴもな」


 アマーリエはそこで言葉を切り、赤銅色の豊かな髪をかきあげながら一同の顔を順に見渡した。


「ま、仕方ねえな。それに謁見やら夜会やらは最初から勘弁だしな。お貴族様とか肩が凝っていけねえ」

「ぷ、確かにフーゴが正装してるのとか想像できないかも……。ヤーヒムの叙爵は残念だけど、そうね、今は見送った方が良さそうね。私もシェダの分家筋に挨拶しておこうと思ってたんだけど、今回はやめとく。自制なしに本家限定の魔法使っちゃったから、色々と説明が面倒くさそうっていうのもあるしね。成人の挨拶は、初めの予定どおり手紙で済ませることにするわ」

「……すまない。迷惑をかける」


 さっぱりと王都滞在の醍醐味のひとつを切り捨てるフーゴとリーディアに、ヤーヒムは溜息と共に頭を下げた。


 二人がどこまで本気で言ってくれているのかは分からないが、普通にいけばリーディアもフーゴも王都を救った英雄の一人として、少なくない歓待が待っている筈なのだ。それこそ叙爵だって可能だったかもしれない。それを――


 頭を下げたヤーヒムが気配で察するに、それまで大人しく話を聞いていたダーシャもリーディアの前から体をずらし、ごめんなさい、と律儀に二人に頭を下げているようだった。


 ダーシャがトゥマ・ルカに目を付けられている訳ではない。ヴァンパイアという意味では一連托生ではあるのだが、けれども。


 ヤーヒムの胸に複雑な感情が込み上げる。


 親子という共同体として積極的にヤーヒムの側に立っている、その心の持ちようにはどこかこそばゆいような嬉しさを覚える。

 けれど、迷惑をかけているのはヤーヒムなのだ。ダーシャも年頃の少女である。この王都で買い物に連れ出してやったりしたら、きっと目を輝かせて喜ぶだろう。父親代わりとして、こんな場でどう振る舞えばいいのやら――



「ああもう親娘揃って何やってんだよ、気にすんなって。それよりヤーヒム、お前さん俺たちに何か相談したい事あるんじゃねえか? なんかそんな顔してるぜ」



 何だか妙な膠着状態に陥ったヤーヒムに、フーゴが特大の爆弾を投下してきた。


 確かにヤーヒムにはそのとおり、皆に相談したいことを抱えている。自分の考えすぎなのかもしれないが、この王都の一連のカラミタ禍でどうにも心に引っかかる点があったのだ。

 内容のきな臭さ、きわどさを思えば、話さずに済めばそれに越したことはない。けれどどうしても話しておくべきだ、そう思えて仕方がないことでもあった。


 そしてフーゴはああ見えて、周囲の人の機微に聡い性質たちだ。これまで幾度となくヤーヒムの打明け話のきっかけを作ってくれていて、それが悪い方向に転んだことはない。



 ……アマーリエの話を思えば、ある意味では丁度良いともいえる。ここは思い切って話してみるか。



 ヤーヒムはフーゴの瞳を見返しながら心を決め、どう話すべきか頭の中で整理を始めた。




  ◆  ◆  ◆




「ふむ、確かに言われてみればそれは盲点だった。詳しく説明してもらっても?」


 ヤーヒムがまず端的に話を切り出すと、腕組みをしたアマーリエが微かに前に乗り出した。他の面々も唖然としつつも真剣な表情で、ヤーヒムが続きを話すのを待っている。


「……ここから先は推測ばかりなのだが」


 視線を落とし、そのアイスブルーの瞳でじっと天幕内の地面の一点を見詰めながら答えるヤーヒム。

 彼がまず皆に語ったのは、パイエルにいたカラミタから無数のアンデッドまでがその身にまとっていた、見慣れぬ服のことだ。


 パイエルで遭遇した老人のカラミタも、ハルーザ丘陵で戦った竜人族のカラミタも、全てが明らかに見慣れぬ服をその身にまとっていた。

 それはこのステクリー大平原に無数にいるアンデッドも同様。服の欠片もないスケルトンは別として、ボロボロではあるが全てのグールがおしなべて見慣れぬ意匠の服をその身にまとっていたのだ。


 それはどういうことか。


 カラミタはまだしも、最下種魔獣のグールに知性はない。

 服を着替えるなどするはずもなく、人として死んだ時の服をそのまま着ていると考えるのが妥当である。そしてどのグールが着ていた服も、どことなく同じ雰囲気を持っていた。


 それはつまり、王都を囲んだ夥しいグールは全て、こことは異なるが同じ文化圏で生活していた者の、そのなれの果てだということだ。


 問題は、生前の彼らがどこで生活していたかということ。


 グールだけではない。

 一緒に行動していたスケルトンも同じと考えれば。


 ――どこかで人族が十万単位でアンデッド化した、そんな大事件の存在が垣間見えてしまうのだ。


 それはここスタニーク王国で言えば、王都が丸々滅んでいるような規模の大惨事である。もしくは小国がひとつ滅亡したか。


 もちろんアンデッド自体はカラミタが召喚したものであり、召喚される魔獣がどこから来るかは古来より諸説分かれるところだ。


 ただ、この大陸には存在しないような特別な魔獣を召喚する際は、その特別さに比例して多大なる困難が伴うものだという。

 それを今回のカラミタの召喚に当てはめて考えた場合――


 ひとつ。召喚されたグールとスケルトンはいわば最下種魔獣、なんら特別な存在ではない。

 ひとつ。いくらカラミタ数人がかりとはいえ常識外れの数が召喚されており、それだけで困難極まりないものである。


 つまり。

 今回召喚されたグールとスケルトンは、もしかすると。


 ――実は近場に現実に存在するものを、最低限のコストで数を優先して召喚した結果、なのかもしれない。


 そんな推論が成り立ってしまうのだ。

 それは同時に、どこか遠くない場所でそれだけのアンデッドが発生している可能性を肯定しており――




「え、でも、何十万人もアンデッド化してしまうような、そこまでの大災害なんて聞いたこともないわ。そんな大惨事、さすがに噂にはなるでしょう?」




 真剣な面持ちで話に聞き入っていたリーディアが、不思議そうに首を傾げた。


「今じゃなくて過去の話だとしても、王国の歴史にはそこまでの大災害は報告されてないし。それにあんなヒラヒラして派手な服、昔の人だって着てないと思うのよね」

「うーん、俺も心当たりはねえなあ。スタニーク王国どころか、ヤーヒムの故郷がある大陸中央部の方だってそんな大ごとがあったなら伝わってくるはずだしなあ」


 フーゴも腕組みをして考え込んでいる。

 と、そこでアマーリエがぽつりと呟いた。




「……もしかしてヤーヒムが言いたいのは、フメル王朝のことか?」




 フメル王朝。

 それは、スタニーク王国の北西にそびえるハナート山脈の裏側にあるとされる国。山脈が険しすぎるがゆえ、伝承でしかその存在が伝わっていない幻の王朝だ。


「え、さすがにアンデッド最下種のグールとかスケルトンじゃハナート山脈は越えられないでしょ……あ、召喚でんだのか」

「そうだリーナ。山脈の裏側がどうなっているかは知らないが、こちら側と同じように切り立っているとすると、直線距離で言えばここからザヴジェルに行くよりよほど近いだろうな。……違うか、ヤーヒム?」


 違っていれば良いのだが。

 ヤーヒムは言葉少なに頷きを返した。


 そもそも今回の遠征軍の原因となったカラミタは、全てハナート山脈から出現してきている。そして初めにザヴジェルを襲ったエヴェリーナ他のカラミタも、ハナート山脈につながる魔の森から現れている。

 ハナート山脈や魔の森は人系種族が入らない魔獣の領域だからそれで納得もしてしまいがちだが、端的に事実だけ見れば、非常にきな臭いものがあるのだ。


 何より、彼らがまとっていた見慣れぬ服装。


 ヤーヒムの長姉エヴェリーナや、ドウベク街道脇の古城にいた子供ヴァンパイアだったミロスラヴァは、まだこちらの馴染みある服をまとっていたように思う。

 が、パイエルの街を襲おうとしていた老人カラミタから先は、アンデッドも含めて明らかに異なる文化圏の服装だった。


 そしてヤーヒムは、他の皆が知る由もない情報をひとつ持っていた。

 それは、ヤーヒム達ヴァンパイアに伝わる古い昔話。最近になって妙にその名を聞く、滅んだはずの真祖ジガにまつわる話だ。




「……ここでひとつ、皆にヴァンパイアに伝わる昔の話を聞いてもらいたい」




 ヤーヒムはそう前置きをし、ゆっくりと本題を語り始めた。






―次話『離脱』―

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