52 残されたもの

「さらば、だ」


 カラミタに止めを刺し、そう呟いたヤーヒムは――僅かにその身を固くした。

 これまでであれば、ここは即座に牙を突き立てて青の力を啜る流れだ。だが、これはかつて己のヴァンパイアとしての長姉、エヴェリーナだった存在。さすがにそれはどうなのか。


 ……いや、違う。


 今回、自分は強さが足りなかった。そのせいで仲間に怪我を負わせている。そしてヤーヒムには不思議な予感がある――カラミタはこのエヴェリーナが最後ではないと。


 これからの自分のため、仲間のため、そして烏滸がましいかもしれないがカラミタとなった同朋のため、更に貪欲に強さを求めていくべきなのだ。

 それが己の宿命。これから自分が歩んでいく道なのだ。


 …………。


 ヤーヒムは静かに瞳を閉じ、かつての長姉の首筋に牙を突き立てた。


 そして。


 思わず仰け反るほどに流れ込んでくるカラミタの力。驚くべき量だ。

 ミロの時とは比べ物にならない、<呪いのラビリンス>となっていたヴァルトルと比べても十倍は下らない力の奔流。ブシェクでブルザーク大迷宮となっていたヴルタに匹敵する大流量のそれは、新世代の新しきヴァンパイア、ヤーヒムに新たな力をもたらしていく。


 そして同時に。

 ヤーヒムの裡に澱のように降り積もっていくエヴェリーナの残留思念。彼女が半ば結晶となっても手放さなかった想いだ。

 それは母であるラドミーラへの妄執に近い思慕であり、過去にそのラドミーラと共に動いた時の輝かしい記憶であり――





 なん……だと?





 ヤーヒムのアイスブルーの瞳がカッと見開かれた。

 エヴェリーナがカラミタとなっても残るほどに執着していた、ラドミーラへの追憶。偉大なる真祖であり母であるラドミーラと過ごした時間は本人にとっては何にも増して輝かしく、けして忘れたくないものだったのであろう。それは孤独を知る同族のヤーヒムにとって理解できなくもない想いだ。


 だが。


 それらの追憶から断片的に垣間見えたラドミーラの行動が、ヤーヒムにとっては頭を殴られるような衝撃の内容であり。

 ラドミーラがエヴェリーナと共に、ヤーヒムを創る前にしていたこと、それは。


 ヤーヒムにはけして語ることのなかった、ヴァンパイア・ヤーヒムの創生の秘密――


 その記憶の断片の一場面一場面が、走馬灯のようにヤーヒムの頭の中を駆け抜けていく。




  ◇ ◇ ◇




『母上、この赤子はどうやら耐えられそうです』


 闇夜、どことも知れぬありふれた農村のはずれ。

 目の前に佇むのは染みひとつない白磁の肌が眩しい傾国の妖姫、麗しのラドミーラ。


 彼女の蠱惑的な紅玉ルビーの瞳が見下ろしているのは、視点主、エヴェリーナの腕に抱かれた人間の赤子だ。この村で拐かした五人のうちの最後の一人。青く輝く粉末をラドミーラの血と共に飲まされ、生き延びた女の赤子だ。拒絶反応で激しく痙攣していたものの、今は疲れ果てたようにぐったりと眠っている。その目を開ければ、僅かに青色が加味された瞳が見返してくることだろう。


『……このまま親の元に返しておけ』

『はい母上。いつものように幾許かの財貨も共に置いておきます』

『うむ、育ってもらわぬと意味がない』

『はい、母上の仰せのままに』


 それは、ここ数十年の間、数えきれないほどの赤子に繰り返してきた流れ。

 どうしてラドミーラが下等種族である人族にこんなことをしているのか、エヴェリーナは知らないし質問するつもりもない。狂気をたたえたラドミーラは唯一の側近エヴェリーナにも何も教えず、鬼気迫る執着ぶりで次から次へと人族の赤子に青き粉末を飲ませ続けている。エヴェリーナはただ従うだけだ。


 人族には気付かれず、夜の闇の中で行われるそれ。

 何も知らない人族の間では、一夜のうちに村の赤子が死に絶える<神の呪い>として恐れられている。稀に生き残った赤子――うっすらと瞳の色が変わり、枕元に莫大な財宝が置かれている――は逆に神に選ばれ、祝福を授かったとして、非常に大切に育てられていく。


 人族は大いに間違っているのだが、エヴェリーナも真の理由を知っている訳ではない。

 けれどエヴェリーナはラドミーラに問うこともせず、ただラドミーラに従い続ける。それは些末な問題だった。親愛なる真祖ラドミーラの望みを少しでも叶えること、それがエヴェリーナの全てだ。


 そうしてエヴェリーナはラドミーラと二人、新たな赤子を求めて次なる土地へと移動していく。


  ◇ ◇ ◇


『母上、青の粉末がもう残り少なく。お暇をいただいて確保して参ります』

『……兄上に気取られるでないぞ』

『はい、仰せのままに。ジガ様に近付かぬよう、細心の注意を払います』


 ラドミーラの許可を得たエヴェリーナが向かうのは、ハナート山脈を越えた北側、古より続くフメル王朝が支配する地だ。

 二人が人族の赤子に飲ませている青い粉末は、エヴェリーナがそこでラビリンスに潜り、命がけで屠った若きヴルタの結晶を砕いたもの。


 最近では山脈のこちら側、スタニーク王国に残っているのは強大なヴルタばかりとなっている。

 彼女達が狩り尽したというより、真祖ラドミーラの双子の兄、真祖ジガが出奔した際に片端から狩って行ってしまったのだ。そこからラドミーラの狂気は始まったのだが、それは遠い遠い昔のこと。


 霊峰チェカル一帯の迷宮群で手を出せるヴルタは最早なく、今エヴェリーナがヴルタの結晶を手に入れるとしたら、ハナート山脈の裏側まで遠征するしかない。

 そこには未だ若きヴルタがラビリンスを構えており、エヴェリーナでも策を凝らせばどうにかなるものが多い。不安材料としてジガがフメル王朝に対し何やら不穏な行動をしているようなのだが、どちら側にも接触せず慎重に見つからぬよう行動すればいいだけのことだ。


『では母上、行って参ります』

『…………』


 真祖ラドミーラの第一子、真に強力なヴァンパイアであるエヴェリーナは、親愛なる母のために疾風の如く走り出す。


  ◇ ◇ ◇


『母上、青の血脈がアンブロシュという小国に移住するようです』


 ラドミーラが人間の赤子に干渉するようになって、気の遠くなるような時が経ち。

 青く輝く粉末――ハナート山脈の北側でその手にかけた、ヴルタの結晶を砕いたもの――を飲ませて生き延びた赤子を定期的に見守り、子をなせば再びその赤子を拐かして粉末を飲ませ、そして見守り。


 千年にも及ぶ歳月が流れても、ヴルタの結晶を摂取した赤子の生存率は壊滅的に低かった。

 二代目三代目の摂取になれば更にそれは顕著となり、数えきれないほどの赤子が拒絶反応で死んでいった。


 だが、その中に代を重ねても残っていく血統もあった。

 粉末に含まれた僅かなヴルタの魔性を代々蓄積していく血統。それはふたつあった。


 ひとつは当時すでに絶滅寸前であったハイエルフの赤子で試した、その末裔だ。

 通常であれば、ヴルタの粉末を摂取させる度に、その清冽な青色が瞳を青く染め上げていく。が、そのハイエルフの血統の瞳は、人間よりも強固な因子を持っているせいか青く染まりきらず、紫水晶の色彩となって受け継がれていった。ハイエルフという強靭な種が持つ生命の赤が残ったのかもしれない。

 やがてその血統は人間と交わり、今や非常なる子だくさんの一族として人間社会に根を下ろしている。


 そしてラドミーラが作り上げた血統の、そのもうひとつは。


 それはヴルタが放つのと同じ、清冽な青の色彩を瞳に宿す不断の男家系の一族だった。

 その血統は繁殖力が弱く、代々一人の男子しか子を残せないようだった。だが、その一族が受け継ぐ瞳は、まさにヴルタの精髄を写し取ったかのような氷の輝きに染まっていた。そしてその血の奥底には、代を重ねるごとに真祖ラドミーラでも震えるような底知れぬ力をたたえるようになっていく。


 濃密で芳しい極上の血脈――けれどラドミーラはけしてその一族の血を啜ろうとしない。

 今はまだその時ではないのだ。


『来いエヴェリーナ、我らも行くぞ。青の血脈の完成は近い。間違っても最近暴れ回っているヴァルトルどもに殺されては堪らぬ。慎重に見守るのだ』

『はい、母上の仰せのままに』


  ◇ ◇ ◇


『ふふふ、遂に、遂に……』


 エヴェリーナが真祖ラドミーラと共に潜んでいるのは、アンブロシュ王国のとある屋敷の庭。そこは尚武の気風で名高いここアンブロシュ王国の中でも、特に著名な騎士一族の屋敷だ。


『見ろエヴェリーナ、なんと芳しい坊やなのだ……』


 ラドミーラの真紅の瞳が夢見るように見詰めているのは、屋敷の一室で母親に乳を与えられている赤子だ。清冽な青の色彩を瞳に宿す不断の男家系のこの一族に生まれた、待望の跡継ぎ息子だった。


 乳を与える母親はこれまた珍しい、紫水晶に輝く瞳を持つ娘。


 そう。

 それはラドミーラ達が作り上げたハイエルフの方の血脈、その末端の娘であった。

 なんという運命の配剤か、ふたつの血脈がこのアンブロシュの地で交わったのだ。二人は出会うなり導かれるように激しい恋に落ち、そしてその愛の結晶が今、娘の腕の中で産声を上げている。


『ふふふふ、真なるケイオスの導きは真であった。あれこそこの千年の集大成。我ら呪われた種族を凌駕する新たな真祖、我が完璧なる永遠の伴侶……』


 五千年を生きる真祖ラドミーラの美しい顔に、妖しくも美しい狂気の微笑みが浮かんでいる。


『エヴェリーナ、もうこの場は妾だけでよい。ハナートを越え、新たなヴルタを狩って参れ。全ての月が満ちるまで、愛しい坊やにはたくさん青き粉をあげねばならぬゆえな。ふふ、うふふふ……』

『はい、母上の仰せのままに』




  ◇ ◇ ◇




 ……青の、血脈だと?


 茫然とするヤーヒムの腕の中で、エヴェリーナの亡骸が砂になってさらさらと崩れ落ちている。

 残ったものは意外なほどに小さい、けれどヴァンパイアレッドに輝く美しいラビリンスコア。


 ヤーヒムはそれを足元の砂の中から拾い上げ、茫然と眺めた。

 自身の左手の甲にある、ラドミーラの紅玉を彷彿とさせるそれ。その宝玉が見せてくれた記憶の断片、その最後に垣間見えたのは間違いようもなく、懐かしき生家と若き母だった。


 ……集大成、だと?


 突きつけられた衝撃の事実は当分消化できそうにない。

 信じたくはないが、心の奥ではそれが真実だと分かっている。ならば、自分という存在は何なのか。


 けれど自分は既に生を受け、ここにこうして生きている。

 今更どうこうできる問題ではない。自分は自分なのだ。


 そして今の自分には、リーディアやフーゴといった信頼できる仲間がいる。ダーシャという家族がいる。

 それは共に生きて行きたいと強く願う者達だ。どこかで彼らにこの話を伝える日が来るかもしれない。その時、彼らならばきっと受け入れてくれる――そう己に言い聞かせ、呼吸を落ち着かせていく。


「…………」


 強烈な置き土産を残していったエヴェリーナのコアをもう一度眺める。

 何度見てもラドミーラの紅玉と似た、複雑な紅の輝きを放っている。青の力を啜っても、その紅は消えなかった。エヴェリーナ。最後までラドミーラに付き従い、慕い続けていたこの長姉は。


 孤独に永遠を生きるよう運命づけられたヴァンパイア。

 人系種族を糧や物としかみていない、忌まわしき種族。


 けれども、エヴェリーナが母ラドミーラに執着し、ラドミーラがヤーヒムに執着する、心の裡で孤独を恐れるその執着だけは、ヤーヒムにとって理解できるものであった。


 何の考えもなく、左手の甲のラドミーラの紅玉をエヴェリーナのコアにそっと触れ合わせるヤーヒム。

 単なる子供じみた感傷だ。今は結果として二人ともこうした結晶になっているが、せめて――


 と、未だ弱々しかったラドミーラの紅玉の輝きが急に脈動を始めた。

 それに応えるように、エヴェリーナのコアも鮮やかな紅を踊らせているように見える。それはまるで、二人が長い旅路の果てで、穏やかな会話を交わしているかのような光景で。


 ヤーヒムの願望が見せる幻かもしれない。

 けれど、左手からは生き生きとした波動が伝わってくる。


 そしてエヴェリーナのコアの紅が、吸い込まれるようにラドミーラの紅玉に流れ始めた。


 ……!?


 思わぬ展開に息を呑むヤーヒム。

 けれど、それを止めるのはどこか憚られ、結局そのまま流れるに任せる。


 やがてエヴェリーナのコアから全ての色が失われ、無色透明に透きとおったものに変わった。

 ヤーヒムの左手の甲では、ラドミーラの紅玉がそのルビーの輝きに更なる複雑さを加えている。腕を通じて伝わってくるのは幸せそうな、満足そうなふた色の波動。



 ……良かった、のだろうか?



 透きとおったコアを右手に、左手のラドミーラの紅玉を言葉もなく眺めるヤーヒム。

 もう二人が言葉を語ることはない。厳密な意味では二人ともこの世に生きてすらいない。だが、二人のエッセンス、本質のようなものがヤーヒムの中に確かに生きて――




「……父さん?」




 ヤーヒムが我に返ると、三歩離れた場所からダーシャが心配そうにヤーヒムを見上げていた。

 その傍らにはフーゴはもちろん、アマーリエやリーディア、そしてマクシム達の姿もある。そう、彼らを忘れてはいけない。


 周囲を見回せばいつしか雨は止んでおり、残り少ないキマイラは召喚主が斃れると同時に逃げ始め、遠くで同士討ちも始めているようだ。カラミタを討ち果たし、状況がこうなれば彼らの戦いは終わったに等しい。リーディア達はそこでようやく回復を完了させ、こちらに合流してきたのだろう。全員が瘴気を放つ黒い泥まみれで、けれど無事に生きている。


「…………」


 ヤーヒムは言葉が出なかった。

 ダーシャ、リーディア、フーゴ、アマーリエ、そして上級騎士のマクシムと配下のダヴィット、テオドル。一人ひとりの顔を確かめるように見ていく中、そんなヤーヒムと目が合ったアマーリエが達成感を滲ませた笑みと共に口を開いた。


「終わったな」

「すげー戦いだったな。いろいろあったけど、お前さんならやってくれるって信じてたぞヤーヒム」

「こっちは少々手間取ったが、ヤーヒムのブラディポーションのお陰で皆もこのとおり――」


「きゃっ!」

「ちょ、ちょっとヤーヒム!」


 ヤーヒムは無言でダーシャに歩み寄り、左腕でその小さな体をぐいっと抱き締めた。そして残る右腕で、隣にいたリーディアも。


 そう。

 全てが終わった今、ヤーヒムは改めて実感していた。自分も皆も、紛れもなく血潮が流れて生きている、と。


 ヤーヒムがここまで感情を露わにするのは、エヴェリーナの記憶の断片を見たということも多少はあるかもしれない。

 けれど、リーディアもダーシャも、この戦いで自分の為にどれだけそのか弱い身を挺してくれたことか。何かが一歩間違えば、悲惨な結末になっていたことは間違いない。


 リーディアの魔法でエヴェリーナの片腕を封じていなければ、今ここに立っているのは自分達ではなかったかもしれない。

 ダーシャは落ち着いていたはずの忌み子の血を再覚醒させてしまった。今後どうなるか慎重に見守っていく必要があるが、どんな結果になろうとも絶対に自分は――


「かはは、いいねえいいねえ。いっそのことアマーリエの姫さんも……ぐふっ」

「黙れフーゴ、死にたいか」

「いや今の既に本気だったでしょ!? あ痛たた……」


 周囲で騒ぐ仲間達の賑やかな声が、禁呪で荒れ果てた黒い大地に清涼な空気をもたらしている。

 と、騎士達の長であるマクシムが砦の方を振り返り、控え目に口を開いた。


「アマーリエ様、どうやらあちらも片がついたようです」


 マクシムが指し示す腕の先、黒い泥濘の大地の先から、テュランノスドラゴンと戦っていた二千の重装騎兵がこちら目掛けて駆けてきている。

 数は少し減らしているもののさすがはザヴジェルの<戦槌>、獰猛極まりないテュランノスドラゴンを僅かな時間で排除して未だ整然と陣形を保っているようだ。


 彼らの先頭に立つ偉丈夫は<戦槌>騎士団長、アレクセイ=ザヴジェル。

 二千の騎兵を猛々しく率いている彼は、今回の禁呪後の突撃任務を巡って実妹であるアマーリエと少々やりあっていたようで――


「くくく、カラミタはこちらが斃してしまったぞ? 兄上はさぞ悔しがるに違いない」


 琥珀色の瞳に挑発するような笑みを浮かべ、魔剣レデンヴィートルを振り上げて騎兵部隊を呼び寄せるアマーリエ。

 実は仲の良い兄にとびきりの悪戯を仕込んだかのようなその無邪気な姿に、ヤーヒムの胸がちくりと痛んだ。ヴァンパイアとしての実姉、エヴェリーナの最期が甦ったのだ。そして彼女の忘れ得ぬ追憶と共に流れ込んできた、ヤーヒムの出生にまつわる――


 ……それは、後でいい。


 ヤーヒムは波立つ感情を遠くに押しやった。

 受け止めるのに時間が必要だ。どこかで皆に聞いてもらえば、きっと意見も貰えることだろう。否定されることはないと分かっている。


 それよりも、今は。

 そんな二次的な置き土産のことより、全員揃って戦いを切り抜けたことを喜ぼう。

 ヤーヒムは、胸に感じる温もりを確かめるよう、さらに強く腕の中の二人を抱き締めた。



 ――この時点のヤーヒムは知る由もないが、この戦いで遺された置き土産、それはひとつだけではない。何人たりとも予想していなかった、もうひとつの遺物の顕現はすぐそこまで迫っていた。




  ◆  ◆  ◆




「……?」


 陣形を保ち、整然と黒泥の大地を接近してくる<戦槌>騎士団を眺めていたその時。

 ヤーヒムは抱き締めていたダーシャとリーディアをやさしく離し――普段は白桃のように滑らかなリーディアの頬が、ダーシャの好物ミニローシのように真っ赤になっていた――、己の裡で上がり始めた微かな警報に耳を傾けた。


 ……この感覚は、何だ?


 つい先ほどヤーヒムはエヴェリーナの力を啜った。

 テュランノスドラゴンを始めとした大量の魔獣を召喚し、また、トカーチュ渓谷一帯を擬似ラビリンスとして地殻変動すら起こしてみせたエヴェリーナの力。それは目減りしたとはいえ、ヤーヒムの中に新たな力として息づいている。


 おそらくヤーヒムが扱えるのはエヴェリーナの百分の一にも満たないだろう。けれど、ヤーヒムにとって少なくともふたつの目覚めがあるのが分かる。


 ひとつはこれまで以上の空間創造の力。これは従来の力の延長上にあり、おいおい試せばよいものだ。

 もうひとつはこれまでヤーヒムには全く備わっていなかった、いわゆる召喚系統の力。こちらはどうやら、これまで目にした同族の先達――ラビリンスとなったヴルタやエヴェリーナのようなカラミタ――たちのように、続々と魔獣を召喚できるとまではいかないらしい。


 今のところヤーヒムがべるのはただ一体。

 まずは守護魔獣から、ということなのかもしれない。えにしを結びたい魔獣を選び、血の契りを交わせばいつでも召ぶことができる――そんな能力のはずなのだが。


「ん? どうしたヤーヒム?」


 険しい顔を見咎めたフーゴが軽い調子で尋ねてくる。

 ヤーヒムは離した腕の先で未だ呆けているリーディアの肩をそっと押し、まっすぐ自分を見上げてくるダーシャの頭を撫でて、静かに皆から距離を取った。



 ……何かが、来る。



 ヤーヒムはそうフーゴに口の形だけで答え、周囲の瘴気に覆われ泥濘となった大地を鋭い眼差しで見渡した。






―次話『ふたつめの遺物』―

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