57 新たな境地

「ちょい待てフーゴ! 俺にやらせろ!」


 模擬戦の用意を整え、練兵場の中央に進んだヤーヒム達三人――ヤーヒム、フーゴ、ダーシャ――をひとつの大声が止めた。

 アレクセイ=ザヴジェル。辺境伯家の次男にして、<戦槌>騎士団の団長を務める若き豪傑。その後ろにはなんと、アマーリエとリーディアの姿もある。


「ありゃ? 緊急の会議が入って今日は無理じゃなかったのか? まあ俺はいつでも出来るし譲るのは構わないけどよ」


 最近アレクセイと意気投合しているフーゴが首を傾げた。

 戦士同士、あるいは面倒見の良い苦労人同士、妙に馬が合うらしいのだ。本来ならこのヤーヒムの防具の試着も、フーゴと共に顔を出す予定だったと聞いている。


「ああ、それは私から説明し――」

「アマーリエ、今だけは俺が時間をもらうぞ。元々ヤーヒムとは手合せする約束だったからな。なあヤーヒム?」


 アレクセイの言葉にゆっくりと頷くヤーヒム。

 酒を酌み交わす話と一緒にちらりとそんな事も言われた記憶があった。それにしても、今朝の暗いうちに飛び出していったリーディアも一緒の会議だったのかと、ヤーヒムはそちらの方にも気を奪われてしまう。本人に目を遣れば、難しい顔で腕一杯に真新しい衣類を抱えている。


「仕方ないか……カラミタからこっち、譲ってもらってばかりだからな。でも兄上、どうせなら完全装備のヤーヒムと戦いたくはないか? 残りの装備をリーナが持ってきている」

「あ、ヤーヒム。せっかくだからコレも着てやる? ひととおり出来てたから持ってきたんだけど。アレクセイさん、ちょっとだけ待ってて」


 アマーリエに促されたリーディアが差し出したのは、鎖帷子の上にまとうサーコート他の一式だった。

 広げてみれば、騎士が鎧の上にまとうゆったりした袖なしの外衣という一般的なサーコートのイメージからやや外れ、胸に入る紋章もなく、見るからに上質で丈夫な素材で仕立てられた長外套に近いものだった。色は落ち着いた黒の単色、背中には翼に干渉しないように鎖帷子と同様のスリットが入っている。明らかに旅や遠征を意識した、実用性特化の特別仕立ての逸品だった。


 アマーリエとリーディアが口々に説明を始める。


「うむ、出来れば辺境伯家の紋章をつけておきたかったのだがな、あまり目立つのは好まぬだろう? それならば人目を集めすぎることもなく、かといって足元を見られることもないだろう。素材は先日のテュランノスドラゴンの内皮、下手な防具より性能は高いのだぞ? 我ら辺境伯家からせめてもの礼だ」

「これ、耐久と防汚の付与エンチャントもしてあって、私も手伝ったんだからね。ダーシャの外衣ともお揃いなんだから。あ、サーコートの前にこのチュニックを着て」


 礼を言ってさっそく頭からサーコートを被ろうとするヤーヒムに、リーディアが腿丈のチュニックを押し付けた。

 素材はやはり先日のテュランノスドラゴンらしく、こちらは黒く染めずに淡い朽葉色のままだ。ヤーヒムの翼用のスリットはもちろん、袖も七分で止めてあり、ガントレットのことも考慮されているらしい。やはり上質なその出来栄えに小さく礼を述べたヤーヒムはそこまで目で確認し、言われるがままに手早く防具をまとっていく。


「わ、似合ってるわよヤーヒム。仕上げはこのベルトね」


 リーディアが甲斐甲斐しくサーコートの皺を整えつつ、剣帯を兼ねたベルトを手渡してきた。

 いつの間にか寄ってきていたダーシャが、納得の顔で剣帯部分を眺めている。


 そう。これまで剣は邪魔にならぬよう背中に背負っていたのだが、召喚式とはいえ翼を得たヤーヒム。そのまま背中に剣を携行する訳にもいかず、体の動きを出来るだけ阻害しない剣帯を探していたのだ。


「よし完成! ふふ、ねえダーシャ、ヤーヒムったらまるで物語に出てくるお忍びの英雄様みたいね」


 初めの難しい顔が嘘のような、花咲くような笑顔でダーシャと笑い合うリーディア。

 膝丈の長外套にも似た無紋の上質なサーコート、その無袖の肩口から覗くのは竜皮のチュニック、そして鋼鉄のガントレット。腰には幾つもの小袋が下げられた肉厚のベルトがきりりと巻かれ、精緻な魔鉱銀ミスリルの細工が施された鞘に入った銘剣<オストレイ>が佩かれている。


「ふむ。悪くないぞヤーヒム。これならザヴジェルの軍中にいても舐められることはない。まあ、物語でいうなら英雄というより魔王の暗黒騎士に近い気もするがな。くくく」


 アマーリエも満足そうに含み笑いを漏らしている。

 暗黒騎士というのはサーコートに紋章が一切入っていない点を指しているのであろう。確かに普通は、胸に家紋なり所属騎士団なりの紋章が入る。見るからに風格漂う上位者の出で立ちなのに無紋で所属を明らかにしていない、つまり仕える先は明示するまでもなく唯一無二の――



「ああー、そろそろいいか?」



 完全に女性陣にヤーヒムを占拠され、すっかり輪の外に追いやられていたアレクセイが声をかけてきた。

 その隣ではフーゴが笑いを押し殺すのに失敗している。普段は武人気質で豪放なアレクセイだが、女性、特に妹のアマーリエにはとことん弱いのだ。


「……ああ。待たせた」


 ヤーヒムが軽く身動きをして、アレクセイに歩み寄る。

 新装備の感触は悪くない。アマーリエとリーディア、そしてダーシャに礼を告げ、ヤーヒムは模擬戦に向けて意識を切り替えた。


 どうやら模擬戦はヤーヒムとアレクセイの一対一、フーゴは審判という形になるようだ。もちろんヤーヒムが先ほど依頼した外野からの魔法攻撃という条件は継続である。


「いいね、そのゾクゾクする威圧感。アンブロシュ剣術を使うんだろう? 滾ってきた」

「少しは粘れよアレクセイ。ヤーヒムは強ええぜ」

「言ってろフーゴ。武器は互いに実戦と同じ、寸止め、審判には絶対に従う……こんなルールでいいか? 悪いが本気でいく。炎槍<セルベナ>を使わせてもらうぞ」


 アレクセイが掲げたのは朱色の大槍。

 先日重装騎兵たちが持っていたものよりふた回りは太く、長い。そして濃厚に漂う魔力の気配。炎槍の名のとおり、火をまとわせる魔槍なのだろう。


「……ああ、構わない」

「クソ、随分と余裕じゃねえか。後悔すんなよ」


 アマーリエと同じ、一族共通の琥珀色の瞳をぎらりと光らせ、アレクセイはヤーヒムを睨みつけた。


「…………」


 練兵場の空気が一気に変わっている。

 アマーリエを鬼神の如き剣士、父親のラディム伯を重厚な獅子の如き戦士とするならば、この次男のアレクセイは獰猛な虎の如き猛者だ。


 アマーリエの五歳年上の二十九歳、その覇気に満ちたまさに武人といった風貌以外はアマーリエとさほど似ていないようにも見えるが、瞳の奥で踊る獰猛な輝きは、武のザヴジェル家の血筋であることをまざまざと物語っている。いつかアマーリエに聞いた、ザヴジェル家に虎人族の血が混じっているというのは伊達ではない。



「――さあ、やろうぜ」



 アレクセイが喉の奥で低く唸った。


 フーゴとダーシャを相手に防具の試験をするはずだった模擬戦。

 予期せぬ客の登場によって中断されたそれは、当初の目的以上の激しさで再開されようとしていた。




  ◆  ◆  ◆




「まずは小手調べだっ!」


 練兵場の中央、炎をまとったアレクセイの魔槍が唸りを上げてヤーヒムに襲いかかった。

 狙いの鋭さ、速度、膂力、三拍子揃った荒々しい連続突きだ。自分の間合いに入る術をいきなり封じられたヤーヒムは、流れるような体捌きでひとつひとつ丁寧に躱していくしかない。


 ヤーヒムはこの模擬戦に際し、自ら幾つかの制限をかけている。

 翼は封印、ヴァンパイアネイルも封印、【霧化】も使わない、この三つだ。


 翼を封印するのは模擬戦の目的上もちろんのことだが、ヴァンパイアネイルと【霧化】、この二つは天人族として未だ公にしていない能力だからだ。


「さすがに掠りもしないか――これならどうだッ!」


 アレクセイの攻勢が一段ギアを上げる。

 突きと払い、そして石突きも使った怒涛の攻撃だ。槍身にまとった炎が空間を埋め尽くし、揺らめく熱気が全てを燃やさんとばかりに圧し掛かってくる。


 が、自ら制限をかけてもヤーヒムが手を抜いているということではない。

 強者と戦う、降って湧いたこの好機。存分に活用しない手はなかった。


 先のカラミタとの戦いでは良いように傷つけられ、仲間達に体を張って何度も助けてもらった。

 そのことを深く悔やんでいたヤーヒムは、シェダの屋敷に滞在していたこの半月の間も厳しい鍛錬を己に課してきたのだ。


 眼前のアレクセイは間違いなく強者の部類に入る男だ。

 だが、ヤーヒムとて――


「うおッ」


 攻勢のアレクセイが一転、のけぞるように飛び退いた。

 ヤーヒムが腰の銘剣<オストレイ>を抜き放ったのだ。それはアンブロシュ剣術を体現する、相手の動きを包み込んだ上での抜き打ち一閃。剃刀のように鋭利な斬撃が、炎の海に一瞬の隙をこじ開けた。すかさずヤーヒムが風のように間合いを詰め、怒涛の反撃を開始する。


 突進からの突き、突きからの斬り戻し、斬り戻しからの跳ね上げ、跳ね上げからの袈裟懸け。


 流れるようなアンブロシュ剣術が、今度はアレクセイを防戦一方に追い込んでいく。

 が、虎の如き豪傑の琥珀色の瞳はギラギラとした輝きを逆に増している。やむを得ない時だけ半歩下がり、槍の柄で油断なく攻撃を捌きながら、文字どおり虎視眈々と反撃の時を狙っている。


 と、軽い金属音と共にアレクセイの体幹が揺らいだ。

 ヤーヒムが左ガントレット付属の小盾バックラーを使って、槍の石突きによる痛烈なカウンターに込められた力を流しつつ巧みに逆利用したのだ。


 ヤーヒムが鍛冶師のリボル老に我が儘を言って取り付けてもらったこのバックラー。

 その狙いのひとつ目は、これまで躱すかヴァンパイアネイルで切り落とすしかなかった相手の攻撃を、文字どおり撥ね退けることにある。


 直径二十センチという小さきその円形盾は、中心に透明な宝玉が埋め込まれている他は何の変哲もないただの鋼鉄製の小盾だ。


 だが、ヤーヒムの【ゾーン】に基づく空間把握と反射神経をもってすれば、それだけの大きさがあれば大概の攻撃をいなすことができる。

 しかもそれは攻防一体。左のガントレットに固定されたバックラーで巧みに攻撃の向きを逸らし、相手の力を逆利用して必殺の体勢を作りつつ、同時に自由なままの両手で剣を握って相手の懐へと――



「――ッ!」



 刹那の反射で身を捩ったヤーヒムの頬を一発の氷礫が掠めていった。

 振り返った視界に、飛来する十を超える炎弾が映る。外野からの攻撃を頼んでいた魔法兵達によるものだ。


 とんぼ返りで魔法の弾幕から逃げるヤーヒムを、ここぞとばかりに魔法兵が狙い撃つ。

 アレクセイが離れた今こそ好機なのだ。彼らの上司から距離を置いたこの瞬間を待っていたが如く、畳み掛けるように魔法の弾幕が逃げるヤーヒムを包み込んでいく。


 とりどりに輝く大量の炎弾、氷礫、風刃。

 模擬戦だけあって初級相当の魔法しか使われていないが、その分だけ数がある。エルフやブラウニーといった魔法に長けた種族の魔法兵、それぞれが一人あたり数十を超える弾幕を放って飽和攻撃をしてきているのだ。


 魔法――。


 それはヤーヒム達ヴァンパイアの天敵。

 人系種族ならば大抵の者が低級魔法への盾として展開できる魔法障壁は、無属性魔法が使えないヴァンパイアには全く使えない。放たれたら躱すか受けるしかない魔法攻撃はしかも、その負傷にヴァンパイアの高速治癒能力が効かないのだ。


 だからこその天敵。

 魔法の弾幕を広範囲にばら撒かれれば、それでヴァンパイアは詰む。かつてのヴァンパイア狩りは、そこに気付いた人系種族の勝利だったのだ。




 ――これまでは、そうだったのだが。




「ああくそ! 当たらねえ!」

「良く狙え! 動きを読むんだ!」


 弾幕を展開する魔法兵達はそれを知らない。

 彼らはそもそも、模擬戦の難易度を調整するために魔法攻撃を要請されたと考えている。だが、その要請は相手が自分達の騎士団長に変わっても取り下げられることはなかった。見下されたのではないと分かってはいても、面白くないのは事実だ。


「広がれ! 単射線だと躱されるぞ、十字砲火で包み込め!」

「逃げ道を与えるな! 弾幕をばら撒け!」


 魔法兵達が自発的に連携を図りはじめ、逃げるヤーヒムを追い詰めていく。彼らも精鋭揃いなのだ。伊達に何十年も魔の森から民衆を守ってきた騎士団に所属してはいない。


 それを見ているリーディアやダーシャは気が気ではない。

 ヤーヒムはヴァンパイアだ。たとえ初級魔法でも、弾幕として包囲攻撃されればそれで詰んでしまう――と。


 そう。

 これまでは、そうだったのだが。


 ヤーヒムが唐突にアレクセイから飛びずさり、唸りを上げて襲い来る各種魔法の弾幕に敢然と向き直った。

 サーコートや鎖帷子の魔法耐性を当てにしている訳ではない。冷徹なまでの眼差しと共に掲げられているのは、件のバックラーだ。


 けれど、そのバックラーは鋼鉄で出来ているとはいえ、所詮鋼鉄だ。

 剣などの打撃は受け止められても、魔法に対する防御効果は薄い。強いて言えば、バックラーの中心に透明な宝玉が埋め込まれているぐらいなのだが――


「……嘘だろ」

「……なんだよアレ」


 ヤーヒムのバックラーが突然ふた回りも大きくなり、飛来する魔法群を「呑み込んだ」。

 魔法障壁に衝突して弾けたのではない。ぐるりと振り回されたバックラーに触れた炎弾が、氷礫が、文字どおり吸い込まれるが如く消え失せたのだ。


 いつしか闇の円盤と化しているそのバックラーで、周囲の魔法弾幕を片端から消し去っていくヤーヒム。


「何じゃありゃあ……。作った儂にも意味が分からんぞ」


 製作者のリボル老ですら顎をかくりと落としている。

 心当たりがあるとすれば、中央に埋め込んでくれと言われた無色透明の宝玉だ。経験豊富な鍛冶師ドワーフの彼でも初めて見た、謎の宝玉。呆れるほどの力に満ち、異様に硬くて加工に手間取ったそれがなければ、三日は早く完成に漕ぎつけられたであろう。


「種明かしをすれば、ありゃカラミタのコアだぜ。しかしまあ、本当えげつねえなあ……」


 ヤーヒムから相談を受けていたフーゴが、何とも言えない口調でリボル老に答えの一端を教えた。

 その視線の先では、ヤーヒムが放たれた全ての魔法弾幕を消し去り、唖然と見守る騎士達に試験の終了を告げている。


「おいヤーヒム、そりゃ反則だろ。何だよ今の」


 納得のいかないアレクセイが大声でヤーヒムに詰め寄った。

 戦いも佳境となったところで突然魔法が意味不明な消え方をし、呆気にとられたところで模擬戦の終わりを告げられてしまったのだ。不完全燃焼も甚だしい、未だ熱気のこもる琥珀色の瞳がそう語っている。


「……魔法障壁の代わりになるもの、か?」


 ヤーヒムが闇の円盤と化したバックラーに目を遣ると、次の瞬間には力を使い果たしたように闇が縮み、元どおり透明な宝玉が埋め込まれただけの鋼鉄の小盾の姿に戻ってしまった。


「む……」


 今の変化は意図せぬものだったが、まあ、試験は大成功と言っていいだろう――ヤーヒムは視線の先のバックラーをそう評価した。


 このバックラーを作ってもらった二つの狙い。ひとつ目は、これまで躱すかヴァンパイアネイルで切り落とすしかなかった相手の物理攻撃を、物理的に撥ね退けられるようにすること。反撃のきっかけにすることも出来る、価値ある防御手段だ。


 そして今試験が成功したふたつ目は、従来致命的な弱点であった魔法による攻撃を、躱す以外の手段で無効化すること。

 それらを手に入れたヤーヒムは、戦いの幅において新たな境地に踏み入れたと言っても過言ではない。大いなる強化だ。


 このバックラーの原理は簡単だ。

 中央に埋め込まれている宝玉は、エヴェリーナのコア。そして魔法を片端から「呑み込んだ」のは、そのエヴェリーナのコアを媒体として展開した【虚無】。


 ヤーヒムはずっと【虚無】の使い道を考えていた。

 大型の魔獣に対する攻撃手段として使えるのはもちろんだが、その「何でも喰らう」性質は、実は防御にこそ向いているのではないかと。


 普通に作成した【虚無】は手の平にしか保持できないし、発現させるのに時間もかかる。

 だが、滞在するシェダの屋敷で夜な夜な試行錯誤を繰り返すうち、エヴェリーナのコアを媒体とすれば一気に問題が解決することに気付いたのだ。


 そしてリボル老に頼み込んで特製のバックラーを仕上げてもらい――



 ……問題は、持続時間が短いことと、強力過ぎて使いどころが難しいことか。



 未だ不満そうなアレクセイを見て、ヤーヒムは内心で肩をすくめる。

 魔法の弾幕は問題なく消し去ることができた。もっと強力な魔法でもある程度は対処できるだろう。だが、【虚無】は触れたもの全てを喰らう。それが模擬戦で相手が使っている武器であっても、だ。


 あのまま模擬戦を続けていれば、おそらくアレクセイの炎槍は無事では済まなかっただろう。

 ヤーヒムの展開した【虚無】に打ち勝つだけの魔法の力が込められていれば別だが、それはまずない。


 いつぞや戦ったハイエナの獣人どものような誅殺前提の相手ならともかく、さすがに彼の愛槍を破壊するのは忍びなかった。

 ちょうど魔法を喰らうバックラーが皆の意識を奪っていたことを幸い、ヤーヒムは模擬戦終了を告げたのだ。……その後勝手に【虚無】が消えたのは、正直なところ彼にとっても予想外だったのだけれども。


「……なあ、あれで終わっちゃ欲求不満になっちまう。その良く分からない魔法障壁と周りからの魔法攻撃はナシにして、純粋な一対一でもうちょいやろうぜ? な、いいだろ?」


 すぐ目の前で、アレクセイが拝むように語りかけてきている。

 よほどヤーヒムとの戦いが琴線に触れたのだろう。振り返って思えば、バックラーの出来云々を別としても、ヤーヒムにとっても実に刺激的な模擬戦ではあった。まさに猛虎を思わせる怒涛の炎槍の攻撃、天賦の才を感じさせるひとつひとつの槍捌き、非の打ちどころのない足運びと体の使い方――



「……ああ。こちらこそ、頼む」



 不敵な笑みを浮かべたヤーヒムの肯定に返ってきたのは、野獣の咆哮を連想させるような微笑みだった。




  ◆  ◆  ◆




「あー、もう動けねえ!」


 練兵場の中央にひっくり返ったアレクセイが満足気に叫んだ。

 彼とヤーヒムは余人を交えず小一時間、実戦もかくやとばかりの激しい模擬戦を繰り広げたのだ。


「……良き戦いだった」


 天に向かって荒い息を繰り返すアレクセイに、頃合いを見計らってヤーヒムが手を伸ばして引っ張り上げた。

 普段は凍えるように透きとおったアイスブルーの瞳も、相手を認める賞賛の色でやわらかく輝いている。ヤーヒムにとってもこれまで磨き上げてきたアンブロシュ剣術を存分に試せた、実り多い模擬戦だったのだ。


 ヴァンパイアの身体能力に加え、【ゾーン】による空間把握、そしてシェダの屋敷で夜な夜な工夫を重ねた新技術――


「おう、ありがとよ。それにしても最後のは【縮地】か? アンブロシュ剣術だけじゃねえってことか。やられたぜ」


 ヤーヒムがアレクセイ相手に試した技はふたつ。

 ひとつ目は、亜空間創造の力を使ったマジックポーチ的収納の応用だ。


 剣を激しく打ち合わせ、大きく弾かれたとみせて体の裏側で亜空間に収納する。

 空になった手を見せ、剣を弾き飛ばしたと攻めかかってくる相手に、予想外の位置で剣を亜空間から取り出して攻撃するのだ。


 ヴァンパイアネイルでの戦いには全く使えないが、剣で戦っている時には充分な効果を見込んでいたその技。

 だが、アレクセイ相手には通用しなかった。驚かれはしたが、ものの見事に反応されてしまったのだ。ヤーヒムの手際が今ひとつだったのか相手が悪かったのか、戦いの手管のひとつとして今後も要鍛錬だとヤーヒムは評価している。


 アレクセイ相手に面白いほどに通用した技はもうひとつの方。

 【霧化】を下地にして開発した、ある意味で達人限定となる技――


「……【縮地】、というのは聞いたことがないが。確かにアンブロシュの剣術ではない」

「くかか、ありゃ戦ってる当人には分からねえと思うぜ?」


 フーゴが高度な戦いの余韻に目を輝かせたままに歩み寄ってきた。

 アマーリエやリーディア、ダーシャも激闘の二人を称えるように取り囲んでくる。


「え、あれってアレクセイさんがさすがに疲れて動けなかったんじゃなくて?」

「違うぞリーナ、あれはヤーヒムが非常に高度なことをしたのだ。私ならば初めの一回で終わりだったかもしれない」

「……父さん、あれって練習していたやつだよね? いつにも増して凄かった」


 彼らが口々に言うのは、模擬戦の最後を締めくくったふたつ目の技のことだ。

 強いて名前を付ければ【虚像】。ヤーヒムとダーシャが仮にそう呼び表している技だ。


 技の要諦は、【霧化】をせずに【霧化】をすること。

 霧を残して隣界に実体を滑らせる直前、その不安定な状態で実体の表層、薄皮一枚だけをおぼろに動かすのだ。


 例えばそれで右から斬りかかる動作を始める。

 そしてそれから一瞬の間をおいて、残る実体が左から相手の背後に回り込む。


 対する相手が気配を読むに長けた使い手であればあるほど、右から斬りかかる虚像に惑わされ、左からくる実体への対処が遅れる――そんな技だ。


 言ってしまえば刹那の虚像を使った只のフェイントなのだが、アレクセイにはヤーヒムが消えたようにすら見えたらしい。


 ……これは使える。


 ヤーヒムは技の開発に付き合ってくれたダーシャに微笑みかけた。

 シェダの屋敷の庭の奥で、ダーシャの人狼状態の確認と順応も含め、二人で夜な夜な研鑽を重ねていたのだ。


 まだまだ磨き上げる必要はあるが、この霧化を下地とした【虚像】はそれなり以上の使い手を相手にした時の引き出しのひとつとし、亜空間創造の力を使った収納の小技は一般兵などを相手にした時に見せ技として使う、そう使い分ければいい。


 そこに新たな防具での対魔法耐性と、ガントレット付属のバックラーによるいなしが加わり、さらに奥の手として【虚無の盾】と翼を使った立体機動も有用だ。カラミタ戦で不甲斐ない戦いをしてしまったヤーヒムは、ここに来て戦闘力を大幅に高め、文字どおり新たな境地にその足を踏み入れていた。



「――よし、納得した! 今回の遠征軍でヤーヒムがアマーリエの護衛につくこと、俺は認めたぞ!」



 が。

 唐突に為されたアレクセイの宣言に、ヤーヒムは思わず動きを止めた。

 意味が分からず、そのアイスブルーの瞳が解説を求めるようにアマーリエに向けられる。


「ヤーヒム、済まぬが私と一緒に来てはくれないか。今朝の会議で王都への派兵が決まったのだ。諸々の事情はもちろん知っているが、逆に其方がザヴジェルと共にあると知らしめる良い機会――」

「あのねヤーヒム。今朝の緊急会議で発表されたんだけど、パイエルの街から王都にかけて、ハナート山脈から何体も新たなカラミタが出現しているらしいの」



 補足してくれたリーディアの言葉に、束の間の平和が終わったことをヤーヒムは知った。






―次話『従軍』―

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